14. 女神に目通りを願うこと
人と神とが共に在る世界。
神の生命力によって命の本質を得る大地。
神なくして栄えることは不可能と紐付けられた、我らの在り方。
しかし我が故国カランドが属する領域には、もう200年程神が降りていなかった。
歴史書に伝わる限りでは、代々この領域を司るのは女神である。神々と言えど永遠不変ではなく、当然のように終わりか世代交代がある。先代女神がこの地を離れてから後、何の兆候もなく時だけが過ぎて行った。
それが、つい先日。二日程前のことだ。
女神不在の穴を埋める為に行われていた恒例の神官選抜の儀にて、待望の女神が舞い降りた。
私はその場には居合わせなかったが、それは堂々とした出で立ちの美しい女神だったという。長い黒髪が風に乗って陽の光に煌めき、白く細い体躯で力強く胸を張って名乗りを上げるその姿に、多くの群衆が涙してその降臨を喜んだ、と、知人から伝え聞いた。
それだけ聞けば喜ばしい報告だった。いつまで続くかわからない女神の不在に頭を悩ませ続ける年月に、終止符が打たれたのだから。
しかし知人の報告は、それだけでは終わらなかった。
神官選定の儀に参加していた一人、マリエラ・リエ・シュワグナー公爵令嬢。由緒ある公爵家の一人娘にして、我が愛しい婚約者。
見事神官の座を得たという彼女が、その場で女神に拐われたというのだ。
否、拐われたと言えば語弊があるだろうか。見事実力にて神官の座を射止めた彼女を、女神が認めて自らの直系の神官にすると宣言し、その場で抱え上げて何処かへと連れ去ったのだそうだ。
私はその報告に、ただただ呆然とした。
マリエラ。淡い小麦色の髪に、青い瞳を持つ凛々しく美しい女性。
四年前に婚約を誓い合った彼女を愛する覚悟を、私はとうに決めていた。
少し意地を張りすぎるきらいがあるが、貴族としての役目を果たそうとする姿勢は素直に好ましく思える、愛らしい彼女。家督を継ぐ為に日々職務や研鑽に追われる私を時として叱咤し、根気強く支えてくれる彼女を生涯の妻にするのだと、私は自分と彼女に固く誓っていた。
選定の儀に彼女が挑むと決まった時もマリエラの元を訪れ、例え本当に神官に選ばれたとしても、変わらず互いに支え合うとそう彼女に宣言した。
だがしかし。
女神の神殿に直に仕えるということは、俗世を捨て、その全てを女神に捧げるということ。
女神の采配次第では結婚が全く許されない訳ではないが、それでも国の神殿に仕えるのとは在り方が根本から違ってくる。
マリエラは承知しているのだろうか。如何に女神と言えど、当人の意思を無視して己の元に召し上げるのであれば、それは暴君と変わらない。
だからこそ、確かめなければ。
私が女神イファリスへの使節団の一員に名乗りを上げたのは、その決意があったからだった。
「―――女神イファリスに申し上げる!我らはカランド国、第一騎士団!是非とも目通りを願いたく、参上仕った次第!どうか偉大なる女神の神殿へと!我らが参ずる許しを頂きたい!」
「ク、クロイツェル伯爵!?」
女神の神殿があるとされる、不可侵の森の入り口。どの国の領土にも属さないとされているこの森の中心に代々女神の神殿が築かれていると、歴史書には記述があった。
周辺の国々にもその認識はあり、場所によっては親が子に「あの森は女神様の森」と言い聞かせることもあるという。
それ故未開の地となっていたこの森の入り口で、我らは完全に立ち往生していた。
道があるかどうかわからないから、と騎馬や歩兵中心の編成を思案していたところに、「女神への献上品を馬に積むなど不敬の極み」などと言い張る一派に押し負けて、荷馬車を引っ張って来たのが原因だった。
だから言ったのだ、などと舌打ちしても始まらない。荷馬車と見張りを置いて隊の半分を先に行かせるか、と相談していたところに、木を切り倒して道を作れば良い、と言い出す者が現れた。
道がないなら作れば良い、と自信ありげに主張するそいつに頭を抱えたくなったが、ぐっと堪えて制止する。そもそも女神の神殿がある正確な方向さえわからないのだ。無駄に体力を使って木々を薙ぎ倒す野蛮な行為は好ましくない。大体女神の神殿があるとされるこの森を無闇に傷付けては、それこそ神罰が下る恐れさえある。ハイリスクローリターンな案に乗ることは出来ない。
そう説く私の言葉を、そいつは軽く笑った。
「我らの力を新しい女神に示す良い機会かも知れないだろう」と。
あまりの言い草に私は絶句した。冗談にしても笑えない。こんな浅はかな考えを持つ者を、今まで仲間として過ごしてきたのか、と。
次第にその案に傾く者がちらほらと出始め、収拾がつかなくなりそうになったところで、私は先の言葉を森に向かって叫んだのだ。
高らかな宣言とも取れるだろうその言葉は、実際に切れるかと木を調べ始めた者を諌める意味合いもあった。国に戻ったらよくよくこの件について報告せねばなるまい。
突然の私の行動に驚く者、笑う者、戸惑う者。様々な反応を無視し、私はただ森の奥をじっと見つめる。
ややあって、答えはとうとう現れた。
まるで森の奥から吹き荒ぶような風が、我らの一団を通り抜ける。それに耐えようと思わず瞑り、片腕で顔を庇う。
風が収まった頃合いにそろそろと目を開くと、周囲の空気が一変していた。
景色自体に変化はない。ただ何というか、昼間だというのに寒々しかった。太陽はまだ充分に高い位置にあり、我らや大地を余すことなく照らしているというのに。
まるで装備もなしに戦場に放り込まれたような危機感と、張り詰めたような冷たい空気。
それを感じているのは私だけではないようで、誰もが皆口を閉ざし、馬もまた異変を感じ取ってじっとその場で身を固くしていた。
ふと、空から何かに見られているような視線を感じた。
それまで感じたことのない、得体の知れない何か。我らとは根本的に在り方の違う、生き物としての概念すら履き違えたなにか。
息の仕方すら忘れそうな喉で、ゆっくりと唾を飲み込んで空を見上げれば。
木々生い茂る生命の森、その上空に一人の女性が立っていた。
否、足場になるものが何もないのだから、浮かんでいると表現するのが実際正しい。正しいがしかし、浮いているなどと言うのはあまりに生易しいと思える程、その女性の佇まいは確固とし過ぎていた。
まるで地面に足をつけ、堂々と背筋を伸ばして立っているようなその姿勢には、少しもブレがない。名のある画家によって緻密に描かれた絵画のような、現実味のない堂々として神秘を纏う出で立ちの中で、風に靡く長い黒髪だけが彼女がそこに存在しているということを証明していた。
陽光を背に立つ彼女の表情は読めず、ただ紅く透き通る宝石のような瞳が無感動に我らを見下ろす。
「―――全く残念ね」
温度のこもらない平坦な声色で、女性は言葉を紡いだ。
「そのまま私の森に手を出していれば、罰を下して追い返す良い口実になったのに」
その言葉に我々は、残らず背筋が凍り付いた。
見られていた。我らの動向は全て、彼女に―――否、彼の女神に把握されていたのだ。
木を調べていた者は引きつった悲鳴を上げ、慌ててその場を飛び退いて尻餅をついた。
木々の伐採を言い出した者は顔色を真っ白にして、蝋人形のように固まって女神を見上げていた。
何も出来ずにただ固まる我々にすっと目を細めて、女神は肩を竦めた。
「良いでしょう。神殿への参上を許可します。案内に従って大人しく進みなさい」
それだけ言って背を向けると、女神は森の奥へと飛び去って行った。
最後に何故か、あの赤い瞳と目が合った気がした。
* * *
女神が去ってようやく体中の緊張が解けた我ら一団の前に現れたのは、一頭の大きな白い虎だった。
未だ女神の牽制とも警告とも取れる言葉に震えていた者は、悲鳴を上げて腰を抜かした。騎乗していた者は馬にまで動揺が伝わり、一時隊は騒然とする。
「静まれ!!」
己ごと叱咤するように一喝すると、徐々に隊の動揺は収まっていく。各々が神という存在を目の当たりにするのが初めてである以上は当然の怯みではあるが、負った使命は果たさねばならない。我らはこれから、あの女神の待つ神殿まで赴かねばならないのだ。
一つだけ深い呼吸をしてから、私は虎と真正面から向き合う。
敵意はない。大きな体躯に対して小さく思える筈の金色の丸い瞳は存在を主張するように光を宿していて、草むらと木々の暗がりからじっとこちらを観察しているように思える。
その瞳をじっと見つめ返していれば、やがて虎はこちらに背を向けて「ついて来い」と言わんばかりに首を振る。
急いで隊を組み直して再度虎がいる方向を振り返ると、そこにはそれまでなかった筈のギリギリ馬車が通れるだけの獣道が現れていた。
様々な疑問や感情を飲み込み、我らは女神の言葉通りに道案内と思われる白い虎の後に続いて獣道を分け入った。当たり前のように整備などされていない道は木の根や石や泥濘などで歩き辛く、とにかく神経を使う行程となった。
遠征や訓練などで様々な場所に赴くことの多い馬たちは賢く足場を選んでくれるが、荷馬車はそうはいかない。いつ車輪が取られるか、伸びている枝やクモの巣なんかで傷付いたり汚れたりしないか、揺れるでこぼこ道で積んである献上品が壊れたりしないかと冷や冷やしっぱなしだった。
時折開けた空間や木々の少ない場所を通過しつつも、結局ただの一度も休まずに我らは女神の神殿へと辿り着いた。時間にして40分くらいだろうか。正直体感としてはもっとかかったような気がしないでもないが、天に傾く太陽の位置で大体の当たりをつける。
周囲の警戒をしつつも森の様子を楽しむ余裕のなかった我らは、ようやく木々も草むらもない安定して拓けた場所に出ることが出来て、内心ホッと安堵した。
だがしかしそれも一瞬のことで、視界に飛び込んできた光景にいよいよ気を引き締める。
自然に生い茂る木々ばかり見ていた中で、唐突に現れた人工的な建造物。
一定の大きさで切り取られた石を積んで造られた、四角錐の巨大な神殿。
圧倒的な大きさと、古来から在り続ける神秘的な存在感に、思わず唾を飲み込んで緊張を誤魔化した。
気付けば我らを案内した虎は何処かへ消え、短い草の広がる神殿前の広場には我々騎士団しか残されてはいなかった。
しかし呆けている時間はない。直ぐに馬車と中身の状態を確認し、異常がないことを確認してから神殿の前に即座に整列する。
騎乗していた者は私を含めて全て地面に降り、跪いて頭を垂れる。
「女神イファリス。我らカランド王国第一騎士団一同、改めて拝謁を賜りたく、参上致しました」
腹に力を込め、神殿の中まで響き渡るように声を張る。
すると直ぐに、頭上からあの無感動な凛とした声が降ってきた。
「許します。頭を上げなさい」
その言葉に一呼吸置き、非礼にならぬよう真っ直ぐに声がした方向を見上げた。
神殿の正面にある階段の最上部。幾本かの柱に支えられた屋根の下に、その御姿はあった。
白く細い体を包む、見慣れない金の装飾に白い衣装。面積は少ないが決して下品ではないそれは、その神秘性と魅力を際立たせるような不思議な装いで。
黒く艶やかな長い髪を靡かせるその涼やかな風貌は、人の形を取るにしては整い過ぎていた。完成された美、とはこういうことを言うのだろう。美の価値観は人各々と思ってきたが、あの姿を目にすれば百人が百人美しいと評するに違いない。と、言い切れる程の造りをしていた。この方が女神で本当に良かった。もしこれが人であったなら、国の一つや二つ簡単に傾くだろう。
その顔の造りの中で特に際立つ赤い瞳を我らに落とし、女神は朗々と言葉を掛ける。
「よくぞここまで辿り着きました。貴方がたの誰か一人でも粗相をすれば、その場で神罰を下していたところです」
ヒヤリ、と落ち着いてきていた心臓がまた冷たく跳ねる。ここに来るまで誰もが余裕なく、警戒を怠らずにいたことが功を奏したのだろう。もし森に入る前のような調子のままであったのなら、下手をしたら死人が出ていたのかも知れない。
さて、と女神が値踏みをするように我ら全員を視線だけでぐるりと見回す。
そして一人最前列の中央にいる私に目を留めると、何かを探るようにじっと見つめた後にぱっと視線を逸らされた。
「残念ながら貴方たち全員を神殿に入れる訳にはいきません。代表者三名を選出し、残りはそのまま待機なさい。長い道行きで疲れたでしょう、休息と水分補給くらいは許します。但しそれ以上の行為、我が神域内で無礼を働けば、五体満足で故郷に帰ることはないと思いなさい」
女神の警告に、一同揃えて再び頭を垂れる。
そして直ぐに私と、私の左右後ろで膝をついていた者たちとで立ち上がって神殿の傍まで歩み寄る。この場の後のことは信頼の置ける部下に任せる外ない。すぐ傍で跪いていた部下に目配せをすると、委細承知と頷いたのを確認してから女神に向き直った。
「良いでしょう。その場で名を名乗りなさい」
「第一騎士団団長、アルフォード・ロック・クロイツェル」
「同じく第一騎士団、副団長ロイツ・ワルン・メーナード」
「同じく第一騎士団所属、ザナル・ヒェン・バーテリック」
「許可します。階段を登り、ここまで来なさい。後の道行きは案内の者に従うように」
そう言って女神は、神殿の奥へと消えて行った。
私たちは覚悟を決め、階段の一歩を踏み出す。
外に残る団員も直ぐには動かず、我ら三人が登り切るのを見守っているのが背中に集まる多くの視線でわかった。
思わずくすりと苦笑いしてから、背筋を伸ばして階段の上部を見上げる。何十段あるのかはわからないが、女神のお眼鏡に適う為だと思えば安いものだ。
一応の武装はしているが、それでもかなりの軽装備。訓練の時に使うものより軽い鎧と少しの防具を鳴らし、一段一段無心で登る。
最近は大分温暖になってきた気候の中、夢中で全ての階段を登り切ると、すっかり鎧の中は汗でびっしょりになってしまった。神殿上部に輝く太陽を遮るものがなかったことも、理由の一つだ。
やっとの思いで登り切ったことに微かな達成感を覚え、息を整えてから奥へと続く通路を見ると、太い柱の奥に緊張した面持ちの少女がいることに気がついた。
肉付きの少ない小柄な少女は白く清潔なワンピースを身に纏い、何かの布を抱えておっかなびっくりこちらを見ている。案内の者、とは彼女のことか。
あまり刺激させないように微笑みを浮かべて少し目線を近付けると、緊張はしているが警戒は少ない瞳で彼女は応じてくれた。
「こんにちは、初めまして。君が案内をしてくれるのかい?」
「は、はい。イファリスさまにおおせつかりました。あの、これどうぞ」
辿々しい言葉遣いで受け答えしながら、少女は持っていた布を私たちに差し出してきた。大きさや見た目から言って手拭いのようにも見えるそれは、もしや汗を拭くように言っているのかと彼女に確認すれば、こくこくと頷いて小さく答える。
「だってあの、暑そうだったから」
申し訳なさそうに視線を落とす彼女に、三人顔を合わせて苦笑いをする。ここに来て初めて、緊張の糸が解れた気がした。
有り難く受け取って、拭ける限りの汗を拭く。流石に鎧の中までは拭けないが、それでも充分な清涼感を得た心地だった。
手拭いを回収する少女に改めて礼を言い、案内をお願いする。にっこりと笑って先を歩き出す彼女に続いて、我らは再び緊張の手綱を引いて歩みを進めた。
窓や明かり取りのない石造りの通路。炎とは違う不思議な照明に照らされていなければ、一瞬にして視界を奪われてしまうだろう。
外界の光と温度から遮断され、作られた明かりとひんやりと感じる石の冷たさにまるで別世界に迷い込んでしまったかのような感覚すら覚える。
小さく頭を振って正面を見れば、先を行く少女の小さな背中が見えた。
その後ろ姿に、似ても似つかない筈の婚約者の姿が重なる。
マリエラ。きっとここにいる筈だ。
拳を握り締めて足を前に繰り出せば、やがて人が200人ほど入れそうな広い空間に出た。
荘厳な雰囲気を持つその空間の奥には、この神殿の主が足を組んで玉座に腰掛け待ち構えていた。
まだまだ長くなるので区切りです。




