第一話 序章
暗く何も見えないし何も感じない。
水の上に浮いているみたいにフワフワとした感じだった。
虚無に包まれたこの空間で、ただ身を任せるだけ……。
不思議な感覚だったが、居心地は悪くない。
それに、温かい何かに包まれているようだった。
(そっか、俺は死んだんだ)
俺は、意味も分からず殺されていた事を思い出した。
だが、そんな事はどうでも良いと感じるほど心が穏やかだった。
果たしてどれくらいの時間が過ぎたのだろう。
この場所は、そんな概念すらないような所なのだろうか?
死後の世界には興味があったが、こんな不思議な場所だったとは。
このまま何も感じる事なく過ぎていくのだろうか。
そう思っていた時だった。
急に視界が眩しくなった。
その光に吸い込まれるようにして、身体が動いた。
(ようやくあの世に着くのか)
俺はその力に流されるようにした。
「――。・・・・、―――。」
何だ、何か聞こえてくるな。
「――、―――。・・・・・。」
「/////。――。」
聞いたことのない音の言語だな。そう思わずにいられなかった。
その時、甲高い声が耳に聞こえる。
「んぎゃああ、ほぎゃあ」
赤ちゃんの泣き声だった。
赤ん坊なんてどこにいるんだ?
あの世にも赤ちゃんがいるのか、と思ってしまった。
そうして、次第に視界がクリアになる。
ハッキリと捉えた景色はどこかの家の中のようだった。
そこに見たことのない男の人がいた。
その男は少しホッとした表情だ。
もう一人、若い女の人がいる。
男の人と違い、少し疲れた表情だった。
さらにもう一人、メイドの服を着た女の人がいた。
あとは二人の男の子の計五人に囲まれている。
知らない人達に、見慣れない天井。
自分の腕はとても小さく、手も柔らかい。
(赤ん坊の泣き声って、ひょっとして俺なのか!?)
ようやく自分の置かれた状況に理解が追いついてきた。
あの世だと思っていたここは、どうやら違う場所らしい。
さらにあの時言われた「2度目の人生」という言葉。
これだけの事から一つの答えにたどり着いた。
俺は異世界に転生したということを。
−−−
それから半年の月日が経った。
最初は全く理解できなかった言葉が、少しずつ聞き取れるようになってきた。
見知らぬ国でも半年間過ごしていれば、その国の言語を理解できるようになるのと同じ原理だ。
それでも、所詮は半年だからまだまだ分からない事だらけではあるが。
それに、自分も赤ん坊のせいか、満足に話す事も出来ない。
異世界ということは、この世界は現代とは異なるところがいくつかある。
家電製品といったものはなく、車もない。
電球といったものはないが、大きなランプが部屋にいくつもある。
(あのランプはどういった原理なのだろうか?)
詳しく知っていく必要がありそうだ。
ただ、その中でハッキリと分かったことは、この家はとても大きいということだ。
「イーデル、帰ったぞ」
「あら、戻ってきたのね、おかえりなさい」
「ベルンハルト様、お帰りなさいませ」
イーデルと呼ばれた女性は、この世界における俺の母親の名だ。
髪はロングでブロンド、顔は美女で肌は白い。
見た目の年齢は20代半ばといったところか。
「ああ、ご苦労だハナ。どうだ、イーデル。リーベは大人しくしていたか?」
「それはもう、とてもいい子で手がかからないわ。もう少し大変だと思っていたくらいよ」
ベルンハルト、この男が俺のこの世界における父親だ。
髪はショートで精悍な顔つきが特徴だ。
見た目的に年齢は多分20代後半か。
髭のせいで年齢に自信がない。
そして、ハナと呼ばれた女性はこの家におけるメイドの仕事をしている。
両親に代わって俺の世話をしてくれている。
見た目の年齢は両親よりも普通に年上だ。
家は三階建てだが、屋敷といっても差し支えないほどだ。
どうやら、新しい我が家は領主だという。
屋敷の周りは、新しく開拓され始めたとわかるくらいまだ建物が少なく、少しばかり田舎だ。
一応前世では都会みたいな所だったからか、今の場所は少々寂しさを感じる。
それは半年経った今でも変わらない。
(ちょっとだけホームシックになっているのか?)
つまらないと思っていたあの世界も、離れてみると心残りってものがあるのだろうか。
(心残り、か)
あの時のあれが一体誰だったのか?
貴明と思っていた人物がそうでなかったという疑問は、未だに闇に包まれている。
そうは言っても、この世界に生まれた以上、前世のことは引きずっていられない。
(とりあえずこの世界について学んでいこう)
そう心の中で呟いた。
−−−
それから三ヶ月が経った。
この頃になるとハイハイが出来るようになり、家の中を移動するようにした。
その度にハナが探しに来て、心配そうな顔で部屋に連れ帰られた。
それに対し、イーデルは「元気があっていいじゃない」とハナを窘めている。
この広い家(屋敷)で赤ん坊がいなくなると、気が気じゃなくなるというのは分かる。
父親のベルンハルトは、仕事で家にいない事が多いし、いたとしても何か仕事をしている。
母親のイーデルも、どちらかと言うと俺の事はハナに任せている。
それに兄弟もいることだ。
五つ上と、三つ上の兄、その二人の勉強などに時間を割いている以上仕方ない。
さすがに迷惑をかけるのも申し訳ないから、部屋から窓の外を眺める時間を増やすことにした。
ある日、外を眺めていると五つ上の兄であるカールが特訓をしていた。
どうやら剣術の稽古のようだ。
まだ五歳の幼さだが、特訓に精が出ている。
幼いのにこんな事をするなんてとも思ったが、スポーツ選手の中には幼い頃からやっていることを鑑みても、別におかしなことではないのだろう。
寧ろ、将来を見越した上でのことなのだろう。
それに俺もやってみたいという気持ちは強い。
前世でも一応、アニメや漫画はよく見ていた方だった。
テレビを見るよりも十分有意義な時間つぶしだったからな。
だからこういったファンタジーの世界に憧れていた。
魔法や剣を使って冒険する、そんな夢みたいな世界に憧れはあった。
そんな俺が、今こうしてその世界に生まれてくる事ができたし、今後思いっきり満喫しようと思っていた。
そうこうしてると、どうやら稽古が終わったみたいだ。
人気が消え、外には誰も残っていない。
見るものが無くなったので、ベッドに横になった時に足音が聞こえてくる。
部屋の入り口を見ると、カールが汗をかいたまま、なぜか俺がいる部屋にやってきた。
「リーベ、今日はずっと見てたね。そんなに楽しかったかい?」
そう言って少し照れくさそうに笑った。
「あう、あいあ」
まだろくに話せないのがもどかしいがとりあえず返事をする。
「ふふ、そうか。リーベもそんなにやりたいのか?」
どうやら表情に出ていたみたいだ。
この体にまだなじめていないせいで、考えていることと行動が一致しない。
その俺を見て、カールは穏やかに笑っていた。
「もう少し大きくなったら、君も学ぶようになると思うよ。」
そう言って俺の頭を撫でて、じゃあねと言い自分の部屋へ帰っていった。
「さぁリーベ、お休みの時間よ」
そう言って、寝かしつけるイーデルは笑いながら独り言ちる。
「あなた、今日はカールの稽古をずっと見ていたんですって? カールが嬉しそうに言ってたわ」
なぜカールと言い二人とも穏やかな笑みを向けてくるのか?
剣の稽古を見ることはそんなに穏やかなことなのだろうか?
少し気になるが、その疑問に答えるようにイーデルが言葉を紡ぐ。
「あなたもやっぱりあの人の子供なのね。剣術の稽古をずっと見てるなんて、本当そっくりね」
あの人、つまり父であるベルンハルトの事だろう。
どうやら父のベルンハルトも剣術が好きみたいだ。
どのみち興味があったし、血統ってわけではないかもしれないが。
「そのうちあなたもとても逞しい子になれるわ、だからそのまま健やかに成長していってね。」
その言葉はなぜかうれしく感じた。
こういった温かい言葉は久しく聞いてこなかったからだろうか。
少し照れくさくなった。
まだまだ分からない事だらけの異世界生活、不安もあるが、何より毎日が刺激的で楽しい。
(よし、決めた! 俺はこの世界を楽しんで生きていこう。前世のように、自分を大切に思ってくれる誰かと共に、自分にしか歩めないこのリーベストという人物の物語を)
寝静まった夜で一人、そう心に誓った。