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鬼の哭く道には雪の花が咲く  作者: 久保 雅
12/12

第12話 犯人

 ふと目を覚ます。眠りについてまだ一刻も経っていないが。下が今にも泣き出しそうで、夢現ながら必死の努力で布団から這い出る。


「………おしっこ」


 襖を開き、廊下へと出る。

 いつもなら暗い廊下が今日は何故か明るい。遠くで物音も聴こえるが、それすら頭を通り抜ける。

 ほぼ寝惚けて気にも留めず、雪花丸は長い廊下を牛歩の歩みで厠を目指す。


 瞼は重く、廊下を踏み締める足は突き刺すように痛む。軽いを張っているとはいえ、屋敷内でも吐く息は白い。


 浴衣の擦れる音と自身の軽い足音だけが廊下に鳴る。

 自室と厠の距離が恨めしい。


「ついた……」


 ようやく厠につき、差し込む月の光を浴びながら用を出す。

 半開きの目でぼーっと月を眺め、用が途切れるのを待った。すると、眺めている窓とは別の窓から木の擦れる音がする。風か、と勝手に決めつけたが、そもそも風が窓を叩いても擦れる音はしない。普通なら疑問に思い顔をそちらに向けるところだが、睡魔と戦っている雪花丸にはどうでも良いことで、現状特に気にするほどの事ではなかった。

 そうして水音と擦れる音がせめぎ合い、ほぼ同時に両者音が止む。

 雪花丸は用を出し終わると、出入り口付近に置いてある水瓶(みずかめ)から柄杓(ひしゃく)使って水をすくい、手を洗う。

 肌を切るような痛みが走り、肌が赤くなる。

 ささっと終わらせ、手についた水を払い、手拭いを持ち合わせていない雪花丸は渋々浴衣で拭く。大した濡れはしない。すぐ乾くだろう。


 ようやく戻れる。布団の温もりがとても恋しい。そう思い、厠の引き戸に手を掛けたその途端、背後から言いようのない気配を感じとり、つい振り返った。


 小さな窓いっぱいの人影。枠組みに足と手を掛け、屋敷内に侵入する。

 暗い厠の中でも艶やかに光る夕陽色の二つ目が、目の前の雪花丸を捉えていた。




 ♢♢♢♢♢


「挨拶は不要。本題に入ってくれ!」


「はっ!」


 黒縄丸の前で恭しく頭を下げるのは、四国の大妖怪、隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)(だぬき)の使いで、見た目は中肉中背、髭を蓄えた壮年の男性だ。ちなみに天狗である。


「単刀直入に申しますと。今回の事件におかれまして、犯人の目星はついております!」


「……その犯人とは?」


「はっ! 犯人は……"半妖(はんよう)"でございます!」


「馬鹿なッ!」そう声を荒げたのは(よしみ)だった。

 巫女として話の途中で無礼な行為だが、取り乱す彼女の気持ちもわかる。寧ろ致し方ないとさえ思える。

 黒縄丸も表面上は落ち着いているが、内心驚愕の一言だ。(よしみ)の隣に座る(やまと)も動揺を隠せていない。


「は、半妖が神殺しを成したと、嘘偽りなく事実ですかっ!?」


「はい、間違いございません!」


 何故そこまで断言できるのか、少し引っ掛かる。


「馬鹿な! あり得ない……仮に邪気を纏っていたとしても、半妖に神殺しなどという芸当が出来るはず――」


「あり得ない事ではない」


 まるで、認められないというふうに眉間に手を押し当て、力なく零す。そこへ不可能ではないと黒縄丸が言葉を被せられた。


「"妖刀(ようとう)"を用いれば可能なはずだ」


「!!」


「なるほど、確かに妖刀であれば半妖であっても神を殺すことは可能です。ですが――」


「問題は半妖に妖刀が扱えるのか、か?」


「はい。知っての通り、妖刀は莫大な妖力をその刀身に宿した刀。持ち主に絶大な力を与える反面、生半可な妖が手にすれば、一瞬で精神を乗っ取り、支配してしまいます。半端者の半妖では事実上扱うのは不可能です」


「確かにその通りだが。今回の襲撃者は"邪気"を纏っていたのだろう。妖刀を扱えてもおかしくはない」


「はい。黒縄丸様の言う通り、今回の事件において、襲撃者は邪気を纏っておりました。それは生き残った巫女達が証言しております。しかし、妖刀を所持していたかまでは聞き及んでおりません。正直申し上げるならば、妖刀を用いて犯行に及んだ、ということにすら思い当たりませんでした。申し訳ございません!」


 使者は深々と頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。


「謝罪は不要。私も一つの可能性として言ったまでだ。とにかく、今は神殺しを成した方法より、犯人探しが重要だ。捜索隊はもうすでに?」


「はい。伊予国よりすでに数千人体制で捜索が行われております!」


 数千人とは、まるで戦をする勢いだ。いや、神殺しという大事件が起きたのだ、寧ろこれだけ動員しても足りないぐらいかもしれない。


 これだけの数を動員したのは、半分は犯人探し、もう半分は神達のご機嫌取り、と言ったところだろうか。

 しかし、なにか妙に引っかかりを覚える。


「神達の持つ"神通力"は強力だ。これ以上機嫌を損ねてその力を我々に向けられてはたまったものではない。もし仮にそうなったとしたら、神嫌いの玉藻前(たまものまえ)と戦好きの五郎左衛門(ごろうざえもん)の二巨頭が喜んで神達と戦をする可能性もなくはない」


 黒縄丸の後に(よしみ)が続く。


「その場合、妖界全てを巻き込んだ大戦に成りかねませんね……蒼天丸殿は傍観に徹するでしょうが、茨木童子はどうでしょう? 見た目は随分良くなりましたが、肝心の中身は以前と変わらず好戦的です。一緒になって暴れるやもしれません」


「茨木は勢いに任せる事が多いが、馬鹿ではない。いくら好戦的だとしても、簡単には参加はしないはずだ。茨木も"鬼の総大将"としての自覚はあるようだしな。それに、今は背負う物も多い……」


「なんにせよ、まずは犯人を捉えることが先決です。あまり悠長ににはしていられません。安全という意味でも、我々のおかれている状況いう意味でも……」


「使者殿、まずはその半妖の容姿と特徴を教えていただけますか? それと、その半妖の行きそうな場所などに心当たりは?」


 警護をするにしろ、捜索するにしろ、まずは目標の容姿と特徴がわかっていなければどうしようもない。

 当然のことだが、どちらもする上で最も必要なのは相手の情報だ。特に容姿は必須と言っても良いかもしれない。

 外見も何もわからぬまま無闇矢鱈に探すより、多少知っている方が発見は早いのが世の道理だ。でなければ人相書きのようなものは世に出回らない。


 犯人が半妖だということを知っているなら、おそらくその半妖とはなんらかの接点があったとみていいだろう。でなければ邪気を纏った相手に「犯人は半妖でございます」などと断定付けるような言葉は言うまい。つまり、容姿や特徴などは当然知っているとみていいはずだ。


 (よしみ)の簡素な二つ問。特に迷うほどの事でもないその問いに対し、使者の顔はみるみる渋くなる。


「どうしましたか。それほど難しい問いではないはずですが」


「いえ、それは……」


 使者はばつが悪そうに顔を伏せる。


「………」


 見るからに言いづらい、というのがひしひしと伝わってくる。膝上で手は固く握りしめられ、本当に言ってしまって良いのかと迷っている様子だ。

 先ほどとは打って変わり、眼が泳いでいた。黒縄丸は急かすことはせず、使者が話すその時まで待つ。


 感情的な部分がそうさせるのかもしれない。ここまでの大事件が起きている状況下で何を躊躇うのだと吐き捨てたくもなる。

 しかし、もし黒縄丸も同じ状況下に置かれたとしたなら、目の前の使者のように躊躇っていたかもしれない。

 犯人の半妖と接点があったと仮定して、情があったとするなら、この態度も少しは納得できる。

 情とは想像をするより遥かに厄介なのだ。


 それからどれだけ時間が経っただろう。ようやく使者は重々しく口を開いた。


「我々はいまだ信じられないのです。何故あの子があのような事をしでかしたのか……!」


 今でも夢ではないのかと、そう嘆くように、苦しむように搾り出す。


「あの子は……あの子は、こんな事をする子では……! きっと、きっと何かの……!!」


 きっと何かの間違い、そう言いかけた言葉を飲み込んだ。認めたくない、という感情からつい零れてしまった。なんとも愚かで情けない。


 黒縄丸は理解した。今回事件を引き起こした半妖は、どうやら隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)(だぬき)やその一族と深い関わりがあるらしい。こうして迷っているのもそれ故だろう。

 半妖の情報を渡せば今度こそ引き返せなくなる。助けられなくなると、そう思っているのかもしれない。もしくは、現実を受け止めたくないという最後の悪足掻き。


 しかし、この場は報告をする場であって、感情を吐き出す場ではない。


 気持ちもわからなくはない。だが、今それを持ち出されては困るのだ。最早伊予国だけの問題ではない。事態は想像以上に深刻だ。既に引き返せないところまで来ている。加えて神達の機嫌もいつまで持つかわかったものではない。


 端的にいえば、時間がないのだ。


「使者殿、その半妖と貴殿達との間に何があったかは、部外者の私にはわからない。ただ、其方の様子を見る限り、大事にしていた事だけはわかる。だが――どうでもよい!」


 黒縄丸の低い声が部屋の音を奪う。丁度良いはずだった温度も逆転したかのように錯覚するほどに空気が変わった。

 自分に向けられたわけでもない(やまと)(よしみ)ですら身を固くし、冷や汗を流す。


 謝罪の言葉を述べようと、使者は慌てて伏せていた顔をあげ、そして、息を飲んだ。

 表情こそ変わらぬものの、こちらを見つめる黒縄丸の眼が鈍く、妖しく、悍ましく光っていたのだ。


 使者は悟った。黒縄丸が()()()()()()()のだと。


 ほんの少しの、雀の涙ほどの怒りは、黒縄丸達がいる部屋だけにとどまらず、屋敷全てを侵し、全ての妖の動きを止めた。止まらざるを得なかった。


「こ、これは……!?」


「黒縄丸様……!」


「珍しくお怒りのようだな!」


 黒縄丸は能面の様な顔で静かに問う。


「使者殿、神殺しという大事件が起きた以上、我々もあまり余裕があるわけではない。情故に言いにくいのは理解出来るが、今この状況では不快だと知れ」


 淡々と述べる黒縄丸に、使者は震える声を必死の努力で押さえつけ、一言「申し訳ございませぬ!」と頭を下げた。


「……さて、面子を潰す様で忍びないが、先の(よしみ)殿の問いをもう一度聞く。その半妖の人相と、その者の行きそうな場所に心当たりは?」


 黒縄丸の目が鋭く細められた。


 もう十分に時間は与えた、言い訳も意味のない時間稼ぎも不要、そう言わんばかりに圧をかける。

 これ以上無駄な時間を浪費するのは黒縄丸も巫女である(やまと)(よしみ)も看過出来ない。

 対処が遅れて別の場所でまた神が殺されでもしたら、それこそ本当に大戦に発展しかねないのだ。それだけは断じて阻止せねばならない。

 大事な家族がいる身としても、守るべき主がいる身としても。


 最早これまで。使者は観念した様に口を開いた。


「襲撃した半妖の名は"花凛"。龍と人の間に産まれた子でございます」


「…………龍と人の半妖か」


 黒縄丸が小さく呟くように零し、使者は続けて話す。


「背丈はそちらにおられる(やまと)殿と同じぐらいでしょう。髪は黒く、背中の中心あたりまで伸ばしております。ただ、追われる身となったあの子がそのままという事は考えられないので、髪を短くしたり、色を変えたりなどのなんらかの対策はしているかと」


「なるほど、道理ですね」


「しかし、特徴と言っても普通ですね。もっと目を惹くものなどはありませんか?」


「………容姿は人間とさほど大差はありませんが、一つだけあの子にしかないものがあります」


 勿体ぶる話し方につい殺気を飛ばしそうになるが、話の腰が折れてしまうので必死に抑えた。

 この期に及んでまだくだらない時間稼ぎをしようとする使者に対し、多少の憤りを感じずにはいられない黒縄丸は、気取られないように能面をその顔に張り付けた。


「………その特徴とは?」


「縦に割れた瞳孔と、燃えるような夕陽色の眼でございます」


「!!」


「なっ!!」


「夕陽色の眼……!!」


 驚愕の三者三様。能面を張り付けていた黒縄丸は目を見開き。絶句して言葉が出てこない(やまと)は口を開けては閉めを繰り返しす。(よしみ)はその眼の意味するところに戦慄を覚えた。


「まさか……"煉獄丸(れんごくまる)"様か!」


 重々しく搾り出すような黒縄丸の呟きに、使者が首を縦に振る。


「左様でございます。かつて妖界最強の名を欲しいままにした黒龍"煉獄丸"、その実子でございます」


「………!!」


 黒縄丸は言葉を失った。


「あの煉獄丸殿が、人との間に子を……!!」


「なるほど、隠したくなる気持ちも納得ですね!」


 "煉獄丸"。かつて妖界最強と謳われた伝説の黒龍。天上天下無双とまで言われたその強さと、神すら凌ぐ叡智を持ち、絶対強者としてこの日の本に君臨していた大妖怪。

 神の世界では衝撃と畏怖。妖の世界では尊敬と畏敬。人の世界では黒龍伝説という物語として語り継がれている。


 知らぬ者はいない伝説的存在、それが黒龍 煉獄丸。


 黒縄丸は腕を組み、顎に手を添える。

 神殺し事件ですら手に余るというのに、その上事件を引き起こした半妖がかつて妖界最強と言われた黒龍の子だというのだからたちが悪い。最早ただ犯人を探し出して捉えるだけでは収束しないかもしれない。そんな予感さえする。


「煉獄丸様の子か……確かに、存在を知られればそれだけで三界を揺るがす大事件だな。はっきり言って神殺しの一件など小さく思えてしまうぐらいだ!」


 神殺しを軽んじるのは、神に使える巫女二人に対し無礼極まりない。しかし、そんな配慮などどこに飛んだか、黒縄丸の口から当たり前のように出てきてしまった。黒縄丸は我に帰り、自分の口を呪いたい気分にかられる。

 恐る恐る視線だけを二人に向けた。すると、(やまと)(よしみ)も特に反論せず、寧ろ納得とばかりに静かに頷いていた。


(こればかりは石長比売(いわながひめ)様ですら納得なさるでしょうし、仕方ないですね)


(反論の余地はありません)


 煉獄丸は人智を遥かに超えた力を持つ神達ですら頭が上がらない存在であり。神界、人界、妖界の三界を束ねる"王"とまで呼ばれる存在であった。


 その昔、(やまと)(よしみ)石長比売(いわながひめ)の世話をするべく、数百年に一度開かれる――神と妖の集まる――会合に(ひいらぎ)(なぎ)を加えた四人でお供をした際、遠巻きではあるが、一度だけ煉獄丸を見たことがあった。


 眼に焼き付き、記憶に焼き付き、魂に焼き付いた。


 主人の護衛を忘れ、呼吸すら忘れ、ただひたすらに眼を奪われ震えた。

 なんとも恐ろしく、あまりに美しく、そして圧倒的。名のある神や妖ですら霞すんだ。

 さながら夜空に輝く星々がおまけ程度に思えてしまう満月の如き、最早それしか眼に入らぬ存在。


 それほどまでに、その存在は衝撃的だった。


「この世で唯一()()を纏っていた煉獄丸殿同様、その実子も龍気を纏っていたとしたなら……」


「半妖と言えど神殺しを成したとしてもなんら不思議ではありませんね。最早邪気を纏う云々の問題ではありません」


「ああ――しかし、困った。近隣の妖達にも声をかけて捜索隊を編成しようと思っていたのだが、煉獄丸様の子となれば話は別だ。夕陽色の眼などという特徴を挙げてしまえば、それだけで煉獄丸様の実子だと公言するようなものだ。そうなると――」


「その子供を利用しようとする輩が現れる、ですね?」


「そうだ。煉獄丸様の血を継いでいるならそれだけで利用価値がある。そして、もしその子供が煉獄丸様同様に龍気を扱えるとしたならその利用価値は喉から手が出るほどだろう!」


「しかし、捜索隊を出さない、という判断はお勧めしません。それでは神や妖達に、寧ろ何か隠し事があると気取られる要因になります」


 (やまと)の意見に使者も同意するように首を縦に振る。

 犯人の正体を教えてしまった以上、きっと黒縄丸は部隊を編成し、捜索及び捕縛に乗り切るはずだ。ならば、事情を知っている黒縄丸達が他の妖や神達より早く見つけることが出来るのであれば、まだ希望は見える。いくら神殺しをしたとは言え、犯人の半妖はあの煉獄丸の実子。悪いようにはしないはずだ。そう考えての同意である。


(やまと)の言う通り、捜索隊は編成すべきです。」


 言う簡単だが、と言葉に出さず口の中でそう転がし、黒縄丸は腕を組んで思案にふける。


 数千人を導入している伊予国と比べると、三百から五百という数はかなり少なく感じるが、妖というものはそもそもの絶対数が少ない。故に、この数でもかなりの大人数である。その中でも、鬼という妖は更に数が少なく――数百年前の大戦で数が激減し――今では全国合わせても七千を切ってしまうほどだ。しかも、一箇所に留まっておらず、全国に分散している。


 各地に散らばった鬼達は里を作り、その数は三十から四十。酒呑童子の時代に比べれば、生活水準ははっきりと見えるほどに良くなったが、しかし、その大半は質素な生活を送っている。茨木童子が治るこの鬼の里も、数十ある里の中で最大規模を誇ものの、例に漏れずやはり質素な生活をしているものが大半を占めていた。つまり早い話しが、生活自体は苦しいわけではないが余裕があるわけではない、という事である。

 捜索隊に割ける人員があまりに少ない。加えて石長比売(いわながひめ)護衛に当てる人員の件もある。現状厳しいと言うのが正直なところだ。


 黒縄丸は現在の里の状況と周辺に住む妖達の村及び集落の数とその人口やどういった妖が住んでいるのかを頭の中で整理し、渋い顔を作る。


「編成するにしても、慎重に考えねばならんな……」


 いくら最大規模を誇る鬼の里であろうと、その数は鬼全体の十分の一に当たる七百人。その内捜索隊として動けるのは百から二百人程度だ。加えて、現在茨木童子のお供として里を留守にしている十数人と里の警備をする鬼を差し引けば、捜索隊に編成出来る鬼は百人を少し上回る程度となる。


「やはり周辺の者達を合わせて三百人それぐらいが妥当か……いや、寧ろ編成するにしても、それぐらいが限界か。この里も、周辺の村や集落もあまり余裕があるわけではないしな……」


 残り数百人は戦う訓練を受けていない者や女子供ばかり。

 里の外に住んでいる他の妖も戦いなどに向いている者は極小数だ。よって里外の妖に協力を煽ったとしても、精々三百が限界。それ以上動員すると里や周辺地域が手薄となり、()()()()()()が侵入してくる危険性がある。


「とにもかくにも、神達に犯人が煉獄丸様の実子だということを悟られるわけにはいかない! (やまと)殿、(よしみ)殿、事情は理解してくれるか?」


「はい、承知しております」


石長比売(いわながひめ)様や他の巫女達とも情報は共有しておきます」


「助かる。ただし、口に戸は立てられん。情報共有は少数に搾ってほしい」


「かしこまりました。ではそのように」


 考えることはまだ山ほどあるが、あまり悠長にはしていられない。まずは捜索隊を編成、それから情報共有。そして何より、神 石長比売(いわながひめ)の安全確保である。


「そうと決まれば、早速行動を起こすとしよう。と言っても、もう夜も遅い。本格的に動くのは明日の朝と言う事になるがな」


「寧ろ良い判断かと」


「使者殿、(やまと)殿、(よしみ)殿、今からろくなおもてなしは出来ないが、泊まっていくといい」


「かたじけない」


「では遠慮なく甘えさせていただきます」


「あ、お風呂は結構です。もう入って来たので」


 行動に移すのは明日に控え、一同話を切り上げる。

 やる事が山積みだ。まず、里外の妖達に協力要請。捜索及び捕縛隊の編成。茨木童子(いばらきどうじ)へ今回の事件及び犯人の報告。里の警備強化。神 石長比売(いわながひめ)の護衛選抜。支配地の巡回強化などなど、ため息をつきたくなるものばかりだ。特に人員確保には苦労しそうだ。


 吐き出したくなるため息をぐっと堪えて立ち上がり、襖を開けて女中を呼ぶ。すると、すぐさま黄骨(きこつ)紅緒(べにお)がやって来る。近くで待機していたのだろう、対応が早い。


「お呼びでしょうか?」


「三人を客間に案内してくれ」


「承知いたしました」


「頼んだぞ」


「「はっ!」」


 (やまと)(よしみ)紅緒(べにお)の後に、使者は黄骨(きこつ)の後に続く。

 客人三人を二人に任せ、黒縄丸は明日出来るだけ早く行動へ移せるようにする為に、自室で仕事に取り掛かかろうと襖をそっと閉めた。その途端、こちらに向かって慌ただしい足音が近づいて来るのを鋭敏に感じとる。またか、と嫌な予感を覚えながら小さく呟き、再び襖を開けて廊下へと首を伸ばした。すると、廊下の奥から息を切らし、垂れ目気味の煌びやかな金色の目と灰色の長い髪を揺らす――短い三本角を側頭部から生やした――童顔の鬼が黒縄丸の名前を叫びながらやって来る。

 この屋敷の女中の一人、"灰傘(はいがさ)"だ。


「黒縄丸様、黒縄丸様っ!」


 普段は礼儀正しく、おとなしい灰傘(はいがさ)がここまで慌てる様は珍しい。というか、初めて見るかもしれない。そうなると、よほどのことがあったに違いない。

 今日一日忙しい事だと、言葉を口の中で転がす。


「何事だ、灰傘(はいがさ)


「あ、あの部屋……て、手紙……だ、誰……だだだだだだだだ……だっ!!」


 半分混乱状態に陥っている様子の灰傘(はいがさ)は、懸命に何かを伝えようとするが、慌て過ぎて何を言っているのか理解が出来ない。


「灰傘、まずは深呼吸だ」


「は、はい……!!」


 大きく息を吸って吐き出す。それを三回繰り返し、少し落ち着いたところで、重々しく、それでいて切羽詰まった口調で報告をする。


「雪花丸様が、雪花丸様がお部屋におられません!!」


 数百年ぶりに心臓が跳ねた。

 ここの女中は皆んな優秀だ。失敗する事はあっても重大な事故は起こさない。

 いま雪花丸が部屋にいないという報告も、ただ部屋にいなかったからという報告ではないはずだ。灰傘(はいがさ)は真面目故に報告する際は慎重に慎重を重ねる。きっと部屋の周囲や屋敷内を捜索した上での報告だろう。


 黒縄丸は灰傘(はいがさ)には目もくれず、雪花丸の部屋まで駆けた。

 雪花丸の部屋と黒縄丸の部屋はさほど距離は無い。

 行き違う下女達が驚いた顔で黒縄丸に道を譲る。気にかける余裕もない。

 途中、曲がり角から羅刹(らせつ)が姿を現し、すぐに黒縄丸の存在に気づく。


「こ、黒縄丸様!?」


 目の前を駆け抜けた黒縄丸に呆気に取られる羅刹(らせつ)。その前を灰傘(はいがさ)がへとへとになりながらが黒縄丸を追いかけてゆく。

 二人して余裕がない。特に一瞬見えた黒縄丸の、今にも消えてしまいそうな表情は、昔茨木童子(いばらきどうじ)が死にかけた時以来見た事がなかった。それはつまり、黒縄丸の大切な存在に何かがあったということ。そして、二人して走って行った方向には雪花丸の部屋がある。それの意味するところは考えるまでもない。


「おい、行くぞ!」


「え、あ、は、はい!」


 こうしてはいられない。たまたま近くにいた蒼風(あおかぜ)に声をかけ、自身も黒縄丸の後を追った。


「雪花丸っ!!」


 部屋に着くや否や、勢いよく襖を引いた。

 月明かりが差し込む室内はよく見える。しかし、そこに雪花丸の姿はなく、もぬけの殻だった。

 部屋を横断し、障子を開けて外を見渡す。足跡はない。雪に埋れたか、はたまた足跡を残さなかったのか。どちらにしろ何処へ行ったのか不明だ。

 気配を探るも、近くには何も感じない。里の中からも雪花丸の気配は感じられない。

 雪花丸は他の子供と比べ鍛えられてはいるが、気配を消したり抑えたりなどという高度な技術は持ち合わせていない。つまり、雪花丸の気配が感じられない理由として考えられるのは大きく分けて二つ、もうこの里にはいないか、もしくは殺されているかの二択だ。

 せめて前者であって欲しい。


「こ、黒縄丸様! はぁ、はぁ、はぁ……こ、これを……!」


 背後から――ようやく追いついた――灰傘(はいがさ)が息を切らしながら手に持った紙を差し出す。

 黒縄丸は奪い取るようにその紙を手に取り、月明かりの良い縁側まで歩を進め、そこに書かれた拙い文字に意識を持っていかれる。


「机の上に残されておりました。文字からして、雪花丸様のもので間違いないかと……」


 黒縄丸は棒立ちとなった。背を向けているため、表情は窺い知れない。


 その間に、ぞろぞろと羅刹(らせつ)蒼風(あおかぜ)、騒ぎを聞きつけた(やまと)(よしみ)達が少し遅れて合流する。


「何事ですか?」


「い、いえ、それが、私にもさっぱり……」


 (やまと)が前にいた蒼風(あおかぜ)に問いかけるが、状況を把握できていない蒼風(あおかぜ)も説明できず、部屋の中で棒立ちとなっている黒縄丸へ視線だけを移す。


「ここはどなたのお部屋で?」


 (よしみ)が紅緒に問う。


「雪花丸様の、お部屋です!」


 血の気の引いた顔と震え気味の声で答え、紅緒は人混みを掻き分けて最前列までやって来る。

 雪花丸の姿がない。そして、棒立ちの黒縄丸の手には手紙と思われる紙が一枚握られていた。それだけで、なんとなく察してしまう。


「こ、黒縄丸様……雪花丸様は――」


「………い」


「……え?」


 僅かに見える黒縄丸の顔に次々と青筋が浮かび上がり、紅緒は堪らず後ずさる。そして、周囲が陽炎のように揺らめいた。かと思えば、次の瞬間には赤黒い妖気が爆発したように溢れ出す。


「今すぐ……今すぐに雪花丸を見つ出して俺の前に連れて来いっ!!」


 振り返ったと同時に怒号が飛び、身がすくむような威圧が羅刹達を飲み込んだ。

 その有無を言わさない文字通りの鬼の形相に、羅刹達はただ応える。


「「「「「はっ!!」」」」」


 羅刹達は尻に火をつけられたように急いでその場を後し、(やまと)(よしみ)の二人は暫くその場で余裕の無い黒縄丸の様子を見た後、結局声をかける事なくその場を去っていった。考える時間を与えてあげた方が良いと、気を使ったのかもしれない。


 一人残された黒縄丸は、手の中で握りつぶされた手紙の内容を思い出し、ここにはいない神 石長比売(いわながひめ)へ理不尽に恨みを飛ばした。


「くそっ!!」





 ――友達と一緒に旅に出ます。


                    雪花丸より






和の身長は160cm丁度です。

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