婚約破棄したら前世の記憶が蘇ったおっさん令嬢に迫られた話
「エディット・フォン・ザックス。カミル・フォン・フリックは今、この時をもって婚約を破棄することをここに宣言する!」
俺はその婚約破棄宣言を、公爵家親族同士の食事会で投げ込むと決めていた。
エディットはそれを聞いた瞬間カトラリーを取り落とし、よよよと泣き崩れる。
「そんな……!カミル、急になぜそのような心変わりを……!」
老執事のジャンが床に落ちたカトラリーをそうっと拾い上げている。エディットの父が猛然と抗議した。
「カミル殿、一体どうなさったのだ。あなたは聡明な男だ、家同士の約束をなぜ……!」
エディットの母が泣き崩れる。
「ああ、可哀想なエディット。こんな不幸なことがあるのかしら」
俺はふーっと息を吐く。エディットは叫んだ。
「どうしてなの!?理由を教えてカミル!」
俺は目を見開いた。
「だってお前、どこからどう見たっておっさんじゃん」
エディットは憎々し気にこちらを睨んだ。
そうなのである。
俺の婚約者、エディットはどこからどう見てもおっさんなのである。
俺は無言でエディットの金髪のかつらをひょいと取り上げる。
おっさんは禿げていた。
なおかつ、黒々とした眉毛は得意げに繋がっているし、口には真っ黒な髭をトンネル状に生やしているし、喉ぼとけがえげつないし、なぜかムキムキでドレスからは胸筋が盛り上がっている。もうどこをどう取っても女には見えないのだ。
我が両親はうつむいている。無理もない、金に目がくらんでこんなしょうもない婚約話に乗ったのだ。
息子の暴挙もやむなし、といったところだろう。
「もう帰ってくれないか。顔も見たくないんだ」
「……ひどい」
「はぁ?」
俺は嘲笑ってやった。とんだ茶番だ。
「あなたは前世……私がひげ面の大男に生まれ変わっても、必ず愛してくれるって言ったじゃない!」
……なん……だと!?
その瞬間、俺の目の前はぐにゃりと歪み──
「前世の記憶」とやらが蘇った!
そう、目の前にいたのは、前世の超かわいいアリス嬢だった。
金髪の縦ロールをふわふわとなびかせ、雪みたいな白い肌に、紅を垂らしたような小さな赤い唇。
アリスは俺の腕にしがみつきながら言った。
「ねえラインハルト。私たち、生まれ変わっても一緒にいたいな」
「そうだな、アリス……俺たちは生まれ変わっても共に生きよう」
「私がひげ面の大男だったとしても、私のことを探し出してくれる?」
「ああ、勿論!」
やめろおおおおおおおおおお!!
やめろ前世の俺、ラインハルトオオオオオオオオオ!!
そんなしょうもない約束、安請け合いすんなあああああああ!!
俺が急に頭を抱え出したので、エディットはこれ幸いとばかりに続けた。
「それに、彼は前世でこんなことも言ってたわ!」
「胸筋が盛り上がっていても?」
「ああ!」
「喉ぼとけもりもりでも?」
「勿論!」
「前科三犯でも?」
「そりゃもう」
「ひとりで夜、トイレに行けなくてあなたをその都度起こしても?」
「いいぜ!」
ラインハルトオオオオオオオオオ!
あのクソ馬鹿前世の俺、無茶しやがって!
「っていうか前科三犯って何やらかした?」
「女子に前世のテンションで抱きついたら、通報されたわ。それが三度ね」
「もうそれ罰金とかで済まされないやつ!」
「それは大丈夫!前世の話をしたら、病院で保護してくれたの。今世の警察って、優しいのね!」
「んががっがががっが」
「トイレ行くの、怖いな~」
「いい年したおっさんなんだから、ひとりで行け!」
「襲われたらどうするの!?」
「この筋肉ダルマを誰が襲うっつーんだよ!」
「組の者」
「それ多分、別の世界線の話だなああああ!?」
勘弁してくれ!もう付き合い切れん!!
「だめだ、こんな茶番……もうこりごりだ!」
俺は逃げ出そうと食堂を走ったが、エディットが物凄い速さの反復横跳びでドア前を遮った。
「ぐっ……」
「くそが。正直見損なったぞ、若坊」
「急におっさんのテンションになってんじゃねーよ!」
「女ひとりすら愛し切れない馬鹿に、ジャパニーズYAKUZAの俺も愛想が尽きたぜ……」
「そっちの世界線の人格になっちゃってる!」
「おい、勝負だ」
「は?」
俺がそう呟くより早く。
エディットはその丸太のような太ももから拳銃を二丁抜いた。
「坊主、これで勝負だ」
「早撃ちィ!?」
「おい、てめえ前世の記憶を忘れたのかァ!?」
「!」
まだあるのか、俺の前世の記憶……!
アリス「もし来世、私と結婚出来なかったらどうする?」
ラインハルト「死ぬ☆」
クソッ、クソッ!!
俺は己の太ももを己の拳で強打する。
「だからよォ、猶予をやろうってわけよ。俺だってお前を愛した端くれ……俺なしで生きるチャンスをやろうってんだよ。悪い話じゃあるめぇ?」
そ、そうだ。このおっさんを先に殺せば、俺にも自由な婚姻のチャンスが……!
「分かった、庭に移動だ」
二人の男が庭に対峙する。
先に撃った方が、勝利。
二人は背中を向け合い、三歩ずつ歩き出す。
「いち……」
「に……」
「さん!」
振り返ると、そこにはエディットがいない。
「──上!?」
そう叫ぶや否や、頭上から奴が降って来た。
俺は押し潰され、エディットに瞬時にマウントポジションを取られた。抵抗する暇なく慣れた足さばきで組み伏せられ、冷たい拳銃を突きつけられる。
俺はおっさんの身体能力の高さに、呆然とするしかなかった。
「おう、てめえはまだまだ甘い。前世のお前も相当に甘かったからな」
「おっさん……」
「お前、前世の死に際を覚えてねぇのかよ。お前は、暴漢に襲われそうな俺をかばって死んだんだ」
「……!」
「思い出したって顔してんな?」
「あの後の、アリスは……」
「くくく。淑女の手習いの銃術で、暴漢は全員ハチの巣にしてやったぜ」
「ラインハルト……あいつは本当に死に際まで馬鹿だな」
エディットの腕が、ぶるぶると震えている。
「だからよォ」
「……ああ」
「撃てねえ」
「おっさん……」
「惚れた弱みだぜ……俺を撃ちな、若坊」
俺は拳銃を握る。
けれど。
「俺も、撃てない……」
俺は拳銃を手放した。
「……!カミル」
「くそっ。うぜえな、婚約は破棄させてもらうけども、その……」
「何だ」
「ず、ずっと一緒にいたかったら、一緒にいればいいだろ!」
「!!」
すると、筋肉親父の顔からどばどばと涙が流れた。
「かっ、かたじけねェ!」
「おーい、ジャン!」
老執事がやって来た。
「はい、何でございましょう」
「このエディットっつーおっさんに、執事のいろはを教え込んでやれ。俺と一緒にいたいらしいから、希望を叶えてやろう」
「かしこまりました」
「ザックス公爵にもそう説明してくれ。ある意味永久就職だとな」
「ぷっ」
「おい、笑うなジャン」
「……おおせのままに」
それから、俺とエディットは(ある意味)一生を添い遂げたのだった……
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