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浮浪少女とガス室の猫  作者: 屑籠
上.邂逅
17/51

17.私のせい

「戻りました」


 この小さく暗い一声が、太宰府が自室に戻ってきたことを知ることができる最初の音だった。

 丁度リビングで暇を持て余していた北川辺は、怨嗟にも呻きにも聞こえる不明瞭な声に思わず体が小さく跳ねた。

 北川辺が橙の蛍光灯で照らされた暗い廊下から目が話せない中、太宰府は暗い雰囲気で現れた。


「おかえり」


 割と本気で怖がっていたようで、北川辺は両肘で後ろに倒れた上体を支えながら、間の抜けた声で言った。


「ごめんなさい。怖がらせましたか?」


「い、いえ、ちょっとびっくりしただけです」


 北川辺は姿勢をゆっくりと戻しながら答えた。なんでもない事柄に怯えていた姿を見られたのが恥ずかしいのか、顔に照れ笑いを浮かべている。


「ならよかったです……」


 太宰府はそれだけ返すと、そそくさと本の元へ行き、読書を再開した。



 こうして、再び太宰府の部屋を静寂が支配した。お互いに問題を解決して楽になりたい意思はあっても、それに伴う苦難を無視はできない。そうして得られた結果がこの、深い息を漏らすことすら憚られる静寂である。状況を停滞させるために黙り続け、近い未来に直面する苦難のことで心臓が速く強く震える。ただただ2人が精神をすり減らすだけの空間が、今の太宰府の自室だ。


「あの……、やっぱり私が幽霊だっていうのは、気持ち悪いですよね……」


「……いいえ。そういう訳ではないです……」


 気まずそうな北川辺と、歯切れの悪い太宰府。そんなくすぶった状態を、北川辺は迷いを残しながらも打開しにかかる。


「でもあの時、あんなに『ごめんなさい』って言ってたじゃないですか。私が嫌じゃないのなら、なんであんなに本気で言っていたんですか?」


「貴女のことが嫌だということではないんです。ただ、私の個人的な事情のせいで……」


 それでもなお、太宰府はなんとかはぐらかそうとする。そして終には声に涙を浮かべるまでになった。


「……なら、その事情を教えてください。私だって、あなたに過剰な負担はかけさせたくないんです」


 ここで退けばかつての飢餓への恐怖や涙を湛えるにまで至った太宰府への罪悪感によって、二度と彼女の事情を訊くことが叶わないかもしれない。この勢いに乗ることを決めた北川辺の声は、今日で最も力強かった。そこまで食い下がる北川辺の姿を目の当たりにして、太宰府はいよいよ腹を決めてぽつりぽつりと話し始めた。


「貴女が、殺されてしまったのは、私のせい、なんです……」


「えっ……、それは、どういう……」


 突拍子もない衝撃の告白に、北川辺の耳から音が遠のいた。太宰府の言葉が実感を伴わないまま自分の中で反響し、その意味について浅い思考を巡らせる。そんな状態の中で、特に意識せずに組まれた言葉が口から漏れた。


「私がもっとおとなしければ……。私があんなことを言わなければ……」


 太宰府は言葉を紡ぎ、その意味を嚙みしめることに必死で、漏れた北川辺の声は彼女に意識に介入する余地はなかった。

 北川辺はある種の呆然を孕んだ彼女の言葉の意味が分からなかった。太宰府の性格1つで人が殺されるに至るのか、太宰府の一言で人が殺されるに至るのか、そのプロセスが曖昧な形ですら見えてこない。


「どういうことなんですか?」


 自分に夢中な太宰府に、北川辺は明確に問う。自分の死について知っていることが、「自分が死んだ」ということしかないからだ。

 太宰府は後悔と憂鬱を混ぜあわせた顔を少しだけ上げて、静かに語りだした。


「貴女を殺したのは私の母です。私の妹が貴女の親戚に殺されて、その人が警察に捕まった後、たまたまテレビで犯人の親戚として出ていた貴女を母が見つけて、復讐として貴女を殺すに至ったのです」


 ゆっくりながらも逼迫した様子で、言葉を選びながら太宰府は語った。


「でもどうして、あなたの性格で私は殺されたんですか? そもそも、あなたは十分におとなしいと思いますよ」


「それは、我が家の教育方針のせいです。まず、当時の私は今とは比べ物にならないほどに明るかったんです。でもそれに反して、母は女性はおとなしくあるべきという考え方でした。だから私の性格を矯正しようと手を尽くしたみたいですが、結局私が変わることはありませんでした。そして妹はおとなしい性格だったために、母は妹を溺愛していました。きっとそのせいで、妹が死んでから母は変わりました。無気力になったりヒステリーを起こしたりと、滅茶苦茶でした。そんな生活に耐え切れなくなった父は離婚して、私も母との接点を失いました。そこから母がどうなったのかは知りません。でも、もし私が母の望むような性格だったら、母がおかしくなることもなかったんです」


 太宰府の酷い過去に、北川辺は思わず反論した。


「そんなの、全部あなたのお母さんのせいじゃないですか。自分の考えを無理に子供に押しつけて、それが駄目になったらおかしくなるだなんてあんまりですよ」


 訴えかけるような北川辺の主張を、太宰府は苦しそうな顔で聞く。北川辺の主張が正しいと思えれば、どれほど楽になるだろうか。だが、太宰府がそう思うことはできない。長きに渡って凝り固められた価値観を変えるということは、その価値観に基づいて築いてきた過去を否定することでもあり、かつてが正しかったのではないかという疑問と違和感に悩まされるということでもあるからだ。


「……どうしてそんなことが言えるんですか? 貴女は私のせいで理不尽にも殺されたのに……」


「私はあなたのせいで殺されただなんて思ってません。だからあなたも自分が悪いだなんて思わないでください」


 自分が悪いということに偏執している太宰府に、北川辺は諭すように語りかける。それでもなお、太宰府は自分が悪くないということを受け入れることはできない。


「貴女がそうだとしても、他の人がそうだとは限らないから……。学校のみんなも、家に来た記者の人も、口を揃えて『お前も悪い』って言ったから……」


「あなたが言うこともわかります。他人には他人の価値観があって、それを蔑ろにできないというのも真っ当なことです。でも私はあなたが悪いとは思いません。だから、せめて私には罪悪感を感じないでください」


 太宰府の自責の念は北川辺の想像を遥かに超える根深さであった。ただ彼女の自責の価値観がおかしいと肯定させたところで、彼女の中で残り続ける根はいずれ再び茎を伸ばし葉を生やすことだろう。草を力任せに引っこ抜こうとしても茎が千切れて根が抜けないのと同じである。

 だからこそ、彼女の根を抜く第一歩として、せめて固まった価値観にヒビだけでも入ってくれれば、せめて自分の部屋の中だけでも楽でいることができればいいと、北川辺は願った。


「わかりました」


 太宰府の返事はどこか明るいように感じられた。それが本当に明るくなっていたのか、北川辺の勝手な驕りなのか、彼女にはわからない。



 とりあえずお互いの抱える問題は、言葉こそ交わさなかったものの保留という認識で落ち着いた。しかし保留である以上、解決すべき問題だということに変わりはない。だからこそこの問題について考えてしまうが、答えが出るはずもない。結果、頭の中でもがく形のないモヤモヤだけが残った。考えないようにと思えば思うほど、余計に意識していまうこれを解決してくれるのは時間だろう。

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