5.語らい
一通り会話を終えると、度会は茶の再抽出のために急須を持って席を立った。しかし今回は北川辺が暇つぶしに難儀する間もなく戻ってきた。
「他にも聞きたいことがあればどうぞ」
度会は急須を揺らしながら言った。
「……太宰府さんについて聞いてもいいですか?」
「構わないけど、満足のいく答えは出せないと思うわ。彼女のことは私もよくわからないの。なんであんなに人の顔色を窺っているのか? なんであんなに自信なさげなのか? どれも追及すると彼女を傷つけることになるかもしれないから」
そう言って茶を注ぐ度会の顔は俯いていた。
「太宰府さんから昔の話とかは聞いていないんですか?」
「全くよ。彼女は積極的に自分のことを話しはしないから。隣人同士で過去の思い出を語り合う機会なんてないの」
「そうですよね……」
北川辺は歯切れの悪い返答をした。
「あら、もしかしてわたくし、怪しまれているのかしら?」
度会は忌憚もなく、さらっと言った。どことなく黒幕臭がするぐらいには普通のトーンだった。
「正直、怪しんでいないと言えば嘘になります」
「そうでしょうね。見ず知らずの人に連れられて怪しい建物に着いたのだから、誰だって相手のことを不審視するわ。でも、わたくしから誓えることはあるのよ。それは嘘は吐いてないってこと」
自信ありげに話す度会とまだ疑念を払拭しきれていない北川辺。まだ溝は深い。
「なんで初対面の私を泊めようとしてくれたんでしょう? それが凄く気になってます」
「……話の背景が見えないわ。そもそもどんな流れでここに泊まることになったの?」
己の認知と常識と乖離した北川辺の発言に、度会はちょっぴり顔を顰めて事実確認を急ぐ。
「私は海沿いの道でお腹を空かせていました。通りかかる人に食べ物を貰おうとしても、みんな取り合ってくれませんでした。そこでちょうど歩いていた太宰府さんにもお願いしたら、イチゴをくれたんです。その後にお互い名前を交換したら、太宰府さんが『良かったら私の家に泊まりませんか?』って提案してくれたんです。それで一宮さんの車でここまで来ました」
「そうですか……気になることばかりですね。貴女が道行く人に食べ物を要求したこと、大宰府さんが自分から泊めようとしたこと、貴女の素性のこと、どれから訊こうかしら?」
北川辺がありのままを説明しても、度会の中の疑念は一層深まるばかりだ。
「順番にどうぞ」
「ならまず、貴女はなぜ食べ物乞いをしていたのですか?」
「お腹が空いていたんです。2日は何も食べていなかったので」
「そうですか。なら質問を続ける前にお菓子を用意しましょう」
「ありがとうございます」
席を立った度会は小皿にカステラを乗せて持ってきた。
「食べながらお話ししましょうか」
「いただきます」
北川辺がフォークの側面をカステラに押し付けると、カステラとの接面が大きく沈んだ。フォークが皿まで到達し、カステラが2つに分かれると、断面はゆっくりと元の形に戻った。カステラの生地がフワフワであることがよく分かる。口に放り込むと舌に触れたザラメが溶け、口いっぱいに甘味が広がった。大袈裟な表現にも聞こえるが、久しぶりに食べた甘味と空腹のコンボは味を誇張させる十分な要因だった。
「美味しそうでなによりですわ」
度会は綻んだ顔の北川辺を見て言った。
カステラを食べ終えた2人は、また対話を再開することにした。「食べながらお話ししましょうか」と度会は言ったにも関わらず、終始ほぼ無言であった。
「それでは仕切り直して、貴女はなぜ2日間何も食べていないのかしら?」
「私、ホームレスなんです。手持ちのお金はないし、だからといって盗むのも嫌ですし。その結果、物乞いすることに決めました」
「そうですか。それは大変だったでしょう。まだ空腹なら遠慮なく言ってください」
「かなりお腹は膨れたので、今は大丈夫です」
遠慮するような、恥ずかしがるような仕草をしながら北川辺は答えた。そんな彼女のことも気にせず、度会はまだ空になっていないカップに茶を注いだ。これは彼女なりの細やかな配慮であり、同時に話題が変わる際に行うルーティンである。
「次は貴女の素性について聞こうかしら。年齢と何故ホームレスだったのかを教えて頂戴」
「私の歳は20です」
「良かったわ。少なくともこれでわたくしたちが未成年誘拐で捕まることはなくなったもの」
度会は微笑んでそう言った。北川辺はその微笑みと「少なくとも」に若干の含みを感じたものの、心の内に留めて微笑みのオウム返しをした。
そして少しの間を置いて、北川辺は語り出した。
「それでは私がホームレスになった理由を話しますね」
「そうだったんですね。お気の毒に、としか言えません。わたくしが無責任に貴女の助けになるとは宣言できませんから。でも、必要なことがあったら言ってください。善処しますから」
「ありがとうございます」
この後も2人は、夕飯時まで世間話に花を咲かせた。