第六話 剣術の特訓とフェッター・リヒャルト
師匠との特訓を開始してから一週間が経過した。
あれから毎晩抜け出しては、風魔法で林まで吹っ飛んでいき、夜更けまで特訓をしている。
さすがに一週間も夜更かしをしていると、五歳の体には負担が大きいみたいで、よく睡魔に襲われていた。
今は午前の剣術の特訓である。
3歳の頃から体力作りや筋トレを毎日続けており、最近はそれに加え木剣で木で作った人形を相手に戦っている。
「今日は動きが鈍いですね。いかがいたしましたか、リーベスト坊ちゃん」
そう話すのはこの町を守衛しているフェッター・リヒャルトだ。
「今日は何だか疲れているみたいでして」
愛想笑いでなんとかごまかそうとした。
リヒャルトはかつてこのエールトヌス王国の傭兵として数々の戦場へ赴き、その名を知らしめたと言われるほどの剣術の達人である。
物理攻撃も魔法も受け流す独自の技は、王国のみならず他の大陸から弟子入り志願に訪れるほどだったらしい。
今でこそ落ち着いているが、昔は鬼のように厳しかったとベルンハルトが教えてくれた。
どうして彼がリヒャルトの事を知っているのかは、深く教えてくれなかったが。
「剣の捌きに精彩がありませんし、一体どうしたのですか?」
図星をつかれ返答に少し困ってしまった。
師匠の事は内緒という約束なので、本当の事は言えずに噓を吐く。
「それが、最近なぜかあまり寝付きが良くなくて……」
えへへ、と愛想笑いをした。
「最近、奥様も勉強に精を感じないと仰られておりました。あまり無理をなさらないようにしてください」
我ながら下手な嘘だが上手く誤魔化せただろうか。
「ただ、今までなかった事がここ一週間で起きるというのは聊か不自然ではありますが」
……どうやらそんなわけはなかった。
リヒャルトは鋭い眼光で俺を見ていた。
まるで一寸の隙を窺っているかのようだった。
「そのうち良くなると思うので、そこまで心配はいらないんじゃないですかね。はは、あは、あはは……」
無理やり笑って誤魔化した。
しかし、どうしても歯切れは悪い。
なおも見てくる彼に、「と、とにかく続きをやりましょう!」と気を逸らすのだった。
この世界の剣術は、対魔法に対して有利になるためにいかに早く剣を繰り出し、相手を仕留めるかに重きを置いていた。
魔法と違い射程が短い分、近づかなければ何もできないからだ。
それを身体強化魔法で補うことで対魔法士や魔族に対して互角に立ち回れるようにし、魔法並みの威力の剣戟を放つ聖剣流と、それと対を成しているリヒャルトの剣術である柔剣流がある。
柔剣流と呼ばれるその技は、魔法や剣術を受け流す事に重きを置き、攻撃を捌きながらカウンターを狙うといった剣術である。
今では対魔法において評価が上り続けているほどだ。
このように世界の剣術は大きく分けてその二つが主流である。
「では今日は柔剣流の受け流しについて学びましょう。坊ちゃん、魔法を私に放ってみてください」
「分かりました、ではいきます。
我は求む、この身に大いなる風を以って相手を射抜かんとす
風魔法 風の矢!」
アースアローの風魔法バージョンを俺は放った。
一応無詠唱でも出来るが、色々と詮索されると面倒なので、手間ではあるが師匠の前以外では詠唱を唱えることにしている。
そうして風の矢が作られ、リヒャルトに向け飛んでいく。
その風の矢を彼は正面から受けず、斜め後方に受け流した。
「このように魔法の射出速度を利用して受け流すだけでよいので、力はいりません。坊ちゃんはまだ子供ですが、それでも練習すれば出来るようになりますよ」
あっさりと魔法を逸らされたのが、少しショックだった。
「もし相手がいっぱいの魔法を使ってきた場合はどう対処するのですか?」
「その時は自分に身の危険が及びそうなもののみを判断し、的確に対処をするだけです」
達人は言う事がカッコいいから困るな。
「そんな一瞬で判断できますかね?」
「ええ、できますとも。いいですか? 大事なことはいかに気を乱さないかです。力づくでは上手くいきません。凪ぎの精神を忘れないでください」
「凪ぎの精神ですか」
彼の剣術は前世でいう合気道に近いものだろう。
相手の攻撃に対する返しがそう感じさせる。
「では魔法ではありませんが、私が剣を振るうのでそれを往なす訓練から始めましょう」
こうして剣術の特訓も本格化していった。
稽古が終わり、屋敷へ戻ろうとすると、
「よくそんなに動けるよね。僕には無理だよ」
次男のマッヘンが話しかけてきた。
どうやら俺の稽古を見ていたみたいだ。
「マッヘンお兄様もたまにはどうですか?」
「いいよ僕は、そんな疲れることはしたくないし」
そういう彼は生粋のインドア派であり、剣術大好きの長男カールとはあまり似ても似つかない。
それほど性格は対照的である。
ただ、そんな彼も魔法陣の勉強に関しては天才的である。
最近では剣に魔法陣を付与した魔剣を村の鍛冶師と共に試作しているとか。
「今日も制作をするのですか?」
「今日は休みの日だから、ゆっくり寝る」
「それはご苦労様ですね。でも魔剣、作れるといいですね」
「そんな簡単な話じゃないよ。まあでも、ある程度分かってきたことはあるからそこは少し楽しみだね」
「じゃあ僕は完成するのを楽しみに待ってますよ」
「まだ何年先になるか分からないけどね」
そう二人で仲良く話しながら屋敷へ入っていった。
その日の晩はいつも通り師匠との特訓をしに屋敷から抜け出していた。
毎日やっているから、だいぶこの方法も慣れてきたな。
そして、いつも通り門の所まで歩いてきたところで一人の男が立っていた。
「こんな時間にどちらへ行かれるおつもりですか、リーベスト坊ちゃん」
「……リヒャルトこそこんな時間にこんな場所でどうかしたのですか?」
緊張で言葉に力が入ってなかった。
それに対して少しの動揺も感じさせない彼は、
「私は坊ちゃんの監視を申し付けられたまでです。まさかこんな真夜中にお出かけとは感心致しませんな」
監視だって?
一体誰がそんな事を……
「それは、ひょっとして父様がですか?」
「はい、少し気になる事があると仰っておられたもので」
多分、イーデルがベルンハルトに俺の様子が少しおかしいと告げ、リヒャルトにも俺の様子を聞いたのだろう。
そして、寝不足の事を知っている二人の話から夜に起きて何かしているのでは、という風になったというところか。
まずいな、師匠との接触については秘密なのに。
「真夜中に屋敷を抜け出したことについては申し訳なく思っています。ですがその理由についてはお話しできません」
「ですが、いけないことだということは坊ちゃんもお解りいただいてますよね?」
「それは解っていますが、でも——」
「いかなる理由であれ、このまま見過ごすわけにもいきません。何かあってからでは意味がありませんから」
まずい、このままでは師匠と会えなくなるどころか、毎日監視されろくに出掛けることも出来なくなる。
それだけ色んな人に迷惑をかけているということだから。
でも、師匠との特訓は俺にとってかけがえのない時間だ。
どうしても譲ることはできない。
だからと言って、産まれてからここまで大切に育ててくれた家族たちを裏切ることはしたくない。
一体どうすれば……
そう思っていた時だった。
上空から一筋の光と共にその人はやってきた。
「やけにマナが乱れている気がしたけど、どうしたんだい、リーベ」
「師匠、今はダメですよ!」
「ダメと言われても来てしまったものはしょうがないね」
「それはそうですけど」
俺の今までの努力は何だったのか。
そう責めたい気持ちはあった。
「やはりリーベスト坊ちゃんを誑かす存在がいましたか」
「違う、リヒャルトこれには訳があるんだ」
「なりません。例え小さき存在だろうと、坊ちゃんに害をなす者ならば今すぐに排除します」
鬼のような形相で剣を引き抜くリヒャルトに師匠は、
「排除? 面白いことを言うねヒトごときが。しかしそれは、あまりにもミーに対して無礼すぎやしないかい?」
次の瞬間、圧倒的なオーラを放った。
尋常ではないほどのマナが辺りを包んでいる。
「!!?」
普通の人なら立っているだけでも難しそうな圧力だが、リヒャルトは耐えていた。
「これほどのマナは見たことがありませんね、もしや魔族か?!」
「はぁ、ミーをあんな野蛮な奴らと一緒にしないでくれるかな。実に不愉快だ」
普段から人は、マナを視覚的に見ることは出来ない。
でも、今はそのマナが見えるほど集まり、師匠を渦巻いている。
「はっ、まさか小さき存在でマナに愛されたその姿。かつて伝説の勇者に力を授けたと言われる『世界を均す者』なのですか!?」
リヒャルトは何か気付いたかのように目を見開いた。
「そう、名はエルミーレという。さて、ミーに剣を向けし人よ、ミーの弟子に何か用か?」
リヒャルトは抜いた剣を戻し、地に膝をついた。
「剣を向けた無礼をお許しください。しかし、なぜリーベスト坊ちゃんに……それに弟子とは一体?」
顔を地面に向けたままリヒャルトは謝罪した。
それに、情報量の多さに頭が混乱しているようだ。
「分かればそれで良いよ。もう一度言うが、リーベストは僕の弟子だ。そのことについて問題でもあったかい? 」
「いえ、そんなことはございません。ただ、あまりにも急な話故に整理が追い付かないもので」
今まで見た事がない姿だった。
そんな彼に恐る恐る話しかける。
「リヒャルト、黙っててごめんなさい。師匠の事は秘密だったんです」
俺は黙っててもしょうがないと思い自分が弟子になった経緯を説明した。
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「正直驚いております。おとぎ話の妄想だと思っていました。そんな方と毎晩特訓をしていたというわけですね」
「こっちこそ心配かけてごめんなさい。でも師匠と特訓する時間だけは譲れないんだ」
俺はリヒャルトの顔を見て話した。
語気を強め、ハッキリと自分の思いを口にした。
「……分かりました、旦那様には私の方から伝えておきましょう」
リヒャルトは納得してくれた。
本当はまだ聞きたいことはあるだろうが、これ以上話を聞いてこなかった。
師匠に気を遣ったのだろうか。
「悪いようにはしないから安心しなよ」
師匠はリヒャルトにそう告げた。
「厚かましいお願いですが、坊ちゃんをよろしくお願いします」
「分かってるよ。その代わりと言ってはなんだけど、あっちの林を使いたいんだ。それには立ち入りの許可がないとダメってとリーベが言うからね」
意外にも師匠は俺のルールの事も聞いてくれた。
正直、今日の事を踏まえてもうあそこへ行っても叱られないだろう、とか勝手に言うと思っていた。
「一応私の一存では決められないので、この後ベルンハルト殿に聞いておきます」
「よろしく頼んだよ」
その姿は神々しい者のように見えた。
「じゃあ行こっか」
そう言って移動の準備を始める
「リーベスト坊ちゃん」
その時、リヒャルトが俺を呼び止める。
「どうかしたのですか?」
俺は疑問に思い、少し首を傾げた。
「いえ、私が言うのもなんですが、しっかり学んできてください」
「ありがとうございます、リヒャルト。では、行ってきます!」
遠足に行く子供のような満面の笑みで俺は師匠と特訓に行くのだった。
「結果的に師匠が来てくれたおかげで丸く収まりましたね」
「なるべく下界の者たちに関わりたくなかったけど、今日は仕方なかったんだよ」
そう言って、小さく息を吐いた。
「そんなこと言って、師匠はもっと関わったりするかもしれませんね」
「そうならないためにも、ちゃんと君が強くなって、ミーの助けがいらないくらいになってもらわないとね」
「わかってますよ。でも、師匠のことがわかるとリヒャルトの様子が一気に変わりましたけど、何があったんですか?」
「何と言われても、あれが本来普通の反応なんだよ。ミーのマナは特殊だって前にも言ったけど、影響が出ない君が異常なだけなんだよ」
なるほど、だから会った初日に反応が薄いとか言ってたのか。
「それは確かに僕の事怪しみますね」
どうやら師匠の姿は宛ら舞い降りた天使のような存在ってことだろう。
こうして色々あったが、無事に師匠との特訓が続けられ、家族の蟠りも解消するだろう。
質問攻めにあうことは覚悟してるが。
結構な迷惑をかけたことだし、きちんと謝らないとな。
そんな未だに波乱が続くこの異世界の生活は、忙しい毎日だが充実している。
この日々がこれからも続いていくものだと思っていた。
あの日にあの事件が起こるまでは。