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浮浪少女とガス室の猫  作者: 屑籠
上.邂逅
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7.自己紹介

 料理が出揃い、各々の前に行き届いた頃には、ここの住人の7人も北川辺も席についていた。その中にはもちろん北川辺を知らない者も紛れていて、好機の目で見る者も、隣の人に聞く者もいた。


「あの娘誰?」


「北川辺さんだったかな? 太宰府さんが連れて来たよ」


「ほうほうほう」


 短髪の女性が一宮と話している。


「多分ここの住人ほど個性が強くなさそうだから少し心配だな」


「なにを言っているんですか! みんな普通の人じゃないですか!」


「馬鹿言うな。僕は自分がおかしい自覚がある。美唄、お前もそれを持て」


「なんですかそれ! 『みんなと違う俺カッケー』ってやつですか!」


「止せ、古の記憶を呼び覚ます必要はない……」


「古の記憶にまだ引きずられてますよね、これ」


 長井と呼ばれた女性はやけにハイテンションで喋っている。まだ続きを話したいようだが、図らずとも度会がそれを遮った。


「今日からここに新しい住人が加わるわ。それが彼女よ」


 昼間と異なり、エプロンドレスを身に着けている度会は北川辺に手を向けた。それを見て、北川辺はハッとしたように小さく跳ねて彼女に顔を向ける。そして2人は少しの間見つめ合った。度会は何かを促すつもりで、北川辺はそれを躊躇っているようだ。

 しかし間もなく北川辺は覚悟を決め、口を開いた。


「今日ここにやってきた北川辺玲です。よろしくお願いします」


 恥ずかしそうな、少し俯き気味な自己紹介。声も若干尻すぼみに小さく聞こえた。

 それに倣うように、皆バラバラな形で「よろしく」の意を返した。



「それでは、皆さんも自己紹介をしてくださいな。でも、既に終えているわたくしと大宰府さんと一宮さんは省略するわ」


 そう度会が言い終わるが早いか、度会の左隣の女性は手を上げ喋り始めた。


「はいは~い! あたし、『美唄びばい咲枝さきえ』です! よろしく~」


 手を下したかと思えば少し前のめりになって彼女は喋った。その躍動感たるや驚きだ。これは到底イスに座った人間から感じることができないものだ。それほどまでに彼女の身振りや声の抑揚は深層意識を震えさせる力があった。


「我は『標津しべつ真琴まこと』という。どうぞよしなに。我が姓名を忘れたのなら、『和服の者』とでも呼んでおくれ」


 今回口を開いたのは一宮の左隣に座っている、藍色の着物の男だ。渋めの声とは対照的に、口調からは気さくな印象を受ける。


「初対面の相手に一人称を我で通すのはさすがとしか言いようがないな。おじさんにはそんな勇気ないよ」


 一宮は隣に聞こえる程度の声でボソッと呟いた。


「慣れ、だよ」


 標津の声には明らかに圧が込められていた。



「僕は『印西いんざい光明こうめい』です。よろしくお願いします」


 3度目にしてようやく現れた、住人側でまともな挨拶をする者。丁度標津の向かい座っている彼は、どこにでもいそうな顔、髪型、服装、身長。彼は至って普通の見た目をしている。しかしどこか浮かない儚げな、喪失感のようなものが幽かに感じられる点だけは、普通ではない。



「私は『鹿沼善影』です。よろしくお願いします」


 自己紹介のトリを飾ったのは、大宰府と夕食の準備をしていた男だ。その風貌は全身黒ずくめで怪しさ満点である。落ち着いた、書かれた文章を読み上げるかのような平坦な声は少々不気味に聞こえなくもない。



 片方が名乗り、もう片方がそれに挨拶を返すという、形式的な自己紹介は2分足らずで終了した。


「自己紹介も終わったことだし、早く食べましょうか」


 度会の言葉に、皆それぞれが「いただきます」と口にした。



 思いの他、食事の時間は活気に溢れていた。飲料の入ったボトルや半熟卵の受け渡しに始まり、北川辺にやたらと質問する長井と時折それを窘める一宮、その勢いに圧倒されてあわあわする北川辺とたまに代理で返答する大宰府、それに気の毒そうな顔を向ける度会と鹿沼のような具合で、この日に夕食はわいわいがやがやと盛り上がった。



 そんな夕食の時間も、20分ほどで終わりを迎えた。元より今日の料理は少なめだし、新しい住人相手に聞くことも思いの外多くない。逆に名前すら確実に覚えていないような間柄で沢山の自分語りをするような者もいない。そうである以上みんな自然に盛り下がり、あっさりと今まで通りの日常に戻っていった。


「度会さん、食器を洗う間北川辺さんをお願いできますか?」


「問題ないわ」


 太宰府は食器の共にキッチンへ、度会は北川辺と共に自室に向かった。他の者だと慣れないせいで食器を割ったり、不衛生な形で片付けを終えてしまう恐れがあるため、夕飯コンビは後始末まで担当するのだ。



「7人も住んでいるんですね。名前を覚えきれるか心配です」


「顔を合わせるのは食事時ぐらいだし、頑張って覚える必要はないわ。わたくしたちも大抵は指示語でやりとりしているもの」


 北川辺が預けられてからしばらくして、度会の部屋の広間側のインターホンが鳴った。


「北川辺さんを迎えに来ました」


 スピーカーの向こうから機械的なノイズの入った大宰府の声が聞こえる。それを聞いた北川辺は直ぐに立ち上がって廊下の方へ歩みを進めた。


「お邪魔しました」


「あっ、どうせならこれを持っていったら?」


 度会は立ち上がり、廊下に差し掛かる辺りで止まっている北川辺に未開封の歯ブラシを手渡した。


「ありがとうございます」


「あと、靴を忘れないようにね」


 度会は元居た椅子に戻って、最初に来た時とは反対側の玄関に向かう背中にそう言った。



 部屋に戻ってから暫くして2人共シャワーも浴び終え、時刻は午後11時を回った。太宰府は髪を乾かさないため、前髪の作った小さな束たちが彼女の目を隠している。


「そろそろ寝ましょうか?」


「そうしましょう」


 北川辺は昂ぶりを抑えたような声で返した。何時かぶりに、布団に包まった安心できる寝床で眠れるのだ。無理もない。


「私は薬を飲んでくるので、先に向かってください」


 太宰府は寝室に向かう廊下の方向を指して、明るくした声で言った。北川辺はにやけにも似た笑みを浮かべ、寝室へ向かった。

 一方の太宰府は、リビングからの光だけが射し込む薄暗い台所で錠剤を取り出している。静かな部屋にPTP包装シートの中で錠剤が暴れる音と裂けたアルミ箔から錠剤が机に落ちる音だけが、不釣り合いにうるさい存在感を放っていた。

 そのすぐ後に、さっきの音の余韻をかき消すように蛇口から水が流れ落ち、黒いシンクの底をぽとぽとと鳴らす。太宰府はそれを両手で受け止め、口に運び、口の中の錠剤と共に飲み干した。両手で作った皿は役割を失って割け、落ちた水がひときわ大きく底を打ち鳴らす。それと共に、暗いキッチンは静寂を取り戻した。

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