表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼の哭く道には雪の花が咲く  作者: 久保 雅
1/12

第1話 はじまり

はじめまして。久保雅です。


一月に1話づつもしくは2話づつ投稿できたら良いなと思っております。(ぶっちゃけ出来るかわかりませんが)

その辺のご理解よろしくお願いします!

 雪の散る、人の寄り付かぬ山奥。そこにはひっそりと小さな里があった。周りを山と川に囲まれており、この場所を知っていなければ、到底行き着く事は不可能な秘境である。

 里には小さなく家々が建ち並ぶ。だが、小さいと言っても、大の大人が五人いても余裕のある立派なものである。


 里の中は閑散としている。静かで、音もなく、白い世界が広がっている。行き交う人は少なく、皆傘を閉じ、寒さに耐えかねて家の中へと入って行く。

 そんな里の様子を、道の真ん中で呆然と見続ける一人の少年がいた。

 簡素だが、それでいて仕立てのいい蒼の着物の上に、赤茶けた外套に身を包んでいた。手には富士帽子と呼ばれる(かさ)を握っている。


 髪は雪のように白く、それに伴って、肌も透き通る白磁のように美しい。まだ幼く、あどけない顔とは裏腹に、男らしく太い眉の下には、深い深海のような蒼い瞳が水晶玉のように鎮座している。その容姿端麗な顔立ちは中性的で、仮に女と言われても遜色しないだろう。


(今日は寒いから、(みな)も帰ってしまった……)


 いつもなら多くの人々の喧騒(けんそう)に包まれるこの里も、今のこの季節は鳴りを潜め、冬眠したように大人しい。

 少年は肺を凍らせる寒さにその身を震わせると、頭に積もった雪をはらい、笠を被る。

 未だ止む気配を見せない曇天の空の下。少年は冷えた手に息を吹きかけ、暖をとる。それでも寒さは変わらないが、幾分かましにはなった。

 人の往来が少ない道の真ん中を歩き、自身の家へとその足を運ぶ。


 暫く歩くと、山の麓に辿り着く。そこには先程までいた場所とは違い、外壁に囲まれた立派な屋敷が並んでいる。少年はその内の一つ、真ん中の屋敷の門をくぐった。門から真っ直ぐ伸びる石畳の上を通り、玄関口に着く。すると、奥から女性が二人姿を現わす。

 年齢的には二十を超えたぐらいの二人の若い女性は、女中と呼ばれるこの屋敷で住み込みで働く使用人である。二人は少年から笠と外套を預かると、それを奥へと持って行く。そして、二人と入れ替わるように、新たな女中が姿を現わす。歳は先の二人より少し上ぐらい。薄桜(はくおう)色の髪を肩まで伸ばし、前髪をきれいにそれえている。目は少し垂れ目気味で、紅玉のような紅い瞳が美しい。

 所作の一つ一つが丁寧で、努力の色が窺える。


「お帰りなさいませ、雪花丸(せっかまる)様。外は大変寒かったでしょう。湯浴みのご準備が出来ております。風邪を引く前に、お体を温めましょう」


 優しい顔つきと細く柔らかい声が安心感を誘う。雪花丸と呼ばれた少年は、垂れる鼻水を啜り、

 無言で頷くと、女中に屋敷の奥にある温泉、その脱衣所に案内される。


「お召し物は此方に置いておりますゆえ。ごゆっくりとお寛ぎ下さいませ」


「ありがとう、紅緒(べにお)


 紅緒と呼ばれた女中は優しく微笑むと、ゆっくりと戸を閉め、その場から去って行く。


 雪花丸は身に付けている着物を脱ぎ捨て、浴場に足を踏み入れた。広い浴場内は肌を包む温かな温泉の匂いと、(ひのき)の香が満たされている。大人十人が入ってもまだ余裕のある大きな浴槽には、源泉掛け流しの温泉が一杯に入っている。

 雪花丸は体の汚れなどを掛け湯で軽く落とし、湯船に肩までつかる。丁度いい温度のお湯が体の芯に染み渡り、気の抜けた声がつい口から漏れる。暫くして体が十分に温まると、雪花丸は頭の上に乗せていた手拭いを手に取り、湯船から上がる。脱衣所で濡れた体を拭き取り、紅緒が用意してくれていた浴衣に袖を通す。きれいにしっかり着付けると、脱衣所を出る。すると、時を見計らって紅緒が姿を現す。


「湯加減はいかがでしたでしょうか?」


「丁度良かった。あれくらいが良い。それより、お腹が空いた……」


 紅緒は眉を八の字にして優しく笑むと、「お食事の準備はできております。此方へどうぞ」と広い屋敷の中を進み、居間へと案内する。紅緒が襖を開けると、雪花丸は居間に座る二つの影を発見する。


「父上、母上……お帰りなられていたのですか」


 居間に座る。妙齢の男女は雪花丸の父と母。

 えんじ色の着物を見事に着こなす男前。名を"黒縄丸(こくじょうまる)"という。

 黒髪赤目と太く勇ましい眉が、より男らしさを惹き立たせる。整った鼻筋と引き絞られた口元が厳しい父親を思わせるが、纏う雰囲気はとても柔らかく、雪花丸にかける声はとても優しい。


「ああ、ただいま雪花丸。何事もなかったか?」


 見た目通りの低く威厳のある声に、自然と雪花丸の背筋が伸びる。


「はい。屋敷の(みな)がいつも良くしてくれていますので」


「そうか……すまないな。いつもお前を一人にして」


「いいえ、父上。僕は一人ではありません。いつも紅緒達が一緒にいてくれていますし、紅緒の事は姉のように思っております。寂しくはありません」


 丁度お盆に料理を乗せて持ってきた紅緒と目が合う。紅緒は緩みそうになる口元を必死の努力で抑え込み、平静を装う。が、やはり隠しきれていなかった。口元がひくひくと動いている。


「そうか、それを聞いて少し安心した。紅緒、雪花丸のこと、これからもよろしく頼む」


 姿勢を正し、頭を下げる黒縄丸の行動に、紅緒は血相を変え、見てて申し訳ないぐらいに慌てる。


「黒縄丸様、頭をお上げください! 女中如きに頭を下げてはなりませぬ!」


「如きなどと自分を卑下するな。雪花丸はお前を"姉"だと言ったのだ。ならば、お前は家族も同然だ。それに、私たちはお前達に息子を任せっきりなのだ。こうまでしなければ気がおさまらん……」


「黒縄丸様……」


「それで、先の私の願いは頼まれてくれるのか?」


「も、勿論でございます! この紅緒、いえ……この屋敷に使える者の代表として、喜んでお引き受け致します!」


 鬼気迫るとでもいうのか。紅緒の気迫に、雪花丸はのけぞる。何もそこまで必死にならなくても、と思うが。彼女たち女中やこの屋敷に使える者はみな、こうして雪花丸や黒縄丸に使えることを誇りに思っている。特に、雪花丸の"母"に使えると言う事は彼女達、いや、里のもの全てにとって憧れであり、誉である。


「あなた達――」


 凛とした鈴の音のような声が届く。声の主は()()()()()白髪の美女。背中まで伸ばした髪を一つに束ね、邪魔にならないように肩に掛けている。雪のように白い肌と、雪花丸と同様、深海のように蒼い瞳が鋭い瞳の中から蒼玉のように輝く。白と紫を基調とした着物に身を包み、首筋からは桔梗の花の刺青が顔を覗かせる。

 ひときわ存在感を放つこの妙齢の美女は雪花丸の母にして、この館の主である。故に上座に座している。

 ちなみに父親の黒縄丸はお婿さんである。


「――それぐらいにして、そろそろ食事にしましょう。せっかく用意してくれているのに冷めてしまいます」


「そうだな、では食事にしようか」


 ようやく食事を始める三人は何か会話をするでもなく、黙々と箸を動かす。今日の献立は主食となる米と近くの川で取れた鮎の塩焼き。汁物は同じく近くの山で取れた山菜の味噌汁。それと、茄子と胡瓜の漬物、安納芋のきんとんである。

 三人は黙々と料理を口に運び、半刻もせぬ内にきれいにたいらげる。そして時を見計らい、紅緒と女中二人が空になった食器を下げてゆく。


「ところで雪花丸……」


 茶を静かに啜りながら、母親が声をかける。


「はい」


「貴方、もう十二になるはずですね」


「はい、それがどうかしましたか?」


 雪花丸は首を傾げる。


()……伸びないですね」


 雪花丸は自身の額の右側を、指でなぞるように摩る。そこには蒼みがかったタンコブのような堅いものがあった。先程母親が言った"角"である。

 そう、"角"が生えているのだ。それは決して雪花丸だけの話ではない。母親も父親の黒縄丸も、紅緒も、玄関で迎えてくれた女中二人も、この里の者は皆、"角"が生えている。何故なら、彼らは"鬼"と呼ばれる(あやかし)だからだ。


「貴方の年頃なら、小指ぐらいの角が生えていてもおかしくはないのですが……一向に成長しないのは少し気がかりですね」


 鬼の角は七つを超えたあたりから生え出し、少しずつ伸びてゆく。雪花丸の年頃ともなれば、母親の言った通り、大人の小指ぐらいの角が生えているはずなのだ。しかし、雪花丸の角は伸びず、まるでタンコブのような物のままから成長しない。

 雪花丸と近くして生まれた鬼の子供達は、みな体と共に角もすくすくと成長している。しかし、雪花丸の角はいまだ未熟で、お世辞にも生えているとは言い難いものであった。


 だが、例え生えていないからといって迫害させるとか、そういった事はない。それでも、角は大きく立派なものが良い、と言うのが鬼達の中での常識ではある。


「僕の角はずっとこのままなのでしょうか?」


「そういう事はないと思うが。私も数百年生きてきて、このような事例は初めてだからな……紅緒はどうだ。このような話を聞いた事はあるか?」


「申し訳ありません。寡聞にして存じ上げません」


「そうか……まぁ、数百年を生きる私や茨木(いばらき)が知らぬのだから、お前が知らぬのも当然と言えば当然か」


「なんにせよ、そのままという事はないでしょうから、生えてくるまで気長に待つしかないのは確かですね」


 角という物は本人の成長と共に伸びるものである。故に、生えてこない、と騒ぎ立てたところで手の施しようがないのである。よって、雪花丸の母の言う通り、伸びてくるまで待つしかないのだ。しかし、雪花丸としてはこのタンコブのような状態から早く角が伸びて欲しいというのが正直なところである。同年代の小鬼達は既に角が伸び、確かな鬼としての成長を遂げている。にもかかわらず、同じ歳で自分だけ角が生えていないというのは、まるで自分だけが別の生き物のような錯覚を覚える程の疎外感を受ける。

 まだ十二の子供である雪花丸には酷なことだ。


「母上と父上はいつまでおられるのですか?」


 雪花丸はまだ年端も行かぬ子供である。先程寂しくはないと毅然に振る舞ってはいたが、内心やはり寂しいと感じている。

 紅緒や他の使用人達とは良好な仲を気付き、半ば家族のような関係なのは事実だ。しかし、やはり本心では両親にいて欲しいというのが切実な願いである。そういう期待を込めての先の問いだったのだが、それは雪花丸の母に呆気なく切り捨てられる。


「そう長く滞在するつもりはありません。次は"玉藻前(たまものまえ)"の所に行かなくてはなりませんから、出来るだけ早く出立する予定です……おそらく三日程度でしょうか」


「そうですか……」


 いつもの光景だ。黒縄丸は内心そう呟き、息子を憐れんだ。

 雪花丸は物心がついた頃から親と会うことが少なかった。それは親である黒縄丸と母親がこの里を取り仕切る長としての役割を担っているというのもあるが、それ以上に、母親である"茨木童子(いばらきどうじ)"は"鬼の総大将"という肩書きを持つ、正真正銘の大妖怪である。

 各地の鬼の里に赴いたり、ある時は"四巨頭(よんきょとう)"と呼ばれる大妖怪の集まりなどにも参加。人間の(いくさ)のに介入しようとする輩を抑えたり、その仕事は様々であり多忙だ。そして黒縄丸も妻である茨木童子を支えるため、日々奔走している。二人して屋敷にいる時間は少なく、今日こうして三人揃って食事が出来たのも、実に四ヶ月ぶりである。


(やはり雪花丸のことを思うと心が痛む。生まれた頃より、雪花丸は私達と一緒にいる時間などより、一人でいる時間のほうがはるかに長い。

 本来親とは子のそばで守り、愛情を注いでやらねばならぬ存在だ。いくら里の平穏や妖界の為とは言え、まだ年端もゆかぬ子供にはあまりに酷だ。私達は本当にこれで良いのだろうか……)


 母親は雪花丸に対して非常に淡白だ。こうして時々しか屋敷にいないというのも後を押しているのやもしれぬが、それにしても自分の息子に対する接し方は冷たい。里の長として、"鬼の総大将"として甘い姿を簡単に晒す事は出来ない。そういった重圧から厳格な姿勢を崩せないのだ。そしてそれは、雪花丸へ対しても同じであった。雪花丸は"ただの息子"ではなく"鬼の総大将の息子"である。そうなると、当然周りの目は厳しいものとなり、一挙一動に視線が絡みつく。

 決して甘やかして育ててはいけない。この戦国の世で甘さは命取りだ。甘えの残ったまま育ってしまえば、不幸になるのは雪花丸本人である。だから、茨木童子は手を抜かない。厳しく、強く、逞しく育てる。例え雪花丸が望んでいなくとも、それが息子の為になると、そう信じて。

 可憐な容姿と線の細い体。男として舐められぬよう、強く気高い立派な鬼に育てあげる。大妖怪として、母親として、茨木童子なりの親心なのである。

 しかし、親の心子知らずという言葉があるように。茨木童子のその親心は雪花丸には届いていない。一方的な茨木童子の思いは、雪花丸からすれば冷淡な扱いにしか映っておらず、寧ろ嫌っているようにすら見えている。


「雪花丸、今日はもう寝なさい。夜更かししては体が育ちません」


「はい、母上……」


 沈むような返事の後、雪花丸は紅緒に連れられ、居間を後にする。その蒼玉の瞳に、最後まで母親の姿を映して。




 ◇◇◇◇◇


 雪花丸が居間を去ったあと、残った茨木童子と黒縄丸は互いに口を開く事もなく、非常に静かだった。

 しかし、湯気の上がる茶を静かに啜る茨木童子に、黒縄丸が沈黙に痺れを切らし、とうとう口を開いた。


「茨木、もう少し雪花丸に優しくしてやってはどうだ。あれではあまりに不憫(ふびん)だぞ」


「将来あの子が強く、立派な鬼に育つため、いた仕方ないことです」


「しかしだな。あの子はまだ子供だ。厳しく育てるのは大きくなってからでも遅くは――」


「いけません」


「………」


「あの子は既に里の者達から軽視されている節があります。おそらくあの女子(おなご)のような顔立ちや小さな体、一向に伸びない角が原因でしょう。そこに(わたくし)と旦那様の一人息子という肩書きが上乗せされ、あの子を蔑む視線は更に強くなっています」


 茨木童子が述べているのは、紅緒や他の使用人達から報告により、全て事実であるという事が分かっている。

 雪花丸はこの里の者達から出来損ないの札を貼り付けられている。決して本人の能力が悪いわけではないのだが、先に茨木童子が言ったように、あの容姿と角が原因でそういった目を向けられているのは事実だ。

 雪花丸は聡い子である。昔から手のかからない子で、勉学も武術も、難なく自分のものにしている。だからこそ、黒縄丸は胸が痛んだ。息子に悪いところなんてものはない。優しく、真面目で、親の自分達を安心させる為に、笑顔を作って気丈に振る舞うような心の強い子である。なのに、どうして周りはそんな雪花丸をちゃんと見ようとしない。努力するあの子を見てくれない。優しいあの子を見てくれない。真面目なあの子を見てくれない。見ているのは薄っぺらい外皮だけ。

 その事実に、黒縄丸は胸の痛みと同時に、里の者達へ対してどうしようもない怒りを感じる。何より父親として息子のそばにいてやれず、何もしてやれない自分に一番腹が立つ。


「あの子は……あの子はこのまま親の愛情を知らずに育つのか……!」


 黒縄丸の心情を表すように固い拳が握られる。


「愛情なら注いでいるでしょう。食事も寝るところも、全て与えているじゃないですか」


「違う茨木。それは愛情ではない! あの子が欲しているのは……ぬくもりだ!」


「………」


 茨木童子には分からなかった。黒縄丸の言う"ぬくもり"とは、一体どんなものなのか。

 茨木童子が生まれたのは、今の戦国の世より六百年以上も前の平安の時代。当時鬼の頭目であった鬼神"酒呑童子(しゅてんどうじ)"の()()()()()生まれた。

 酒呑童子は酒が好きで、自分のそばには常に女を侍らせていた。定期的に人里を襲い、宝を盗み、酒を浴び、女を抱く。自分の欲望のままに生きた駄目な鬼である。それ故に自分の子供への関心などは皆無であり、茨木童子は親の愛情を知らずに育った。そんな酒呑童子の元で育った茨木童子からすれば、今の雪花丸は何十倍も恵まれている。

 茨木童子が雪花丸ぐらいの頃は、こんな立派な屋敷に住まう事も、まともな食事にもありつけなかった。自分の身は自分で守り。憶えなければならない事は自力で憶えた。誰も教えてくれない。誰も助けてくれない。そんな世界で我が身一つ、刀一本で生きてきた。その当時の自分の事を思えば、茨木童子はまだ我が子に対して()()()()()()()()()()()()()()である。少なくとも、茨木童子本人はそう思っている。


「何はともあれ、あの子の里での立場は少々危ういです。追い出される事はないでしょうが、それなりのものを見せなければ、(ないが)ろにされてしまう恐れがあります」


「そ、それはそうかもしれぬが……しかし――」


「旦那様の言いたい事は理解しました。ですが、私はそれ以上に、あの子が里で孤立する事だけは避けたいのです」


「………」


 例え親からの愛は知らずとも、里にさえいれば将来伴侶となる者と出会える筈だ。"愛"はその者から貰えば良い。遠回しにそう言っているように思えた。勿論、茨木童子はそこまで考えてはいないだろう。強く逞しく育てる事が彼女なりの愛情なのだ。先の会話の中で、黒縄丸はそう理解した。


「私も一人息子が不幸になって欲しいなどと思っておりません。出来るなら静かに何事もなく暮らして欲しいと言うのが本音です。しかし、今のこのご時世では少々難しいかと」


「……戦国の時代か……」


 時は――永禄三年(一五六〇年)――戦国時代。人と人とが争う戦乱が頻発し、世情の不安定化によって室町幕府の権威が著しく低下。それに伴って、守護大名に代わって全国各地の戦国大名達が頭角を表し始める。領国内の土地や人を一円支配する傾向を強め、領土拡大のため他の大名と戦を行うようになった。


「先日は桶狭間(おけはざま)で守護大名とやらが討たれました。名は確か……そう、"今川義元(いまがわよしもと)"と言う名です」


 "今川義元"は〈海道一の弓取り〉と呼ばれた今川家第十一代当主の戦国大名であり、駿河国及び遠江国の守護大名である。


「その者がどうかしたのか? 何か問題が?」


「いいえ、問題はその男ではなく。今川を討った"信長"と言う人間です。正確にはその今川の首を取ったのは別の者らしいですが、この際そこはどうでもいいです」


「信長……もしや"織田信長(おだのぶなが)"か?」


 茨木童子は残りの茶を全て飲み干すと、無言で頷く。


「里に戻る前、その男を遠目で見る機会があったのですが………」


 僅かに瞳を伏せ、当時を思い返す。茨木童子とその側近、そして護衛と共に木々によって囲われた山道を進んでいた時、ふと遠目に行列を発見した。半壊したような甲冑や槍、刀などを身に付けていたことから、おそらく戦の帰りであると推測した。今の戦国のご時世、このような光景はざらに見る。そう思い視線を外そうとしたその瞬間、茨木童子の視線はただ一人に吸い寄せられた。


 手に汗を握った。


 大妖怪である茨木童子がだ。


 黒い軍馬に跨り、艶やかな赤いビロードマントを靡かせる威風堂々たる姿は他を圧倒し、その者が只者ではないことを本能で理解させられた。

 遠目ではハッキリと姿は見えないものの、その者の放つ覇気は人間のそれを遥かに凌駕していることだけは分かった。


 大妖怪と畏れられる茨木童子ですら、怖気が走るほどの強烈な存在感。


「……あれは私の目から見ても化け物です」


「……!」


 黒縄丸は息を呑んだ。今やこの日の本で絶大な力を誇る大妖怪――四巨頭――の内の一人に数えられる茨木童子は、当然ながらそれ相応の強さを誇る。戦場(いくさば)に立てば、百人斬りは当たり前だ。そこに茨木童子の持つ"妖刀"の力が合わされば、最早止める者は同格の"四巨頭"のみである。今や妖の世も最盛期を迎えており、その中で戦国最強の四妖(よにん)と謳われる"四巨頭"、その内の一人である茨木童子が"化け物"と呼ぶと言う事は、それはおそらく"四巨頭"にも匹敵する存在を意味している。事実、茨木童子が"化け物"と言ったのは、同じ"四巨頭"の大妖怪達のみである。


「……それ程の男なのか!」


「はい。おそらく私の父である"酒呑童子"と互角、もしくはそれ以上の力を持つでしょう」


「そんなにか?!!」


 あまりの驚きに思わず身を乗り出す。かつて全国の鬼を統括していた酒呑童子の強さは、言うまでもなく凄まじかった。妖、人間、両方の討伐隊を幾度となく退け、西国を支配する勢いであった。しかし、当時酒呑童子の右腕を担っていた茨木童子が反旗を翻し、鬼の半分を率いて酒呑童子に戦いを挑んだ。

 酒呑童子、茨木童子の戦いは苛烈さを極め、七日七晩続いた。結果は辛くも茨木童子達の勝利に終わったが、主格である酒呑童子は逃してしまった。しかしその後、弱りきっていた酒呑童子は幾人かの人間によって首を斬り落とされ、呆気なく討ち取られたという。


 当時の茨木童子と今を比べたならば、勿論今の茨木童子のほうが遥かに強い。酒呑童子と戦った数百年前とは比べ物にならないほどに。しかし、それでも当時の酒呑童子の強さが他を圧倒していたことには変わりない。鬼という妖の中では抜きん出た力と強さを持っていた。しかし、茨木童子が見たという"織田信長"という人間の男は、その酒呑童子と互角、あるいはそれ以上の力を待つという。


「下手をすれば妖と人の世の均衡を崩しかねんな……」


「はい。しかもその信長という男。報告によれば妖も積極的に狩っているそうです。なんでも力を得る為だとか……」


「しかし、人間のみならず妖も狩っているとなると"蒼天丸(そうてんまる)"殿が黙ってはいまい」


 "蒼天丸"とは茨木童子と同じく"四巨頭"に名を連ねる"龍"の妖である。その実力は"四巨頭"の中でも抜きん出て強いとのこと。


「然り。おそらくそう遠くない未来に行動なされるでしょう。あのお方は妖と人の両方を愛しておられますから」


「情に熱いお方だからな…………蒼天丸殿で思い出したが、どうやら人の子を伴侶に迎えたそうだな」


「!!」


 茨木童子の瞳が見開かられる。余程驚いたらしい。普段から表情があまり変わらない彼女にしては珍しい表情(かお)である。


「……誠でございますか?」


「ああ、"山本(やまもと)五郎左衛門(ごろうざえもん)"殿から聞いたのでな、間違いないだろう」


 "山本五郎左衛門"も蒼天丸、茨木童子と同じく"四巨頭"の一人であり、普段は全国の茶菓子を食べ歩いている変わった方である。ちなみに、最後の一人は"玉藻前"である。


「そう、五郎左衛門殿が……それにしても、以前より人の子が好きだとは思っていましたが、まさか夫婦(めおと)になるとは驚きました」


「私も初めて聞いた時は驚いたが、蒼天丸殿なら納得してしまった」


「長く生きていれば驚く事もまた多いですね……」


「まったくだ……」


 その後、二人して夜遅くまで今後について話し合い、その日を終えた。

 後になって黒縄丸は、茨木童子に話を上手くそらされたと嘆いき、屋敷にいる間は少しでも長く雪花丸と一緒に過ごそうとそう決めたのだった。


ご愛読ありがとうございます。



この作品の他に『転生悪魔〜世界最強に至るまで〜』という作品も投稿しておりますので、そちらの方も是非読んでみてください。


どうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ