05. 女神が街に降りまして
民が在り、王が在り、その上に神が在る。
民ありて王が成り立ち、王ありて国が成り立つ。しかして神なくば、世界は成り立つことかなわず―――――。
「―――うーん、めんどい」
神殿にこさえた自室の寝台に寝転がり、脳内インストールされた知識を諳じる。言い回しが古めかしくてわかりにくいが、要するに王様は民を軽んじるな、国を私物化するな、神様舐めたら世界滅ぶよ、みたいなことだろうか。ちなみに同じ内容の文言がこの神殿の天井にも刻まれている。基本理念のようだ。
神の存在の有無が世界の命運を左右する、みたいな感覚がいまいちピンと来ない。何せ元は現代日本人。天災は多かったがその度人間の力で抗ってきた世界の人間だ。まだその意識が色濃く出ている。別に無神論者でもなかったけど。
まぁ何にせよ、その辺の認識は一度他の人に聞いてみたいところだ。実際私が来るまでにここら一帯が滅んだ、みたいな話はなかったようだし。
最近日課になりつつある脳内インストールされたこの世界の情報確認は、大体頭に入りつつある。しかし一部理解しきれないこともあるので、そろそろ森を出て新たな出会いを求めたいところだ。イズウェルに詳しい話が聞けなかったのが悔やまれる。
さて、どうしたものか……。
「…………ん?」
何かが聞こえた気がして、寝台から身を起こす。森の領域内のみの限定で察知される異常感知レーダーは、今のところ外れがない。聞こえたのは若い娘の悲鳴、森の入り口付近だ。
「……しゃーない、か」
引きこもってても仕方ない。仕事をするのみだ。
* * *
「ほっっっっっんとうに、助かりました!!!!」
地べたに赤毛の頭を擦り付けんばかりに膝をついて頭を下げる少女。少し呆れた心地で、苔むした倒木に腰掛けながら私はそれを眺める。
「街道で盗賊に襲われて、命からがら何とかここまで逃げ込んだら今度は森のくまさんに食べられそうになったところを助けて頂いて、正しく貴女は女神のようなお方です!」
「いや実際女神なんだけど」
ちょっと大袈裟に自分の状況を説明台詞めいた口調で語るこの少女は、その言葉通りつい先程この森に駆け込んで来たようだ。イズウェルの件から4日、2人目の訪問者である。
西の入り口付近が何だか騒がしいなと思って来てみれば、熊と対峙して腰を抜かした少女が泣き喚いていた。
「やめて」とか「美味しくない」とか自分より一回り以上大きな体を持つ熊に向かって叫ぶ少女が何だか哀れに思えて、しょうがなく私は熊を宥めて襲わないように頼んだ。ちなみに今は私の横で大人しく座っている。端から見れば私は猛獣使いの女王だ。
赤毛にそばかすの少女は小柄な体型で年若く見えるが、旅装束を身に纏い大きな荷物を背負っていた。他に人は見当たらないし、まさか盗賊に襲われてはぐれたんだろうか。
「貴女一人なの?」
「あ、はい、申し遅れました!私ヤーヴァン商会のリスティルと申します!今回は、一人で隣国まで仕入れに行った帰りでした!」
少女……リスティルの返答に私は眉を潜める。護衛もなし、年頃の小柄な女の子が一人で仕入れ。しかも国を跨いでときた。どんなブラック商会だ。
「あ、あの、いつもという訳ではないんです。今回はちょっと事情があって、他にも一人で仕入れに行ってる人がいるんです」
私の機嫌を察してか、リスティルは慌てて弁明する。別に怒っている訳ではないんだけどね。
「その事情というのは?」
すぐ横に控える熊の頭を撫でながら、一応聞いてみる。納得いかない内容だったら後々その商会を見掛けた時に考えなければならない。色々と。
「……先日、聖女様の選定の儀がありまして。それに合わせて、我が商会も売り出す品々を取り揃えてはいたんです」
聖女とな。まぁ女神がいるんだから聖女くらいいるよね。
「けれど、その。候補者の中で最も有力と言われたお二方が、揃って辞退なさいまして。それで、色々と番狂わせが起こったんです。お陰で用意した品が売りづらくなって、大至急他の品で補わなければならなくなって」
んー、つまりこういうこと?選ばれた聖女に合わせて売り出そうとしたグッズ、もしくは聖女側に売り付けようとした品々の当てが外れて大損。慌てて方々に人を遣って、新しい品で再起を図ろう、と。なるほど。
「商会として終わってない?それ」
「こ、今回は本当に想定外だったんです!実際他の商会も大分出遅れてて……!」
「あーはいはい、それでその聖女様はもう決まったの?」
事情はわかったしその先は興味がない。この娘には可哀想だが再起は難しいだろう、多分。
リスティルは沈みながらも私の問いに答える。
「……今日、決まる筈なんです。番狂わせのお陰で日取りも変わって、今日が本当に最終選定の儀が行われる筈なんです」
「それで急いでいた、と。行き先はどこなの?」
「カランド王国です。そこの首都に近い、ファシヴァルという大きな街で最終選定が行われます」
カランド……脳内インストールされた地図を広げて検索する。海に面したそこそこの大国、もろに私の支配圏内だ。
ふーむ。
「その荷物は仕入れたものしか入ってないの?」
リスティルの身の丈に近い大きさの荷物を示す。本当によくこんなのを一人で運んで来たな。
「いえ、いくつか売れ残りの品が入ってます」
「売れ残り?」
「ファシヴァルで売れなくなったので、ついでに売れるだけ売ってこいとヤーヴァン会長が」
流石商人。ただでは転ばない。
「で、何が残ってるの?」
「あ、はい、ええっと」
慣れた手つきで荷をほどき、中からいくつかの物を取り出す。
「これと、これと、こちらの3点になります」
敷物を敷いて、その上に並べられた品々を覗き込む。思ったより普通の物ばかりだ。
「櫛に、衣服に、これは?」
綺麗に畳まれた服の隣に、同じように畳まれた布地があった。見たところお洒落着ではないことは確かだ。
「ああ、これはですね」
リスティルが広げて見せてくれる。バサッと全身を現したそれは、少し地味だが品は悪くないコートのようなものだった。
「外套になります。成人女性用で、膝下まで覆えるようになってるんですよ」
小柄なリスティルでは身の丈が余ってしまうそれは、私が着ればちょうど良いだろう。
ふむ。
「ならその外套で手打ちにしましょう」
「へっ?」
「事情がどうあれ、貴女は女神の領域に無許可で侵入したんだもの。それはまだ良いとしても、この子を止めた見返りくらいは要求させてもらうわよ」
隣で丸くなって眠る熊の頭を撫でて言う。悪いが神は慈悲の生き物ではない。今回のは完全なる私の善意だ。まだ人の心が残ってて良かったな。
しかしリスティルの反応は呑気そのものである。
「あっ、女神って冗談じゃなかったんですね」
「神罰がご希望かしら」
なかなか大物の少女のようだ。もしくはよほどの無知か。
「ええと、女神さま?」
「女神イファリスよ」
「イファリスさま。あの、お譲りするのは全く構わないんですが、こんな売れ残りで本当によろしいんですか?」
女神と認識した途端態度を改めた。見た目の年齢に似合わず、躾と教養はしっかりしているようだ。
「ええ、構わないわ。その代わり、いくつか質問に答えて欲しいのだけど」
「はい、私にわかることであれば」
「じゃあまず一つ。そのファシヴァルの街までは、貴女の足でここからどのくらいかかるの?」
「ええと、カランドに入国してからいくつか町を経由して、早くて4日くらいです」
結構距離がある。知識としての距離と実際足を使う距離では齟齬が出るのは当たり前だろうが、まぁ私は飛べるから問題ない。次だ。
「ヤーヴァン商会の会長はどんな人?」
「ヤーヴァン会長はケチでがめつくて、お客の足元を見るのが得意な人です。でも同じくらい信頼を大事にされる方なので、悪どいやり方は絶対しないです」
なかなかすっぱり物を言う娘だ。躊躇なく言い切ったその姿勢、嫌いじゃない。
「この外套を貰っても貴女は怒られないの?」
「人の話を聞かない方ではないので。事情を話せば絶対わかってくれます」
真剣に断言するリスティルの瞳には、ヤーヴァン会長に対する深い信頼が見て取れた。なるほど、悪い上司ではないようだ。
「じゃあ最期にもう一つ。ヤーヴァン商会は果物は取り扱ってる?」
「はい、一応街の市場に卸している青果がいくつかあります」
ニヤリ。
その答えを聞いて、私の顔に笑みが浮かぶ。
「リスティル。貴女に頼み事を聞いて貰うわよ」
私の言葉に、リスティルはきょとんと目を丸めた。
* * *
「ふわーーーあ!」
「じっとしててよ!この高さを人一人運びながら飛ぶのは初めてなんだから!」
空高く、鳥と並走出来るほどの高さで私とリスティルと荷物は飛ぶ。荷物はともかく、人間に浮力を与えてこの高さを飛ぶのはまだ集中力が要るから、冗談じゃなく本当にリスティルにはじっとしてて欲しい。
しかし彼女は大物だ。こんな高度を出会ったばかりの他人の力でいきなり飛ばされても、キラキラと目を輝かせて景色を見下ろすほどの余裕がある。しかも彼女は神ではなく人間だ。慣れない浮力に加えて気圧の違いも間違いなく負担になっている筈なのに、全く辛そうに見えない。そりゃあ、多少は風を司る女神として加護を与えてはいるけれど。
「あっあの城壁!あの向こうがカランド王国です!」
リスティルが指さす先には、確かに高い城壁に囲まれた広大な領地が広がっていた。人の手で作られたとは思えないほど長く伸びる城壁は、この国の長い繁栄を支えているのだろう。
「方向は合ってるみたいね」
「でも凄いです!本当ならあの森から1日半はかかるのに!」
「てことは、ファシヴァルには国に入ってから2日半かかるのね」
興奮気味にリスティルは凄い凄いと叫ぶが、新幹線や飛行機に慣れていた身としては感動は薄いし、寧ろこの距離の移動を徒歩でしようとしていたことの方が信じられない。せめて馬くらいなかったんだろうか。
まぁでも日本だって昔は、自分の足だけを頼りにあちこち移動していたんだけどね。
下の街道を見下ろすと、城壁に向けて長く伸びる行列が内外にある。出国と入国、その手続きの為の列だろう。
私たちはそのどちらもしない。そもそも神に国境はないし、この高さを人間が飛んでいるなんて誰も思わない。
ん?あれ、でも。
「関所飛び越えちゃったけど、貴女あとで問題になったりしない?」
「入国記録がありますね。何か問題が起これば後でチェックされますが、なければ問題ありません」
いや駄目じゃないか。
仕方なく少し戻って、リスティルだけを列に並ばせる。後ろ暗いことはないに越したことはない。何より彼女は商会の一員だ。何かあった時迷惑を被るのはその仲間たちだろう。
私は一足先に関所を飛び越え、人気のない場所の木陰に降り立ち、リスティルから渡されていた外套を羽織る。自分で言うのもなんだが、ここでの私は飛び抜けた美人なので、変なのに絡まれないようフードを目深に被る。これはこれで不審者だとか言わない。
関所に近いところで待とうと木陰から出て、誰もいないのを確認してから歩き出す。道に出れば関所から入って来ただろう人々がまばらに歩いており、その人たちとすれ違いながらリスティルの姿を探す。
結局彼女と行き逢わないまま関所の入り口の門に辿り着き、門番に姿を認められた。
「ん?何だ、お前さん」
「知り合いを探しているの。今日帰ってくる筈なんだけど」
「ああ、なるほどな。悪いがこの先には通せないんだ。その知り合いはどんな奴なんだ?」
「赤毛の小柄な女の子で、多分大荷物を背負っている筈よ」
リスティルの特徴を伝えると、門番のおじさんは考え込むように顎に手を当てる。
「うーんそんな目立つ奴は見てないな。多分これから出て来るだろう」
「そう。じゃあここで待たせて貰っても良い?」
「ああ、構わない。少し日射しがあるから、そこの木の陰の岩場に座るといい」
「ええ、ありがとう」
気さくな門番のおじさんの言葉に従って、道の脇にある日陰を作っている木の陰に移動する。そこにはちょうどいい大きさの岩があって、長く風雨に晒された為か大分角が取れて丸くなっていた。
それに座るとひんやり気持ち良くて、感じる涼しさがいくらか増した気がした。
それから関所から出て来る人を眺めながら、リスティルを待つこと15分ほど。とうとう門から目当ての赤毛が出て来た。
「あっ!」
きょろきょろと辺りを見回したリスティルは、すぐに私に気が付く。私も岩から腰を上げて、駆け寄ってくるリスティルを出迎えた。
「すみません、お待たせしました!」
「いいのよ。もう少しかかると思ってたくらいだし」
決して短くはなかった列を思い出す。それでもこの時間で出て来れたということは、担当者がよほど適当な仕事をしたか、よほど手際よく仕事をしたかだ。門番のおじさんを思うと後者の方だと思いたい。
そう思っておじさんの方を見ると、リスティルが私の方に駆け寄ったのが見えたからだろう、こちらを微笑ましそうに見ているおじさんと視線がぶつかった。良かったな、とおじさんの柔和な目が語っているような気がする。
私がペコリと会釈をすると、リスティルも気付いて頭を下げる。不審者みたいな出で立ちをした私に、穏やかに接してくれたことは素直に有難い。おじさんに幸あれ。
関所の門を離れ、休むフリをして街道を逸れる。周囲に誰もいないことを確認してから、私たちは再び空へと舞い上がった。
「ここからずっと西に行くと、ファシヴァルの街があります」
「おっけー、飛ばすから意識をしっかり保ってよ」
リスティルに気絶されたらどこがファシヴァルの街かわからない。
ほどほどのスピードを出しつつ、私たちはファシヴァルの街へと一直線に向かった。
「ところでよくその荷物に潰されないわね」
「私、力持ちなんです!」
女の子が鼻息荒くしないの。