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01. 序

彼の世界に女神あり。


彼の世界に男神あり。


其は豊穣をもたらし


其は繁栄をもたらし


其は災厄をもたらし


其は、破滅をもたらすものである。







* * *







真っ白な部屋で目が覚めて。

一瞬、全てのことがわからなかった。

ここがどこなのか。

自分は何なのか。

どうしてここにいるのか。


全てのことが曖昧で、ただ気が付いたらこの白くて何もない部屋に立っていたという事実だけがあった。


それほど広くない。白くて四角い部屋。

ぼーっと目の前を眺めていたら、突然目の前に人が現れた。

音もなく気配もなく。ずっと前だけを見ていた筈なのに、瞬きをひとつするだけの間に、白いソファーとそれに腰掛ける人が出現していた。


穏やかに微笑むその人は、柔らかな瞳でこちらを見上げている。髪の長い、女の人だ。


なんとなくその人と見つめ合い、どのくらい経ったのか。

女の人が、口を開いた。

何事かを言うその人は、やはり変わらず微笑んでいた。

私はただ、ぼーっとした頭のまま、緩慢な動きでひとつ頷いた。


それに満足したように女の人は笑みを深めて、






途端に、世界は遠のいた。
























――――――――ビュオオオオオオオオオッと凄まじい風が顔面に当たる。

はっと気がつけば、私は雲が浮かぶのと変わらない高さから落下していた。

不思議と怖くはない。辺りを見渡す余裕もある。

下は見渡す限り緑の木々に覆われていて、どうやら森のようだと認識できた。遠くには高く連なる山々が見え、森が途切れた向こうの平野には川が流れていた。


落ちる、落ちる、落ちる。

どのくらい上空から落ちていたのかはわからないが、空気を切って一直線に地上目掛けて飛んでいくような感覚に心地好ささえ覚えた。


あれ、でもこのままじゃ地面に激突するな。


ふと当たり前のことが頭に過り、それまで不明瞭だった思考が段々とクリアになっていく。パチリ、とぼんやりしていた瞳に光が宿る。

あ、わたしこのままだと死ぬな。


それでも慌てることなく、えーっとえーっとと呑気に考える。寝起きで目覚めたばかりのような感覚で、落ちながら解決法を頭から捻り出す。


けれど徐々に容赦なく間近に迫る森の木々を前に、私は咄嗟に空中で体勢を変えた。顔から勢いよく落ちていたのを、くるりと足を下に向けて回転させたのだ。

空中で屈むような形になり、私はそのまま生い茂る木々に突っ込む。

緑の葉や枝をすり抜け、もう少しで地面というところで右手を大きく下に向けて振り抜いた。


するとゴォッとどこからか強い風が吹き、地面に激突する前に緩衝材となって私は墜落死を免れる。


とっ、と難なく地面に着地する。辺り一面木々や草や剥き出しの地面に覆われた、どこをどう見ても明らかな未開拓地帯だ。人の手が入った形跡はない。

つまり、人の気配も感じられない。

森の中に、私1人で立ち尽くしている状態だ。


何をどうすれば良いのかわからず、どうしようか内心で首を捻っていると、そういえばと右手を持ち上げた。


何でさっきあんなことが出来たんだろうか。空中で体勢を変えた時も、右手を振り抜いた時も、どちらも咄嗟の動きだった。アニメやゲームのキャラクターじゃあるまいし、何であんな判断が出来たのか不思議だ。


不思議と言えば。

今度は木々の間から覗く青空を見上げる。

どうして私はあんな高いところを落ちていたんだろうか。直前までの記憶もあやふやだし、夢遊病にしたって限度がある。


うーん、と首を捻って考えて、結局考えてもわからないという結論に至った。

それよりも今は現状の確認だ。


ここは森の中。それも落ちている時に見えた感じだと、ほぼど真ん中といったところだろう。

方角はわからないけれど、落ちていた時に前に見えていた方を北とするなら、北に山脈、西に平野、東は森の切れ目が遠すぎてよくわからなかった、ということしかわからない。

拾った木の枝で地面に簡単な地図を描くけれど、いい案は何も浮かばない。本当にここはどこなんだろうか。


しかも、だ。どういう訳か今着ているものはシンプルを突き詰めたような真っ白なワンピースだ。括れも装飾も刺繍もない、ひたすら膝下まで伸びているだけのワンピース。長袖の袖口が少し大きく開いていて、仕立て損なった小袖のような感じだ。

ただでさえ訳のわからない現状に、森を歩くのに適していない格好。もう考えるのが面倒になる。しかも足は裸足だ。


とりあえず適当に歩き始める。遭難者が取ったら確実に死亡フラグに繋がる行動だが、知ったこっちゃない。


辺りを見渡しながらゆったりと歩く。時折小鳥の声が聞こえて、柔らかな日差しが木々の隙間から溢れる。何かの動物がたまに遠巻きにこちらを見ているけれど、近寄ってくることはない。

良い森だ。

普通は少しでも木や草が多い場所を通れば虫なんかが寄ってくるけれど、ここにはそれがない。生息していない訳ではないようだが、こちらに寄ってくることはまずないのだ。


清々しい気分で森林浴を楽しむ。こんな理想的な森林浴を堪能出来るなんて、素晴らしい贅沢だ。虫除けも帽子も要らない。


いくらか歩くと、小さな赤い実がぶら下がっている木を見つけた。

この木に生っている実ではない。木に蔦のような植物が絡まっており、その植物がつけている実のようだった。

5、6個ずつ固まって生っている実の一粒を千切り、匂いを嗅ぐ。何の匂いも感じないが、何の実だろうか。見た目は南天に似ている気もする。


じっと実を観察していると、小鳥が一羽降りてきて赤い実を啄んだ。雀くらいの大きさの薄緑の小鳥は、幾つかの実をつついてからまたどこかへと飛び去っていく。

どうやら毒はないようだ。

教えてくれた小鳥に感謝して、口に入れる。


前歯で噛むと、少し硬いさくらんぼのような食感で難なく噛み潰せた。甘い。いや、甘酸っぱい。小さな種ごと噛み砕いて飲み込む。


これは、美味しいかも知れない。


初めて見る野生の実を口にするという現代っ子にあるまじき体験をしたが、なかなか悪くない。赤く熟れているものを選んで幾つか摘み取り、少しずつ食べながらまた歩こうと思った時だ。


すぐ傍の草むらから、小さな動物が顔を覗かせていた。見た目は白い猿のように見える。

成長した猫くらいの大きさの猿は、私と目が合うと草むらを飛び出して何処かへと向かう。そのまま去っていくのかと思えば、少し進んだところで立ち止まってまた私を振り返った。

ついて来いということだろうか。


どうせ行く宛てもないのだし、知能のある動物のようだから大人しくついて行ってみることにする。


ぴょんぴょんと軽快に迷いなく進む小猿は、私がついて来ているか確認しながら先を行く。どうやら置いてきぼりにするつもりはないようなので、摘んだ実をつまみながら焦らず歩いてついていく。


この森は、私に敵意がない。

森なのだから敵意も何もないのはわかっているけれど、聳え立つ木々や動植物や虫に至るまで、誰もが私を害するつもりはないとはっきり意思表示をしているような感じがするのだ。

風が優しくて、強い日差しは感じなくて、なのに寒さは感じず程よく暖かい。


不思議な森だ。


10分も進まないうちに、小猿の行く先に森の切れ目が見えてきた。そんなに小さな森ではなかった筈だが、と思いながら光の溢れる木々の境目に立つ。


日差しを遮るものが何もない平地に立ち、眩しさに思わず手をかざして目を庇う。

段々と光に慣れてきた視界に飛び込んできたのは、森の中にぽっかりと丸く空いた広い空間と、その中央に聳える大きな建造物だった。


ピラミッド……いや違う。マヤ文明の遺跡か何かで似たような建造物を見た気がする。

所々苔むした白い石を規則正しく積み上げ、四角錐の形に仕上げられた天辺には、神殿のような屋根と柱が組まれていた。


ここまで案内してきた小猿を振り返ると、森の切れ目で座り込んで大きな黒い目で私を見上げていた。


連れてきてくれたお礼に、残っていた最後の一房の実をあげる。

小猿はそれを受け取ると、キ、と小さく鳴いて森の奥へと戻って行った。


すぐに見えなくなった小猿の白い背中を見送ってから、私はまた白い石の建造物を見上げる。

5階建て相当はあるだろうかという高さのこの建物は、落ちていた時には間違いなく見えなかったものだ。どの方角にあったのかはわからないが、これだけ大きければ気付かない筈がないのに。


とにかく相も変わらず人の気配が皆無なので、とりあえず登ってみることにする。

階段は正面の1つだけしかないようで、幅は成人男性が3人ほどギリギリ並んで 通れそうなくらいある。

その真ん中をひたすら登っていく。陽に当たってほのかな温もりを持っている石段の表面はでこぼこしているが、風化したのか元からなのか痛みを感じるほどのものではない。

一段一段登るごとに、段々と強くなっていく風に長く伸ばした黒髪がさらわれていく。


結構な段数だったけれどもさして苦もなく登り切り、神殿のようになっている頂上の入り口に立つ。

中に入る前に後ろを振り向けば、先程まで歩いていた森の木々を見下ろす形となった。上空から落下していた時に見たものと同じ広大な森を、落下していた時とは違ってゆっくりと眺める事が出来る。


強い風に全身を吹かれながら、青々と茂る森の木々と、それ以上に遠くまで広がる青空を見渡す。


美しい場所。

この森に私は恐らく一人ぼっちだというのに、不思議と孤独感は全く湧いてこない。


広大な景色を背にして、神殿の中に入る。すると、永らく誰も居なかったようなひんやりとした静寂に出迎えられる。

森の中は風で擦れる木々の音や、どこかで鳴く鳥や動物たちの声がしていたけれど、ここは全くの無音だ。


ひたひたと自分の足音だけが微かに聞こえるだけのその空間は、やはり神殿と呼ぶに相応しい造りをしていた。

聳える石柱。規則正しく広がる石畳。象形文字のようなものや、何かの絵図で埋め尽くされた石壁。

―――そして最奥にある、この神殿で最も高貴な存在が腰掛ける為だけに誂えられた玉座。


待っていた。

新しい主を待っていた。

この神殿から世界を見守る、新しい主を待っていた。


そんな何かの感情のようなものがその場に溢れ、行き止まりだった筈の玉座の壁から、突如としてぶわっと強い風が吹き荒ぶ。

どこからか現れた眩い光の粒子が、私の周りに集まりだし、まるで私を中心とするかのように、風と光が私の中に収束していく。


そして収まり切らなかった分が押し出されるような感覚で、ふわっと風と光が私の中から弾け出ていく。


2つが収まったのを感じてゆっくりと目を開くと、全ての様相が様変わりしていた。


薄暗く、永く人の手が入っていないように見えていた神殿の内部は、まるで新築のような輝きを持っていて。

光源など全くなかったのに、天井近くに設置されていたらしい燭台のようなものには、炎と似た光が丸く灯っている。

そして朽ちるばかりだった玉座の中心には何かの印が刻まれていて、永年の劣化によるひび割れや欠けも、全てがなかったことのように跡形もなく消え失せていた。


何より。


白いシンプルなワンピースを着ているだけだった筈の私の出で立ちが、何故か変身(メタモルフォーゼ)を遂げていた。


白であることは変わらない。ただ金で象られた襟元や、手袋?指ぬき?手甲?のような装飾、やたらスースーする下半身、とにかくあらゆるものが根本的に変わっていた。


まるで自分を中心として全てが生まれ変わったような、永く眠っていた神殿に生命が吹き込まれたような現象を目の当たりにして、ああ自分はこの神殿の新しい主になったのだ、とあっさり私は理解する。


そして何の躊躇いもなく、新しくなった玉座に腰を下ろす。その時初めて、この訳がわからない場所に来てから最初の渾身の第一声を叫んだ。


「いやなんでやねん!!!!!!!!!!!!!!」

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