初めての食事と風呂と魔法
次の日の朝、一番最初に目に入ったのは見慣れない天井だった。
ああ…やっぱり夢じゃなかった。
分かってはいたけど、心のどこかにあった朝になったら元の1DKに戻っているんじゃないかという淡い期待は見事に打ち砕かれた。
俺は寝起き特有の気怠さにため息をつきつつ、体を起こした。
同年代の日本人と比べても小柄な俺が5人は並んで眠れそうな広さのベッドからは、要望通りフリフリの天蓋は外されている。
「出来ればこれも持って行ってほしかったな」
枕の横に置いてある、可愛らしい猫のぬいぐるみを見て、もうひとつため息をつく。
まあ、おかげでこの世界にも猫がいるってことは分かったけど、収穫はそれくらいだ。
部屋を見回せば、家具や調度品はどれもアンティーク風で、俺の部屋にあるものとは比べ物にならないほど高級そうだ。
壁には小さな絵がかけられていて、絵の中では、この世の物とは思えないくらいの美女が微笑んでいる。
もしかして、あれが女神なんだろうか。
ぼんやりと眺めていると、部屋の扉がノックされた。
「セージ、私だ。入ってもいいか?」
「あ、はい」
返事をすると同時に開いたドアの向こうにいたのは、予想通り王子だった。
慌ててベッドから降り、一礼して挨拶をする。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで。と言いたいところですが、少し寝不足です」
昨日は寝付くのに時間がかかった。
突然召喚されて、非日常的なことばかり聞かされて、よく分からない環境でぐっすり眠れるほど、俺は肝が据わってはいない。
「そうか。まあ、無理もないな」
王子は苦笑しながら俺に近づき、大きな手で頭を撫でてきた。
…もしかして、子供扱いされてるのか?
身長は頭一つ分くらい違うせいなのか?
「王子、俺はあなたが思ってるより、年下じゃないと思いますけど」
思わずムッとして睨みつけると、王子はおかしそうに笑いながら言った。
「そういえばセージは何歳なんだ?」
「22です」
「5つ年下か。可愛い弟が出来たみたいだな」
ということは、王子は27才か。
アラサーだと思っていたのは当たりだったな。
「年下だけど、子供扱いされる年齢でもないです」
「そう怖い顔をするな。朝食を持ってきたから食べてくれ」
「朝メシ!」
そういえば、昨夜は食欲もわかなくて夕飯を食べなかったから、めちゃくちゃ腹ペコだ。
王子の魅惑的な言葉に目を輝かせた俺を見て、王子は笑顔のまま二度手を叩く。
すると給仕係と思われる数人が、ワゴンを押して部屋に入ってきた。
「いい匂い!」
漂ってくる旨そうな香りに思わず声を上げると、王子がまた可笑しそうに笑う。
「たくさん食べるといい」
「俺、テーブルマナーとか知らないんだけど…」
「そんなの気にしなくていい。好きに食べていい」
テーブルの上に並べられていく料理は、どれも美味しそうだ。
しかしここは異世界。
一見、普通のスクランブルエッグけど、鶏卵とは限らない。
一応料理を並べてくれてる人に聞いてみた。
「あの…これは何の卵ですか?」
「こちらはキュエー鳥の卵でございます」
…キュエー鳥がどんな鳥か知りたいけど、食欲が失せても困るから、食べてから聞いてみよう。
その後も気になる食材や料理について聞いてみたけど、聞いたことがない名前がわんさか出てきて、途中で諦めた。
もしかしたら、レタスをこちらの世界ではバペイナって言うのかもしれないと割り切って、とりあえずサラダから手を付けた。
「ん!めっちゃうまい!!」
「それは良かった」
パクパク食べる俺を見てニコニコ笑ってるけど、王子は朝飯どうしたんだろう。
焼き立てだろうか、まだほんのり温かいパンをちぎりながら、テーブルの向いに座る王子に話しかけた。
「王子様は食べないんですか?」
「私はもう済ませてきた。ところでセージ、食べながら聞いてほしいんだが」
「…なんですか?」
なんだか嫌な予感がしつつ、口の中のものを咀噛してから聞くと、王子は真剣な顔で言った。
「朝食を終えたら、女神の間で儀式を行う」
「女神の間?」
「この神殿の中央にある、女神像が飾られた場所のことだ。神話にある女神、イグラシルの力が宿っているとされている」
「へぇー」
「そこでセージの聖女としての力を目覚めさせる。危険なことはないから安心していい」
ピンク色の柿みたいな果物をフォークに刺したまま固まった俺に、王子は優しい声で言った。
ホントかよ…
でもまあ、協力すると決めたのは自分だし、やらなきゃいけないことならやるしかない。
「分かりました。で、何をすればいいんですか?」
「簡単なことだ。女神像が持っている水晶玉に触れるだけだ。セージが聖女なら、水晶が光る。力が強ければ強いほど、その輝きは強くなる」
「それだけ?」
「ああ」
それくらいだったらいいか。
ちょっとホッとした俺に、王子が続ける。
「やることはそれだけなんだが、その前に身を清めて着替えてほしい。替えの服は用意してある」
そういえば、召喚されたときに着てた服のまま寝て、いまだにそのままだった。
さすがに長年愛用のヨレヨレのスゥエットのままというのは、女神に失礼かもしれない。
身を清めるってうのは、風呂に入れってことでいいのかな。
って、そういえば風呂場がどこか知らないや…
「ちなみに風呂はどこにあるんですか?」
「食べ終わったら案内させよう。」
「もうちょっとで食べ終わるので、少し待ってください」
食うスピードをあげた俺に、王子は優しく微笑んだ。
「急がなくても大丈夫だ。ゆっくり食べなさい」
俺は一人っ子だけど、兄がいたらこんな感じなのかな…そう思いながら、目の前の料理を平らげた。
+++++
「おお〜!」
ベッドルームの隣にあった風呂場に、俺の声が響いた。
白い大理石でできた広い浴室には、大きな浴槽が置かれていて、石鹸もある。
窓はないけど天井は高くて、壁には美しい絵が描かれていた。
「気持ちいいなぁ〜」
浴槽のお湯はちょうど良い湯加減で、肩まで浸かると、思わず「あー…」と声が漏れた。
手足を伸ばせる広い湯舟って最高…狭いユニットバスとは大違いだ。
目を閉じてリラックスしていると、扉の外から声がかけられた。
「聖女様、タオルとお着替えをご用意いたしました」
「ありがとうございます」
「よろしければ、湯浴みのお手伝いを…」
「あ、大丈夫です。俺の世界では、風呂はひとりで入るものなので、お気になさらずに」
「かしこまりました。では、こちらに置かせていただきます」
脱衣スペースから何やらゴソゴソと物音と足音がして、しばらくしたら静かになった。
人の気配がなくなってから、俺は湯舟から出て身体を洗い始めた。
石鹸は花の香りがして、泡立ちもすごくいい。
ボディソープとかシャンプーがないのは残念だけど、頭も顔も同じ石鹸で洗った。
多分、若い女性がくると思って用意したんだろうなあ…
成人男性からフローラルな香りがするというのは、若干違和感があるけど、悪い香りじゃないので気にしないことにしよう。
「はあ、さっぱりした」
風呂から上がって用意されていた服を着てみると、肌触りが良くて着心地が良かった。
白のゆったりとした大きめのノーカラーシャツと、同じ生地のジョガーパンツ。
こちらではどう呼ぶのか知らないけど、高級品だということは分かる。
ちなみにヨレヨレスゥエットは洗濯しておいてくれるということだった。
「この世界って洗濯機ってあるのかな?洗剤も違うよな」
洗われてきたスゥエットもやっぱりフローラルな香りだったらウケるな。
そんなことを考えながら部屋に戻ると、王子が待っていた。
「こちらの服も良く似合っているな。サイズがあってよかった」
「ありがとうございます。じゃあ行きましょうか」
「待て。しっかり乾かしてからだ。湯冷めして体調を崩したらいけない」
近づいてきた王子が俺の手からタオルをとって、ワシャワシャと髪を拭き始めた。
だから俺は子供じゃないってば…
どうやら王子は世話焼きタイプの人のようだ。
されるがままになっていると、ふわっと風が起こったような気がした。
「あれ?」
「どうした」
「今なんか、気のせいか、あったかい風が…」
「ああ、私の風魔法だ」
「魔法!?」
「こんな初歩的な魔法でそんなに驚くということは、セージの世界では魔法はないのか?」
「ないない!」
俺はぶんぶんと首を振った。
うわー、いつの間に魔法を使ったのか、全然気づかなかった。
魔法って他にどんなことが出来るんだろ?
今度、時間があるときに聞いてみようっと。
やっぱりここは異世界なんだなあ…としみじみ感じつつ、初めての魔法にワクワクを隠せないでいると、王子が機嫌良さそうにクスクスと笑った。
「セージは見てて飽きないな。ほら、これでいいだろう」
「ありがとうございます。王子はドライヤーみたいですね」
「なんだ、それは?」
首を傾げる王子に、俺はニッコリ笑って言った。
「あったかい人っていうことですよ」
あたらめて異世界であることを誠司は認識しました。
王子は誠司の世話を焼くことが楽しいようです。




