16. 綺麗な夕陽を眺めまして
「マリエラ!」
その姿を認めた瞬間、アルフォードは立ち上がって彼女に駆け寄った。
見るからに優しげで、少し遠慮がちな仕草で彼女の肩に触れ、表面的な外傷がないかを確認してホッと息を吐く。
「良かった、無事だったんだね。どこか痛いところは?気分が優れないとかはないかい?」
その心配と安堵は本物で、やはり彼なりにマリエラを想っているのだと実感する。
だがしかし、その優しさが今はマリエラに突き刺さることだろう。彼女は唇の端をぎゅっと引き締め、泣きそうになるのを堪えているように見えた。
「マリエラ……?」
何も答えない彼女の様子に首を傾げて、アルフォードがその青い瞳で覗き込もうとした時。
堪えかねたように、マリエラが体を引いてばっ!と勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありませんアルフォード様!私は、アルフォード様の伴侶には相応しくありませんっ!」
溢れる涙を必死に堪え、マリエラは切にそう訴えた。
いきなりの展開に、アルフォードは呆気に取られつつもどうにか持ち直す。
「か、顔を上げてくれマリエラ!一体どういうことなんだい?」
「わ、私は、私はっ……!」
感情が、言葉が、何もかもが詰まってしまったようにそれ以上言えないマリエラに、アルフォードはどうしたら良いかわからない様子で肩に触れようとした手をさ迷わせる。
どうにも先に進まなそうな二人の様子に、私はぱんっ!と手を叩いた。
「まずは落ち着きなさい。メイル!水を持ってきて頂戴!」
「はーい!」という遠くから聞こえるメイルの返事に、ビクッとマリエラが怯えるように肩を跳ねらせる。
その様子にも首を傾げながらも、とにかくマリエラを落ち着かせようとするアルフォードを見て、私は先の展開が思いやられた。
色恋絡みの仲裁は、苦手なんだよなぁ。
* * *
人数分の水を持ってきてくれたメイルにお礼を言って入り口付近で受け取り、お盆ごと引き取って下がらせる。多分今、マリエラにメイルを見せてはいけない。何がきっかけで事がどう転ぶか、誰にもわからないのだ。であれば起爆剤は、少ない方が良い。
マリエラに水を手渡して飲むように促すと、彼女は大人しく受け取って口を付ける。一口飲んで喉を潤すと、少しばかり気分が落ち着いたようにも見えた。
第一騎士団、否アルフォードを招き入れるにあたって、私はマリエラに一つだけ言い含めていた。
思うことは正直に話してしまうこと。
今更取り繕っても遅かれ早かれ事態は露見する。だったら最悪の方法で世間に知られる前に、彼に自分から打ち明けた方が傷は少なくて済むだろう。
場合によってはその方が残酷な仕打ちかも知れないが、私の言葉に素直に頷いた様子を見てこれでいいかと判断したのだ。
(しっかしまぁ……)
今、この有り様である。
アルフォードの位置から死角になる場所でずっと待機させていたのだが、私と彼との問答のどれかが彼女の琴線に触れたらしい。最後に見た時とは様子が一変していた。いやまぁどれが不味かったのかは、心当たりがないではないが。
思えば初めから様子はおかしかった。アルフォードの姿を確認させた時に彼女が見せた反応は、愛しい婚約者に対するそれではなく。会いたくなかった、何故来たのかという半ば拒絶の表情だったのだ。
てっきり自分たち父娘のしでかし(未遂)がバレるのが怖かったのかと思っていたが、どうやらもっと根が深いらしい。嫌っている風にも見えないのだが。
「……落ち着いたかい、マリエラ?」
どこまでも優しく彼女を気遣う様子は、正に騎士。乙女ゲームの攻略対象と言われても違和感がない。例え世界中を敵に回しても~とか、そういうのを素で言いそうなイメージだ。砂糖吐く。
そんなアルフォードに気遣われながらも水の入った器を握り締めて俯くマリエラは、彼の介抱を拒んで一人で座っていた。今はマリエラとアルフォードが向かい合い、その間に私が座っている形だ。正直退散したいが、マリエラの現雇用主として、責任がある。
アルフォードの言葉に意を決したのか、先程の取り乱した様子から気を取り直して、マリエラは力強い視線をアルフォードに向ける。
「アルフォード様。私などの為にわざわざ足をお運びくださり、ありがとうございます。貴方様のその真っ直ぐで誠実な想いが、私はいつも嬉しく感じておりました」
嬉しい、と言うには堅すぎる表情に、アルフォードは少しも気を緩めずに続く言葉を待つ。
どんな言葉も受け止める、といったその構えに、マリエラは一つ息を吸い込んでから今にも震えそうな唇を叱咤し言い下した。
「ですが私は、そんな貴方様には相応しくない女なのです。この場を借りて、貴方様との婚約を破棄させて頂きたく存じます」
先程も取り乱しながら叫んだ言葉を、マリエラはしっかりとした意志をもって凛と告げる。揺るがない決意を感じるその言葉を受け止め、アルフォードは冷静に言葉を返した。
「理由を聞いても良いかな?」
一方的に別れを告げる婚約者に怒るでもなく、蔑むでもなく、アルフォードはただ理由を問う。予想していたのだろう、マリエラはそっと目を伏深い憂いの表情を見せた。
「……貴方様は、どこまでも真っ直ぐだった。初めてお会いした時からずっと。貴族として婚姻するからには、望まぬことも強いるだろうと。辛い思いもさせるだろうと。まだ幼いばかりだった私にそう言って、それでも私に妻として共に歩んで欲しいと。そう仰ってくださったことを、昨日のことのように覚えております」
どこか痛みの混じるような昔を懐かしむ瞳で、大切な思い出を語るようにマリエラは言葉を噛みしめる。尊い記憶なのだろう。切実なほどそれがとてもよく伝わってくる。
しかしマリエラは、それらを振り切るようにして無理矢理顔を上げた。
「だからこそ、私は貴方様に相応しくはないのです。アルフォード様。私は今ここに、罪を告白致します」
―――今更語るべくもないだろう。つい先日つまびらかにした父、シュワグナー公爵の企みと、それに半ば加担した自身のことを、マリエラは包み隠さず全て話した。懺悔にも近いそれをアルフォードは黙って最後まで聞き終え、納得したように小さく嘆息した。
「……なるほど。言いたいことはわかった。しかし罪は未遂なんだろう。処罰も言い渡されて、女神イファリスもそれに納得されたのでは……いいえ、失礼。不敬が過ぎました」
「構わないわ。続けなさい」
「……では。女神仕えの神官と言えど、婚姻は不可能ではない。女神イファリスが罪には問わぬと言うのであれば、私は君を受け入れるのに何の躊躇いもない」
「いいえ。いいえ駄目なのです、アルフォード様」
頑なに首を振るマリエラに、何故、と視線でアルフォードは問う。これは多分、真っ直ぐで誠実な彼だからこそわからないんだろうな。
人間として過ごした少し前までの記憶を、遠い日の出来事のように思い出しながら、私は黙って二人の行く末を見守る。
「何度でも申し上げますが、貴方様はどこまでも真っ直ぐで誠実です。それが私は誇らしく、そんな貴方様の隣に立つのに遜色のない淑女になろうと務めて参りました。……ですが」
マリエラの口元に自嘲を含む笑みを浮かぶ。
「アルフォード様。先程この神殿に通された際、メイルという少女に案内されましたね」
「ああ」
「彼女は貴方のお家が治める、リズメイヤの貧困層の出身なのだそうです。人買いに売られそうになったところを、縁あってイファリス様に拾われたのだとか」
何だって、とこの話し合いで初めてアルフォードの視線が私に向く。事実だと頷いて見せれば、言いたいことを呑み込んで彼は再びマリエラを見る。
「この神殿で彼女と最初に出会った時、私が思わず口にした言葉が何だかわかりますか?」
「……いや」
「"ボロ雑巾"と。そう私は言ったのですよ」
言い切ったマリエラの言葉を聞いてアルフォードは、信じられないと言いたげな愕然とした表情をする。
本当なのかと再び私に救いを求めるような視線を寄越す彼に、頷いて現実を知らせた。
彼が気を取り直す前に、マリエラは次々と言葉を畳み掛ける。
「彼女がリズメイヤの出身と知った時も、こんな汚ならしい子供が貴方の町にいたのだと信じたくないという思いしか私にはありませんでした。礼儀も世間も知らず、馴れ馴れしく神に接する子供が恥ずかしくて認めれなかった。しかもそれが、私を差し置いて神官長に任ぜられると聞いてしまえば尚更!」
ヒステリック気味に叫ぶマリエラに、アルフォードは言葉を失う。恐らく初めて見た彼女の一面だったのだろう。彼の前では、必死に高潔であろうとしていたのだろうか。
「父の企みを聞いてしまった時も、私は恐ろしいと思う反面自分になら出来るとも思ってしまいました。ええ、自分は女神に準ずる力を持つと思い上がったのです。その結果がこれです。私は当然の報いを受けたのです。家を捨て、世俗を捨てるが正しい償いの形なのでしょう」
最後には力なく、ただただ自分を嗤うしか出来ないような状態で、マリエラはゆらりと幽鬼の如くアルフォードを見上げた。
「貴方の隣に立ちたかった。貴方の妻として、恥ずかしくない人間になりたかった。けれどもう出来ません。私という人間の弱さと愚かさが、此度の結末を招いたのです。こんな私が、貴方様の伴侶となるなど他ならぬ私自身が許せません。家の為、貴方様の為と今まで努力して参りましたが―――どうか、真に伴侶となるに相応しいお方をお選びください」
* * *
マリエラを彼女の自室に宛がった部屋に下がらせて、少しの間休ませることにした。買ったばかりのヤーヴァン商会のふわふわ布団が早速役に立つこととなった。
念の為フィニアを借りて、万が一のことがないように見張りをして貰う。自決に使えそうなものは一切部屋にはない筈だが、やろうと思えば人間なんだってやれる。それが追い詰められた人間なら尚のことだ。
夜営の準備をする騎士団の元には戻らず、アルフォードは陽が沈んでいく地平線―――まぁ森なんだけど、を眺められる神殿の渡り廊下のようなところで風を浴びていた。頭を冷やしたいんだろう。
私はそんな彼にちょっかいをかけに、そっと隣に立ってみる。
「ショックだったかしら?」
ずばり単刀直入に、傷心だろう彼の傷を容赦なくつつく。このくらいでへこたれるなら、この先魑魅魍魎が跋扈する貴族社会ではやって行けない。手心なしの対応もまた誠心だ、と誰ともなしに言い訳してみる。
「…………いや、まぁ、はは。そうだな。結構堪えた」
おや、と力なく笑う彼を意外に思って見る。ダメージ故かはわからないが、口調がかなり砕けている。
面白いので指摘せずにいると、ピンクとオレンジと紫の混ざったような夕焼けに染まる彼の横顔が、情けないと言いたげにくしゃっと沈む。
「彼女がそんな風に思っているなんて、考えたこともなかった。ずっと僕の前では笑って、叱って、背中を押してくれて。7つも年下なのに、もしかしたら僕よりしっかりしてるんじゃないかって思ってた。……そうじゃ、なかったんだな」
気付くのが遅すぎた。後悔先に立たずという言葉を今しがた痛感したばかりのこの男が鈍かったのか、それとも、マリエラが隠すのが上手かったのか。どちらにせよ、後の祭りだ。
「彼女のことは気に掛けるようにしていた。全てとは言わなくても、大分理解が出来てきたと思っていたんだ。思い上がりだったな」
「そうねー。男って、ホント馬鹿」
敢えて辛辣に投げ掛けると、手厳しいな、と苦笑いを洩らす。どこまで行っても空元気だ。この男はこの男なりに、家柄抜きでマリエラに入れ込んでいたらしい。
「あの娘のこと、幻滅した?」
「まさか。僕だって、彼女が言うほど真っ直ぐでも誠実でもない」
即座に否定出来る辺り、本当に優良物件だ。私が余計なことしなきゃ、案外上手く収まっていたのかな。
ほんの少し罪悪感を感じていると、アルフォードから悪戯めいた視線を頂戴する。
「もしかして、後悔してる?」
「…………まーぁ、ほんのちょっとね」
「ほんのちょっとかぁ」
なんだこいつ大丈夫か。やられ過ぎて頭おかしくなってないか。
「きっと遅かれ早かれ僕らは破綻していた。このまま婚姻していれば、きっと最悪な形でマリエラに限界が来ていただろう。僕が、気が付く前に」
拳をぎゅっと握り締め、それでも表情は穏やかなまま、アルフォードは地平線に吸い込まれていく夕陽を見つめる。
そろそろ退散した方が良いだろう。彼の口調をいじるのはまた後でだ。
「夕飯までには騎士団のとこ戻りなさいよー」
「ああ、わかっているさ」
そう答えた彼の表情は、夕陽が沈んだせいで、もう見えなかった。
「―――ね、ここに泊まることにして良かったでしょ」
ぽつりと溢した呟きは、人気のない神殿の静けさに沈んでいった。
こういう場面は!苦手なのです!




