第四十六話 猩々の咲く頃に
ここは一面が白い世界。
見渡す限り、白い景色が広がっている。
そこに、小さな天使が下を眺めていた。
「エルミーレ様、こんな所にいらしたんですね」
エルミーレは、呼びかけられた方に目をやった。
「ん、なんだレヒターか」
レヒターと呼べれた女は呆れるようにため息を吐いた。
「あまり下界に加担する事は、やめた方がいいのでは?」
「別に、少し気になったから見ていただけだよ」
何もしていないと、悪びれもなく言った。
その姿にもう一度ため息を吐いた。
「ハァー、皆さんに何を言われても知りませんよ?」
「そんなの分かってるよ。それで、もう始めるのかい?」
「ええ、皆さん集まり始めてますよ」
「そうか、じゃあ行くとしよう」
小さな天使は立ち上がり、徐に歩き始める。
「また、会える日を楽しみにしているよ、リーベ」
再び下を見つめながら、ポツリと独り言ちた。
−−−
目の前が真っ暗だった。
冷たい水の中に浮かんでいるかのように、感覚もない。
ここはどこだろう?
闇の中で一人。
昔にもこんな景色を見たことがある。
思い出したくもない記憶。
そんな時、救いがない僕に手を差し伸べてくれた人がいた。
その人は、闇の中の自分を拾い上げてくれた。
(あの光は?)
真っ暗な目の前に光る、一筋の光を見つけた。
その光に惹かれ、光が指す方へ歩いていく。
その先で一人の人物が立っていた。
光のせいで、誰かははっきり見えない。
腕を掴まれ、光の先へと歩いていく。
進むたび、眩しさに目を細める。
ある位置まで来ると、その人物は掴んでいた手を離し、光の先へとサディクの背中を押した。
慌てて後ろを見ると、歩いてきた所の側まで闇が迫っていた。
光が消えていき、やがてその人物の顔がはっきりと見えた。
「待って、どうして僕を置いていくの、リーダー!!」
浮遊感が襲い、目の前が一度暗転した。
消える瞬間に見えた彼は、笑った気がした……
「ハッ?!」
目を覚ますと、見知らぬ廊下だった。
(あれ、僕は? 確かあの場に現れた悪魔みたいな奴に身体を乗っ取られて、それで…………)
「そうだ、こうしてる場合じゃ!」
全てが繋がり、急いで身体を起こした。
「っっ!」
身体に激痛が走った。
少し動かすだけで、刺すような痛みが襲った。
痛みの原因は分からなかったが、それでも身体を引きずり、戦闘音が聞こえてくる場所へと向かった。
そこでは、大きな黒い魔物と倒れ込んでいる魔族の姿が見えた。
魔物はどういうわけか、苦しそうに悶えている。
そして光り輝いた剣が、魔物を切り裂いた。
「グオオオおおおお!!」
叫び声を上げ、身体から黒いモヤが吹き出した。
やがて、覆われていた黒の鎧が剥がれていき、中から一人の人物が現れた。
「リーダー??」
その姿を見間違えることはない。
あの時手を差し伸べてくれたその人だ。
「リーダー!!!」
大きな声を出し、身体が軋んだ。
痛みを堪え、彼の元へと向かった。
大きな声が聞こえ、振り向くと、そこにサディクが立っていた。
身体を引きずりながらこちらへ向かって来る。
「……」
サクレ王子が静かに剣を構える。
「待ってください」
俺は手で彼を制した。
「ここは俺たちに任せてください。王子にはまだ、やる事が残っていますよね?」
俺がそう言うと、サクレ王子は剣を納め、
「そうだな。ありがとう、リーベスト。君達には助けられた。最大の感謝を伝えるよ」
俺の肩をポンと叩いた。
それから頭を深々と下げた。
助けられたのは俺の方も、なんだけどな。
「こちらこそ、この戦いで勝てたのはあなたのおかげです。ありがとうございました」
俺も深々と頭を下げた。
「では、俺たちは急いで父様がいる王宮の間へ向かわせてもらう。行くよ、エクレレ」
「はい、兄様」
エクレレは少し険しい表情だったが、サクレ王子の後を追いかけ、王様の元へ向かって行った。
「さてと」
俺は二人を見送り、倒れ込んだ敵の方に向き直る。
「この魔族はどうするの?」
フランメが聞いてきた。
「このまま情報を引き出すか、即刻処分かはサクレ王子が決めることだ。俺たちはもう、こいつをこれ以上何か出来る力はないからな。とりあえず、捕縛魔法を使う人が早く来てくれないと、どうしようもないからな」
「また暴れたりしないよね?」
「こいつの流れている時間を遅くして、燃焼と再生を繰り返していたんだ。燃える速度は普通だが、再生は遅くなった時間の影響で普段よりも時間がかかる。燃焼スピードに対して再生スピードが追いつかず、無理やり再生スピードを上げて粘ったんだ。こいつにとっては、ずっと長い間相当な力を使ったはずだ。それに、他にも色々力を使ってたし、もうそんな力は残ってないだろう」
一先ず、こいつはここに放置で良いだろう。
問題は……
「リーダー!!」
こっちの方だな。
果たして、上手くいくといいが。
「リーダー!!! しっかりして!」
サディクは必死に呼びかけた。
「サディク、か?」
ボロボロの身体で、何とか声を捻り出した。
「待ってて、今すぐ治療を……」
回復ポーションを取り出し、使おうとするサディクだったが、それを手で制した。
「良いんだ、この傷は、もう治らない。それに、力を、使い切ったんだ」
「そんな、治らない??」
愕然とした表情で見つめた。
「これは、神剣の力じゃないと、ダメなんだ」
「そん、な……」
サディクは肩を落とした。
「分かっているんだ、俺はもう、ここまでだって」
口から大量の血が溢れた。
やがて弱々しくなる呼吸。
彼はもうすぐ命尽きる。
死相がはっきりと分かるくらい。
「情け、ないよな。俺も、結局は、何も出来なかった」
「そんな事はないよ! リーダーは、僕のことを闇の中から救い出してくれた大切な人だ。あの時、リーダーが助けてくれなかったら、僕は今頃、奴隷となってクソみたいな生活を送っていたかもしれないんだよ!?」
サディクの過去は以前、戦いの最中偶然知ることになった。
サディクは奴隷商の荷車にいた所を、このリーダーという男に助けてもらった過去がある。
「だから、リーダーは、ルシアーノは僕にとっては命の恩人なんだよ」
溢れ出そうな涙を堪えながら、サディクは手を握った。
「……ああ、この感じ」
−−−
「リーダー、こいつら片付けておいたよ」
メロンジュや他の仲間が奴隷商人を撃退し、俺はその奴隷商人が運んでいた荷車の元へと向かった。
その中には一人の獣人の少年がいた。
その眼は、どことなくあの頃の俺と似ていた。
大切なものが奪われ、どうしようもない怒りが宿った、そんな眼だった。
その時の俺は、こいつを連れて行こうと思った。
なぜかは分からない。
それでも、このまま放っておく事が出来なかった。
そして少年の手を取り、外に連れ出した。
口では、この先はこの子が決めることだなんだと言ってはいたが、心の中では勝手に仲間にしようと思っていた。
だからついてくると聞いて少し安心した。
それから各地の色んな場所を巡り、一緒にいっぱい戦ってきた。
人身売買を営む貴族、貧しい国民を卑下し、権力でふんぞり返っているだけのバカな王族の暗殺。
人攫いや、その奴隷の解放など。
各地で義賊まがいの行動を起こしてきた。
俺たちは辛い人たちのために頑張っている。
己だけが全てのクズどもに制裁を加え、判らせてやっている。
そんな気分だった。
だが、いつからか、その行為では心が満たされなくなり始めた。
そんな時、いつも側にはサディクがいた。
俺はサディクの事を、弟のようなものだと思っていた。
こいつには、もう辛い経験をさせたくない。
その時、あの人を思い出した。
生き生きと夢を語る、あの人を。
そしてこう思った。
二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、こいつの事は絶対に俺が守ると。
−−−
その時握った手の感触を思い出した。
「あの時、俺はお前の事を、俺の復讐のために、利用しようと考えたんだ。自分と似たような目をしていたから、俺と同じで復讐をしたいんだろうって。だから、自分と同じ世界を恨む悪者として、ここまで育ててきた」
「何言ってるのさ! 僕は僕の意志であの手を取った。世界の敵になるって、あの時決めたんだ。この人になら、ついて行っても良いって」
その目から、一筋の涙が溢れた。
「だが、俺の尊敬してる人は、そうは教えていなかったんだ」
今思うと、彼は自分から遠ざける事で、俺が酷く悲しまないようにしていたのかもしれない。
幼い俺には分からなかった事だ。
それに、今ではもう取り返しはつかないんだ。
懐かしむような目をして、天井を見つめた。
「俺は、お前の家族になれてたのかな?」
「今更何言ってんのさ、最初から僕にとっては家族だったよ……」
「……そうか」
男の瞳からも、涙が流れ落ちた。
その言葉の後、身体に異変が起こり始める。
身体は色を失い、白色に変わり始めた。
(ああ、力の代償か)
あれほど強力な劇薬で、ノーリスクはありえないとは思っていたが。
指先から徐々に灰となり、崩れ落ちていく。
「そんな、リーダー! しっかりしてよ!」
「力の代償だ、こうなる事は、わかっていた」
サラサラと響く音が虚しさを強調させた。
「お前に会えて良かった。子供のお前に、良い夢を与えることが、出来ない俺はダメだった。けど、お前は俺とは違う。自分の夢を見つけ、誰にも縛られる事なく、どうか幸せな人生を送ってくれ」
「そんな、嫌だよ、リーダーがいない世界なんて」
「大丈夫、お前の事を、大事に思ってくれる奴はいる。そいつらと、楽しく、笑って生きろ。俺からの、最後の命令だ」
チラッと俺の方を見た。
「どうか、お前達、のこれ、から、に、幸、あれ……」
その言葉を残し、崩れ落ちた。
最後の言葉は、俺にも向けられていたような気がした。
僅かに口元が、『こいつを頼んだ』と動いたように思える。
敵として褒められた人物ではなかったが、僅かの邂逅でこの人の人となりが少し理解出来たはずだ。
本当は他人思いの良い奴だったんじゃないかって。
それでも、人は変わる。
同じでいる事は出来ないんだって。
それは悲しい事だけど、そのかつてを取り戻した人間は輝いているように思えた。
−−−
(俺は……)
辺りには何もない暗い場所にいた。
(そうか、俺は死んだのか)
ゆっくりと歩き出した。
しばらくすると、赤い光が見えた。
近づくと、そこに一人の男が座って焚き火をしていた。
「ポールさん……!」
その男、ポールはルシアーノを隣に座らせ、静かに焚き火を眺めていた。
「ポールさん、俺、実は……」
「何も言わなくていい」
「え?」
「お前の事はずっと見てきた。ルシアーノ、お前はよく頑張って生きていた」
怒られると思っていたが、返ってきた言葉は優しい、労いの言葉だった。
「頑張ったんだ、もうゆっくり休んでいいんだよ」
その言葉に涙が溢れた。
「俺は、僕は……!」
パチパチという焚き火の音が、この再会を祝福しているようだった。
−−−
「リーダー、リーダー、うわあああああああぁぁぁぁ!!」
サディクは泣いた。
年相応の子供のように、人目を憚らず、泣いた。
俺たちは黙って眺めていた。
「どうして、どうしてリーダーが死ななきゃいけないんだよ!!」
目の前の現実を受け入れることが出来ず、ひたすら泣き喚いた。
「何で、リーダー、どうして…………」
鼻水を啜る音と、嗚咽だけが広間に響いた。
少し落ち着いたところで、俺は彼の元へ歩み寄った。
「……何だよ」
「お前の家族は、いい人だったんだな」
「そうだよ。それがどうしたんだよ」
「お前はさ、これからどうするつもりなんだ?」
この時サディクは何かを思い出したように、しばらく黙り込んでいた。
「分からない。けど、僕は多分捕えられるんだろ?」
ようやく口を開いたが、少し生きる事を諦めかけているように感じた。
「それは、俺が決めれる事じゃないな」
この件の処分は、学生の一存で決めれることではないから。
「だったら何だっていいだろ。僕にはもう、何も残ってないんだから」
彼は投げやりに答えた。
俺はしばらく黙ったあと、サディクの前にしゃがみ込んだ。
「お前、死にたいのか?」
突き放すように、冷たく言った。
少し、ビクッと身体を震わせた。
そして恐る恐る顔を上げる。
「獣人の村は確か南の大陸の方だよな? お前の本当の家族が今、どこで何してるか確かめたいと思わないのか?」
「それは、家族には、確かに会いたい。けど、もう生きてるか分からない。それに、俺には居場所なんてどこにも……」
「だったら、一緒に生きて探してみないか?」
「え?」
「俺たちと一緒にこの世界を見てみないか? 今はまだ無理でも、この先大きくなったら世界中を旅しよう! そしていつか、お前の家族に会いに行かないか?」
少し唖然とした表情だったが、次第に俯き加減になる。
「でも僕は、この世界が好きじゃない。いつか、また、許せない事が起こる」
俺はため息を吐いた。
「何その年で分かった気になってんだよ」
俺は頭を優しく叩いた。
「?!??!」
訳が分からないと言った顔だ。
「お前は、世界の一部分だけ見て勝手に色眼鏡つけてるんだよ。それじゃ、空がどれだけ青いかって気づかないだろ? 今は無理でも、いずれその色眼鏡を外してみろ。そうすれば、この世界の凄さに気づくことになると思うぜ」
いつかの時みたく、今度は俺がお前を支える番だ。
「何言って、僕は敵だったんだよ?」
「それがどうした? 戦いはもう終わっただろ」
「この国を滅ぼそうとしたんだぞ!」
「別に滅んでねえじゃねーか」
「僕は人間が嫌いなんだぞ!!」
「人間以外好きなのかよ」
「う、それは……」
「ちょっとリーベ、あまりにもこいつが惨めで見てられないんだけど」
「な?!」
「おいおい、もうちょっとマシな言い方してあげろよ」
「な、惨めって、別にそんなんじゃないし!」
しばらく口喧嘩? みたいな事をしていた。
「——あーもう、とりあえず俺たちの仲間になれ!」
「随分雑なまとめね」
「仕方ないだろ、一向に話進まないんだし」
そんな俺たちを見て、サディクは少し笑った。
「本当に、君たちってバカなんだね」
その言葉に、俺とフランメは顔を合わせた。
そして二人で笑った。
「そうだな。で、どうだ? こんな俺たちと一緒にバカやらないか?」
俺は手を差し出した。
少し戸惑っていたが、やがてその手を取った。
「いいよ、しょうがないし、君たちとこの世界を見てあげるよ」
その手は温かく、柔らかな感触だった。




