営業スマイルは身に染みついてます
「聖女様、昨日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
初対面のときとは違い、礼儀正しくお辞儀をして挨拶してくれるキーガン。
こちらもサラリーマン生活で培った愛想笑いを浮かべて答える。
営業スマイルならお手の物。
キーガンは相変わらずの真顔だけど、威圧感のある雰囲気ではなかった。
「今日は殿下と一緒ではないのですね」
「王子は自室に戻られました。ちょっと前まではいたんですが」
「そうでしたか」
笑顔はないけど、刺々しさもない。
普通に会話してくれているし、王子が言っていたように、聖女に対しての印象は良くなったのかな。
こちらは笑みを崩さずに対応していると、ふいに能面だったキーガンの表情が少しだけ申し訳なさそうになった。
「昨夜のことですが、本当に失礼いたしました」
「もうお気になさらず。私は気にしておりませんから」
「ありがとうございます。実はあのあと父に叱責されました」
「え?なぜですか?」
キーガンのお父さんって、この国の宰相だったはず。
宰相っていうのがどれくらいの地位なのかはピンとこないけど、多分めっちゃ偉い人。
子が聖女懐疑派なら、父もそうなのかな。
でも、叱られたってどういうことだ?
話の流れからして、俺に関係あるんだろうか。
「まず、初対面の聖女様に無礼な態度をとったこと。一度も話したことがない相手に対して、勝手に人となりを想像して判断してはいけないと」
「なるほど…」
さすが宰相閣下。
良いこと言うじゃん。
第一印象で他人のことを決めつけちゃダメだし、キーガンに至っては会ってもいないのに俺を贅沢三昧の浪費家みたいに思い込んでたフシがあるからな。
ぱっと見では合わなそうな人でも、ちゃんと会って話せば印象が変わるなんてことはよくある話だ。
「そして、わずかに会話しただけで分かった気になってはいけないとも。相手の言っていることが嘘か本当か分からないのに、簡単に心を許すべきではないと」
「…なるほど」
余計なこと言うなよ、キーガンの親父さん。
言ってることは間違ってないけど、せっかく態度が軟化しかけてたのに、また最初みたいに硬化したらどうしてくれる。
笑顔のまま心の中で文句を垂れていると、キーガンが俺の目を見て、変わらずの真顔のままで口を開いた。
「聖女様」
「は、はい?」
「これから貴方がどんな生活をするのか、しっかり見させていただきたいと思います」
「はあ…」
「お引止めして、申し訳ありませんでした。それでは失礼します」
キーガンはそう言い残すと、また深く一礼してから去っていった。
…えっと、つまり?
「三歩進んだかと思ったら、二歩下がった的な感じ?」
コツコツと足音を響かせながら遠ざかるキーガンの背中を見ながら茫然と呟く。
敵視はしてないけど、懐疑的な見方が変わったわけじゃないってこと?
なんだよそれ…
「えっと…プラス3、マイナス2なら進んでます!一歩前進した思えばよいのでは」
「…そうだね。ありがとうリリアナ」
前向きに考えよう。
事情がよく分かってなさそうだけど、俺のつぶやきを拾ってとりあえず励ましてくれるリリアナに、俺は引きつった笑みを返した。
+++++
部屋に戻ると、すぐにソフィがお茶を淹れてくれた。
紅茶を一口飲んで、ほっと息をつく。
少し甘めでいい香りがして、心が安らぐ感じだ。
この味、もしかしてはちみつかな?
「はー、落ち着く。美味しいよ、ソフィ」
「ありがとうございます。ウィカのはちみつには、疲労回復効果があるんですよ」
「へえ、そんな効能があるんだ。こっちの世界にもはちみつあるんだね」
こっちの世界でも、はちみつはハチミツなんだな。
はちみつがあるってことは、蜂もいるのか。
案外、虫は共通するものが多かったりして。
そんなことをのんびり考えて、紅茶を飲みながらまったりとした時間を過ごす。
蜜の効能なのか、体がほんわか温まる気がした。
「ところで、今日の予定って他に何があるか知ってる?」
今日は制御訓練をやるとしか王子から聞いていなくて、その訓練も明日以降に持ち越しになってしまった。
他に何かやることはないかと思ってマリベルに聞いてみると、
「他には予定は組まれておりません。ご自由に過ごされてよいかと思います」
と、すぐに答えが返ってきた。
まあ、多分そうだろうとは思ってたけど。
「そっかあ。じゃあ、何しようかな…」
「セージ様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「あ、ほしい。お願いします」
「はい。すぐにお持ちしますね」
こっちに来てから、ぽっかり自由時間が空いたことがないから、何をしたらいいのか思いつかない。
うーん、どうしたものかなあ。
これが元の世界なら、色々と暇つぶしの方法はあるんだけど、こちらではそうもいかない。
腕組みをして悩んでいると、遠くからキュエー!と甲高い鳴き声が聞こえてきた。
そういえば…
『鳴き声が聞こえてきたら思い出す程度でいいから、覚えておいて』
キュエー鳥の鳴き声と一緒に、アイザック王子の言葉が頭に浮かんだ。
…思い出しちゃったよ。
いや、忘れてたわけじゃないけど。
一応、引き受けちゃったしなあ。
「まあ、暇だし?」
ゲームをしたくても機械はないし、本を読みたくても文字が読めないし、昼寝をしようにも眠くない。
ただただ暇を持て余してボーっとしてるくらいなら、ちょっと考えてみるか。
「時間は有効活用しないとね」
俺は椅子から立ち上がると、窓から外を見た。
キュエー鳥の姿は見えないけど、鳴き声はずっと続いている。
ごめんね、キュエー鳥。
君たちに恨みはないけど、大量消費のために知恵を絞るよ。
アイデアはまだ全然浮かんでない。
社内プレゼンのつもりで企画書みたいなものでも書いたほうが考えを整理できそうなんだけど…
「パソコンがないから手書きかあ」
「あの、セージ様。さきほどから何をブツブツとおっしゃってるんですか?」
紅茶のおかわりを注ぎにきたソフィが、首を傾げて聞いてきた。
「ああ、ちょっと考え事。そうだ、ソフィ。紙とペンある?」
「そういったものでしたら、あちらの机にあるかと思いますけど…」
「勝手に使ってもいいのかな」
「こちらの部屋の物はすべて、セージ様のためにご用意したものですから、ご使用になっても大丈夫ですけど…何をされるおつもりですか?」
「ちょっとね。ありがとう」
不思議そうな顔をするソフィに笑いかけると、お変わりの紅茶を持って、さっきソフィが指差した机に向かった。
執務室にあるような簡素な机には、たしかにペンと紙がある。
逆に言えば、他には何もない。
あ、定規はあった。
ここにはパソコンもないし、コピー機もない。
あちらの世界には魔法はないけど、こちらの世界の人が見たら、電子レンジやエアコンのような家電なんかを見たら魔法みたいに感じるのかもしれないな。
まあ、今ここに無いものをねだってもしょうがない。
「よし、やるか」
気合を入れて、俺はペンを走らせた。
「さすがに全部手書きは時間かかりそうだな…」
ハチミツはこちらの世界でも人気の甘味料です。
中でもウィカの花から採取されたハチミツは、美しい黄金色で上品な味わいで人気があります。
ウィカは、菜の花のような可憐な黄色い花です。




