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鬼の哭く道には雪の花が咲く  作者: 久保 雅
6/12

第6話 石長比売 その三

二ヶ月に一回の投稿で良いよね?

 戦いが終わったと知らせを受け、私は急いで(ひいらぎ)達の元へ向かった。ただ、無事でいてくれ、それだけを想って駆ける。


 これ程走ったのは生まれて数千年で初めてだ。


 いつもは駕籠(かご)に乗って移動するか、社の中を少し歩くぐらい。だから"走る"という行為がこれ程苦しいとは思わなかった。


「石長比売様、少しお休みになりましょう。あまり無理をなされては……」


 追走する(みやび)が心配そうに声をかける。


「いや、はぁ、はぁ、はぁ……問題、ない……」


 苦しくて心臓が破裂しそうだ。だが、足を止めない。止められない。一刻も早く、(ひいらぎ)達の姿を確認したい。そうして無理を通し、私は神域の入口までやってくる。正直息が苦しくてその場にへたり込みたい気分だが、そうも言ってられない。小鹿のように震える脚で体を支え、息を整えながら歩く。そして、神域の入口付近にたどり着くと(ひいらぎ)達の姿はすぐに確認出来た。近くに艶やかな朱色の髪の鬼がいたからだ。


 鬼の女は私に気づくと、歩を此方に向ける。不思議と危険な匂いはしなかった。(ひいらぎ)(みこと)が落ち着いていたからというのもあるのだろうが、私の直感のようなものが、大丈夫だと言っているような気がした。

 鬼の女は私とそれなりの距離を空け、立ち止まる。おそらく、間合いの外だろう。自分に戦う意思は無いというのを表しているのかもしれない。


「お初にお目に掛かります。私の名は朱蓮(しゅれん)。神 石長比売(いわながひめ)とお見受け致しますが、お間違ありませんか?」


 今まで出会った鬼の中では随分丁寧な口調だ。黒縄丸も鬼という妖の中ではまだましな方だったが、この朱蓮(しゅれん)という鬼は、所作もきれいで最早別の妖なのではと疑いたくなるほどだ。


「ああ。私が石長比売(いわながひめ)だ……朱蓮(しゅれん)と言ったな。其方はいったい何者だ?」


「私は、以前ここに参った黒縄丸の妹でございます。遅まきながら兄が皆様にご迷惑をお掛けしております」


 妹だと。彼奴妹がいたのか。確かに目元など、所々似ているな。


「気にするな。確かに少し強引なところはあるが、優しく思いやりのある良き鬼だ。それに、私も黒縄丸に賛同した節もあるからな。迷惑などとは思わんよ。寧ろ黒縄丸の呼びかけでこれだけの妖が戦に巻き込まれずに済んだのだ。お主の兄を誇るがよい」


「そう言っていただけると助かります」


「これから(いくさ)に行くのか?」


「はい。こんな私ですが、一応戦力として数えられているそうですので」


 謙遜なことだ。星熊童子(ほしくまどうじ)を瞬殺した本人の発言とは思えんな。


「そうか……武運を祈る。黒縄丸にもそう伝えてくれ」


「勿体なきお言葉。必ず伝えます」


 朱蓮(しゅれん)は軽くお辞儀をすると、踵を返して神域の出口へと向かう。


朱蓮(しゅれん)


 呼び止める私に振り返る。


「はい、なんでございましょう?」


「気をつけるのだぞ」


「はい!」


 力強く頷くと、朱蓮は駆け足でその場を去って行く。


「さて、我々も忙しくなる。(みこと)(ひいらぎ)


「「はっ!」」


「戦いの直ぐ後で済まないが、外の結界を張り直してきてくれまいか。どうやら少し弱まっているようだからな。それと、警備も増員出来るならしてくれ。また侵入でもされてはかなわん」


「はっ! 直ちに」


 その後、(みこと)は数人の巫女を連れて神域の外へ行き、結界を張り直す。(みこと)曰く、力の弱い妖や戦いに長けていない妖は通さないが、星熊童子(ほしくまどうじ)のような強力な妖が来たらほんの少しの時間稼ぎが関の山らしい。だが、それで十分だ。その時間稼ぎの間にまた結界を何重にも張り巡らせれば良い。少々強引だが、それが最良の手だ。我々は戦いに長けてはいないのだから。


 一方で(ひいらぎ)は警備班と合流し、増員について話し合う。だが、これだけの妖を収容している為、警備にあたれる巫女がいない。現状かなり厳しいようだ。

 見渡せば巫女達が駆け回っているのが目に入る。どの巫女も余裕がなさそうだ。そんな中警備に当たってくれとは言えぬか。


 先の警備は星熊童子(ほしくまどうじ)の事もある。正直妥協はしたくないが、今は結界で補うほかあるまい。


 どうしたものかと顰める(ひいらぎ)の元へ行き、私は警備増員については取り敢えず保留とした。一度命じておいて申し訳ないが、今のこの状況ではどれだけ頭を捻っても打開策は見当たらない。

「申し訳ありません……」と謝る(ひいらぎ)に気にする必要はないと慰める。(ひいらぎ)は優秀ではあるが、真面目すぎる。その内溜め込み過ぎて倒れないか心配だ。


 一通り話し合い、仕事に戻った(ひいらぎ)達を見送り、私は改めてあたりを見渡す。眉間に皺が寄っていくのが自分でもわかった。

 膨大な妖の数だ。予想していたより遥かに多い。


「さて、(いくさ)は長くとも七日間……どうしたものか」


 本来予定していた妖の数でもかなり際どい所だったのだが、この膨れ上がった数では場所に余裕はあっても食料は賄いきれない。

 土や苔などを食べる妖を引いても、圧倒的に足りない。危険を冒して外に取りに行くのも一つの手ではあるが、それを実行するのは当然巫女達だ。命じれば喜んで調達に向かう姿が目に浮かぶ。私としては気ぎ気ではない。危険な事はさせたくない。これは最後の手段だろう。


「だが、他に解決案が見つからないか……」


 誰に言うでもなく、一人面の下でそう零す。


 そこへ、私に仕える巫女の一人。椿(つばき)が小走りで駆け寄る。彼女は最近巫女になったばかりの新米だ。まだ歳若く、小さな体で頑張るいい子だ。少し天然なところが気になるが、それも可愛いものだと思えば気にはならない。


石長比売(いわながひめ)様、お耳に入れたいことが!」


 椿(つばき)は警備担当、しかも入口の警備を担当していた筈だ。まさかまた襲撃があったのかもしれない。

 私は面の下で顔を険しく尋ねる。


「何かあったのか?」


「それが、なんと言いますか。妖者が石長比売(いわながひめ)様にお目通りをしたいと申しております」


 困惑した顔でそう言う。


「お目通り……この状況でか?」


 (いくさ)をしている中でお目通りをしたいと言う事は、この辺りの妖ではないな。


「はい」


「どんな……いや、今気にする事ではないな。分かった、私が出向こう」


「い、石長比売(いわながひめ)様自らですか?! しかし……」


 本来神の私が出向くのは間違いであるが、状況が状況だ。そうも言ってられん。椿(つばき)の言いたい事もわかるが、中に入れて暴れられてはかなわん。私自ら出向いた方が良いだろう。


「護衛は付ける。安心してくれ」


 私は(ひいらぎ)(やまと)を呼び、護衛を頼む。そして椿(つばき)に案内され、神域の入り口へと向う。


「この戦の中尋ねてくる妖です。おそらく只者ではないでしょう。決して我々の前には立たれませぬよう」


 傍で(やまと)が注意を促す。


「分かっている。無茶はしないさ」


 そうして、話していると神域の入り口に辿り着く。姿が見えないところを見ると、どうやら外で待っているらしい。


「先に確認して参ります。石長比売(いわながひめ)様はここでお待ち下さい」


 (ひいらぎ)が先に行き、外が安全か確認しに行く。


 私が再び入り口付近に現れた事で、周囲の妖達が騒めく。先の星熊童子(ほしくまどうじ)の事もあり、かなり警戒しているようだ。入り口付近から離れる者も見受けられた。


「このような時に訪ねてくるとは……一体何者でしょうか?」


 (やまと)は当然の疑問を私に尋ねるが。正直なところ、私もわからない。


「わざわざお目通りがしたいと訪ねてくるのだ。良識のある妖である筈だが……」


 私を引き摺り出して始末する、というのも考えられる。しかし、私を呼びに来た椿(つばき)の様子からどうにもそれは考えにくい。巫女達は悪意に敏感だ。そういった気配はすぐに察知する筈である。


「とにもかくにも、会ってみる他あるまい……」


 そうして暫く待っていると、(ひいらぎ)が戻ってくる。


石長比売(いわながひめ)様」


 戻ってきたその顔は、困惑と驚愕の入り混じった表情をしていた。


「大物です!」


 絞り出すように告げる。


「なに!」


 私は二人を伴い、神域の入り口をくぐり、外に出る。するとそこには、予想だにしない光景が待ち受けていた。


「……!!」


 息を呑む。目の前には百以上にものぼる、赤みを帯びた褐色の髪の妖狐達。全てが腰に刀を()き、一人一人が強力な妖気を放っている。そして、その中でも一際強大で、圧倒的な妖気を放つ者がいた。

 取り囲む妖狐達の中央。深い翠の羽織を肩に掛け、その下には黒と翠を基調とした――襟首辺りに牡丹の花と蝶の刺繍が施された――着物を身に纏い、艶やかな朱色の神輿の上に堂々と腰掛ける金髪の女の妖狐。腰まで伸びた髪は艶やかな純金。切れ長の両の目に鎮座する翠の眼は宝石のように美しく妖艶に輝く。仄かに笑むその艶やかな唇は色香を放ち、同時に絶対的な自信を醸し出す。頭の両側に狐の耳を生やし、頬杖をついてこちらを睥睨する様は圧巻の一言だ。

 組んだ――雪のように白い――脚の脹脛(ふくらはぎ)には"蒼い睡蓮"の刺青がのぞく。

 そばには紅い漆塗りの鞘に収められた刃渡り四尺(百二十センチ)以上はある大太刀が立て掛けられ、いつでも抜ける位置にあった。

 煙管(きせる)を片手に煙をふかし、妖艶な笑みを向ける。手元に置いてある桜皮手付煙草盆(いわゆる灰皿)に煙管を軽く叩きつけ、灰を落とす。


 金髪の妖狐は立ち上がり、私に向かって歩を進める。


 すると、取り囲んでいた妖狐達は自然と道を開け、私と金髪の妖狐を隔てるものは何も無くなった。


 私の側で、(ひいらぎ)(みやび)が僅かに構える。後ろに控える巫女達も同様にその顔に余裕がない。それを知ったか知らずか、妖狐は余裕の笑みを顔に貼り付け、尚も脚を前に進める。金髪の妖狐の側には護衛が一人、大太刀を持って追従する。

 男の妖狐だ。顔立ちも整っている。前の金髪の妖狐とは違い、こちらは髪が白く、その白い髪の中に赤い髪がところどころ混じっていた。加えて――金髪の妖狐を除いて――他の妖狐に比べて妖気が大きい。間違いなく実力者だろう。


 緊張が走る。とんでもない妖力だ。以前来た黒縄丸が可愛らしいぐらいだ。おそらく酒呑童子(しゅてんどうじ)よりも格上だろう。


 だからこそ、何故(なにゆえ)ここに来たのかが読めない。私は面の下で目を細める。


 すると、見計らったかのように金髪の妖狐が立ち止まる。丁度大太刀が届かない距離だ。敵意がないことを示しているのだろう。


「お初にお目にかかる。神 石長比売(いわながひめ)。突然の訪問申し訳ない」


 薄い笑みを浮かべる。見た目同様、なまめかしく心地よい声が届く。


「心にもないことを……それで、ここへ来た理由を聞こうか?」


「ふふっ。申し訳ないと思っているのは本当なのだが、それは後にしよう。まずは自己紹介からさせてもらう」


 金髪の妖狐の目が妖艶に細まる。


「儂は"白面金毛(はくめんこんもう)九尾(きゅうび)(きつね) 玉藻前(たまものまえ)"だ。以後お見知り置きを」


 その名に椿(つばき)は驚愕に目を見開く。


(玉藻前?! 妖の世で最強を謳われる大妖怪の一人!)


 私や(ひいらぎ)(やまと)は噂や時折入ってくる情報から目の前の妖狐が玉藻前であることに気がついていたが、他の巫女達はまだ巫女としての日が浅く、妖についてもあまり詳しくは知らなかったようで、当然の大妖怪訪問に明らかな動揺を隠せない。しかし、それは私達と手同じである。表には出していないが、内心では慌てて頭が回らない。


「さて、ここに訪ねて来た理由についてだが……この場では少し目立つ。神域に入っても?」


 玉藻前の提案は当然だ。いくら戦場から離れているとはいえ、これだけの人数が外にいれば目立つ。特に玉藻前の妖気は桁違いに大きい。このままではすぐに見つかってしまうだろう。


「分かった、入れ」


石長比売(いわながひめ)様!」


 敵意がないと示しているとはいえ、大妖怪を神域に迎え入れるのは星熊童子(ほしくまどうじ)以上に危険だ。石長比売(いわながひめ)の身を案じ、(やまと)が諌める。


「良い」


「しかし……!」


「大妖怪自ら脚を運んできたのだ。迎え入れるのが道理であろう。でなければ私の器が小さいと噂になってしまう。狭量な神だと笑いものだな。はっはっはっ!」


 私は軽く冗談のつもりで言う。が、(やまと)は真面目に受け止めてしまったようで、悔しそうに顔を伏せてしまう。(ひいらぎ)は私のこれが冗談半分だと理解(わか)っているから、困ったように眉を八の字に曲げるだけで済んでいる。


「……〜っ!!」


 (やまと)は真面目だからこういう冗談は通じないのだった。弁解しても無駄そうだな。


「ふむ……(やまと)、一つお願いがある」


「な、なんなりとお申し付けくださいませ!」


「私を護ってくれるか?」


「!」


 真面目な(やまと)はこう言うお願いをするとすぐに気持ちを切り替える。


「は! 必ずお護り致します!!」


 やはり真面目な娘だ。だが、そこが良い。


「ふふっ、頼もしいな………さて、待たせたない玉藻前よ、ついて来るがよい」


「そうさせてもらう」


 私は(ひいらぎ)(やまと)を伴い、玉藻前を社へと案内する。当然、他の妖狐達も神域に入ってもらった。あの数は目立つ。それと何故か玉藻前が数人を警備に当ててくれた。こちらとしては嬉しい限りだが、ますます読めん。


 社へ行く道中、妖達の視線が集まる。やはり玉藻前は有名なようで、畏敬の眼差しを向けられているのが分かった。


「これはこれは、凄まじい数だな」


 玉藻前は辺りを見渡し、膨大な数の妖を前に愉快そうに笑う。


「当初予定した数の倍はいると聞き及んでおります。数にして一万と二千」


 玉藻前の側に控える男が答える。何故それを知っているのか、それは後で聞くとしよう。


「愉快愉快!」


 人の気も知らないで、呑気な事だ。


 内心ため息をつき、私達は社に着く。


 私は玉藻前を本殿ではなく、二回りほど小さな別棟に案内する。


「すまんな。本殿に案内してやりたいところだが、流石に巫女達が良い顔をしなくてな。ここで我慢してくれ」


 本殿は主に私の生活空間だ。私は気にしないが、相手が妖という事もあり、巫女達は顔を顰めて不機嫌になる。というより、この別棟の時点でかなり不機嫌だ。


 特に(やまと)は真面目故に敵意がこもってしまっている。今にも戦闘を始めてしまいそうな剣幕だ。


「……………(やまと)


「も、申し訳ありません!」


「すまんな。この娘は少し真面目なのだ。気を悪くしないでくれ」


「ふふっ、こんな事で気を悪くなどはせん。寧ろ巫女という立場なら当然の事であろう。健気ではないか」


 どうやら怒ってはいないようで安心した。しかし、後ろに控える従者がどう思っているか気になるところだ。あまり険悪な雰囲気になってほしくないのが本音だが。


「何か?」


 男は私の視線に気づく。しまった、つい考え込んでしまっていた。


「いや、少し考え事だ。気にしなくて良い」


「左様でございますか……」


 暫くして(みこと)がお茶と菓子を持って来る。連れて来た妖が大妖怪 玉藻前と知って慌ててついて来たのだ。


「早速話を聴かせてもらいたいのだが。よいか?」


「儂もそのつもりだが、少し長くなる。座らせてもらっても?」


 玉藻前は肩越しに男へ視線を送り、私は確認を取る。


「かまわない。(ひいらぎ)(やまと)(みこと)、貴女達も座りなさい」


「し、しかし……!」


(やまと)殿、そう警戒せずとも襲いはしない。儂らはただ話をしに来ただけだ。まぁ、本当のところを言えば他にもあるが……とにかく、敵意はない」


 玉藻前の言葉に、信じられるか、そんな視線を(やまと)は飛ばす。心配してくれるのは嬉しいが。大妖怪相手にそれは冷や汗ものだ。


(やまと)、心配はいらない。座りなさい」


「か、かしこまりました……」


 流石に二度目ともなれば巫女のである(やまと)は言うことを聞かざるを得ない。渋々だが座ってくれた。そして、(ひいらぎ)(みこと)(やまと)が座らのを見てようやく腰を下ろす。


月夜(つくよ)、お前も座れ。後ろに立たれたままでは落ち着いて話も出来ん」


「承知しました」


 男は手に持った大太刀を自身の背後に置き、腰に佩いた刀を利き手側に刃を向けて置く。利き手側に置くのは刀を抜きにくくして攻撃意思が無いことを示している。


「さて、今度こそ話を聴かせてもらおうか。何故(なにゆえ)参った?」


 この質問に対し、玉藻前はあっけらかんと答える。


「黒縄丸に頼まれた」


「頼まれた?」


 あの男。神に協力を頼んでおいてその上大妖怪にまで協力を要請していたのか。良く言えば抜け目が無い、だろうが、悪く言えば神を信用していないと捉えられてしまうぞ。


 私は視線だけを動かし、肩越しにふりかえる。するとやはりと言うべきか、私の後ろで控える三人の顔は僅かに怒りで歪んでいる。おそらく黒縄丸が私を軽んじたと思っているのであろう。あの男がそのような事を考えているとは思いにくいが、私はあの男を弁護できない。実際、今回あの男がした行為はそう疑われても仕方のない事だからだ。


「あの男……何処までも舐めた真似を!!」


 小さく零したつもりなのだろうが、(ひいらぎ)よ。この静かな空間では意外に大きく響くぞ。


 私が内心呟いていると、玉藻前が黒縄丸に助け舟を出す。


「少し勘違いをしているようだが。黒縄丸は何も其方(そなた)らを蔑ろにしたわけではない。寧ろ申し訳ない気持ちが大きかった故に儂らにに協力を要請しのだ。だからそう恨んでやるな。流石に可哀想だぞ」


 そう愉快そうに告げる。微塵も可哀想だとは思っていなさそうだ。


「何処から話したら良いものか……」


 玉藻前は髪をいじりながら少し考える仕草をすると、薄い笑みを向けながら口を開く。


「まぁあれだ。早い話が予定外の事が起きた、ということだ」


「予定外?」


「うむ。本来ならこのに避難してくる妖の数はざっと六千程だった。そうだな?」


「ああ、この辺りに住む妖の数を計算すれば、その予定だった」


 そうだ、間違いがないか何度も何度も計算して調査して、上がった数だ。間違えるはずがなかった。


「だが、実際この神域に収容した妖の数はその倍だった……これは黒縄丸も予定外だったようだぞ」


「……何故そのような事態になったのだ。正直な話、その辺りに関しては我々よりあの男の方が把握していたはずだが?」


「うむ、まさに今神 石長比売(いわながひめ)が言った通り、これに関しては黒縄丸の方が良く把握していたであろうよ」


「ならば何故?」


「簡単だ。避難してくる妖達が他の場所の妖にまで避難を進めて、予想以上に膨れ上がったのだ。本人達は良かれと思ってやったのだろう。少しでも犠牲が減れば、とな」


「なっ?!」


「しかも黒縄丸がそれを知ったのは昨日の夕刻だ。最早どうしようもない。今更引き返せとも言えんしな。そこで、急遽儂に協力を要請して来た、と言うわけだ」


 玉藻前がそこまで話して、(みこと)が手を挙げる。玉藻前は「なんだ巫女殿?」と質問に応じる。


「気になる事が……こう言ってはなんですが、黒縄丸は()()()()です。そんな妖の願いを、何故大妖怪である玉藻前殿は聞き入れたのでしょうか?」


 それは私も気になっていた。なにせ今まで名前すら聞いたことがなかったからな。そんな妖の一人の願いを何故大妖怪である玉藻前が聞き入れたのだ。


「それも簡単な話だ」


 そう言葉を切り、後ろに控える男に一度視線を向け、次の瞬間には愉快な顔をこちらに向ける。


「黒縄丸の妹の朱蓮(しゅれん)が、儂の弟の月夜(月夜)と婚姻を結んでおるからだ」


「……!!」


 朱蓮が護衛の男と婚姻。しかも玉藻前の弟だと。というか護衛ではなかったのか。


「ふふふっ、馴れ初めなど聞かせてやりたいところだが。それはまたの機会としよう。とにもかくにも、儂らは黒縄丸に協力する理由があった、と言うわけだ。理解(わか)ったか?」


「あ、ああ……」


 まだ少し混乱しているが。成る程、それで玉藻前は動いたのか。というより、おそらく黒縄丸か、朱蓮か、どちらかが玉藻前に気に入られているのだろうな。でなければこの大妖怪が動くはずはない。


 そしてその疑問は次の玉藻前の話で解ける。


「昨晩急に朱蓮が息を切らしてやって来てな。助けてくれと頼んできよった。しかも上目遣いでな。月夜は言わずもがな、儂もそんな可愛い義妹の頼みとあっては最早断れまい」


 成る程、気に入っているのは朱蓮の方か。確かにあの麗しい容姿に凛とした立ち姿、中々の良識の持ち主。そして自身の弟に嫁入るするときた。気にあるのも無理ないか…………いや、違う。そうじゃない。確かにそれも理由の一つかもしれない。だが、本命は違う。


「成る程、少し考えればわかる事だったな……酒呑童子(しゅてんどうじ)は"鬼"という妖を束ねる力を持ってはいるが、それだけだ。他が大きく欠けている」


「左様、彼奴(あやつ)はとにかく粗暴で見境がない。しかも対話も出来んときものだ。

 力任せに勢力を広げるだけで、その土地を()()()()()()()()()()()。おかげで奴の奪った土地は荒れ果て阿鼻叫喚の地獄よ。はっきり言って迷惑極まりない。儂の支配地にまでその影響が出ているから余計にたちが悪い。

 毎日毎日儂のところに助けてくれと懇願してくる輩が跡を絶たん。正直うんざりだった………昨晩黒縄丸から助けを求められた時は心躍ったぞ。なんと言ってもあの酒呑童子(しゅてんどうじ)に謀反を起こしたのだからな。これに乗らない手はない。この機会に酒呑童子(しゅてんどうじ)を始末出来るならば、喜んで協力するとも――ふむ、少し要らぬ話をしてしまったな。すまんすまん。つまるところ、神 石長比売(いわながひめ)の言った通りだ。互いの目的が重なった、それだけの話だ」


「知ってしまえば単純明快、か……」


「ふふふっ、そういうことよ」


 この土地へ来た理由はわかった。だが、一つ疑問は残る。何故私のところへ来た。酒呑童子(しゅてんどうじ)を討ちたくば直接戦場(いくさば)に向かえば良いはずだ。


「玉藻前よ。一つ確認だ」


「なんだ、改まって。なんでも聞いてくれて構わんぞ」


 玉藻前は薄い笑みを向けてくる。


「これからどうするつもりだ。やはり(いくさ)に参戦するのか?」


「いや……しない!」


 その言葉に私は怪訝に眉を顰める。後ろの(ひいらぎ)達も私と同じようで、その顔は疑問に満ちている。


「………何故しないのだ。絶好の機会ではなかったのか?」


 そう、玉藻前は酒呑童子(しゅてんどうじ)を討ちたがっている。ならば何故戦に参戦しない。黒縄丸と協力すれば、打ち取るのは容易いはずだ。


 玉藻前は煙管を袖口から取り出し、この場で吸っても良いか首を傾げて視線で問う。特に禁煙というわけでもないので、私は了承の意味を込めて頷く。


 玉藻前は煙管に火をつける。後ろに控えていた月夜は煙草盆を玉藻前の横に置く。澱みのない動きだ。いつもこうやっているのだろう。


「ふぅ……これも単純な話だ。これは"鬼"達の戦。儂ら他の妖が横からしゃしゃり出て良いものではない。()()()()()()()()()()傍観するぐらいが丁度良い。

 彼奴らは彼奴らで、鬼としての"誇り"やら"矜持"というものがある。つまりだ、決着は自分達の手でつけたいのだ、鬼達(あやつら)は……儂はその気持ちをほんの少し汲み取っただけ。知ってしまえば他愛もない話だ」


「それで黒縄丸達が負けてしまったらどうするのだ?」


酒呑童子(しゅてんどうじ)を殺す」


 なんの迷いもなく、ただ当然のように鷹揚ない声で答える。


「当たり前であろう。黒縄丸達が負けたとあれば、儂が出る他あるまい。ましてや戦の後だ。酒呑童子(しゅてんどうじ)も弱っているだろう。とどめを指すのは簡単だ。ここまで来てわざわざ生かす理由は見当たらん」


「道理だな……」


酒呑童子(しゅてんどうじ)は調子に乗り過ぎた……遅かれ早かれ殺される運命だ」


 そう言って煙管を口に咥え、煙をふかす。煙は虚空に消え、そこには何も残らない。私にはその煙が、これから消えゆく命に見えた。


 命とは、儚く脆いものだ。


 玉藻前は煙を吸っては吐いてを二、三度繰り返すと、煙草盆に叩きつけ灰を落とす。


「ま、万が一にも黒縄丸達が負ける事はありんだろう」


 そう、自信を持って言う。


「何故そう言えるのだ。酒呑童子(しゅてんどうじ)と言えばあの荒くれ者の鬼達を力だけで束ねる"鬼の首領"だぞ。強さだけは本物であろう?」


酒呑童子(しゅてんどうじ)より強い鬼がいるからな決まっているだろう。彼奴は強い。それについてはこの玉藻前が保証しよう」


 酒呑童子(しゅてんどうじ)より強い鬼だと……まさか、黒縄丸が言っていた幼馴染みの鬼か。確かに強いとは聞いているが、玉藻前ですら太鼓判を押すほどか。


 大妖怪 玉藻前。通称、白面金毛(はくめんこんもう)九尾(きゅうび)(きつね)。他を圧倒する妖気をその身に宿し、今まで負けを知らないと言われている怪物。

 その余の強さに、最早誰も敵対しないとまで言われており、名を聞いただけで震え上がるという。

 かく言う私も玉藻前を目の前にして内心かなり慄いている。かなり抑え込んでいるのだろうが、凄まじい妖気だ。


 そんな大妖怪たる玉藻前がここまで言うのだ。相当な強さだろう。


「彼奴は間違いなく()()と肩を並べる大妖怪となろう。いや、強さだけ見れば大妖怪と相違ないか……とにもかくにも、負ける心配はない。寧ろ酒呑童子(しゅてんどうじ)が哀れだ。(いくさ)もそう長くはかかるまい……」


「だと良いのだが……」


 あまり長引いてもらっては正直困る。特に食料面は切り詰めて三日が限度だ。早く終わってくれるとありがたいのだが、今戦をしている鬼達に私達の都合を押し付けるわけにもいくまい。


「苦労しているようだな、神 石長比売(いわながひめ)。同情してしまいそうだ」


 意地の悪い笑みを向ける。この女、さっきから私を見下すような笑みを度々向けてくる。そんな視線はもう慣れたものではあるが、腹立たしく思わないわけではない。寧ろ不快だ。だが、大妖怪相手にそれを嗜める度胸は私にはない。私は努めて平常心を保つ。


「寧ろしてくれて構わないぞ。少しはこちらの苦労を知ってほしいくらいだ」


「ふふふっ、その苦労話は黒縄丸あたりにでもしてやる方が良かろう――さてと」


 玉藻前は「少し失礼する」と言って立ち上がり、戸をくぐって社の縁側に立つ。待機していた妖狐達は玉藻前が出て来ると寸分違わぬ動きで整列し、膝をつく。それを満足げに見届けた玉藻前は口を開き、妖狐達に呼びかける。


「お前達、仕事の時間だ!」


 不敵な笑みを向ける。


 妖狐達は黙って耳を傾け、指示を待つ。


「内容は神域の警備。怪しい輩がいたら追い払う程度の簡単な仕事だ。お前達であれば造作もないだろう。

 外で巫女達が警備に当たっている。行って引き継いでこい。それと、持って来た食料もわけてやれ。どうやらかなり逼迫(ひっぱく)しているようだ。このままでは餓死者が出るかもしれん。そんな理由で死なれては後味が悪い。遠慮なく分け与えよ」


「あとはお前達に任せる。儂の顔に泥を塗るなよ――行け」


「はっ!」と言う声を発し、妖狐達は走り去ってゆく。


 今の話を聞く限り、警備は玉藻前達が請け負ってくれるようだ。それに食糧もあるらしい。どれ程持って来ているかはわからぬが、有難い。


 しかし、(ひいらぎ)達はまだ警戒しているようだ。突然やって来た大妖怪がこっちの都合の良いように動いてくれるのだから当然だ。寧ろ警戒しない方が心配になってくる。だが、少なくともこの件に関して私は信用しても良いと考えている。

 玉藻前は酒呑童子(しゅてんどうじ)を討ち取りたいと言っていた。そして今はその時だ。自身の目的が果たせるのだから、わざわざ邪魔をする必要は無い。私達を害したところで玉藻前にはなんの利益もないのだ。寧ろ協力した方が後の旨みは多いだろう。


 黒縄丸達が勝った暁には、一体どんな要求をするつもりだろうな。


「……感謝するぞ、玉藻前」


「礼など要らん」


 玉藻前は手すりに肘を置き、煙管を口に咥える。


「ふぅ……寧ろ感謝したいのは儂の方だ」


「………」


 玉藻前は口元を三日月のように歪め、空を見上げる。


「ふふふっ、せいぜい頑張るのだな、黒縄丸よ……」


 それから戦が終わったとの知らせを聞いたのは、三日後の早朝であった。


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