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鬼の哭く道には雪の花が咲く  作者: 久保 雅
11/12

第11話 来客

前話より随分と開いてしまいましたが。最新話です。


どうぞ!

 雪花丸達は屋敷に戻ると、まず食事を摂り、その後黒縄丸の別れ、先に風呂に入る。

 源泉掛け流しの檜風呂だ。

 寒空の下、冷え切った体を包む温泉に顔が緩む。

 心落ち着く檜の香りが鼻腔を満たし、僅かに眠気を誘った。


「お加減は如何でしょうか、雪花丸様」


 入浴の手伝いという名の世話をする、黄骨(きこつ)という名の――翠玉(すいぎょく)と同年代ぐらいの黄色い髪と二本の太くてねじれた角が特徴の――女中が声をかける。このままでは風呂の中で寝てしまいそうで、起こすという意味での問いかけだった。


「ん……気持ちいいよ……」


 覇気がないと言うか、言葉に中身がないと言うか、空返事しているような返しに苦笑いが浮かぶ。

 顔を覗き込んで見れば、うつらうつらだ。


 空はすでに星が顔をのぞかせ、月が里に光を降ろしていた。

 いつもならまだ眠る時刻ではないが、今日は神域に赴いたと聞き及んでいるので、もしかしたら気が緩んで疲れが一気に襲って来たのかもしれない。


雪花丸(せっかまる)様、そろそろ上がりましょう。長湯はお身体に良くありません」


「うん……」


 黄骨の言うことに頷き、雪花丸は風呂から上がると、後は濡れた髪や体を成すがままに拭かれ、寝巻きを着せられる。

 その間、雪花丸の目は半開きで、ほぼ眠っているような状態だった。

 そうして寝巻きに着替え終わった頃、紅緒(べにお)がやって来る。


「あら紅緒、丁度良いところに来たわね。このまま雪花丸様をお部屋までお願い出来るかしら?」


「もとよりそのつもりです」


「さあ雪花丸様、紅緒が部屋までお連れいたします。今日はもうお休みになってくださいませ」


「うん……」


 目をこすりながら頷き、紅緒の着物の袖を握る。


「まぁ、なんて愛らしい……!!」


 思わず心の声が漏れる。


「紅緒……」


 黄骨の物言いたげな目が紅緒を刺す。

 使える者の立場上、先の紅緒の発言は不敬である。気持ちはわからなくもないが、こう言ったものは胸の内に留めておくのが使用人としての節度だ。

 黒縄丸は許してくれるかもしれないが、そこは甘えてはいけない。越えてはいけない線というものがある。


「あ、ごめんなさい。つい……」


 我に返った紅緒が謝罪の言葉を口にする。


「気持ちはわかるけど、気をつけなさい。それより、早くお連れしてさしあげたほうが良いわよ。もう寝てしまいそうだわ」


 黄骨に言われて下を見てみれば、雪花丸の頭がかくん、かくんと揺れていた。

 そろそろ限界が近いようだ。

 紅緒はその場で膝を折り、雪花丸と目線を合わせる。


「雪花丸様、お部屋へご案内いたします。歩けますか?」


 紅緒の問い掛けに無言で頷く。


「では参りましょう」


 紅緒が先を歩き、その後を雪花丸が付いて歩く。

 この広い屋敷の中で、風呂場から雪花丸の自室は少し距離がある。

 睡魔に襲われている状態、かつ歩幅の小さい雪花丸にとって、その距離は気が遠くなるほどに遠い。眠たいという意味で。


 いつもならなんて事のない廊下も、眠気の前には難敵と化す。

 歩調は徐々に落ちてゆき、部屋まであと少しというところで、雪花丸は突如としてほぼ棒立ちのまま前に倒れた。途端、ばたん、という音が前を歩く紅緒を驚かせた。

 背後から聞こえた大きな音に驚き、紅緒は思わず振り返る。すると、後ろを歩いていたはずの雪花丸が倒れている姿に更に驚く。


「雪花丸様?!!」


 芸術的なほど見事な倒れ方をした為、しっかり顔面も強打した雪花丸だが。顔を廊下に向けたまま小さな寝息を立てるだけで起きる気配はない。


(ね、寝ている……)


 歩いている途中で急に眠る人を初めて見た紅緒は微妙な顔を浮かべた。

 当然このままというわけにもいかない。紅緒は眠った雪花丸を抱き上げる。

 もう十二歳になる雪花丸だが、他の子供たちと比べて体が小さく、その分体重も軽い。案外簡単に持ち上がる。

 すると、抱えられた雪花丸は紅緒の腕の中でもぞもぞと動き、無意識に紅緒の着物を掴む。


(ああ……愛らしい……!!)


 口元を抑え、感動を声に出さないように耐える。


 さっき勢いよく倒れたせいか、雪花丸のおでこが少し赤い。しかし、それすらも愛らしさに拍車がかかる要因となった。少なくとも紅緒はそう思っている。


 あと少しの廊下を進み、雪花丸の私室に到着。襖を開け、すでに敷いてある布団へゆっくりと降ろす。


 障子越しに朧気な月光が差し込み、部屋を淡く照らす。

 少し開けて外を見れば、雪がちらついていた。

 今晩はかなり冷えそうだ。そう思い、紅緒は障子を閉め、冷気が入ってこないように簡単な結界を張っておく。暖かい、とまではいかないが、体を震わすことはないだろう。


 薄暗い部屋の中でなお、母親譲りの純白の髪がまるで輝くように存在する。

 新雪のような柔らかいそれを、そっと撫でた。


 優しく慈しむように。


「おやすみなさいませ、雪花丸様」


 それなりに堪能した紅緒は、襖を開けて部屋を後にする。


 そうして廊下を進み、曲がり角に差し掛かった所で、蒼風と遭遇する。

 紅緒は少し怪訝に眉を顰めた。何故蒼風一人で廊下を歩いているのか、と。


「あら蒼風。貴方今日は黒縄丸様のお付きをしていなかったかしら?」


「ええ、そうなのだけど……今日は疲れているだろうから休みなさいと言われてしまって……」


「そう言えば少し顔色が良くないわね。何かあったの?」


 などと聞いてみたが、おそらく原因は"神域"に赴いたからだろうと考える。

 すると、その考えを肯定するように後ろから声が掛かる。


「それは"神域"行ったからじゃないか?」


 振り返って見れば、そこには腰に刀を帯刀した鬼の男が立っていた。


「あら、羅刹(らせつ)


 "羅刹(らせつ)"は紅緒とほぼ同時期にこの屋敷に仕え始めた鬼で、その役目は主に警護などの戦闘方面になる。

 背丈は百七十前半。体型は少し筋肉質の細身。

 髪は襟足だけを伸ばして一つくくりにした赤紫色の髪で、眼は金色。

 角は額の左側から一本生えており、蒼風と同じく(つや)やかな白い角だ。

 顔立ちはそこそこ男前だが、男らしい太い眉と目つきの悪さが相まって少し怖い印象を受ける。

 ただ、羅刹本人はとても親切で、気遣いも出来る好青年である。


「貴方仕事は?」


「交代だ。これから風呂入って飯食うところ。ところで話戻すけど、蒼風が疲れてんのは、昼間黒縄丸様達と神域に行ったからだろ?」


「やっぱりそれしかないわよね」


「ど、どうして神域に行くとこんなに疲れるの?」


「あり? 蒼風もしかして知らないのか。神域には俺達妖が苦手とする"霊子(れいし)"が充満してるから、そこにいるだけで体力ごっそり持っていかれんだぜ」


「で、でも黒縄丸様はなんとも……!」


「貴女と黒縄丸様とでは自力が違うでしょう」


「それにお前、聞いた話じゃ社の中にまで入ったってきくぜ。そりゃ疲れるわ」


「どういうこと?」


「神域には私達妖が苦手とする霊子が充満していると言ったわね。確かにその通りなのだけれど、実は神域全体に充満している霊子自体は微量だから、いくら私達妖が苦手としているからと言って、長時間浴びても特に体に害は無いのよ」


「じゃあ、どうして私はこんなに……」


 倦怠感と眠気に襲われているのか。

 長時間浴びても平気だと言うなら、蒼風の今の状態は異常という事になる。つまり、蒼風自身に問題があるのでは、という考えに至る。だがしかし、蒼風自身は至って健康的に生まれ、健康的に育ってきた。産まれながら体が弱いという事実は一切ない。

 ならば、霊子に耐性が無い体質、という事なのだろうか。それならばまだ納得がいく。


 そうやってわからぬ問題を自分なりに解こうとしたところで、羅刹が答え合わせをする。


「社の中に入ったらかだ」


「ああ……」と、なんとなくだが、答えが見えてきた。


「社の中は常に巫女達が結界を張ってるおかげで霊子の濃度が桁違いなんだ。多少鍛えとかないと耐えられないぐらいにな」


「加えて、巫女達は私達妖と違い、妖気ではなく霊気を纏っているから、常に体から霊子を放出しているのよ」


「ただでさえ霊子の濃い社の中だ。一つの部屋に集まって長時間いれば体力ごっそり持ってかれんのは道理だろ」


「雪花丸様も鍛えているとはいえ、まだ幼い身故ににかなり疲労が溜まっていたご様子……少し心配だわ」


 幼ければ幼いほど霊子への耐性は弱く、その分身体への負担も大きい。

 いくら鍛えているからと言っても、雪花丸はまだ子供である。しかも、平均的な子供の成長度合いと比べると遥かに幼い。本来よりもずっと耐性が低い可能性がある。

 紅緒が思っている以上に霊子の影響を受けていたかもしれない。


「まぁ、確かに。言っちゃ悪いが、雪花丸様はお体が小さいからな……あのお二人のご子息だから大丈夫だとは思うが、ちょっと様子みた方がいいかもな」


「そうね……」


 疲れ切っている蒼風をいつまでも止めていくわけにもいかず、今日のところはここで話を切る。

 あとは休むだけの蒼風は「お疲れ様……」と疲れ切った顔で別れを告げ、疲労の溜まった背中を向けて自室のある女中寮へと帰って行った。


 蒼風を見送った二人は途中まで一緒に軽い雑談を交えながら進み、廊下の突き当たりの所で別れる。

 羅刹は汗を流しに風呂へ。紅緒は今日一日の報告をする為、黒縄丸の元へと向かう。


 すると、紅緒は視界にとある人物を捉え、疲れと呆れを含んだため息をついた。

 翠玉が廊下の張り紙(翠玉用の案内標識)を見て難しい顔をしていたのだ。おそらく迷子だ。いや、確実に迷子だ。

 今日まで何度見てきた事だろうかと頭を悩ませる。


「仕方ないわね……翠玉」


 名前を呼ばれた翠玉がこちらを向く。すると、曇った空が晴れたかなような笑顔を魅せ、足早に近寄ってくる。


「良かった紅緒! 実は女中寮に取りに行きたい物があるのだけど、全然辿り着けなくて! どっちに行けばいいか教えてくれない?」


「それは構わないけど……翠玉、貴女眼鏡はどうしたの?」


 いつも掛けているはずの眼鏡が見当たらない。どこかにしまっている可能性も考えたが、そもそも目が悪いから眼鏡を掛けるのにしまう意味がわからない。

 きっと落としたとか、壊したとかそんな理由だろうと、紅緒は見当をつける。


「眼鏡はさっき廊下で黄骨とぶつかってしまって、その時に……だから、女中寮にある予備の眼鏡を取りに行きたいの」


「そういうこと……だったら今日はもう休んだらどうかしら。業務の方もほとんど残ってないのでしょ?」


「それはそうだけど……」


 やけにはっきりにしない。

 藤花や白桜であれば、新人という身分故にまだこの反応に理解ができるのだが。もうここへ来て四年になる翠玉がこのように濁すというか、曖昧な返事をする時というのは大抵何かある。


「何かまだやる事が残ってるの? 私でよければ引継ぐけど?」


「仕事は残ってないの、もう終わらせたから。ただ、ちょっと行くところがあって……」


 ちょっと恥ずかしそうに顔を仄かに染める。


「ああ……そういうこと」


 含みのある言葉と翠玉の様子から察しがついた紅緒は、顔に理解の色が浮かぶ。


「待ち合わせは?」


「……枝垂れ桜に、半刻後」


 枝垂れ桜はこの鬼の里には一本しか生えておらず、場所は屋敷の真反対に位置する川の近くだ。

 半刻とは一時間を指す。屋敷から枝垂れ桜までは少々距離がある。普通に歩けば半刻もかからない距離だが、今の季節雪が積もっていて足場が悪い。そうなると時間もかかる。

 待ち合わせ丁度に行かなければいけない規則はないが、約束は守るに越したことはない。

 翠玉もそういうところはきちんと守る性格の持ち主故、少しぐらい遅れても構わない、という考えは無いはずである。なら、ここで問答は時間の無駄だ。

 彼女()の為にも、ここは素直に付き添ってあげた方が良いだろう。

 黒縄丸も話を聞けばきっとそう言うに違いない。


「そう、では寮に行くわよ」


「え、連れて行ってくれるの?!」


「ただでさえ日常的に迷子になるのに、その上眼鏡も無かったら消息不明になってしまうでしょ。ほら、時間もないのだから早く行くわよ」


「ありがとう、紅緒!」


 結局、紅緒は翠玉と眼鏡を取り行き、念を押して枝垂れ桜までの道のりを懇切丁寧に説明し、見送りまでした。


 足早に去ってゆく翠玉を最後まで見届ける。指定の時間に間に合うかは正直微妙なところだが、多少遅れたからと言って相手は怒ったりしないだろう。

 紅緒に知る限り、懐の大きい寛大な妖だ。


 少し遅くなってしまった。閉じた口の中でそう言葉を転がし、屋敷に戻ろうとしたその瞬間、背後から声がかかる。


「見送りか?」


 よく知ったその声に驚き、慌てて振り返る。


「こ、黒縄丸様!?」


 声をかけられるまで全く気配に気づかなかった。

 流石は大妖怪。

 しかし、問題はそこではない。

 翠玉はすでに業務を終えているが、紅緒はまだ仕事が残っており、勤務中である。つまり、現在こうして屋敷の外で翠玉を見送っていた紅緒は、側から見れば職務怠慢と言われても文句は言えないのである。

 同僚などに咎められるのであればまだ良いが、雇い主の黒縄丸直接見られたのは非常にまずい。


 最早、見送った翠玉の事や今日一日の業務報告など頭から吹っ飛び、なりふり構わずその場で土下座を敢行した。


「も、申し訳ありません。業務を放り出し、このような……!!」


「よせ紅緒。お前が謝る事は何も無いだろう」


「し、しかし……!」


「少しぐらい外しても罰は当たらないさ。それより、そんな冷たい雪の上で膝を折ってないで、早く屋敷に戻ろう。風を引いてしまうぞ」


「は、はい……」


 紅緒が立ち上がったのを確認すると、黒縄丸は踵を返し、屋敷へと戻っていく。

 その後を紅緒が追従する。


 予想通り、あっさり許してくれた。

 わかってはいた。この程度の事で黒縄丸が怒ったりしないことを。

 しかし、昔の黒縄丸を知っている紅緒としては、土下座をせずにはいられなかった。

 体が勝手にそうしてしまうのだ。


 今でこそ性格穏やかな黒縄丸だが、茨木童子の妊娠が発覚するまでは"黄泉送りの黒縄丸"として妖の世で恐れられていた。

 勿論、今でも黒縄丸という名は妖界では有名である。だが、"黄泉送りの黒縄丸"の面影は最早無いに等しい。

 本当に見る影も無い。


 紅緒としては、以前の黒縄丸の方がずっと魅力的で、ずっと眩しい。

 言い方は悪いかもしれないが、今の黒縄丸はどうしても偽りの姿を見ているようで気色が悪い。


 誰もが恐れ慄いた"黄泉送りの黒縄丸"。

 見る者を震え上がらせ、莫大な妖気とその剣技で圧倒する姿はまさに大妖怪。

 戦場に立てば一騎当千の鬼神と化し。

 実力だけで言えば"四巨頭"に勝るとも劣らない。


 憧れだった。


 その強さが。その勇猛さが。その圧倒的なまでの存在感が。


 だから、寂しいと思ってしまう。昔の姿に戻って欲しいと思ってしまう。

 だからと言って、黒縄丸が変わる切っ掛けとなった雪花丸を恨んでなどいない。本当の弟のように想っている。

 この気持ちに嘘偽りは無い。


 これは紅緒の我儘なのだ。

 くだらない押し付けである事も、不敬である事も百も承知である。


 それでも、紅緒は聞かずにはいられなかった。


「黒縄丸様」


「なんだ?」


「一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「構わないが」


 歩みは止まらず、二人は屋敷の中に入り、そのまま廊下を進んで黒縄丸の自室を目指す。


「それで、聞きたい事とは?」


「………黒縄丸様――どうして変わられたのでしょうか?」


 我ながら変な質問だ、と内心苦笑いを浮かべた。


「どうして変わった、か……」


 決して今の黒縄丸を否定しているわけではない。優しい笑顔を見せる時も、物腰柔らかな所も素直に素敵だとは思う。が、ほんの少し納得のいっていない自分がいるのも確かだった。


 だから聞いてしまった。無礼だとは理解しているが、気づけば言葉として出していた。


 変わる必要など無かったのではないか。あのまま、昔のままの黒縄丸でも良かったのではないか。

 寧ろ昔のままの黒縄丸の方が、雪花丸の事を強く育てられたのではないか。頭の中で憶測が弾けては消えを繰り返す。


「考えた事もなかったな……」


「え?」


 思いもよらない答えについ間抜けな声が漏れる。


「こ、黒縄丸様は、雪花丸様がお産まれになられたから、自らお変わりになられたのではないのですか?!」


「それは違う。変わろうと思って変わったのではない。成るべくして成ったのだ。もっと正確に言うなら、気付けば今の私に成っていた」


「………」


「雪花丸が産まれるまでは、私も自分がここまで変わるとは思わなかった……親馬鹿、と言えばそこまでだが、夫婦は親になるとまるく成るらしい。茨木も別人のように変わってしまったしな。まぁ、茨木に関しては隠している、というのが本当のところなのだが」


「それはつまり、お館様は変わっていない、と?」


「そう言うことになるな。要は猫をかぶっているのと同じだ。本性は雪花丸が産まれる前となんら変わっていない。私と二人の時は素が出るしな。特に甘味を口にした時とか、他にも……」


 楽しそうだ。

 雪花丸の事を話している時も楽しそうなのだが、茨木童子のことを話す時は更に楽しそうだ。

 元々黒縄丸と茨木童子の二人は政略的な意味で契りを結んだと聞き及んでいたのだが、今の黒縄丸の様子を見るに、そんなのは真っ赤な嘘なのでは無いかと疑ってしまう。


(これは惚気というやつでは……)


 そうこうしている内に、いつの間にか黒縄丸の自室に到着。

 紅緒が襖を開けようとした途端、黒縄丸が眉間に皺を寄せる。


「い、いかがなさいましたか?」


 何か不手際でもしたのかと慌てる紅緒。だが次の瞬間、紅緒は部屋の中から妙な気配を感じ取り、表情を硬くする。

 黒縄丸が険しい表情をする理由はこれだとすぐに理解した。


 屋敷の者、ではない。この部屋に無断で入れるのは黒縄丸を除けば妻の茨木童子か息子の雪花丸だけだ。

 茨木童子は現在この里にはいない。息子の雪花丸は今頃部屋でぐっすりだ。

 単純に屋敷の誰かに許可を出していたという可能性もあるが、それは早々にあり得ないと判断した。

 そもそも、当たり前のことなのだが。黒縄丸が誰かに許可を出していたなら険しい顔をする必要はないからだ。

 という事は、今部屋の中にいるのは外部の者。つまり、侵入者の可能性が非常に高い。


「紅緒、開けてくれ」


「畏まりました」


 紅緒は一応戦闘訓練というものを受けており、それなりに戦える。

 本来なら危険性を考え、主人より先に紅緒が中の様子を見るのが定石だ。

 しかし、黒縄丸が開けろというなら紅緒は素直にそれに従う。純粋な戦闘経験値は黒縄丸の方が圧倒的に上だ。比べるまでもない。

 黒縄丸が紅緒を先に行かせるのではなく、そうした方が良いと言うならそちらの方が正しいに決まっている。少なくとも、紅緒はそう信じており、黒縄丸へ絶大な信頼と信用を寄せている。


 紅緒は襖の取手に手をかけ、黒縄丸の対面から退くように開ける。


「おや、ようやく戻って来ましたか」


「お邪魔しています。黒縄丸殿」


 そこにいたのは、霊気を放つ巫女装束の二人。(やまと)(よしみ)だった。

 紅緒は目を白黒させ、その場で固まる。一方で黒縄丸は少し表情を和らげ、小さくため息をこぼす。

 紅緒は、どうしてここに巫女が、という疑問から。黒縄丸は、やっぱりか、という感情からだ。


「どうやってここに?」


 どうやって入って来た、という質問に対し、(やまと)が当たり前のように答える。


「失礼とは重々承知していますが、裏口から入らせていただきました」


「裏口には見張りがいたはずだが?」


「誤解を生む前に先に言っておきますが、ちゃんと合意の上で通してもらいましたので、ご心配には及びません」


 つまり、強行突破はしていない、何かしらの取引きで通してもらった、見張りになんの危害も加えていない、という意味として取れる。


(確か今日裏口の見張りをしているのは新人でしたね。確か……烈鬼(れっき)


 無事なのは結構な事だが、いくら相手が神の使いの巫女だからといって易々と通すのは何事だ。

 紅緒の眉間の皺が徐々に深くなり、後で説教してやらねば、とこの後の予定にしっかり入れておく。


「はぁ……どうせ来るのなら正面から来てくれないか。何故裏口……」


「巫女が来訪したとあってはちょっとした騒ぎになってしまいますし、気を使わせてしまいますから」


「それで裏口から、と……理解は出来るが、納得は出来んな」


「結構です。我々の自己満足ですから」


 黒縄丸はもう一度ため息をつき、二人の正面に座る。


「紅緒、客人に茶を」


「いえ、そこまでしていただなくても――」


「話は早く済むのか?」


「それは……」


「少し……」


 言い淀む。つまり長い話しなのだろう。

 今日の業務報告は、場合によっては報告書にまとめて提出になりそうだ、と内心思いながら、客人の為の茶を用意すべく部屋を後にした。


 一方、部屋に残った三人は紅緒が出ていったのを見送ると、早速話を始める。


「さて、それで話とは? 先触れも無しにやって来たのだ。余程の緊急事態なのだろう?」


 こうして巫女が突然やって来る時というのは大抵が厄介ごとである。

 加えてその厄介ごとには妖が絡んでいるという事が考えられた。

 黒縄丸の元へやって来たのはそういう事だ。


「単刀直入に言いましょう。伊予国(いよのくに)の山神が殺されました」


「なっ!!?」


 思いもよらない知らせに絶句した。


「こ、殺された……だと?!」


「ええ……俄かに信じがたいですが。貴方達が帰ってすぐ、大山津見(おおやまつみ)様から知らせが入りました。どうやら三人殺されたそうです」


「三人もか!!」


 思わず身を乗り出す。大事件だ。

 (よしみ)の言うことが現実離れしていて頭の中が真っ白だ。

 ここ数百年で一番と言っても過言ではないほど動揺していた。


「神殺しなど大罪も大罪だ。正気を保っているならどんな理由があろうと実行しようとはしない。下手をすれば三界を巻き込んで大戦になるぞ!」


「……少なくとも実行した犯人は正気では無いでしょう。一刻も早く捉えねばなりません」


 捉えたという知らせは一切無い。神殺しという大罪をしでかすような奴だ。自ら命を絶つという事も考えにくい。


 伊予国(いよのくに)とこの里はそう遠くない。

 神殺しをしでかした犯人はこちらまで逃亡して来る可能性も考えられる。

 となると、必然的に石長比売(いわながひめ)も命を狙われる危険性があった。それはなんとしても阻止せねばならない。


 今だって、正直心配でならない。

 報告によれば、神を警護していた巫女達は四人を除いて皆殺されている。それすなわち、相当な手練れである事がわかる。

 巫女は決して弱くはない。ましてや、一人の神に付く巫女は最低でも二十人だ。それを突破したとなると、例え万全の体制で警護していたとしても安心は出来ない。


「生き残った巫女達によると、相手は間違いなく妖。しかし、かなり濃い邪気(じゃき)を纏っていた為、姿まではわからなかったそうです」


「邪気、か……厄介だな!」


 "邪気"とは、妖気や霊力とは全く違う"力"もとい"気"であり、別名"呪力"と呼ばれているものだ。

 非常に強力で、そこに存在するだけで生き物の思考を狂わせ、草木を枯らし、水を腐らせ、空気を蝕む。言わば"負の力"である。


「邪気を纏っているならすぐに見つかりそうなものだが。そもそも、神域を三箇所も襲撃するような奴が簡単に見つかるはずはないか」


「とにかく、これ以上の被害は断固阻止です。黒縄丸殿、どうかお力添えを!」


 (やまと)(よしみ)が頭を下げる。

 巫女でありながら妖に頭を下げる行為は彼女達の矜持を深く傷つける。だが、そうも言っていられない状況だ。

 頭を下げる程度で石長比売(いわながひめ)の安全が保障されるならいくらでも下げる。


「もとよりそのつもりだ。だから頭を上げてくれ」


「感謝申し上げる。黒縄丸殿!」


「この恩は必ず!」


「それは全てが片付いてからだ」


 仮に石長比売(いわながひめ)を殺されでもしたら、この辺り一帯は文字通り終わる。


 神は自身が治る土地へ常に神気を流し、その地を清浄に保っている。

 例えば、水を浄化し、綺麗に保つ。これだけで動物が水を求めて集まり、その動物を求めてまた別の動物が集る。

 そして動物の死骸は養分となって植物の糧となり、食物連鎖を形成する。そして、食物連鎖による命の循環により、その地は豊かとなり、住みやすい環境へと変わる。


 もし神がいなくなれば、滅ぶ、とまではいかないが、何かしらの不具合が起こる事は間違いない。そうなったら後は数珠繋ぎのように悪循環が起こり、やがて争いに発展する恐れすらある。

 かつて酒呑童子(しゅてんどうじ)が治めていた時代がいい例だ。当時はこの地を治る神がおらず、資源が枯渇していた。

 仲間内で食料の奪い合いや口減らしなども日常茶飯事で、中には産まれたばかりの赤子を喰う鬼もいたほどだ。


 そんな時代がまた来るかもしれない、そんなありえない未来を幻視した黒縄丸の顔はここ最近で一番険しい。


「まずは里周辺の警備増員……」


 里の警備を強化するのは勿論、神域にも警備をつける必要がある。

 しかし、問題があった。戦闘訓練を受けている鬼、及び戦える者が少ないのだ。ましてや神域にも配置することを考えれば、圧倒的に数が足りない。

 他里からの応援は期待出来ない。

 他里は他里で自分達の里の警備で手一杯だろう。寧ろこの里から応援要請が来る可能性すらある。


「茨木がいれば話は違ったのだがな……!」


 茨木童子がこの里に残っていたのなら、この里の警備は多少手薄でも問題はなかった。

 "四巨頭"に数えられる大妖怪達は、その存在だけで全てをひっくり返す力を持っている。故に、茨木童子がいたなら、いくら神殺しを成し得た者であっても恐るるに足らずであった。が、茨木童子は現在留守である。間の悪いことこの上ない。


「今の神域の様子は?」


「厳戒態勢です。石長比売(いわながひめ)様のそばには常に六人の巫女が。神域内巡回警備は十人。出入り口には四人。結界班は八人。残り十二人は神域外の警備に当たっています」


 酒呑童子との戦以来の厳重な警戒態勢。蟻一匹も通れないほどだ。

 しかし、不安は拭えなかった。


「わかった。こちらから何人か手練れを回そう。余裕がありそうなら私もそちらに行く」


「あ、貴方自ら警護を……?!」


「それではこの里の警備が……!」


「あくまで此方の余裕があればの話だ。正直、ここ最近は平和が続いていたから戦える鬼自体が少ない。あまり期待はしないでくれ」


「……わかりました」


「さて、神達の動向も気になるところだが、それは一旦後回しだ。まずは――」


「黒縄丸様!」


 襖越しに名を呼ばれる。

 声からして紅緒で間違いないだろう。戻ってきたようだ。

 少し余裕のない声色が気がかりだが、どうやらまた厄介ごとらしい。


「入れ」


「はっ!」


 襖が開く。案の定紅緒だった。

 横には三人分の茶がしっかり用意されていた。

 紅緒が茶を配る前に先に問う。


「何があった?」


「今し方、隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)(だぬき)様の使いが参られました。黒縄丸様にお話があると申されておりますが、いかがなさいましょう?」


 "隠神刑部狸"。四国最高の妖気を持つ化け狸にして、八百八匹の眷属の総帥。

 別名"八百八狸(はっぴゃくやたぬき)"とも呼ばれ、四巨頭に勝るとも劣らない大妖怪だ。


「次から次へと忙しい事だ――わかった、話を聞こう。通してくれ」


 紅緒は茶を配り、部屋を後にする。


「今来たという事は、今回の神殺し事件と関わりがありそうだ……二人はこのまま一緒に話を聞いて言ってくれ」


「ええ、そうさせていただきます」


「しかし、嫌な予感がしますね……」


 その数分後、紅緒が使いの妖を伴い戻って来た。

 客人に紅緒が茶を出し、挨拶は不要と早速話しを伺うのだが。ここで(よしみ)の呟きが的中することとなるのだった。


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