王子を道連れにすることにしました
「…終わった!」
夕日が空を赤く染める頃、王子は達成感に満ちた表情で、両手を上げた。
部屋に連れてこられたときにあった書類の山は、今はもうすっかりなくなっている。
王子が仕事をするのを眺めつつ、王子が計算問題を口にしたら暗算して答えるという簡単な作業をしていただけなんだけど、王子は大層感激していた。
「まさか日が暮れる前に終わるとは…感謝するぞ、セージ」
「いえ、たいしたことはしてませんよ」
「いや、そんなことはない。私は今まで、数字をただ読み上げるだけで正確な答えを出す人間など見たことがなかった。素晴らしい能力を持っているんだな」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「それでだ、セージ。今日の礼に何かしたいのだが、希望はないか?」
「お礼ですか?別にいいですよ。困ってたみたいだし、俺も暇だったので手伝っただけなので」
「そういうわけにはいかない。何か欲しいものはあるか?」
うーん、欲しいものかぁ。
正直、思い浮かぶものが特にないんだよな。
この世界に来てから、衣食住は全て保障されているし。
賃金も出るから、買いたいものは自分で買える…って、そうだ。
「欲しいものじゃなくて、やりたいことでもいいですか?」
「ああ。何でも言ってくれ」
「買い物に行きたいです」
「買い物?」
「はい。こちらに連れてこられてから、神殿と城しか行ってないので、城下町を見てみたいなと思いまして」
せっかく異世界に来たのだから、色々見て回りたいと思うのは当然だろう。
日本にはないような城や神殿も興味深いけど、やっぱり街が一番興味がある。
「今日か?」
「いえいえ。給料をもらってからです。俺、まだ無一文なので」
「街で買い物するくらいの金は、私が…」
「前にも言いましたけど、自分のものは自分で買います。大人なので」
俺の言葉を聞いた王子は、少し考える素振りを見せた後、口を開いた。
「わかった。城でやることが落ち着いたら、行けるように手配しよう」
「本当ですか?」
「ああ。だが、護衛はつけることになるから、その点は了承してくれ」
「わかりました」
まあ、当然だよな。
本当は一人で気ままにブラブラしたかったけど、仕方がない。
一応、聖女様だしね。
「さて、仕事は片付いたことだし、そろそろ戻りますね」
「ああ。面倒なことに付き合わせて悪かったな」
「いいんですよ。楽しかったですし」
「楽しい?」
「久しぶりに読み上げ算やって、まだ鈍ってないことが確認できました」
「…もう一度聞くが、計算が楽しかったと?」
「はい。何か問題でも?」
「いや、問題はないが。私には理解できないな」
苦笑しながら、王子は首を振った。
ホントに苦手なんだな、計算。
なんでもスマートにこなしそうなのに、苦手なことがあるってだけでなんとなく親近感がわく。
「王子にも弱点ってあったんですね」
「当たり前だろう。完璧な人間なんているわけがない」
「確かに」
「また何かあれば、手伝ってくれるか?」
「もちろんです」
俺が即答すると、王子は嬉しそうに微笑んだ。
やっぱり顔色は少し悪いけど、それでも仕事が片付いた達成感からか、表情はとても明るい。
結構な量だったもんなあ、あの書類の山。
どうしてそんなに溜めこんでしまったんだろ?
勝手なイメージだけど、王子はちゃんと計画立てて仕事をしそうな感じなんだけどな。
「王子って、追い詰められてから一気に仕事を片付けるタイプなんですか?普段から少しずつ処理すれば、あんなに溜まらなかったんじゃ?」
「いや、通常は仕事を溜めたりはしない。今回は予定外の仕事でな。セージにも関係があることだ」
「俺?なんで?」
意外な言葉にキョトンとしていると、王子は悪い意味ではないと前置きしてから説明してくれた。
「聖女予算の変更だ。セージのために組んでいた予算の大幅な削減、浮いた予算の使い道や配分を見直していたら、気が付いたらあの有様だった。まあ、嬉しい誤算ってやつだな。予算が増えて文句が出ることはあっても、減って出ることはない」
「今までの聖女とどのあたりが違うんですか?」
「一番の違いは、やはり男性だというところだな。化粧代や衣装代がかからないというのが大きい。あと、侍女の人数も少ない。それだけでもかなりの経費が抑えられる」
なるほど。
俺は化粧はほとんどしないし、服も動きやすいシンプルなのしか着ないから、そのあたりが今までの聖女より少ない費用で済むのか。
「セージが今までの聖女より金がかかるところもないわけではない」
「何ですか?」
「食事代だ。今までの聖女の1.5倍くらいはかかっている」
こちとら健康体の成人男性なんだから、そりゃそうだろう。
これでも日課だったジョギングをしていないし、体を動かすことが少ないから、食べる量は減っているんだぞ。
「こちらの世界の食事は口に合っているようだな」
「そうですね。美味しくて、つい食べ過ぎてしまうくらいです」
「料理長が聞いたら泣いて喜ぶな。もっと食べて、健やかに大きくなれ」
小さい子供にでもいうようなセリフに、思わずムッとして言い返す。
「無茶言わないでください。成長期はとっくに過ぎてるので、これ以上は無理です。伸びません」
「なら、せめてもう少し太れ。細すぎだ」
「そんなことないです。標準体型より少し細いだけです」
「そんなひょろい体ではすぐに倒れるぞ。体力をつけるためにも、もっとたくさん食え」
「これでも筋肉はしっかりついてるんです。体力には自信あります。見くびらないでください」
「ほう、それは頼もしいな」
俺の言葉を聞いて、王子はクスリと笑った。
絶対信じてないな、これは。
「嘘だと思ってます?」
「明日、ソラとの訓練を見ればわかることだ」
突然出てきた師匠の名に、あのマッチョを思い出して、背筋に冷たいものが走る。
一体、どんな訓練をさせられるんだろう?
「…もしかしなくても、それってかなりハードだったりします?」
「おそらく。だが、安心しろ。死にはしない」
笑顔でさらっと怖いことを言いやがったよ、この人。
「その言葉でどうやって安心しろっていうんですか。逆効果です」
「大丈夫だ、私がついている。ダメだと思ったらストップをかける」
「え、王子も明日来るんですか?」
「ああ。見学させてもらう。セージのおかげで、仕事も片付いたしな」
王子はそう言って、麗しく微笑んだ。
心強い言葉ではあるけど、なんか他人事って感じがムカつく。
…そうだ。
良いことを思いついた俺は、ソファーから立ち上がって王子のほうへ歩み寄った。
「王子、デスクワーク…書類を見たり書いたりしてると、運動したくなりませんか?肩凝りません?」
「ん?ああ、まあそうだな。たしかに多少は…」
「じゃあ、一緒に訓練に参加しましょう!気分転換にもなりますし、肩こりも治りますよ」
我ながら名案だと、うんうんと頷く。
書類仕事ばかりでは気が滅入るし、適度に体を動かしていれば、ストレス発散にもなるだろう。
というのは建前で、ムカついたから道連れにしてやろうとしてるだけだったりする。
ヒクッと擬音をつけたくなるくらい、王子の笑顔が分かりやすく引き攣った。
「い、いや。私は遠慮しておく。セージの訓練の邪魔をしてはいけないしな」
「邪魔だなんて、そんなことないです。むしろ王子がいた方が張り合いが出ます」
「私は訓練する必要はないのだが…」
「ずっと机に向かってると、頭おかしくなりそうになりません?たまには何も考えずに思いっきり動いた方がいいですって」
「いや、しかし…」
「ソラ師匠には、明日俺からお願いしますから。勝手な想像ですけど、ソラ師匠は喜ぶと思います」
なんとか王子を巻き込もうと、畳みかけるように話す。
王子はしばらく困った顔をしていたけど、観念したのか、深く大きなため息を吐いた。
「…わかった。参加しよう」
「やった!」
「ただし、本当に少しだけだからな。長時間参加するつもりはない」
「はい、わかりました」
ニコニコの俺の顔を見て、諦めたように再度ため息をついた王子に、小さくガッツポーズをする。
ふっふっふっ、これで一人だけ辛い思いをしなくて済むぜ。
「嬉しそうにしているが、俺が参加したからといってソラは手加減しないと思うぞ」
「そんなこと期待してません。俺が王子を巻き込んだのは…」
笑顔の俺を不思議そうに見て問う王子に、俺ははっきりと言った。
「ただ道連れにしたかっただけです。明日、一緒に頑張りましょうね」
ヤブヘビでセージの訓練に付き合うことになったアレン王子ですが、体を動かすのは嫌いではありません。
武術にも長けていて、そんじょそこらの兵士では歯が立たちません。




