20. 朝焼けアフターフォローを施しまして
朝焼けの優しい光が明かり取りの隙間から射し込んでくる。
買ったばかりのふわふわの新品布団に包まれて目を覚ました私は、程よい目覚めの感覚に欠伸をして寝床から抜け出した。
泉から運んだ水で顔を洗い、神殿の中を歩き回る。まだ完全には陽が昇っていない時間帯で、起きている者の気配はほとんどない。
と思ったらいた。
見覚えのある金髪の後ろ姿が、夜営地から離れて森の方向へ歩いて行くのが見えた。
私は音もなくその場で浮かび、そっと彼の背後まで飛んでいく。今のところ女神になって良かった点は、こうやって自由に飛べるところだ。
特に気配を消したりはしなかったからか、あと1mくらいというところでアルフォードはこちらを振り返った。
「おはよう。朝の散歩かしら?」
「おはようございます、女神イファリス。ええ、何だか目が覚めてしまって」
「隊をまとめる者があまりふらふらするものじゃないわよ。誰かに言った?」
「ええ、交代で見張り番をしている者に。森に入るつもりはありませんが、少し一人になりたくて」
鎧を身に付けていない彼はそれでも剣だけは携えていたが、格段に無防備な状態だ。森に入らない心構えは良いが、それでも彼ら騎士団はここに完全に歓迎された存在じゃない。何かの弾みで猛獣たちに襲われてもおかしくはない状態だということを理解しているのか。
まぁ森に住まう彼らとて、私の神殿があるこの空間で無闇に血を流すような真似はしないだろうが、万が一という場合もある。
私は彼の隣に降り立ち、同行の意を示した。
「ついて来なさい。良い場所を紹介してあげる」
笑みを浮かべて先導する私を、アルフォードは目をぱちくりとさせて見た。
* * *
「これは……見事な泉ですね」
光の薄い静かな森を抜けたところで、アルフォードは素直に感嘆の息を洩らした。
それほど大きくはないが、小さくもない。多分学校指定のプールぐらいの体積ほどだろう規模の泉は、青く澄み渡った色の水面にキラキラと朝の白い光を反射させていた。メイルの体を洗うのにも使った泉だ。
「水も空気もとても澄んでいる……清浄な空間とはこういうことを言うのか」
「お気に召して頂けて何よりだわ」
独り言のようにこの景色を評するアルフォードに気をよくして、泉の畔に彼を案内する。少し落ち葉が見える乾いた地面に腰を降ろして隣を勧めれば、では、と一礼して彼も一人分ほど間を空けた場所に落ち着いた。
「静かでいいところでしょ。私のお気に入りの場所なの」
「そんな場所を、私に教えても構わないので?」
「いいわよ別に。来ようと思って来られる場所じゃないでしょう?」
それに、と意地悪く彼の顔を見上げる。
「大事な部下の元婚約者なら信頼出来るわ」
「……勘弁してください」
うっと喉を詰まらせたような表情でアルフォードは項垂れる。苛めるつもりはないが、私に見つかったのが運の尽きと思って付き合って貰う。
「吹っ切れたみたいで何よりだってことよ。私も素人手で槍を振るった甲斐があるわ」
「素人」
嘘だろう、という虚ろな顔でアルフォードがこちらを凝視する。嘘じゃないんだなこれが。
「地上に降りてたかだか数日の女神よ?ここが乱戦混戦の大修羅場ならともかく、戦う機会なんてそうある訳ないじゃない」
あっけらかんと言い切れば、一瞬豆鉄砲を食らったような顔で固まってから、アルフォードは心底おかしそうに笑いだした。
「はは、あははははははっ!そうか、では私は武神でも戦神でもない貴女に見事なまでに叩きのめされたのか!」
「まぁ女神ですし?いくら騎士相手でもそこらの人間に力負けするほど低スペックな訳じゃないもの。私の場合見本とイメージがあったから対応出来たのよ」
ジファードの槍捌きは本当に見事だった。確実に達人級の腕前だ。あれで平和な時代を生きてきたとか嘘だろって思う。
ファランケは本当に基本スペックからして反則級の存在だが、それでも傲らず堅実に実力を身に付けた側面がある。それはジファードとの手合わせできちんと滲み出ていた。
相手を格下と侮らない精神。一見して頭空っぽに見える振る舞いをする彼女だが、武人としての精神は備わっていると思う。
あとはまぁ、現代日本で目にした漫画とかアニメなんかの知識しかないんだけど、ベースさえあればそれに女神としてのスペックを重ねて何とかなる。練習なしの一発勝負だったのが一番の不安要素だったが、多分あの時はアドレナリン的な何かが出まくっていた。それだけだ。多分。
「ははは、いやぁ騎士団の中ではジファード殿以外に遅れを取らない腕前になったと自負していたが、やはり世界は広いものだ!理不尽な相手というのはどこにでもいるなぁ」
「そりゃそうよ。それでなくともこの世界に神と名の付く存在がどれだけいると思って」
というかジファード以外には負けなしって。相手に忖度されたんじゃなければやっぱり実力でのし上がったのか。その若さで出世すれば敵も多いだろうに。
やがて笑い声は収まり、辺りは再び静けさを取り戻す。
音もなく揺蕩う水面を眺めながら、アルフォードは穏やかな笑顔で口を開いた。
「私は、マリエラを愛していました」
静かな独白に、私は黙って耳を傾ける。
私以外、己の声を聞く存在がないこの場所で、彼は滔々と胸の内を明かしていく。
「昨日貴女に聞かれた時はわからない、と言ったくせに、マリエラから婚約破棄を願われた時にはっきりと思ったんです。"嫌だ"と。
彼女とは家の都合で婚約して、家の為に伴侶となると誓いました。貴族に生まれた者として、そこに何の疑問も抵抗もなかった。でもそれは、今思えば、」
言葉を区切り、水面から空へと視線を上げる。澄んだ青色が広がり始めたそれが、瞳に映る。
「マリエラの、お陰だったんです」
終わったこと。それが彼の凪いだ口調から伝わってくる。
自覚するのが遅すぎた、という慚愧の念が、今の彼の根底にあるような気がした。
「マリエラは貴族の自覚が強い娘でした。だから私はホッとした。いざとなれば家の為、どんな苦境も共に受け入れてくれると。貴族として、騎士として生きる私の在り方を、彼女は否定しないと。それが彼女に対する甘えだったと、昨日初めて自覚しました」
俯いて笑う彼の顔には、自責と自嘲はあれど力がない。真っ直ぐで誠実。自分も何度もそう評したこの男は多分、自分の心を真っ直ぐに見つめたことがなかったんだろう。
「私はマリエラの貴族としての在り方に甘え、彼女という個人を見ませんでした。好きな花、好きな色、好きな食べ物。そんな表層ばかりを知って理解した気になって、彼女の奥底にある不安定な部分に気が付かなかった。情けなくて自分が許せない」
ああ、それか。
最後の言葉を聞いて合点がいった。
昨夜の手合わせの際、顔を合わせた時に見た泣きそうな瞳。あれは、そういう悔恨も入り雑じっていたのかと納得した。
「食い下がろうという気持ちもありました。まだ繋ぎ止められる部分もあるんじゃないかと。我ながら女々しいことです。そこまで思い至ってようやく、自分がマリエラを愛していたんだと自覚しました。家の都合や彼女の気持ちを無視してまで、自分の元に繋ぎ止めておきたいという執着。こんな感情が自分の中にあることに驚いた。そして、―――彼女を手離そうと、決めたんです」
途切れて、沈黙する。黙って続きを待つ。
この独白は、ある種の懺悔だ。私がいなければ国に戻って、誰か親しい知人か、あるなら教会の懺悔室ででも溢していただろう。吐き出して前に進むこともある。
彼にとって、それが今だ。
好きなように言えば良い。
姿勢よく座っていた彼は、いつの間にか背中を丸めて頼りない格好になっていた。
「彼女は、自分が私に相応しくないと言った。けれどそれは、私にも言えることだ。私は彼女に相応しくない。私の為を思って離れようとした彼女の気持ちを踏みにじって、連れ帰ろうと一瞬でも思ってしまったのだから。彼女の持つ罪の意識の一切から、目を背けて。これでは私もきっと、いずれ彼女を不幸にする。離れなければ。彼女を楽にしてあげなくては。そう思っても踏ん切りがつかず歯を食い縛っていたところに、貴女との手合わせの話が耳に入った」
「私?」
独白が始まってから初めて自分に矛先が向き、思わず間の抜けた声が出る。
俯き続けていた彼の顔には前髪が降りていて、その下から頼りない瞳が弱々しく覗いていた。
「いつまでも踏ん切りがつかずに堂々巡りをしていたところに、ジファード殿が貴女に手合わせを申し込んだと聞いて、光明が射した思いでした。そうだ、貴女ならばと。マリエラの身元を引き取る貴女に、完膚なきまでに叩きのめされれば。お前はマリエラに相応しくないと、そう全否定して頂けたら。この気持ちに、終止符がつくような気がしました」
そうどこか自嘲気味に、しかし晴れやかに笑う彼には悪いが、それは私には自分で自分を追い詰めたが故の現実逃避にも思えた。ドツボにハマって抜け出せなくなった思考のループに出口を求めたかったんだろう。
「そう思って不敬と知りつつも、勝手ながら貴女に勝負を挑みました。本当に感謝しています。貴女は私の胸の内を察しながら、相手を引き受けてくださったのだから」
最初はめっちゃ焦ったけどな。私も自分のことで手一杯で、ギリギリになって彼の顔を見て、腹を決めたところはある。
期待に添えたんなら良かった、と言おうとして、続いた彼の言葉に目を丸めた。
「だと言うのに貴女は、私の期待以上のものをくれた。渾身の思いを込めた私の一撃を勢いよく弾かれた時、私は思い上がりを正されたような心地がした。そして腹に一撃を食らった時。貴女に喝を入れられたような気がした」
えっ。
思ってもなかった内容に絶句する。
そんな大層なことをした覚えはなかった。ただ自分の中の葛藤にケリをつけたいような様子の彼を全力で受け止めて、全力で叩きのめしただけだ。
全力。そうかもしかして、それが良かったのかな。
「そもそも私には、何がなんでも彼女を幸せにするという覚悟が足りていなかった。家の為貴族の役目という建前に逃げて、彼女から目を背けていた自分を正しく認識していなかった。それを目の前に突きつけられた気がしました。そして、結局は私の心の弱さだと。本気で彼女を愛しているならそれを示せば良かったと。理由をつけて逃げている自分に目を向けろと。そう頭に直接、叩き付けられたような気がしたんです」
「なるほどねぇ……」
話の区切りを感じ、私はようやく言葉を返す。
立ち上がって水面を見る。先程までより高く上った陽の光が、水面を揺らす小さな波の輝きを増やしていた。
「でも結局、その落としどころを見出だしたのは貴方自身よ。私はただ、貴方を全力で叩きのめしただけ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それでも」
私に続いて立ち上がり、アルフォードも同じように水面を見る。澄んだ水の輝きを見ながら、それに負けないすっきりとした声で彼ははっきり言い切った。
「それでも貴女は、私の願いに全力で応えてくださった。それだけで私は、充分に感謝しています」
衣擦れの音と気配を感じ、私は彼に視線を向ける。
私に体ごと向き合った彼は、穏やかで明るい笑顔を浮かべて私を見ていた。
「ありがとう、女神イファリス。貴女という存在に、心からの敬意を」
「……そう。なら私からも、一言」
彼に倣って体を向け、穏やかに微笑む。
心からの敬愛の眼差しを向けてくれる彼に、私はにやっと笑って下から見上げた。
「もうあの砕けた口調はしてくれないの?」
「えっ?…………えっ??」
想定外の言葉を貰った為だろう、アルフォードは間の抜けた声で狼狽えた。
いつ指摘してやろうかと狙っていたのだ。昨日の夕方、そして先程。初めてマリエラの心中を聞いて落ち込んでいた時と、豆鉄砲を食らって破顔していた彼の砕けた口調について。
「あの時の貴方の方が可愛げがあったんだけどなぁ~」
「えっいやっ、あの、あああれはそのっ、出来れば忘れて頂きたく!というかその、女神に対して礼儀を欠いた発言の数々、」
「今更良いわよ、別に。今から取り繕われてもなかったことにはならないもの」
意地悪く笑って見せれば、彼は撃沈してその場で項垂れる。
その様子を愉快に思いながら、あのね、と仕方のない笑みを浮かべて彼に最後のダメ出しを述べる。
「マリエラにはそういうところ、見せたことあるの?」
「……いえ、常に男らしく頼り甲斐のある姿であろうと」
「そういうところよ」
え?と彼は情けない顔を上げる。その顔がまた可愛くて笑ってしまいそうになるが、そこはぐっと堪えて我慢する。
「マリエラは気付いてたわよ。貴方が自分に見せる姿以外の苦悩や一面を持っていること」
「そっ!?」
「でも多分、貴方が見せようとしなかったから気付かないフリをしてただけ。格好つけるのも結構だけど、ありのままの貴方をもっと見せたら良かったのよ。生涯のパートナーになる、歩み寄るって、そういうこと。甘え過ぎるのはよくないけれど、全く甘えられないのも寂しいものよ?」
まぁ私は未婚のまま前世を終えたがな。
いらん情報は飲み込んで、呆けるアルフォードの顔をにっこり見下ろした。
「さ、もう帰るわよ。流石にきっとみんな起き出してるわ」
お互いに歩み寄りの足りなかった愛の片割れの背中を叩き、神殿への道行きを促した。




