第三話 盲亀の浮木
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初めての魔法を使った日から二ヶ月が経った。
あれから毎日の練習の成果があったからか、魔法の使い方について分かってきたことがある。
まず魔力に変換をする時に、ずっとマナを流していたのがよくなかったみたいだ。
ある程度の量で一旦供給を止める必要がある。
そのための詠唱だ。
詠唱を唱えることでマナの流れを制限し、イメージをしながら魔法を作り、魔法が出来れば後は一気に開放する感じで飛ばす。
流れが分かれば意外にも簡単だった。例えるならゲームのコンボ技を順序良く熟していく感じか。
「だいぶ魔法に慣れてきましたね」。
魔法の講師であるメイド長のハナは感心していた。
「ありがとうございます。ハナさんの教えがいいからですよ。」
ここでしっかりと持ち上げる事が世渡り重要なコツである。
「そんなことはありませんよ。出来ない人はいつまで経っても出来ないものです。それにその年で魔法を使えるようになるのは立派ですよ」
逆に褒め返された。
褒められて悪い気がすることはないし、こうして他人に対しての好感度は上がっていくものだから単純な話だ。
ただ、本当にこれだけで優秀と浮かれるのは良くないだろう。
世界にはおそらくもっとすごい奴らがいるだろうし、まだまだと思い向上心を持たなければ成長は止まってしまう。
「いえ、自分はまだまだです。もっと頑張る必要があります。」
こうやって謙遜をすることも社会では大事なことだ。
「そう言うのでしたら、もう少し難しいことに明日から取り組んでみましょう」
「はい! お願いします!」
少しずつではあるが成長している実感は確かにあった。
「一つの技術だけでなく、色々な技術を身につけてみないか?」
魔法の練習を終え、屋敷に戻るなりベルンハルトからそう提言を受けた。
魔法を覚える傍らで、勉強や剣術についても学ぶことの意義をついでに教えてもらった。
色々な技術を身に付ける事は自分の武器にもなる。
確かに兄であるカールは勉強をよくしているし、剣術も毎日欠かしてない。
もう一人の兄であるマッヘンは魔法陣に興味を持っていると、ハナがこの前教えてくれた。
マッヘンは少し内向的な人物で、弟の俺でも毎日会うことがない。
それでもベルンハルトはマッヘンを咎めたりはしないようだった。
なぜなら、ベルンハルトは子供に対して割と自由に育てている。
個人の才能の可能性をそれぞれ探してほしいということだろう。
普通ならもっとああしろこうしろと言ったり、あれはダメこれはダメと何でも自分で決めたがると思っていたのだが。
堅苦しさがなく、俺の知ってる領主の人物像からは乖離している。
おかげさまで気楽に過ごせている。
やはり何でも決めつけるのはよくない、素晴らしい父親だ。
それからは午前に勉強と魔法、午後は剣術のための体力作りといった日課が完成し、この年には少し早すぎる気もするが英才教育が開始された。
それからの毎日は忙しい日々だった。
カールはもちろん、意外にマッヘンとも勉強や魔法についての意見交換を交わしたりして兄弟仲を深めていったりした。
カールは長男としての自覚を強く持っており、俺たち弟に対してちゃんと面倒を見てくれる。
マッヘンも魔法に関することでよく話をしている。
前にたまたま二人きりで話をする機会があり、そこで魔法の事を話すと、マッヘンはすごい熱量で魔法について話してくれた。
どうやらオタク気質があるようだ。
魔法を生活に役立てるためには魔法陣の使い方を考える必要があるとか、少しマニアックな話が多いが、割と実用的な話をしているので自分の知識のために聞かせてもらっている。
そう考えるとこの家の兄弟はこの年齢の割に完成されすぎな気もする。
それもこれもこの家の大人たちが優秀なおかげであることは間違いない。
こんな恵まれた家庭は恐らくなかなか見つからないだろう。
自立心を育てる、誰もが出来ることではないからだ。
そんな異世界生活も節目の年を迎える時が来た。
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俺はこの日、五歳の誕生日を迎えた。
生まれて五年が経つと、屋敷から対面するように建物が何件も建つようになっていた。
この土地はエールトヌス王国東部に位置する場所にあり、元々林だった場所を開拓し、大陸東部の山脈に仕事のある人や、山脈越えのために王国からの命を受け開発されていた。
長男カールが産まれる三年ほど前に、この山脈でミスリルといった鉱石資源が眠っているとの報告があり、その後実際に発掘されたこともあって、国は人員を派遣し山脈に近いこの場所を開拓することに決めたのだった。
まだ整備されていなかったこの土地に新しく街を作る必要が生まれ、そこで当時、国の第一王子を救った功績を受けたベルンハルトがこの土地の領主として治めることになった、とイーデルに教えてもらった。
今日は俺がこちらの世界に来て五年が経つ日だ。
こちらの世界では五歳になった子供を盛大に祝うといった習慣があるらしい。
〈五誕行祭〉と呼ばれる催しもので、他の仲間やお世話になっている人達を呼んだりして大人数で祝う行事みたいだ。
諸説あるが、5歳まで無事に生きてくれた我が子を祝したところから始まったと言われている。
今ではその記念すべき日に、お見合い相手を探したり、婚姻相手候補を選ぶなど、大人の有難くない事情が絡んだりする。
子供たちは、ただ誕生日パーティーを楽しんでいるそのそばで、大人達の熱い戦いは勃発するとハナは小声で俺に耳打ちしてくれた。
おっと、これは大体俺の妄想で、ハナはここまで酷くは言っていない事を先に断っておかねば。
だが、この妄想はあながち間違いではなかっただろう。
三男と言えどこの町の領主の子供、狙ってくる貴族たちはそれなりにいるということだろう。
そして、誕生日会は開幕した。
この日の夜は普段とは違い、豪華だった。
多くの来賓が屋敷を訪れ、恐らく30人くらいは参加していると思われる。
俺が五歳の誕生日を迎えたこと、領地の方々への感謝の言葉と、今宵は楽しんでください的な挨拶をする。
それが終わると、ベルンハルトとイーデルに連れられ、また別の所へご挨拶に伺った。
この時間が割と億劫なのだが、建前上はしっかりしなければならないので、ここでも役立つ前世の知識の一つである営業スマイルを駆使し、何とか乗り切ることに成功した。
そんな中最後の挨拶に訪れたのは、町から少し北にある隣村のまとめ役であるノイン・アンファングと、その娘であるフランメ・アンファングだ。
ノインとベルンハルトは昔からの仲らしく、二人の会話には堅苦しさをあまり感じなかった。
「ほらフランメ、リーベスト様にご挨拶を」
話し終えたノインがフランメに向き直り、促した。
「初めまして、リーベスト様。私はフランメ・アンファングと申します」
彼女は少し緊張した面持ちで挨拶をしてきた。
動きも所作も所々ぎこちなく感じた。
「こちらこそ初めまして。リーベスト・ドミニオンです」
そう言って俺はお辞儀をした。
フランメと呼ばれた彼女は、透き通った赤目にショコラブラウンの髪を肩甲骨あたりまで伸ばしている。
(顔も可愛いし、さすが異世界の女の子はレベルが高いな)
その顔立ちに感心していた。
彼女もそのうち立派に成長するだろうと余計な妄想に浸ってしまった。
いかんいかん、現実に戻らねば。
3、2、1、よしOK。
おふざけはここまでにして本題に戻ろう。
「娘はリーベスト様と同じく今年で五歳を迎えるんですよ。立場は異なりますが、同年代としてこれからも娘と遊んでいただけると幸いです」
「それはもちろんです。今後ともよろしくお願いします」
どうやら彼もしっかりとアピールは欠かさないみたいだ。
正直他の人たちは年上か年下だったので、同い年の子というものは有難い気もするが。
俺は一度ベルンハルトに一瞥すると、彼は静かに小さく頷いた。
「よろしくお願いします」
まだ少し緊張していたが、俺はその差し出された手を握り返した。
「ではまた、失礼するよ」
そう言って二人はその場を後にした。
パーティーは無事終了し、落ち着いて一息ついていると、
「どうだい、パーティーは楽しかったかい?」
からかいながらカールは隣にやってきた。
正直疲れた顔をしていたのを見て、楽しがっていたのだろう。
「楽しいもなにも疲れましたよ。主に大人たちの戦いが」
益体もない会話はもううんざりだと口に出したかったが、ここは我慢をする。
「ははは、あの場は本当に大変だよね。五年前のあの時もパーティーが終わればぐったり疲れていたよ。あの日の晩はよく眠れたなー」
彼は苦笑いしながら当時の事を思い出していた。
「ただマッヘンは大変だったよ。途中で魂が抜けた顔をしていたからね」
マッヘンは俗に言う陰キャっぽい性格だ。
そのため、ああいった大人数の所では正気を保っていられなくなるのだろう。
俺は苦笑いした。
「その時僕はまだ参加してなかったので、後から母様に教えてもらいました」
当時二歳だった俺は小さかったこともあり、部屋でハナに魔法の本を読んでもらってた。
「子供を祝う場なんだからもう少し遠慮してもらいたいね」
そう言う兄に対し「そうですね」と返し、夜風に当たって心を落ち着かせた。
その日の晩は兄の言う通りぐっすり眠れた。
次の日は訓練もなかったので、この町を散策することにした。
町は炭鉱に出掛ける人や、王都に向かう途中の休憩場所として賑わっており、商売も所々で行われている。
今まではあまり許可が出されなかったため、こうやって家から出ることは少なく、大体魔法や剣術や勉強をしていた。
そのため、この町を部屋から見ることはあっても、町に来ることはあまりなかった。
「町はこのようになっていたのですね」
俺は歩きながら付き添いのハナに問いかけた。
「ここ数年でこの町は本当に活気づきました。それも偏に旦那様の努力あってのものですよ」
「父様はやはりすごいお方なのですね」
ベルンハルトは東部山脈に出掛ける人のための寝場所を優先して作り、人を集める事に尽力した。
そして、人が集まりだしたらライフラインを整え、必要な物があれば漸次揃えていくことで快適な町づくりを行った。
その甲斐あって今では、東部山脈前の宿場町として、王国内から人の往来が活発になり始めていたのだった。
「旦那様は元々商人の父親を持っておられますので、こういった人や物の流れには造詣が深かったのでしょう」
商人としてではなく、領主としての才覚も十分にあると思っているがそれはハナもわかっているだろう。
「僕、この町がとても好きです!」
「それは私もですよ。」
ハナはそう微笑んで答えた。
それからしばらく町を探索し、そろそろ屋敷に戻ろうとしていた時だった。
遠くから耳鳴りのような音が聞こえた。
音の聞こえる方角に目をやるも、特に何もなかった。
だが何故だか気になってしょうがない。
「リーベスト様、どうかしましたか?」
「……いや、何でもない」
気のせいか?
そう思って再び歩みを進めたが、
「キィィィィン……」
「!?」
再び耳鳴りのような音が聞こえた。
やはり気のせいではない。
だが、音の方には何もない。
この先はまだ開拓されていない場所で木々が生い茂っているだけである。
だがどうしても気になってしょうがない。
しかし、俺はまだ町から出ることはまだ許可されていない。
それでも…………。
「ごめん、ハナ! 先に帰ってて!」
慌てて駆け出し、音の聞こえる方へ走りだす。
「え!? リーベスト様、お待ちください!」
引き留めるハナを尻目に、俺は駆け出した。
町から離れ、まだ開拓の進んでない林に来た。
ここは夜になると魔物が出るらしく、基本俺たち子供は許可なく立ち入ることは禁止だった。
その林の中からさっきよりも大きな音が聞こえてくる。
モスキートーンみたいだったものがはっきりとした音で。
その音のする方へ歩いていくと、眩しい光が辺りを照らしている。
眩しくて見えにくかったので、腕で視界を少し遮りながら歩いていく。
恐る恐る近づくと、そこには一人の、いや、人と呼ぶには憚るくらいのオーラがあった。
身長は俺より少し小さく、顔は幼く見える。
耳の部分が羽のような形をしており、一目見ただけで人外である事はわかった。
俺の知ってる獣人や魔族にこんな特徴をした生き物は見たことがない。
新種である可能性も否定できないが、この姿は前世で言う所の天使みたいな雰囲気だった。
あれこれ考えていたら、
「何か用か、ヒトの子」
その言葉は何の抵抗も感じさせないほど穏やかで、かつ抑揚のない感じだった。
不思議と聞き入ってしまう、そんな声に俺はかつての記憶が甦る。
俺があの日、異世界に転生する直前に聞いたあの言葉。
その声に近いものを感じる。
「そもそも、どうやってここまで辿り着いたのかな? ここは外から隔離した空間のはずだけど」
ここに来た俺のことを不審に思っているようだった。
穏やかな声ではあるが、機嫌を損ねればすぐに消されそうな気がした。
黙っていたら何をされるか分からない。
とりあえず何か言葉を返さないと、と思い慎重になりながら答えた。
「急にすみません、キィィィンと言った音がここから聞こえてきたので、気になって走ってきたらここに辿り着きました」
まずお詫びの言葉、それからここへ来た理由を説明。
機嫌を損ねないための礼儀というやつだ。
「音? それはここから聞こえているのかい?」
不思議そうに首を傾げた。
「はい、僕の目の前から今もハッキリと……」
「ふむ。それは多分、この隔離された空間を作り出している魔法を展開してる影響だろうけど、なるほど、これを聞き取れたのは君で二人目だ」
一人妙に納得したように頷いた。
いやいや、こちらは何も分かっていませんよ?
「えっと、ちなみに二人目と仰っていましたが、一人目というのはどちら様でしょうか?」
口調がだいぶ諂っているがしょうがない。
一歩間違えると身の危険が及ぶ可能性があるからだ。
「そうだね、千年前に魔族と戦った英雄、と言えば今のヒト族には通じるのかな?」
千年前の英雄、か。
確か昔に本で読んだことがある話だ。
当時魔族と人、エルフ、獣人族で大きな戦争があった。
後に人魔大戦と呼ばれた戦い、その戦いを終わらせたのがその勇者と呼ばれている人だ。
おとぎ話の中の空想上の人物だと思っていた。
だが、目の前にいるこの存在が、本当にいたことを証明しているように思えた。
「勇者の存在は伝承として語られていますが、ご存じなのですか?」
「それは語ると長くなりそうだからまた今度の機会にでもいいかな?」
相変わらず淡々と穏やかにそう告げる。
「そんな事より——」
そう言って俺の方に近づいてきた。
「君に少し興味がある。だからちょっと失礼するよ」
そういうと、目が光りこちらをジッと見つめてくる。
こうもまじまじ見られると、少し恥ずかしい気持ちが込み上げてくる。
「うん? 君のマナ、少し変わってるね——それに、この姿を見ても君は反応が薄いね」
確かに、見た事も聞いた事もない姿をしているからもっと驚きがあるものだと思われてるのだろうか。
それにしても、勝手に見られた上に反応が薄いとか言われてもそれは少し初対面相手にひどいんじゃ……。
しかし、次の言葉にその気持ちもなくなった。
「なるほど、君は違う世界から来たんだね」
「…………えっ?」
なぜそのことを?
けれど、その言葉は喉の奥に引っかかったままだった。
沈黙が辺りを包んだ。
「ごくたまにいるんだけど、でもミーの前に現れるのはあの時以来だよ」
どうやらこの世界に転生したことのある人は他にもいるみたいだ。
ただ、この人? ならあの存在について何か分かるかもしれない。
一つ、ここで質問をしてみた。
「僕は、ある存在によってこの世界に転生したんだと思いますが、こちらの世界に転生させる力を持った人物って分かったりしますか?」
恐る恐る聞いてみた。
だが、目の前の天使のような存在は、少し考えるようにして黙り込んだ。
しばらく黙り込んだ後、ようやく口を開く。
「それは、多分あの方かもね。でも今回は何も聞いてないんだけどな……?」
何だか独り言のように呟いていて聞き取れなかった。
またしばらく考え込んだ後、俺の方に向き直り、
「君が言ってる存在については知っている。でもそれは残念だけど教えることは出来ない。そういう契約があるんだ」
と言った。
なるほど、契約か。
いや、実際は何も分かっちゃいない。
話を聞けば聞くほど分からなくなるのはあの時と一緒だな。
とにかく、情報はその内集めていけるかもしれない。
「ところで、一体どうしてここにきたのですか? それにあなたは何者なんですか?」
ここで一番の疑問をようやく投げかけれた。
俺の知らないこの存在が何者なのか。
一番知らなければいけない事だからな。
「ミーかい? そういえばまだ名乗っていなかったね」
そう言って、静かに淡々とした口調で名前を告げた。
「ミーはエルミーレという名前だよ。他には『世界を均す者』ってこの下界でそう呼ばれているかな?」
問いかけに対して答える時、少しだけ笑った気がした。
そうだ、「世界を均す者」という名前は聞いたことがある。
その存在は知っている。
それも本に書いてあることだった。
この世界における伝説の存在として。
そんな伝説の存在が今、俺の目の前にいる。
その普通は出会えないはずの存在との出会いが、この先の人生を大きく変える出来事である事は、今の俺には到底分かるはずもなかった。