28. 斯くて全ての幕は上がる
「女神からの返礼品、とな?」
王宮執務室にて、カランド国王は女神の神殿へ使節として送り込んだ第一騎士団団長の報告を受けていた。今年で58歳となる初老の国王は、老いを感じさせぬしっかりとした佇まいで椅子に腰掛けている。
王家からの正式な目通りの手続きが滞りなく済んだこと、森から神殿へ至るまでの経緯、女神の人となりや手合わせをしたことなど報告は多岐に渡った。が、最後のそれはとりわけ首を傾げるものだった。
「はい。概要は宮廷魔術師にでも見せればわかる、と」
「ふむ……」
少し考えてから、国王は傍らに立つ宰相に視線を向けた。
視線を受けた宰相は万事心得たとばかりに頷き、一礼をしてから退室した。
「して、アルフォードよ。そなたの婚約者であるマリエラ嬢の様子はどうであった」
「は、……それが……」
歯切れも悪く、アルフォードは懐から一枚の紙を取り出す。
執務机に差し出されたそれに目を通し、国王は目を丸めた。
「なんと。婚約を破棄? そこまでの覚悟で女神に仕えようというのか」
「……決意は、固いようでした」
それはアルフォードとマリエラの婚約破棄を女神が認めたという書簡であり、また女神直筆である印が施されていた。
それをしげしげと見つめていた国王だったが、ややあって頷き、書簡を机の引き出しへとしまった。
「わかった。手続きはこちらでしておこう。確認の為に他の者にも見せるが、良いな?無論口外はさせぬ。他ならぬ女神に仕える神官を輩出したのだ、誰にも文句は言わせん」
「勿論です。お心遣いに感謝致します」
「何、構わぬ。して、シュワグナー公爵……ロッツヴォーンめはなんと?」
「……わかりません。未だお屋敷に閉じ籠られたままで」
「あやつにも困ったものだ……気持ちはわからんでもないが、そろそろ顔を出して貰わねば」
やれやれと国王がため息を吐いたところで、執務室の扉がノックされる。
「国王陛下。クルウェルを連れて参りました」
「入れ」
国王が入室を許可すると、先程退室した宰相が白いローブを身に纏った若い男を連れて戻って来た。
アルフォードは脇に寄って控え、白いローブの男が国王の前に歩み寄る。
「御呼びと聞いて参じました」
「うむ、忙しいところ済まぬなクルウェル。そなたに見て貰いたいものがある」
国王に目配せをされて、アルフォードは部屋の外で待機させていた部下へと手拍子をして合図を送った。
すぐに扉が開き、大きな細長い木箱が運び込まれてくる。
「女神からの返礼品だそうでな、そなたが見れば詳しいことがわかるだろうとのことなのだ」
「なるほど、では拝見致します」
アルフォードの部下と入れ替わりに床に置かれた木箱に近付き、クルウェルはまず箱に魔術的な仕掛けがないかを検分する。
やがて問題はないと判断したのか、木箱の封を開けて蓋に手を掛ける。
あっさりと開いたその中には、大きな姿見のようなものが入っていた。
「これは……」
「何なのだそれは?」
目を見張るクルウェルに、国王は机から身を乗り出して中身をまじまじと見て問い掛ける。
「これは、非常に高度な魔術道具です。簡単に申せば、遥か遠くからの映像を映し出す為のものかと」
「遥か遠くの……何だと?」
いまいち飲み込めず国王が首を傾げると、慌ただしく執務室の扉が叩かれた。
「国王陛下!城下より火急の報せです!」
「入れ」
国王が再び椅子に座ると同時に、慌てた様子で兵士が扉を開けて飛び込んで来た。
兵士は室内に錚々たる顔ぶれが揃っていることに一瞬驚いたが、すぐに自分の使命を思い出してその場で敬礼する。
「失礼致します!現在王都カヤムに神使を名乗る謎の集団が飛来、あちこちに散らばって何事かを始めている模様!」
「神使だと?女神イファリスのか」
「いいえ、ローブに刻まれた神印はラディアン神のものと思われます!」
「何だと」
俄に執務室が色めき立つ。男神ラディアン、クライストロ大陸の中央部を長きに渡って収める知と技の神。彼の神の領域に属する国々との国交や諍いはない筈だ。
一体何が、と考える間もなくまた一人兵士が飛び込んで来た。
「報告します!ファシヴァル、ラヤンズ、ミシュタルトなど、各地の街や集落においても神使を名乗る者たちが現れたとのこと!目的は目下のところ不明ですが、何らかの道具や術式を空中にて展開しているとのことです!」
「何だと、一体何が起きている」
ガタンと椅子から立ち上がり、国王がその場で指示を下そうとした時だった。
「そりゃまぁ、お宅らもやぁっとこれに参加する時が来たって訳よ」
唐突に響いた第三者の声に、まずアルフォードが国王を守るべく動いた。素早く声の主と国王の間に割って入り、いつでも剣を抜けるように柄に手を掛ける。
そこでようやく宰相やクルウェル、兵士らも揃っていつの間にか開け放たれたバルコニーの扉を見た。
バルコニーの手すりに腰掛けていたのは、年の頃は20を過ぎただろうというくらいの軽薄そうな男だった。青みがかった緑の髪の短く跳ねた毛先が風にそよぎ、何が面白いのか口元ににやついた笑みを浮かべている。
「おっと、物騒なのはナシな。俺らはただお使いに来ただけよ」
「使い、だと?」
アルフォードの背に庇われながら、油断なく男を見据えて国王が問い返す。
「そう、お宅らがさっき言ってた男神ラディアンな。まぁこの印見りゃわかるっしょ」
そう言って男が示したのは、纏っていたマントに大きく記されていた水紋と月のような紋様だった。
その印を目にして、その場の全員が息を呑む。それは間違いなく、男神ラディアンが公で用いる神印だった。
「ラディアン神が、我が国に一体何の用向きが」
「ラディアンがっつーか、まぁお宅らの女神サマにっつーか。おっと、申し遅れた。俺の名はルード。男神ラディアンのとこで使いっ走りみたいなことをしてる身だ。そんで本題だが、俺らが今回来たのはその鏡の使い方に関してのレクチャーをしに来たってのが主な用向きかね」
未だ木箱に収まったままの姿見を指し、ルードと名乗った男は頬杖をつく。
「そこの、宮廷魔術師さん?がさっき言ってたでしょ。そりゃ一種の通信機、中でも映像を受信して映すのが主な役割だ。しかもそりゃ親機。それを通して今俺らが各地にばらまいた子機にまで映像が行き渡る仕組みさ」
ペラペラとルードが語る内容について行けているのはクルウェルくらいのもので、他の者らは半分も理解出来ているかというところだった。
しかしルードはお構い無しに、百聞は一見に如かずとばかりにクルウェルに指示を出す。
「宮廷魔術師さん、その鏡をそこの広い壁に向けて立てな。距離は大分離した方がいい」
クルウェルは確認を取るようにちらりと国王を見る。
国王はその視線を受けて頷き、傍にいた兵士に手伝うように命じた。
「このようなものでしょうか」
「うんうん、そんな感じそんな感じ。んでお次はっと、その鏡の天辺にある赤い石に、お宅が持ってる杖を翳してみな。勿論魔力を込めてな」
万が一に備え、国王や宰相らは鏡から離れた位置から見守る。勿論アルフォードは国王から片時も離れず、絶えずルードを警戒していた。
言われた通りにクルウェルが杖を翳すと、姿見から光が溢れて室内が白く満たされる。
やがて光が収まると、姿見の対面にある壁いっぱいにこの場所とは異なる地の映像が映し出されていた。
光から目を庇っていた面々は、うっすらと開けた視界に飛び込んで来たその光景に目を見開く。
そんな彼らの様子を、ルードはにやりと笑って見ていた。
「さぁ、お宅らの女神の麗しき勇姿をご覧あれってね」
* * *
各地の神々大集合から一夜明け、女神イファリスは大歓声溢れる競技場のような場所にいた。
耳をつんざくような観客の歓声に顔をしかめ、イファリスは傍らに立つミリアーセを見やる。
「こんなに民衆が来てるなんて聞いてないんだけど」
「世界各地の神々が力を競い合う一大イベントだもの。ちょっとしたお祭り騒ぎくらいにはなるわ」
「"ちょっとした"……?」
イファリスは怪訝そうに競技場を見回す。
行ったことはないが、恐らく某ドームほどにはスペースのある観客席。その正面の空中にデカデカと映し出された中継映像。
ちょっと?お祭り?
これが???
「しかも今回はイファリンていう目玉の新女神がいるからねー。そりゃ観客の入りも一入ってもんでしょ」
「私は見せ物パンダか」
ファランケの言に呆れたようにイファリスは肩を落とす。するとそこに対抗ペアであるヤズラルムが追い討ちを掛ける。
「それに世界を上げてのビッグイベントやさかい、事前告知は欠かさんでー!誰が言うたか『神リンピック』ってな!」
「そろそろ怒られるからその辺にしときなさい」
「わしやないもーん別の神さんが言ったんやもーん」
言うだけ言って逃げて行くヤズラルムをじろりと睨むと、一緒にいたシュナードが苦笑いをして取り成す。
「まぁまぁ、ともかくこれは一種のお祭りだ。今回はそんなに常識を外すような奴はいない筈だし、イファリスも楽しんでくれ」
「常識を外す奴はいない、ねぇ……」
疑わしい目でヤズラルムの背中を追うイファリスに、シュナードは「ははは」と乾いた笑いを洩らして去って行く。
仕方なくイファリスは気持ちを切り替えて、関係者席へと向かう面々に視線を向けた。
「それじゃあファランケ、後は頼んだわ。うちの子たちをお願いね」
「まっかせといてー!イファリンもファイト!」
「ええ。メイル、シーファ。大丈夫だとは思うけど、ファランケと一緒に待っててね」
「はい、イファリスさまも頑張ってください!」
「ご武運をお祈りしております」
「ありがと。じゃ、ちょっと行ってくるわ」
小さく手を振って観戦チームと分かれる。大事な神官たちが観ているのだ、格好悪いところは見せられない。
しかもその上。
「全世界生中継ときたか……」
呆れて物も言えないとはこのことである。ヤズラルムの言った『神リンピック』が洒落にならない呼称となる。
「まぁ、早速のお披露目イベントとして不足はないわ。正直やっぱり私はまだ早い気もするんだけど、ここまで来たら後はなるようになれっていうやつね。フォローはするから楽しみましょ?」
「頼んだわミリアーセ……」
思っていた数十倍は大きな話に途方に暮れながら、イファリスは出場者枠の控え室へと歩き出した。
【おまけ~とある女神のひとりごと~】
イ「ぐうたらまでの道が遠い」




