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鬼の哭く道には雪の花が咲く  作者: 久保 雅
2/12

第2話 屋敷 その一

ひと月に一話をと思っておりますが、これいつ完結するんでしょうか? なんか終わる気配が……まぁ、とにかく頑張ってみます。出来るなら五年以内に終わらせたいですね! もっと言うなら百話ぐらいで終わらせたいです。


では本編どうぞ!

 朝日が山頂から顔を覗かせた頃。ぶつかり合う甲高い音が屋敷の庭から周期的に鳴る。その音は屋敷中に響き渡る。

 屋敷の一室。甲高い音で茨木童子は目を覚ます。


(……あら、もう朝ですか……それにしても、この音は……)


 早朝。聞き覚えのある音に目を細める茨木童子は、ぼやける頭で音の正体を掴む。十中八九この音を出しているのはあの二人だろう。そう結論づけた。

 布団の温もりに後ろ髪を引かれつつ、茨木童子は顔を洗いに洗面所へと向かう。引き締まる冷たさに身体を強張らせ、朝の眠気を飛ばす。この季節のこれは毎度ながら嫌なものだ。そう思うと同時に、朝の弱い自分にはいい薬だと自嘲する。その後女中二人を引き連れて部屋に戻り、身なりを整える。女中の二人はまだ若いが、迷いなくせっせと動く姿は中々様になっていた。

 一人は藤色の髪と眼。艶やかでまっすぐな赤い角が特徴の女中。背丈はそれほど高くはない。おそらく一五〇センチあれば良いところだろう。一方もう片方の女中は背丈が一六〇半ばぐらいある。眼と髪は咲き誇る桜のようで、腰まで伸びる髪を邪魔にならないように丸く束ねている。茶色い角は後ろへ伸びるように捻れ、まるで木の枝を彷彿とさせる。

 どちらもまだ初々しいと言う表現が似合う。


「貴女達、初めて見る顔ですが、名前は?」


 凛とした鈴の音のような声に、二人の女中は頭を下げて答える。


「これは大変申し訳ありません。自己紹介が遅れました。私は"藤花(ふじばな)"と申します。お館様」


「自分は"白桜(はくおう)"と言います。お館様の下で働かせたいただけること、心より感謝申し上げます」


「そこまで畏まる必要はないのですけど……それに、少し大袈裟な気もしますが、まぁいいでしょう。それと藤花、白桜、二人とももう少し肩の力を抜きなさい。無理をし過ぎては体が持ちませんよ」


 着替えにそう時間もかからず、準備が出来ると、茨木童子は女中二人を引き連れて、鳴り止まぬ音につられて庭まで様子を観に行く。すると、浅く積もった雪の上を駆ける小さな影を見つける。言わずもがな、息子の雪花丸である。平均より小さなその体で、父である黒縄丸へ手に持つ木刀を振り下ろす。木のぶつかり合う甲高い音が鳴る。その度に、雪花丸の小さな体は雪の上を転がった。

 二人のしている光景に茨木童子は、やはり剣の稽古でしたか、と予想が的中していたことに仄かに苦笑いを浮かべた。


(雪花丸……)


 小さな体で健気に稽古に励む息子の姿に、茨木童子も素直に嬉しさと愛おしさが溢れる。だが、すぐに毅然とした表情に戻る。鬼の総大将ともあろう者が息子に甘いとあっては他に示しがつかない。本当は少しぐらい構ってあげたいという気持ちもなくはない。だが、プライドと責任感の強い茨木童子にはそれが出来ない。息子を強く育てると言うのもそうだが、周囲の目や自分がだらしない顔をする自分が許せない。


「つくづく面倒な女ですね……」


 溶けて消えるような自嘲のぼやきを零す。


「何か仰いましたでしょうか?」


「いいえ、独り言です。気にしないで……それより白桜、旦那様達はいつ頃から稽古を?」


「およそ一時間程前かと」


「そう。ではもう少しだけ観ていましょう」


「かしこまりました。しかし、ここは冷えます故、何か温かなものと敷物をご用意致します。暫しのお待ちを」


「ええ、ありがとう……」


 茨木童子が二人の稽古を暫く見守っていると、藤花が紫色の座布団を、白桜がお茶を持ってくる。

 藤花が座布団をその場に敷く。茨木童子はその上に腰を下ろし、一息つく。横では白桜が熱い緑茶を用意する。茨木童子は湯呑みを受け取ると、ゆっくりと口へと運ぶ。温かいお茶を喉へと流し込み、体の奥から温めてゆく。そこでふと、茨木童子の視線は白桜と藤花へと流れる。

 息を吐けば白く消えゆくこの寒空の下。二人は敷物も無しに後ろに控えていた。指先も赤くなっており、心なしか体も震えている。この寒空の下敷物も無しに座るのはなかなかに苦痛の筈である。昔、まだ父である酒呑童子が存命だった頃は同じような状況も少なくなかった。その為今の彼女たちの辛さはよく理解できた。


「……白桜、藤花。貴女達も自分の敷物を持ってきたらどうですか?」


「いえ。我々が敷き物を使うなど恐れ多い」


「お館様。お館様のご好意は大変嬉しく思います。しかし、我々はただの女中でございます。心配はご無用です」


「……そうですか。ですが、あまり無理はしないように」


「「お気遣い感謝いたします」」


 気を遣ってみたが、やはり彼女達は自身の立場を理解しているが故に断ってきた。それに対して思うところはないが、少しぐらい楽をしていいのではとも思う。今は酒呑童子が統べていた時代とは異なり――戦国の世とは言え――妖界はまだそれなりに平和である。この寒空の下、女中が敷き物を使っだところで誰が咎めるわけでもない。ましてやこの館の主は茨木童子なのだ。茨木童子が白と言えば白になるし、黒と言えば黒になる。なら、使って良しと言ってしまえばそこまでである。


(屋敷の者達は少し頑張り過ぎでは……いえ、これが普通なのでしょうか? 父の時代の事はあまりよく憶えていませんし。そもそも側仕えや使用人などいなかったような気も……ああ、そういえば使用人という名の夜伽(よとぎ)相手ならいましたね。毎晩飽きもせず寝所に(はべ)っていました。当時の私は何をしているのか分かりませんでしたが、今思えば父の(くず)っぷりには心底反吐がでますね。本当に()()()()()()()()よかったです)


 あらぬ方向へ走った思考を止め、果敢に黒縄丸へと突貫する息子へ意識が向く。

 その小さな体に見合わない木刀を振り回し、何度も立ち向かう。けれどその度に打ち付けられ、小さく呻き声を漏らす。はたから見ていて痛々しいと目を逸らしたくなるが、これも息子が強く立派な鬼になる為である。致し方ない事と踏ん切りをつける。


「藤花、一つ聞きたいのですが……雪花丸(あのこ)は普段どうしていますか?」


「と言われますと?」


「屋敷での様子や、外での様子です」


 表面的には息子を厳しく躾け、茨木童子はあまり気にかけるということをしない。まだ屋敷に使えるようになって日が浅い二人だが、同僚や先輩方からの話から茨木童子がどういう性格をして、息子をどういう風に見ているかなどを大体は把握している。なので、茨木童子から雪花丸の様子を聞かれたのは意外、とまではいかないが少々驚いた。勝手な妄想だが、そういうことは気にしない人だと思っていたのだ。


「では僭越ながら。雪花丸様と屋敷の使用人との中は良好でございます。大変恐縮ではございますが、あの容姿ですので、(みな)こぞって可愛がっております。端的に言えば、可愛いいと申しますか……」


「そう……貴女もその内の一人?」


「も、申し訳ありません!」


「謝る必要はないです。それで?」


「はい。雪花丸様ご自身、使用人との会話を楽しんでおられる節もございます。特に紅緒(べにお)様とご一緒の際は表情が明るいかと存じます。おそらく紅緒様を姉のように慕っているものかと……」


「なるほど……そう言えば、昨晩あの子が言ってました。紅緒には後で礼を言っておかねば……取り敢えず屋敷での事はいいでしょう。何も問題はなさそうです。では外での様子を聞かせてくれますか?」


「は、はい……その、なんと申し上げますか……」


 先程までとは打って変わり、どうにも歯切れが悪い。どうやらあまりいい話ではなさそうである。


「どうかしましたか。何か言えない事でも?」


 茨木童子は目を細めた。ただ目を細めただけ、だがそれは藤花と白桜に凄まじい重圧を与えた。決して彼女が意図してやった事ではないが。彼女の放つ存在感が周りにそう見させてしまう。


「い、いえ、決してそのような。ただ……」


「ただ、なんです?」


「雪花丸様はご友人が居られないご様子と申しますか……いつもお一人でおられるそうでございます」


「………」


「里の中を歩いていても、集まる視線はあまり良いものではないようです。ご一緒した使用人からの報告ですと、妙に冷たいとお聞きしております」


「なるほど……そうですか」


 茨木童子は稽古を続ける二人に向き直る。

 やはり里のものは雪花丸にいい印象を持っていないようだ。しかしながら、友達が一人もいないという事実にも驚いたが、里のものほぼ全てから悪意のある視線を向けられている事に一番驚いた。雪花丸は確かに成長も遅く体も小さい。伸びてきて当たり前の角だってタンコブ程度のものしかなく、現状成長の見込みはない。だが、雪花丸が何か悪さをしたとか、嫌われるようなことをしたという話は聞かない。屋敷でも使用人達と良い関係を築いているようだし、何より雪花丸は非常に温厚である。その守ってあげたくなるような容姿も合わさり、決して負の感情を向けられるような子ではない。そんな雪花丸がどうして屋敷の外では避けられるのだろうか。そこが謎であった。

 藤花の話以外で、報告によれば特に何かをしたという話は無い。寧ろ何もしていないのだ。ただ、いつも他の子供達が一緒に遊んでいる光景を眺めているだけなのだという。


(愚かな者共め……!)


 我知らず拳を握る。自分でも驚くほどに怒っていた。

 息子に厳しくそっけない態度をしていても、それはそれ、これはこれである。大事な息子が里のもの達から疎外されるような事をされて、母親として黙ってはいられないというのが本音である。今すぐ屋敷を飛び出し、雪花丸に負の視線を向けた輩を引き摺り出してやりたいところだ。だが、それではダメなのだ。それでは雪花丸の為にはならない。


(この問題を私が解決しまっては、里の者達は私を恐れるばかりで雪花丸を認める事はないでしょう。これは雪花丸自身がどうにかしなくてはならぬ問題。私の出る幕はないです)


 酷いかもしれないが、それでも息子の成長の為である。甘やかしてはならない。


「白桜。貴女は雪花丸をどう思いますか?」


「はっ。率直に申し上げるならば、優しいお方かと思います。しかし……」


「……?」


「あまりに自分に対しての自信というものが無いように思われます。内気な性格といえば早いでしょうか。物事を内に溜め込みやすいのではと思います」


「そうですね。確かにあの子は感情を内に秘めるばかりで表に出さない子です……但し私達には、ですが」


「と申されますと?」


「あの子。旦那様と紅緒には懐いているようでして。あの二人にはなんでも話すそうですよ。翠玉(すいぎょく)が教えてくれました」


「だ、旦那様はご理解できますが。紅緒様にもでしょうか……」


「ええ。先も言ったように、あの子は紅緒を実の姉のように慕っているそうです。昨夜本人がそう言ってましたから間違い無いでしょう」


 手に持った茶を静かに啜る。内側から熱が身体中へ染み渡るように広がる。


「紅緒もあの子を弟のように想ってくれているようですし。母親としては嬉しい限りです。ですが、紅緒があの子を甘やかし過ぎないか少々不安ではありますが……」


「紅緒様に限ってそのような事はないかと思われますが……寧ろ羅刹(らせつ)様が一番甘やかしてはおられるかと……」


「羅刹が……意外ですね」


「はい。私も初めて見た際は驚きました。羅刹様はいつも眉間に皺を寄せて険しいお顔をされておりますので、そう言った事はしないものと思っておりました」


「私も少々驚きました。意外な伏兵ですね……」


「しかし羅刹様の新たな一面を知ることが出来ました。以前よりは接しやすくなったかと」


「それは良い事です」


 木刀のぶつかり合う音が鳴る。親子で稽古をつける姿に微笑ましく思うも、納得いかない自分がいる。

 側から見れば黒縄丸に打ち据えられ、雪の上を転がる雪花丸の姿に厳しい鍛錬だと思うかもしれない。だが、茨木童子は見抜いていた。夫である黒縄丸は手加減をしている。いや、この場合手加減ではない。手を抜いていると言うべきだろうか。黒縄丸は先程から一度も自分から攻めていない。雪花丸からの攻撃を受けて反撃しているだけだ。雪花丸の顔は狙わないようにして、攻撃を当てる箇所は痛みの感じにくいところばかりである。しかも黒縄丸からは覇気という凄みが感じられない。今も雪花丸と打ち合う黒縄丸の表情(かお)は穏やかで優しい。


(これでは鍛錬になりませんね……まったく、親バカもここまでくれば清々しいです)


 茨木童子は呆れを含んだため息を零す。昨晩もそうだが、夫の黒縄丸は息子に対して甘い。決して悪い事ではないと分かっていらのだが、息子の将来を考えれば不安がよぎる。

 茨木童子は残りの茶を飲み干しそばに控える白桜に「私の履物を持ってきてください」と告げる。白桜はすぐさまその場から立ち上がり、紫と黒の漆塗りの履物を取って来る。


「お持ちいたしました。お館様」


「ありがとう。それと、これをお願いします」


 自身が上から着ていた羽織を藤花に渡し、茨木童子は今も稽古を続ける二人の元へと歩み寄る。


「旦那様」


(母上……)


「どうした茨木? もうすぐ休憩を挟むところなのだが」


「そうですか。なら丁度良いですね。旦那様、私と交代しましょう」


 黒縄丸は嫌な予感を覚える。


「い、いや。もう休憩をだな――」


「交代しましょう」


 有無を言わさなかった。おそらく何度言っても茨木童子は諦めないだろう。正直、息子に厳しい茨木童子に交代するのは気が引ける。何をしでかす分からない為にこうして自分が稽古をつけていたわけだが、どうやらバレてしまったらしい。黒縄丸は自分の行いの甘さに呆れつつ渋々折れた。あとはただ息子の安全を祈るのみだ。


「………分かった。但し、やり過ぎるなよ」


「それはこの子次第です」


 黒縄丸から木刀を受け取り、茨木童子は雪花丸の前に立つ。思えばこうして稽古をつけるのは初めてかもしれない。厳しく立派にと言っておきながら案外息子に何もしてやれていないと痛感する。しかし、それは些細なこと。例え母親である自分が雪花丸に何もしていなくとも、屋敷の者達が代わりをしてくれている。ならば問題はない。


「雪花丸、構えなさい」


「母上が稽古をつけてくださるのですか?」


「ええ、そうです。加減はしてあげますが、手は抜きません。死ぬ気でかかって来なさい」


「はい、母上」


 大概こうして実践稽古をつけてくれるのは護衛などを主な仕事にしている"羅刹(らせつ)"という鬼と、たまに帰ってくる父の黒縄丸だけである。母親である茨木童子に稽古をつけてもらうのは学問も実践稽古も含めて初めてだ。雪花丸の心は――母親に相手をしてもらえるというだけで――花が咲いたように躍る。

 物心ついた頃からろくに相手もされず。顔を合わせることも少ない。久しぶりに会ったかと思えば会話は一言二言で終わり、気づいた時にはまた何処かへと行ってしまう。雪花丸は寂しかった。周りは優しくしてくれるし、父である黒縄丸も帰って来た時にはいつも気にかけてくれている。贅沢だと思う。だが、それでも母親に甘えたいという我儘が捨てきれない。もっと構ってほしい。もっと話がしたい。もっと一緒に過ごしたい。学問も稽古もどうでもいい。ただ母親に甘えたい。だから、こうして茨木童子が自分に構ってくれるのが嬉しい。例えそれが稽古であっても、雪花丸の心は温かく彩られる。


 稽古が始まるまでは。


「余計なことは考えず、戦うことだけに集中しなさい」


 その言葉を伝えた途端、十歩ほどの距離を置いていた茨木童子が眼前に現れる。次の瞬間。雪花丸は地面の上を激しく転がった。


「……っ?!」


 何をされたのか理解が追いつかない。代わりに腹部の鈍い痛みが断続的に襲う。肺の空気も一気に持っていかれ、早く肺へ酸素を取り込もうと呼吸が荒くなる。だが腹部の痛みが邪魔をし、上手く呼吸ができない。それでも無理矢理に肺へ空気を送り込もうとするため何度もむせる。こんなに痛いのは初めての稽古をした時以来だった。

 蹲るように腹部を抱える。痛みがなかなか引かない。だが、どこかでこのまま痛みが続いてほしいと思ってしまう。もし立ってしまったら。これと同じ、もしくはそれ以上の一撃が飛んでくるかもしれない。そう思うと怖くて立てない。


 母親の顔を見れない。


(旦那様と羅刹は随分この子を甘やかしているようですね……)


 なかなか立ち上がらない雪花丸をその場から見下ろし、目を細める。今の一撃は決して捉えきれないものではなかった。今日これまで()()()()していれば受け止めることも出来たはずだ。例え出来ずとも受け身ぐらいは取れたはずである。だが、雪花丸はその両方が出来なかった。それはつまり、稽古の付け方が甘いと言うことを指していた。実際、指南役の羅刹と黒縄丸は雪花丸に甘い。稽古中決して()()()()()()()()()()()()()()()()()


「立ちなさい……」


 淡々と告げる。もう終わったことを考えても意味はない。時間は戻らないのだ。ならばこれから厳しくしていけばいい。全ては可愛い息子のためなのだ。


「は、はい……!」


 呻き声のような返事を返す。本当は立ち上がりたくない。だが、母親に幻滅されたくないという一心で立ち上がる。途端、頬に木刀を打ち込まれる。


「がっ?!」


「雪花丸。戦場(いくさば)で気を緩めてはいけません。常に警戒心を持ちなさい。油断は死を招きます」


「はい、母上……!」


 頬の鈍い痛みに耐えながら脚を動かす。泰然と木刀を構える茨木童子に裂帛の気合を入れて打ち下ろすが。元々茨木童子と身長差のある雪花丸の大上段の打ち下ろしなど避けてくれと言っているものである。茨木童子は雪花丸に気づかれないように小さく溜息をこぼし、正面を向いていた体を横に向ける。それだけで雪花丸の打ち下ろしは空を切り、降り積もった雪を穿つ。


 茨木童子は振り下ろされた木刀に足を置き、雪花丸の動きを封じる。木刀は巨石の下敷きになったかのようにびくともしない。雪花丸は懸命に引き戻そうとするが、またも頬に木刀を打ち込まれ中断させられる。しかし、それでも木刀は離さなかった。


「木刀を離さなかった事は褒めますが、隙だらけです。時には木刀を手放し武術を持ちいなさい。戦いとは剣だけでするものではありません」


 そう教えながら茨木童子は容赦なく木刀を雪花丸に叩きつける。顔に、腹に、脚に、腕に、息を吐く間すら与えず攻撃を続ける。


「う、ぐっ!!」


 木刀が殴打する度に雪花丸の骨が軋む。特に木刀を持つ手は何度も打たれているため感覚が麻痺しつつあった。

 これ以上木刀を握りしめていても自身の数を増やすだけだ。雪花丸はとうとう木刀を手放し、胴を打ち抜こうとした横の一撃を飛ぶように間一髪で躱す。

 木刀を内側に薙いだ事で生じた隙をつき、雪花丸はその場から飛び上がり、がら空きの顔面へ蹴りを放つ。おそらくこれ以上ない絶好の機会だろう。だが、茨木童子に動揺はなかった。寧ろその表情(かお)は恐ろしいほどに冷静だった。


「狙いは良いですが……大振り過ぎです」


 呟くような一言を発した後、茨木童子は木刀を持つ手とは逆の手で雪花丸の蹴りを受け止める。そして持っていた木刀を手放し体を外に向ける。中空に浮いた状態の雪花丸の頭と脚を逆方向に回し、その場で勢いよく回転させたかと思うと、回転する雪花丸の鳩尾(みぞおち)に寸分違わぬ小さく鋭い掌底を打ちつける。


「がはッ!!」


 途端、後方へ突き抜ける衝撃が肺の酸素を全て持っていく。

 小さな雪花丸の体はまるで鉄砲玉のように吹き飛び、無惨に雪の上を転がった。


「……っ!!」


 息が出来ない。必死に酸素を肺に取り込もうとするが、体はいうことをきかない。鳩尾打ちによる打撃に横隔膜(おうかくまく)の動きが止まり、瞬間的な呼吸困難を引き起こしているのだ。顔面蒼白となり、声にならない呻き声だけ響く。最早立てる状態ではなかった。


 少し離れた所から見ていた黒縄丸は蹲る雪花丸へと慌てて歩み寄り、優しく抱き抱える。

 酷い有様だ。顔は腫れ、口からは血が矢継ぎに流れ出る。おそらく口の中を深く切ったのだろう。肌の見える腕や脚の辺りには濃い痣ができ。胸部に至っては肋骨に罅が入っている可能性があった。


「今日はここまでだ」


 それだけ言うと踵を返してし屋敷へと戻ってゆく。その際、零すように「やり過ぎだ……」と眉間に皺を寄せていたのはきっと気のせいではない。


 その場に残った茨木童子は小走りで側までやって来た白桜に木刀を渡し、藤花からは預けておいた羽織を受け取る。しかし、どうにも藤花と白桜の様子がおかしい。少し挙動不審気味であった。


「どうしました、二人とも?」


 特に気になるわけではないが、一応聞いてみる。


「い、いえ……なにも、ございません」


「わ、私もでございます」


「……そう、それならかまいません」


 言いたくないと言うのなら特に追求するつもりはない。その程度の質問だったのだ。


 茨木童子は二人を引き連れ屋敷の中へ入る。あの寒い冬空の下にいつまでも突っ立っていては風邪を引いてしまう。妖とてちゃんと病気にはなるのだ。

 冷たい曇天の空の下、茨木童子はともかくとして、ずっと待機していた白桜と藤花の体は冷たい。かなり冷え切っている。肩越しに窺うように視線を下に下げる。二人の手が小刻みに震えていた。寒い中じっと見守るだけだったのだ、無理もない。

 三人が冷えた体を温めようと居間へと向かう途中、前方の角から黒縄丸が姿を表す。


「茨木、少し話がある」


「ここではいけませんか?」


「駄目だ。二人で話がしたい」


「………分かりました。では離れに行きましょう」


「白桜、藤花。お前達は雪花丸の様子を見ててやってくれ。今は自室で眠っている」


「「かしこまりました。では、失礼致します」」


「………行くぞ」


「ええ……」


「……」


「……」


 二人は黙々と廊下を歩く。すれ違う使用人はどこか重い空気の二人に慌てて頭を下げた。こうして言葉もなく二人でいる事はたまにあるものの、いつもならもう少し柔らかい雰囲気であった。特に黒縄丸の表情が堅く見える。

 広い屋敷の廊下を進み、渡り廊下に差し掛かる。下には小川が流れ、心地よいせせらぎを奏でる。その先には小さな建物。目的の離れである。

 離れに着くとあらかじめ用意されてある敷物に座り、二人は向かい合う。おそらくこの敷物はここに来ることを予測していた黒縄丸が使用人に言って用意させたのだろう。二人で話す時は大概がこの離れである。


「それで話とは……雪花丸のことですか?」


「そうだ。茨木、私はやり過ぎるなと忠告した筈だぞ」


 静かで、それでいて怒気を含む声音。僅かにだが眉間にも皺がより、いつもの優しい顔つきはない。


「ですから加減はしました」


「あんなに顔を打ちつけて……ましてや肋骨(あばらぼね)に罅まで入っていたんだぞ。よく加減をしたなどといえるな!」


「実際加減しましたから。そもそも肋骨に罅が入った程度で大袈裟です。寧ろ今迄あの子にそう言う経験が無かったという方が不思議ですね……旦那様も羅刹もあの子に甘過ぎるのです。可愛がるのはけっこうですが、なんのために鍛錬をしているのか考えてください。でなければあの子の為になりません」


「……茨木、お前の言いたいことも分かるが、ものには限度というものがある。確かに私や羅刹は雪花丸を可愛がっているが、決して甘やかしているわけではない。厳しくする時は勿論厳しくする。しかしだ、その限度を超えてしまえばあの子は壊れてしまう。ただでさえ両親(わたしたち)からの愛情も希薄だと言うのに、これ以上厳しくしてはあの子は自分のことを"必要のない存在"だと誤認する恐れがある。子供は単純なのだ。もし"あの子は理解している"などという考えがあるなら今すぐに捨てろ。これ以上続ければお前も辛い目にあうぞ」


 こうも濁流のように言い募られると小さな溜息が零れる。やはり夫は息子に甘い。改めてそう認識した。しかしながら"必要のない存在"とは些か大袈裟な表現である。いくら子供とはいえ雪花丸は聡い子である。そんな事を思うはずがない。()()()()()()()()()()

 あくまで表面的にはだが。茨木童子は渋々黒縄丸の話を受け入れることにした。ここで反対すれば問答の繰り返しは目に見えている。


「分かりました。出来るだけそう致しましょう」


「正直不安は拭えないが今回はこれで良しとしよう。それと、ちょっとでもいいからあの子との時間を作れ。母親らしい事をしろとは言わないが、昨晩も言った通り少しぐらい優しくしてやれ」


 茨木童子は教育に関して厳しくを掲げているが、基本的には人任せである。ある意味放任しているとも取れるが、彼女自身はしっかり子育てしているつもりである。しかし、直接的に接した事が今日の鍛錬を含めて数える程度しかない為に、何をしてあげればいいのか分からないと言うのが本音だ。ましてや優しくしてやれなど出来るはずがない。甘やかすわけにはいかないと言うのもそうだが、優しい接し方が特に問題だ。今の黒縄丸のお願いは茨木童子にとってかなりの難問であった。

 それをわかっているのか黒縄丸は苦笑いである。これには茨木童子も頬を染めて視線を外す。


「……善処、致します」


 黒縄丸の話も終わり、二人は母屋へ戻る。黒縄丸は用事があると使用人の元へ、茨木童子は黒縄丸から「雪花丸の所へ行ってやれ」と言われたので素直に息子の元へ向かう。

 先程は優しくしてやれと言われたが、果たして"優しく"とはどうするものなのだろうか。茨木は顎にそっと手を添えて考える。そもそも親から"優しさ"を受け取ったことのない茨木童子には理解不能なものである。

 そうして悩みながら廊下を進んでいるうちに、雪花丸の部屋の前に着く。中からは穏やかな寝息が聴こえて来る。茨木童子は起こさないようそっと襖を開ける。するとそこには紅緒が雪花丸の側に控えていた。

 入って来たのが茨木童子だと分かるや否や、紅緒は慌てて頭を下げようとするが。それを茨木童子が手で制止させる。


「紅緒、少し外してもらえますか」


「畏まりました」


 紅緒は部屋を後にする。気配が去ったのを確認すると、茨木童子は眠る雪花丸の側に座る。

 先程の鍛錬の影響により、雪花丸の頬は腫れ。瞼に至っては視界を遮るほどに膨れ上がっていた。口元は僅かに血の跡が見て取れる。自分がやったものとはいえ少々痛々しい。しかし、間違った事をしたとは到底思えないのも事実だった。少なくとも茨木童子が雪花丸ぐらいの歳にはこれぐらい事は日常茶飯事だったのだから。


「雪花丸……」


 そっと手を差し伸べ、優しい手つきで頭を撫でる。


「この子の髪はこんなに柔らかかったのですね………」


 黒縄丸の言う優しくしてやれとは随分と違うのかもしれないが。これが茨木童子の精一杯の優しさであった。


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