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団塊タイムカプセル

団塊タイムカプセル~18歳の挫折

作者: nobidomebunko

団塊タイムカプセル~18歳の挫折


昭和42(1967)年1月18日(水曜日)

 ちょうど後1カ月で大学受験。学校の帰りに国電で代々木まで行き直前模擬試験の申し込みをした。家には新高円寺駅から住宅街の路地を抜け善福寺川の土手にそって畑や森を見ながら帰る。冬の陽は頼りなく夕方の空はどんよりと曇っていた。大学入試を前にした僕の気持ちと同じ。

 朝、新宿三丁目の地下鉄出口から歩いて行くと、南口陸橋から来る郷田君に会ったので、校門のところでカバンを頼んで、僕はまずプール場の下にある部室へ。3年生になってから部活動はしていないが、コンクリートの暗いこの場所は僕のすみかだ。予鈴の後の本鈴が鳴るのを待って、体育館の前を通り3Dの教室へ向かう。

 机の上にカバンがあるのを確かめてそのまま後ろのストーブへ。予備席にオーバーとマフラーをつけたままのNさんがいた。Nさんの横を通ったとき僕を見上げて微笑んだ。無言の「おはよう」だとわかった。

 英語の本間師が入って来て揃って敬礼したとき、僕はまだストーブの前にいたが、出欠とりの返事をしながら自分の席についた。

 渡部さんがNさんに、「早く自分の席に行きなさいよ」と言い、「寒いのよ」とNさんが答えている。自分の席に戻ってきたNさんは僕の方を振り返りながら机と椅子の間に体をすべりこませた。

 通路を挟んで斜め前が彼女の席で、彼女は机に肘をつき僕の方へ半分体を向けた格好で勉強する。黒板を見上げると彼女の横顔が目に入る。T君が、「あの人おまえの方ばかり見ている」と言ったように、授業中でも彼女は髪をかきあげ何度も振り返る。彼女は何か二人だけの交信をしているみたいだ。彼女の行動はわかりやすいが、教室の誰も先生も気づかないふりをしている。

 今年の元日、突然Nさんから年賀状が届き、僕は返事のはがきを出した。三学期になって学校に行くと、Nさんのまわりで渡部さんを中心に反響が起きていた。実質上の告白の手紙が彼女のもとに舞い込んだのだから。僕はそのはがきに自分の気持ちを書き過ぎたようだ。でもそれだけのことなのだ。

 午後、数学の合同授業が始まる前の時間、男たちがストーブを囲んでいる外側で、女子たちも集って大学入試のことをぺちゃくちゃしゃべっている。

「私、紺色いちばん似合わないのよ。ほかの人たち学生服だったらどうしよう」と言うNさんの声が聞こえる。T君が僕に、「そんなに悲しがるなよ」とわけのわからないことを言い、僕が、「修行の旅に出る」などと言って、二人で機嫌よく会話をしていると、二人の間を後ろから一本の手がまっすぐ伸びてきた。手のひらをストーブにかざして暖をとっている。僕はNさんの行動にまいっていた。

 合同教室に移動するため、オーバーを着てカバンを持ったNさんが黒板の前を通るとき、教壇の上でしばらく立ち止まったので、僕はまっすぐまともに彼女を見た。午後の陽ざしがスポットライトのように彼女の足下を照らしていた。一緒にいたT君が示した意味ありげな笑い。藤見君の敵意。


1月19日(木曜日)

 サイドリーダーの授業が始まる前、Nさんとその前の席の金子君が、能研のときの話しとか、晴着と帯一式を我慢すればブラジル渡航の費用を親が出してくれるというような話しをしていた。Nさんが僕に何か尋ねた。渡航の意味がわからずひとりで暗い気持ちでいた僕は、「知らない」というつもりで下を向いたまま首を横に振った。ほんの少し間があって、

「ネエ、聞いていないの?」

 とNさんが言った。かたくなな僕。飾らないNさんの優しさ。

 その後、金子君は見え透いた質問をしていたが、「リーダーの予習まだやってないから」とNさんはとうとう金子君を追い払った。

 LHRの時間、去年できた桜美林大学に佐山師が行くという伝達があった後、自分の名前を書いた紙に、クラスの4人が批評を書くというゲームが行われた。

 4人が書いた僕への批評。「カッコいいけど中身はネ」「つかみどころがない」「もっと心から人とつき合え!慶大にピッタリ」「静中動の人よ、静かに静かに」

 今、僕は屈辱感で何もできないでいる。いったいどうなっているんだ。マヌケ扱いされていたなんて。僕のことを誰が本当に理解してくれていたんだろう。それともたいして意味もないことを書いてよこしたのだろうか。

 そう言えば、二度目にまわしていたとき、僕の方を見てNさんが、

「わたしのところ困るのよ」

 と言っていた。何のことかわからない僕は、教室から人が散り始めた頃、

「君のに書かせて」

 とNさんから紙を奪い、文字のあいているところに僕のきわどい気持ちを書いてしまった。返したとき彼女の横顔に柔らかい笑みが浮かんでいた。彼女は渡すときや受け取るとき、いつもそっぽを向く癖がある。


1月20日(金曜日)

 特考の答案。漢文は15点だった。20点満点が二人いてそれが最高だけど、次は15点でそれでも少数なんだそうだ。うまく行くと国語は巻紙に名前がのるかもしれない。日本史は平均33点のところを40点でまずまずの出来だったし、英語も平均点を超えるかもしれない。いよいよ慶大法学部にダッシュだ。

 日本史の答案をワーと受け取りに行った後、ストーブのところに集まっていたら、OさんやFさんあたりがドヤドヤとやって来た。以前僕のことを好きだと言ったOさんが真横にいた。Oさんとは12月に不二家の喫茶に行って話した後は、全然口をきいていなかった。あのとき学生服姿の二人に若い女店員は怒っているような顔でレモンスカッシュを置いていった。

「慶大の入試問題集やってみたよ」

 と僕は低い声で話しかけた。Oさんは少し恥ずかしそうに笑って、

「慶大はやめたの」

 と言った。試験日が一番最初に来るとか、遠いとかという話しをして、

「じゃ図書館司書の勉強やめちゃうの?」

 と僕は聞いた。

「…(司書の勉強は続けるんだそうだ)…」

 今度はOさんが僕に、

「あのプロフィールに映画カントク二人もいるのね」

 と以前話した僕の将来の夢に話題を移した。思わず僕は、

「映画だけじゃなくいろいろやりたい」

 と答えた。

 今度は僕が、

「児童文学は最近研究され始めているね」

 と言ったら、Oさんは、

「児童心理学はやりたいのよ」

 と言った。

 高二の頃みたいに二人で肩を並べて低い声で話していても、まわりには白瀬君やFさん達もいて、僕にはOさんとずっと話し続けていようという熱意はもうなかった。


1月21日(土曜日)

 英語はたったの35点。平均より10点も低いという情けなさである。今まで一番だったNさんは大津君によって次席に落とされた。とうとう僕にはその役が来なかった。でも国語は合計で73点。古文はひどいけれど要約や漢字でかせいだ。前回の巻紙に名前が出たのは65点からだった。世界史は39点と予想を上回った。近代史はやってなくてもできちゃうらしい。41点のNさんとたいして変らない。一番の黒崎君は50点台だ。

 一時限の数学。僕の前の席にNさんが来た。合同授業では自由に席を探して座ることができる。

「どうして私こんな前に…」

 などと言いながら、Nさんは僕の方を振り返りながら座った。あの紙を読んでから彼女のほうが行動的になっているみたいだ。

 体育の時間、保健所から来た大人たちが教室からいなくなると後は自由時間。みんなに連れられてNさんも出て行ってしまい、つまらなくなった僕は校庭に行きバレーをした。しかし女たちが輪の中に入って来たこと、Nさんがいなかったことで、僕は小林君から借りた運動ぐつをまた革ぐつにはき替えて、学生服をはたきながら教室に戻った。

 うしろのストーブに男が数人。あと席にパラパラ。Nさんは須々木さんと自習していた。しばらくストーブの所でだべってから僕も自習。

 Nさんが僕を二度呼んで僕から辞書を借りるのを藤見君が見ていた。

 世界史の答案が運ばれてきて彼女と見せ合ったり、英語の答案を彼女の席に運んでおいたり。彼女がナイナイと騒ぎ出し、

「机の上においたやつのこと?」

 僕はまじめな顔をして言った。

「心配しちゃたわよ…」

 と彼女は楽しそうに言った。

 日本史の授業が始まっても、

「ねえ政経の答案見せましょうか」

 と言うので、素直に受け取って見始めていると、

「読んじゃいやよ」

 と彼女はわけのわからない声を上げた。授業中でも騒がしいクラスとはいえ、Nさんと僕はまわりのことをすっかり忘れたようにふるまっている。

 4時限終了後、国語の答案の束にみんなが集まって騒いでいた。彼女が、

「順番にやりましょうよ」

「ねえ、うしろから!」

 などと男たちに指図している。さあ僕も取りに行こうと立ち上がりかけたら、彼女が僕の答案を持って来てしまった。

「さっきのお返し」

「見ただろ?何点?」

 彼女は唇をすぼめながら「見ないわよ」と言い、「見ては悪いのよ」とたしなめるような言い方をした。ときどき日本語がヘンなのは帰国子女のせいだろうか。

 その後、僕と石井君が国語の答案をひろげて話しているのを、彼女は側に座ってずっと聞いていた。

 僕はオーバーを着け、座ったままの彼女に見送られながら帰った。そうして一日が終った。

 教室で人目も忘れて感情を吐露する二人。受験の近づく二人。卒業間近になった二人。去年9月、紀伊国屋書店で会話を交わしてから、正月の年賀状、返事のハガキ、二人にはいろいろなことが起きた。僕たちはもう子供っぽい好意のたぐいではない。

 何故、「もう就職したいわ」と須々木さんに言うのだろう。何故、「彼冷たいのよ」と岸さんに何度も繰り返すのだろう。考えてみればAFSで1年間アメリカ留学した岸さんと、帰国子女で新高に編入してきた彼女は同齢だった。

 教室で皆が知っている彼女は、成績がずば抜けていて、自由で、権高で、コケティッシュだった。内面の自信がそのように振舞わせているのだ。

 彼女は誰とでも快活に話すが、T君は彼女のことを認めていない。「あの人は誰とでも」とか、「すぐああいう関係になるやつ」とか言う。そうだろうか? T君にはそういうやつなのだろうか? 僕のNさんは明晰な頭脳を持つ強い女性だ。

 Nさんは今日、赤い髪止めを右側にしていた。


1月22日(日曜日)

 僕たちの高校生活ももうすぐ終わる。僕たちの学年はAからHまで8クラス、一クラスに50人以上いてそのうち女性は15人くらい。

 新高時報第142号の片隅に、三年女子の次のような記事が載った。『男子しっかりしてネ』という見出しである。

「戦後、女性が失ったものは真の男子であると聞いたことがあります。最近の男性、特にまわりの男性を見ると、なるほどとうなずかずにはいられません。朝、教室に入ってくる時のあの生気のない目。いつもやる気のなさそうな態度。一人では何もできないくせに集団になると、たとえ授業中であろうとも、先生の目をうかがいながらささやきあったり、はては教室のなかをこそこそ歩き出したり。彼らはそれを英雄的行為だと思っているらしい。そんな彼らが、試験の出来に大騒ぎを繰り返し、自分の点数の話しで夢中になる。あきれた話。もう少しましな価値観を養ってもらえたら。そうしたら、われわれ女性はシュバイツァーやケネディのような外国のしかも故人に憧れる必要はないのです。まわりにいる女性すべてが貴男方に失望しているのです。」

 僕たちはちょうど戦後のベビーブーム世代だ。静岡の伝馬町小学校も最初は二部制だった。小学校も中学校もクラスは大人数で、去年の夏、大学受験講習の申込みは駿台の教室で徹夜した。

 暗記勉強がうまくいって都立に合格した僕は、新高のやつらを見下してかっこばかりつけていた。本当の自分は落小のWさんや落中のI君と同じ世界の人間だと考えていた。御茶中に行ったWさんとは文通をしてきた。親友の誓いをしたI君とは、彼が附属大塚に合格して登校してきた朝、教室から飛び出して行って、校舎の玄関口のスノコのところで彼に飛びつき祝福した。あの頃の僕は自信満々で素直な少年だった。

 18歳になった夏休み、いよいよ勉強に集中する大事なときだった。しかし僕は駿台の夏期講習をさぼり映画ばかり見ていた。二学期が始まっても、自分をごまかし現実から逃避して受験と関係のない本を読んでいた。映画監督になろうと考えていたが、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読んで社会心理学の道に進みたいと考えるようになった。

 その頃、京王線八幡山駅で浪人生が飛込み自殺をした。新高の卒業生だった。教室で某先生が、「ワンランク下げて余裕のある環境に進んで、そこで十割の力を出すことが重要で、それが成功につながる」というようなことを言った。

 9月からの特考の結果は、皆の三分の一の勉強量では東大文Ⅲに入ろうなんて無理だと悟らされた。私大でもいいからストレートで大学に行き、たくさん本を読む生活がしたい。

 ようやく僕は受験勉強に集中し始めた。


1月23日(月曜日)

 一時限の古文が終って、皆がストーブのまわりに集まった。Nさんの横があいていたのでそこに行って温まった。渡部さんが岩田君に話しかけ、Nさんも岩田君に、

「岩田くんて、ものすごく自信あるみたいね」

 と言い、彼もなにか答えていた。

「わたし全然自信がないの」

 とNさんが言ったとき、

「てんでありえない」

 などと皆が責めた。僕も一緒になって、

「嘘にはつき合えないよ」

 などとからかったら皆も笑った。

 その後、Nさんは僕を横に置いたまま僕を通り越して岩田君を相手にしゃべっていた。明るく自由に会話するNさんを間近に感じながら僕はひとりで自分の内に閉じこもっていた。

「嘘じゃないわよ」

 押し殺したような声が僕の耳元でささやいた。僕はだんだん集まってきた連中に場所を譲り自分の席に戻った。

『英文解釈セミナー』を始めていると、Nさんや須々木さんがストーブから戻ってきて僕に話しかけた。話し足りない様子だったから、僕も笑顔で、Nさんが差し出す『資本主義と自由化…』という本をのぞき込んだりしていた。三人で話しながら、僕はあらためて自分の言語能力の足りなさに気づかされていた。Nさんと岩田君の先ほどの会話に比べて僕はほとんど会話が出来ていない。

 数学の合同教室で、白瀬君とふざけながらちょうど後ろを向いたとき、Nさんと3Cの男が壁にもたれながら並んで話しているのが目に入った。学校でいつも男と自由に会話するNさんの姿を見て僕はまたくさっていた。

 次の化学のときも、彼女はいつものように僕を振り返り、僕との交信を待っていたが、僕は厳しい態度で無視していた。突然机に何かをあてる音がした。大きな音だった。彼女の姿勢は先ほどとまったく違っていた。右のひじが机の前方にどっかりと張り出されていた。そいつが音を立てたのだ。

 五時限目の現国、中里師は最後の授業で寂しい話をした。僕たちはそれを聞いていた。そういえば福山師も最後の授業だった。もう二度と受けられない授業。彼女と受ける最後の授業。もっとこういう時間が続けばよかったのに。何か考えているみたいに彼女の白い頬は赤く染まりいつまでも消えなかった。

 英語の時間、教室の笑いのなかでも、彼女は僕の方に横顔を向けたまま真剣に問題をやっていて笑わなかった。寝ている赤ん坊のかたわらで子守しながら、じっと本を読んでいる賢いベビーシッターのようだった。僕は驚きの気持ちで彼女を見ていた。

 放課後、Nさんが小テストの紙片を僕のカバンに入れているところへ、ちょうど僕がオーバーを抱えて戻った。須々木さんたちも一緒になって彼女をとがめたり笑ったりした。はしゃいでいるNさんに、「ソウジ当番!」の声がかかる。彼女は僕に笑いかけながら行ってしまった。そして僕も教室を去った。

 朝の岩田君のときも、このときも、たぶんNさんは、家で飼っているマルチーズみたいに僕をあやそうとしていたのかもしれない。彼女は正月のハガキ以来僕を気づかっている。今日の僕は、漠然とした不安を感じながらNさんの優しさに冷静でいられないでいる。ニヒリズムなんてもうどうでもいい。燃え尽きてしまうまでだ。


1月24日(火曜日)

 授業は明日残り一日。

 Nさんの授業態度は変わらない。彼女のまん丸い目が時々こちらを見る。そして今日の彼女は、教室中そしてほかの教室までサイン帳をもって歩き回っていた。

 授業時間が終った最後に僕のところにサイン帳を持って来た。

 愚かな僕は「文字はもういやだ」と言ってしまった。

「家に持って帰っていいわよ」

 彼女はまるで僕には書くことがいっぱいあるみたいな言い方をしてサイン帳を渡した。彼女が席を離れたとき、僕は彼女のカバンにサイン帳を戻してしまった。

「ネエ、書かないの?」

 彼女は皆と一緒に教室から出て行くときそう言った。

 その後、誰もいなくなった教室で僕はT君と話していた。彼はFさんのことを話し始め、上智を受けるFさんと一緒に、先週の金曜日四谷へ行き、終わってから外苑を散歩したと言った。

 ずい分経った頃、Nさんが一人で戻って来た。NさんがT君と話し始めた。ようやく僕もそれに加わり、机や椅子を寄せて彼女を中心にしばらくの間三人で話した。

 サイン帳をまた渡されてしまった。やがてT君が僕に向かってニヤニヤしながら出て行ってしまった。

 暗い教室に二人だけ残っていた。その雰囲気の中でも彼女はおしゃべりを続けていた。

 突然二人にキラキラ動く光があたった。隣の四谷二中の建物のなかから誰かが鏡を使っていたずらしたのだ。

 Nさんは、昨日岩崎君と話していた「自信」のことを口にした。

「僕は自信がないというより不安なんだ」

「同じことじゃない」

「自信がなくても笑っていられるけど、不安な人は笑っていられないよ」

 彼女はマフラーで半分顔を隠して笑っていた。

 彼女と一緒に地下プロムナードを通り、新宿駅から国電に乗った。彼女は学校にいるときとはちがう自分を見せようと夢中でしゃべっていた。彼女は早く家庭を持ちたいと言った。何ゆえ?夫?子供?家庭?

「今年でハタチになるんでしょ?」と僕が聞いたときも、いやそうな顔もせず彼女は自信にあふれていた。じゃあ僕は一体何?年下のおもしろい子?王女さまの下僕?

 大盛堂に行く僕は、東横線に乗る彼女と渋谷駅で別れた。

 彼女も慶大文学部を受けると言った。慶大の願書提出の時は一緒に行く約束をした。彼女との時間がこれからもずっと続いてくれたらいいのに。


1月30日(月曜日)

 衆議院選挙が終わり佐藤政権が続くことになった。

 受験まであと18日。最後の特考で国語、日本史で上位に近い成績を上げてもそれが慶大に通用するのか。落ちたらどうなってしまうのだろう。予備校通いなど絶対いやだ。数学をまた始めなくてはいけなくなる。


1月31日(火曜日)

 久しぶりの登校日。英語の補習に出たけどNさんは来ていなかった。クラスの半分ぐらいしか出席していなかった。

 英語はそろそろまとめのラストスパートに入ろう。豆単につけたマークの単語は完ぺきにしておこう。英作文はもうていねいにやっている時間がないから、重要なイデオムを暗記。英文法はだいたいの水準までは達したと思う。応用問題で確実にしていく。国語は文字力を完ぺきにしておきたい。ことわざ、故事成語も同様だ。文学史を正確にしておく。日本史は未完成。慶大の日本史は法学部、文学部ともに難問が多い。日本史用語集と資料集はしっかりやっておきたいのだけれど、ともかく本番までに仕上げなくては。気づいたものからその場ですぐに片付けていかなければ。

 何としても今年大学生になりたい。


2月3日(金曜日)

 朝すこし勉強する時間があった。新宿駅南口に10時の約束。15分ぐらい前に到着した。薄茶色のオーバーを着たNさんが、9番線(今の15番線)に入ってきた電車から降りて来るのがわかった。

 南口の改札からいったん外に出ようとする彼女に

「出ないで」

 と言ったら振り返り、

「切符買わなきゃ」

 と少しこわい調子で言った。

 8番線(今の14番線)のホームを歩きながら彼女は沈黙を続けていて何か強そうな態度をしていた。

 山手線の車内が空きはじめてようやく彼女の熱弁が始まる。渡部さんたちと出かけた山中湖のときの話しとか、謝恩会で彼女が司会をすることになった話しとか。

「私、黙っているのよ」

「今日は何も言わないつもりだったのに」

「今日はあなたの話しを聞こうと思って」

 どんどん僕たちは打ち解けていき、慶大の三田キャンパスに到着した頃は楽しい会話が出来た。

 渋谷行きのバスの中でもいろいろなことを話した。まわりの人が耳をすまして聞いているみたいだった。その時のやりとりはもうあらかた忘れてしまった。

 東女短大のほうの願書提出はもう行きたくないみたいなことを言い出し、ちょうどその時間が12時から1時までの休憩時間になりそうで、別の日に母親に任せようとした。

 僕は言った。

「井の頭公園を散歩してみたら?なんでしたら僕を連れて行ってくれてもいいよ」

「やっぱり行こうかな」

 と彼女は決めた。

 井の頭線では、3Dのクラスのことや、それから次第に真面目なことを話した。今夜は頭が回らないから印象深かったことだけ書いておく。

 2時過ぎに自然文化園に入ってすぐ、彼女がヘンな動物にお愛想をしている間に、ゆっくり反対側にまわって彼女と向かい合った。彼女はわざとその場所を動かず動物たちを見ていた。ひとりでいるNさんがそこにいた。あの時と同じNさんがいた。

 僕は思い出していた。…18歳になった6月のある日。Nさんは三笠の鐘塔の下にいて校舎の中から後れて出て来る誰かを待っていた。彼女は通り過ぎようとする僕に柔らかな笑顔を向けた。そのとき僕はクラスの誰も知らない彼女の本当の魅力を知ったのだと思う。彼女は不思議な光を放ち気高くてきれいだった。

 熱帯温室の2階のテラスに寄りかかって、熱帯樹を見下ろしたり、色のきれいな鳥を眺めたりしながら話した。サウナバスのような中で僕はコートを脱いで学生服姿になり、彼女もオーバーのボタンをはずした。オーバーの下は白いやわらかなセーターとピンク色のハイネックを着て、マフラーを首から下げていた。

 僕は冗談を言ったり、突如難しい意見を言ったりして彼女を喜ばせた。

「今日は完全にあなたに巻き込まれちゃったわ」

 彼女が一番笑ったのはこの時間だろうか。

「君って失恋なんかしたことない人だろ。僕もないけど」

「じゃあ私たちこれからどうなるの?」

 彼女は新高での僕にとまどいが感じられ、いつまでも僕がわからないと言った。

 彼女が「近頃まるで勉強できないの」「夜も眠れないの」と言い出した頃の僕たちは、気持ちが通じ合いものすごく幸せだった。

 彼女の前髪が斜めに流れている。その下からきれいな丸い目がのぞいている。小さな鼻が赤くなっている。僕は彼女の魅力に呆然として見とれていたが、彼女が僕への気持ちをもっと打ち明けそうになったとき、

「だんだんきわどくなってきた」

 と彼女を止めてしまった。もちろん彼女の気持ちを聞きたかった。しかし今の僕にその資格はないと思った。僕は片思いでいたいのかもしれない。

 僕たちのクライマックスは…おうむのいる鳥小屋を出て、ラクダを見たり、ウサギやネズミを見たり、展示館へ行って押葉展というのを見た。小さい建物のなかには僕たちしかいなかった。彼女はすっかり打ち解けていた。学校では聞いたことのない甘えた話し方をしていた。

 やがて短い冬の日が暮れ始めた頃、ふたりは出口へ向かって歩き始めた。薄っすらとけむる園内は誰もいなくて静かだった。

「僕は冬大好き。次に暖かいものを期待できるのってすばらしいよね」

 彼女は僕の後ろを歩きながらきれいな笑い声をたてた。

 出口に近い児童公園みたいな場所で、僕は二人乗りブランコに乗った。彼女のために半分空けておいたが全然座りそうになかった。彼女は、僕と向かい合う位置の低い鉄の柵に腰掛けて、前かがみの格好で膝に肘を立て、両方の手のひらにあごを乗せて、暮れかかる空を見上げていた。ひざ小僧を出した可愛らしい格好だった。

 僕は、彼女にうなずきながら小さな声で聞いた。

「もう行く?」

 とうとうふたりは出口の方へ歩き出した。

「あの出口まで手をつないでいい?」

 僕はおもいきって聞いた。

 彼女はいいと言わなかったが、僕は強引に、でもそっと彼女の右手をつかんだ。やわらかい毛糸の手袋の上からだった。彼女は僕の手の甲を彼女のオーバーにくっつけた。ストッキングのボタンの感触がした。彼女は恥ずかしそうに足元を見て歩いていた。

「高校生は手も握らせちゃあいけないって石川先生が言ったよ」

「そう?」

「言ったじゃないか。朝礼で」

「大いに共学を利用すべきだというのは聞いたことあるけど。何しろ私は知らないわ」

 少し強く握ってみた。

 出口が近くなり彼女の方から手を離した。

「教育に悪いわよ。小さい子の」

 ちょうど外の歩道を女の子を連れたお母さんが歩いているところだった。

 こんなに長く僕と彼女は一緒に過ごした。今日は疲れた。きっと彼女もだろう。

 慶大の廊下に並んでいたとき彼女が封筒をくれた。

「折鶴よ」

「僕は病気かい」

「私、折鶴なんてめったに人にあげないのよ」

 けちをつけた僕に彼女はさらりと言った。

 彼女は時たま甘ったれたような、ふてくされたような態度になる。そんな時彼女はまるで溶けてしまいそうなのだ。彼女のせいでまわりまでも溶けてしまいそうになるのだ。

 その折鶴は今、僕の目の前で二つ浮いている。


2月4日(土曜日)

 節分の日から一夜明けた今朝は一面の雪景色になった。井の頭公園の僕たちの足跡も、降り積った雪がおおい隠してくれたのだろうか。

 折鶴といっしょに小さい紙切れが一枚入っていた。

「とうとう二月になってしまいましたね。

 全力を発揮してくださいね。

 お互い目標を目指し最後の頑張り。 ○里」

 彼女が僕のために書いてくれた合格のお守りだった。彼女と過ごしたあの日がもう一度来ますように。

「あそこでの私は本当の私ではないわ」

 新高でのNさんは威張っている。彼女は女性らしくおしとやかだが物おじしない。目上の人に、あるいはアンサーなんかで、彼女は強そうな態度で挑戦するような言い方をする。Nさんの声は英語向きだ。丸めた口の中で舌をころころさせて言う。それが時たま甘ったれた舌足らずな言い方になる。

「ほんとに手玉にとられるって感じね」

 と彼女は言ったけれど、実際のところは逆だった。昨日の彼女、僕の横にいた彼女はものすごくかわいらしく、ものすごく優しく、そして神秘的だった。僕が歩き始めているのにそのまま座っていたり、離れて僕を見ているような時、彼女は何を思っていたのだろう。甘えたようなあの口調が、笑っているあの顔が、今も僕のまわりをグルグルと回っている。

 今は大学入試に全力を傾注しなければいけない。何のために私大三科目にしたのか。何のために慶大にしたのか。もうあと2週間。日記もやめておこう。文字は役に立たない。彼女のことはいつでも思い出すことが出来る。


2月5日(日曜日)

 やっぱり日記は書きたい。

 東女短大に願書を出し終えて戻って来た彼女と肩を並べ、いったん井の頭公園駅に歩き出した。

「ものすごく親切なのよ。椅子まで出してくれるのよ。もちろん私も丁寧だったのよ」。

 駅に着いてしまう。彼女はサイフを出し始めた。僕の歩みはだんだん遅くなった。さっき短大で言葉を交わしたという女の子が追い越して行った。

「どうする?」

 彼女が小さな声で聞いた。

「もう少し話しましょうか」と僕は答えた。

 二人で池畔の方へ歩いた。泥道を避けて花壇の縁の石の上を彼女が先に歩く。僕が後ろにいるのを彼女は恥ずかしがった。ベンチはみんな汚れている。ベンチの背に僕が座った。

「ワーだめよ」「ちょっと拭きますから」

 と彼女は言って、自分の座る場所を作る。僕はそれが終った頃ベンチを離れ、池の柵の中に入り柵に腰掛けた。

「こっちにしよう」

 だがその柵は高すぎて彼女は越えることが出来ない。彼女はキョロキョロ見回してから勇気を出して中に入ろうとするが、赤くなってやめてしまう。僕たちはまた歩き出した。

「あそこ拭いたのよ」

「終った頃を見はからって動いたんだもん」

「意地が悪いのね」

「あっ。あの音楽堂のところにしよう。舞台のところで話そう。まわりに響いて聞こえちゃたりして」

「いやア。マイクが入ってたりしたら」

 僕たちは客席の木製ベンチに並んで座った。

「おなかへったわ」

 僕はチョコレートを差し出した。

「みんな食べていいよ」

「どうして持ってるの?」

 去年の学園祭の演奏会の時、後ろの席に座っていた彼女がチョコレートのかけらをくれた。僕はそれをまた二つに割って、T君と分けてみせた。僕はそのときのお礼ですと説明した。

 橋を渡って、池の反対側にある店でそばを食べた後、池に面したベンチに座った。向こう側の道を人が通る。また通る。彼女は僕から離れて座っていた。僕はふざけて少しずつ近づいた。二人は笑った。向こうからアベックが来た時、

「冷やかしちゃおうぜ」

 と言ったら、

「両方で冷やかし合っちゃたりして?」

 と彼女は言った。

 水鳥の浮かぶ池を眺めながら彼女は動物と人間の友情論を始めた。僕は人間どうしの友情と比較した。俄然、彼女は雄弁になり、彼女の家で飼っている犬のことを話し出した。

「私、犬大好きよ」

 枝の上から、鳥が僕のコートにふんを落とした。

「鳥もやいている」

 僕はやせ我慢をして言ったが、彼女は気の毒そうな様子も見せずに喜んでいた。

 僕は彼女の手紙の批評をした。

「なかなかいいなと思うその横から威張ってるんだもん」

 僕が言う言葉の意味があまりよくわかっていないらしくて気にするので、

「楽しい手紙だったんだよ」

 と僕は言った。

「ねえ。やめてよ。私みんな本当にしちゃうんだから」

 その後、僕たちは陸橋を渡って自然文化園に行った。

「すいているわねえ」

 サル山でしばらくサルを見た。そこをまわって温室へと足を向けたわけだ。

 彼女が成人式の着物は着たくないと言った。フンフンと聞いていた僕は言った。

「着物着る女の人っていいな」

「じゃあ、私、着物作ろう」

 すべてが僕たちを祝福していた。そうだ。あの髪形も僕だけのためのものだ。コンクリートの手すりの上にお互いの手を揃えて話したふたり。彼女のおでこ、あの頬、白いあご。


2月10日(金曜日)

 一日中雪が降っている。外は真っ白になった。建国記念の日ができて明日は休み。もし試験が明日だったらどうだろう。日本史は駄目だ。あとは何とかなりそうだ。英語の単語やイデオムは確実にしておきたい。


2月19日(日曜日)

 法学部の試験が終った。

 もう一度やり直して欲しいということも出来ない。今度は失敗せずにやろうというわけにもいかない。今日のことをやり直すのなら一年待たなければいけないのだ。その答案を見て合格にするか不合格にするかを決定するのだ。親には6:4と言った。もしかしたらその6になるかもしれない。発表は3月3日。受かっていれば5日にまた二次試験がある。あさっては文学部の試験だ。


2月21日(火曜日)

 文学部の試験も終了。僕の大学受験もおしまい。

 Nさんとはすぐ別れてしまった。彼女はまだ東大の試験がある。

 日吉校舎のずい分奥まった建物が試験場だった。教室もさほど広くなく、着いた時はまだ空席が多かった。僕の座席は前から三番目だった。そしてNさんは9時ちょっと前に来た。彼女の席は最前列だった。

 英語が終って次の日本史までの時間そのまま座っていたら、彼女が僕の前に立った。学校からの案内ハガキを渡してくれた。

「Tに頼んでおいたんだけど」

「T君も休んだの。それで先生のところへ行ってもらってきたの」

「それはどうも」

 僕は他人行儀にお礼を言った。

 昼休みになると彼女は食事をしに家に帰り、40分ほどして戻って来た。

 そしてついに午後の国語が終った。カバンに用具をおさめて立ち上がる。僕がこの後どうするか彼女は心配して見ている。

「帰ろう」

 と僕は口だけ動かして言った。彼女はとたんににこやかになった。机の間の通路をまず彼女を通した。教室の後ろでオーバーを着けながら微笑している彼女の横を、僕は笑いかけながら先に廊下に出た。

「疲れたわ。きのう眠ったの3時よ」

廊下に出てきた彼女はそう言って並んで歩き出した。

 試験のことを話しながら歩いた。そのときの彼女は新高の英語で一番になったりするNさんだった。日吉駅が近づいた。

「切符買ってある?」

「ウン。ちゃんと往復切符を売っていたよ。改札はこっち?」

「向こう側に渡るのよ」

「へえ」

「私、向こうなんだけど」と彼女は言って、普通部通りの方向を指した。

「ああ、あっち? じゃあ。頑張れよ」

「ありがとう」

 彼女は、僕と同じようにちょっと手をさよならのカンジにして、わかりにくい表情で去った。

 別れて人ごみに入ってからものすごく淋しくなった。これがいちばん新しい二人だった。

 次に会うことが出来るのは11日の謝恩会と、12日の卒業式の二日間だけである。

 その先ふたりがもし逢うとしたら…作らなければいけないのだ。


3月2日(木曜日)

 明日から東大の試験が始まる。皆にはベストを尽くして欲しい。いよいよ明日は法学部の一次発表。自信ないというより何も準備していない。落ちていたら、帰りは『アルジェの戦い』を見に行こう。紀伊国屋の市民講座の予定表も見てこなくちゃいけない。合格してると忙しくなる。


3月3日(金曜日)

 安達瞳子が「おはよう日本」のひな祭り特集のゲストで言っていた。ひな祭りの飾り付けを見たり聞いたりするとメランコリックな気持ちになる。女の人は美しく着飾って嫁ぐのを待っている。日本の民族文化には自己犠牲の精神が潜んでいる。「かっぽれ」という歌は外人には驚くほど悲しい曲に聞こえるのに、日本人は自覚していない。というような話だったと考えているうちに、山手線の田町駅に着いた。

 戻ってくる人たちの顔に関心が行く。

「○○君どうだった?」「駄目だったの?」

 そんな会話が聞こえる。

 僕の前を歩く学生服姿の男に、発表を見てきた二人連れが、

「受かってるぞ。すごいな」

 と言っている。学生服姿の男の足が急に速くなった。

 大学の見える横断歩道で待つ間に人がいっぱいになった。皆、僕より年上の浪人生たちばかりだろうか。とても合格など期待できない雰囲気だった。重苦しい不安が襲ってきた。一次合格は四倍ちょっとだろうか?

 いよいよ正門に近づく。いろいろな団体がパンフレットを配っている。それを持っていれば合格した人に見られるかもしれないと思い受け取った。

 人混みに詰まりながら構内へ。階段を上り、暗さの中で僕は少し落ち着いた。そして掲示板のあるキャンパスに出た。人だかりのある方へ歩いて行く。落ちていることをとうに知っているような気持ち。そして受かっているかもしれないという期待。24797を受験票で確かめて、ビニールでおおった厚い掲示板の数字を探した。

 あった!信じられなかった。僕の数字がぽこっとあるのだ。前の数字も後ろの数字もない。僕の24797がくっきりと載っていたのだ。僕の脳裏に自分の出した英語の答案、国語、日本史が現れて、その失敗のひどさに首をすくめる気持ちだった。しかし、その答案で…24789…24795…に続いて僕の番号はあったのだ。…24797…24803…24805…24808…24810…24814…24817。うまい具合に並んだものだ。

 永福図書館で福沢諭吉を調べた。後はカミユの『シジフォスの神話』を読み始めたが、意外なほど難しかった。

 5日は頑張ろう。人生ってこういうものだろうか。自信がなかっただけに一次合格がうれしい。信じられないくらいうれしい。


3月4日(土曜日)

 風強し。明日の二次試験に対する不安。誰かにすがりたいという気持ち。Nさんのことを思う。大学が別々になれば、もう逢うことが出来ないという現実。やっぱり僕はいつまでも一人ぼっちだ。


3月5日(日曜日)

 今日も風が強かった。その中を日吉まで二次試験を受けに行った。これからずっと、あのコースを通うことになるのだろうか?より大きな集団の中で僕は自分の力を出し切れるのだろうか。しかし僕は強くなりたい。そのために受験中も本を読んだのだ。

 9日に発表。10日は文学部一次の発表。そして11日は謝恩会で久しぶりにみんなと会える。法学部の二次試験に落ちると12日は文学部の二次試験なので卒業式には出られない。

 午後からの面接を待つ間、日吉駅の向こう側を歩いた。ずっと探して行けばNさんの家を見つけられたかもしれないが、風が強かったので途中でやめた。彼女の声がどこからか聞こえて来そうな気がした。


3月6日(月曜日)

 強風の次は春先の糠雨だった。一日中そういう日だった。夜更けになった今も雨は静かに大地を濡らし続けている。

 高三になり蒸し暑い季節が近づいた日の下校時刻、Nさんが鐘塔のところで誰かを待っていたとき…いやもっと前、校門の大銀杏の葉がいっせいに落ちて、辺り一面黄色く降り積っていた高二の秋…ひとりで帰って行く彼女の姿を偶然目にしたその時から僕の日記にNさんが登場するようになった。

 ふたりが急速に近づいたのは、高三9月の紀伊国屋書店がきっかけだった。その日は、翌日から学園祭というので昼で授業が終わり早めの下校だった。僕は夏休み中の勉強に失敗して、クラスが目指す東大受験は無理だとあきらめ、私大受験の参考書を探すため紀伊国屋に行くことにしていた。半分はさっき教室で言葉を交わしたNさんに会えるかもしれないと思ったからだ。

 三階の大学案内コーナーで案内本を見ていたら、T君や江島君がやって来た。そしてNさんもちゃんと来ていたのだ。実のところ、彼らに会う前から化学か何かの参考書を見ているNさんその人の姿を見つけていた。

 僕はNさんに話しかけよう、あるいは話しかけてほしいと思いながら、T君たちと一緒に参考書を見たり、一人になったりしていた。彼らがいる間は機会がなかった。そのうち上杉君が来てT君たちはさよならを言っていなくなった。僕は残り、今度は古文の問題集を探す上杉君と一緒にいた。その間も、Nさんが帰ってしまわないかと気になっていた。彼女はあちこち見ていて帰らなかった。

 上杉君は『テクニカル古文』を買うことにしてレジに行った。僕は日本史のあたりを一人で見ていた。その時、本棚の陰からNさんが現れた。僕とNさんの距離が近づき、話しを始める寸前のようになっていたが、教室以外で彼女と言葉を交わしたことがない僕は言葉がすぐ出てこなかった。二人は体ばっかり先に近寄ってしまった。僕は苦笑した。彼女もそうだった。それでも最初に僕が話しかけた。

 最初のうち何を話していたのか覚えていない。上杉君が戻って来たがほっぽらかしになっていた。僕は精一杯、上杉君と別れるのは本意ではないといった様子をして見送った。Nさんは自分と同じクラスの男たちが帰って行くのをずっと知らんぷりしていた。

 二人になってから、彼女が、

「私、英文解釈の本探しているのだけれど」

「何かいい本ない?」

 というようなことを言った。

 僕は、数日前に広井君と話したばかりの『英文解釈セミナー』のことを紹介して一緒に見に行った。

 それから大学入試問題のコーナーへ行った。彼女が受けるICUは出していないというところから始まり、僕は私大に行くという話しをした。彼女も慶大か早稲田を受けるという話しをした。慶大生はよく声をかけてくるので嫌いだと彼女は話した。彼女の自宅が日吉校舎の近くにあるのだ。彼女はそこでも何か買った。

 彼女は、レジに行くときとかそこで待っている間、何度も僕を振り返った。きっと僕が帰っちゃうかもしれないと思ったのだろう。一緒に階段をおりて、地下プロムナードを歩いた。

 二人は新宿駅で国電と地下鉄に別れた。僕が慶大を受けることに決めたのはこのときからだった。


3月7日(火曜日)

 雲のきれめから青空が見え始めた。家の前の道は善福寺川で行き止まりになる。その場所を使って小学生たちが遊んでいる。男の子も女の子も一緒になってカイセンドンをやっている。

 窓からそれを眺めていたら、去年の秋のことを思い出した。

 卒業写真の撮影のためクラスで新宿御苑に行った。いつもより遠回りだと軽口をたたきながらみんなで正門から入った。いつもは新高のグランドの塀越しに見える御苑の広場や池の辺りが撮影場所だった。時折ひんやりとした風が吹き、高い木々の枝から葉が舞い落ちる。

 広場の両端の幹の太い樹を陣地にして、僕たちはカイセンドンを始めた。白瀬君も、T君も、黒崎君も、江島君も、そしてNさんや、Oさんや、Fさん達も、クラスのみんながゲームに夢中だった。そうでない連中はさざ波の立つ池の畔でしゃべっていた。

 僕がじゃんけんで負けて逃げ帰るとき、Nさんは必ず見ていて、僕を追いかけてくるやつにドンをする。僕が捕まったとき、その後Nさんも捕まりこちらにゆっくりと近づいて来る。もう少しで僕と彼女は手をつなぐのだろうか。Nさんが5メートルほど近づいてきたとき僕は突然解放されていた。なぜかおこったような顔をするNさん。

 僕がまた捕まり、軽口をたたいて待っていると、背中に両手でおもいっきりドンされた。振り返ると僕の足下でNさんがシリモチをついている。みんなが、

「Nさん何してるの」

 と、げらげら笑っている。

 彼女はいつもゲームに夢中になってしまう。それまでクラスのゲームでNさんが特別僕を相手にしたことはなかったが、あの日のNさんは御苑の芝生の上で遊びながら僕への気持ちを伝えようとしてくれていた。

 T君が言った。

「おまえの言うとおりにするんだものナア」

 円形になってデンキオニをしたとき、Nさんの正面に座っていた僕は彼女の視線を意識して彼女を見返した。ふたりはお互いが了解しているみたいに相手をずっと見ていた。

 夕暮れが近づきシーンと静まり返る御苑の広場に僕たちの声だけが響く。時折冷たい風が吹いて、まわりの森が幻想的な景色に変わっていく。

 大学受験が近づいて来ていた。


3月8日(水曜日)

 明日は慶大法学部二次試験の合格発表。皆に早く合いたい。11日の登校日が待ち遠しい。


3月10日(金曜日)

 今日の文学部の発表で一次に受かった。帰りに紀伊国屋へ行って本をどっさり買い込んだ。『日本の思想』『昭和史』『審判』『夢淡き青春』『肉体の悪魔』『愛の砂漠・青い麦・夜間飛行』

 ものすごくぜいたく。


3月11日(土曜日)

 今日は学校で皆と会える最後の日となった。謝恩会。僕はこの3年間ずっと新高に反抗して来た。

 武宮師が、「明日の卒業式出られない者は?」と聞いた。文学部の二次面接で出られない僕は手を上げた。Nさんは東大に落ちてもICUに行くのでもう手を上げなかった。Nさんのまわりはすっかり祝勝ムードに包まれていた。

 T君が話すことがあると言って来て僕の態度を責めた。T君、Fさん、Oさんと、僕の4人で交際した時代もあった。卒業してしまう前にOさんに何か伝えるべきだとT君は言った。謝恩会に出るため皆がガヤガヤ教室を出始めた。混んだ出口に顔を向けると、こちらを見ているOさんがいた。背の高いT君の陰で僕は隠れていた。

 講堂に入っていくと、Nさんは司会者用らしき離れた椅子に一人で座っていた。今日も彼女は、僕が以前書いて渡した漫画を真似て、前髪を左に流した髪形で、少しだけ口紅をぬり、きれいな微笑を浮かべていた。一人でいるときのそんなNさんに憬れていた僕にとって、新高の彼女を見ることができる最後の日だった。

 謝恩会の後半はNさんがマイクを使った。先生たちのインタビューで、彼女がマイクを向けたり、小走りになったりして動くと、前髪が落ちて目にかかった。きれいな黒い髪。顔が輝いている。五百人を前に彼女は恥ずかしがりもせず負けてもいなかった。僕の目は彼女の姿を追いかけていた。彼女もまた確かめるように僕の方へ顔を向けて話していた。

 その後、3Dのコンパは京王の食堂。エスカレーターで上りながらOさんが夏見君に、

「小さく見えてくるでしょ…」

 と固い語調で何か話していた。駅のまわりやデパートでは女の人がやたらと短いスカートで歩くようになった。

 ネッカチーフをまわすゲームで、Oさんは落ち着いていて扱い方もなれた感じだった。Fさんはまわりの男たちとずっと話していた。Nさんはあまり騒いだりしなかった。ネッカチーフが回ってくると、ぱっと結んでぱっと送る。額の前で髪が踊るようにゆれる。僕は彼女の表情や動きのすべてを凝視していた。

 ようやくNさんと二人でと言いたいが、堀田君と渡部さんを入れた四人で、新宿西口会館地下のニューフジヤへ。あまり雰囲気のよくない喫茶店。僕の前にNさんが座る。堀田君がNさんに、

「彼と一緒に東大の願書出しに行ったんでしょ?」

 と言った。知らなかった僕は堀田君を遮るつもりで聞いた。

「彼って誰?」

「彼って言ったら、(Nさんをあごで指し)あの人の彼だよ」

 とたんに彼女は顔を赤くしてそわそわした。でもはっきりと否定もしなかった。気まずい表情もしていなかった。

 あの頃、Nさんは藤見君や岩田君そしてAFSで米国留学した白瀬君と、東大文ⅢやICUの話をしていた。僕と行った慶大は、彼女にとってはすべり止めだったのだ。僕は気まずい気持ちでその後はあまりしゃべらなかった。

 エスカレーターで地上に向かいながら、堀田君がだじゃれを言うと彼女は機嫌よく受け答えしていた。

 新宿駅で無理やり奴らを振り切って、ふたりで山手線のホームに上った。堀田君はいぶかしげにしていたが、Nさんの相手が僕だということをいいかげん悟ってもいいはずだ。

 国電の中でも東横線の中でも彼女は話し続けた。僕は少しずつ口を開くだけだった。彼女ばかりが話しそれを彼女は謝った。

 今夜の帰宅は11時だった。明日は文学部の二次試験の日。今日の続きは明日帰ってから書く。


3月12日(日曜日)

 朝、渋谷駅でI君に出会った。高名なロシア語学者の息子である彼は東大文Ⅲと慶大、早稲田の文学部を受験した。3時に別れるまでずっと一緒だった。I君とは落中時代に親友になろうと言われ、彼が教附高大塚に行ってからもよく会った。

 僕が『聞けわだつみの声』を広げていたら、I君がそれを取り、

「面接で、いま読んでる本はこれですってしゃべるのか?」

 と聞いた。反戦高校生と取られるらしい。慶大は面接や内申書を重視しているようだ。新高は何も教えてくれない学校だった。I君は自分の学校に誇りを持っているようだった。僕はずっと新高に逆らってきた。彼は今年東大に合格しなければ一浪して来年また東大を目指す。

 昨日初めてNさんの家まで送って行った。国電の明るい車内で、彼女は試験のことや僕の手紙が着いたことを言った。返事をしようと考えたと言った。

「そんなことしたら試験妨害と言われて責任重大だよ」

「手紙が着いたのはICUの試験が終ったときだったのよ」

「ウン、そういうふうに出したんだ」

「どうもありがとう」

 彼女はあの笑顔でお礼を言った。

「でも引越しで住所変っているかもしれないと思って、お返事するのやめたのよ」

 東横線の急行に乗って、彼女は通訳国家試験を5月に受けることを明かした。

「共かせぎして経済援助しなくちゃいけないでしょ」

 彼女の感情に圧倒されて僕は非現実の中にいた。

 以前、LHRの時間に、「自分の将来」を皆が発表したとき、彼女は大学を出たらすぐ結婚したいと言っていた。…その人の優しさに甘えたときどのような結末がやってくるのだろうか。

「君だろ、『つかみどころがない』って書いた人」

「私? 知らないわ。ぜったい私じゃないわよ」

「君が東大合格したら、君は僕のシッペを受けなさい。君がもし落ちたら僕がシッペするよ」

「いいわよ。でもぜったい落ちるわ」

「あれ、聞いてなかった? どちらも君がシッペされるんだよ」

「なぜそうなるの? じゃあ、一次でやめておけばいいのよ」

「そんなことしたらもっとだよ」

「だって、そんなこと決めなかったわよ。でも、それでもいいわ」

 彼女の受け答えのおかげでふたりの会話は弾んだが、慶大法学部を落ちた僕は男らしくなかった。

「差をつけられすぎちゃったなあ」

「どうして?」

 彼女は、わからないというときの顔をした。別の話しのときにも同じ反応をし、同じ言葉を使っていた。その時は、

「どうして? あっ、下宿するから?」

 とヘンなことを捜してきてそう言った。

「今度、アップルパイ作ってあげるわね」

「えー。食べると粉こなするやつでしょ。けっこうです」

 彼女は僕を励まそうとしてくれていた。

 僕たちが立っている前の座席に、オフィスガールみたいな女の人が座っていてほのぼのした顔をしていた。

 日吉駅から家までの路の途中に、横浜の街が展望できる場所がある。僕たちは立ち止まってその夜景を見た。僕たちの一日にも別れのときが来ていた。彼女は自分の気持ちを僕に伝えようとしてくれていた。

「以前、あなたが『終った』と言ったときものすごく腹がたったわよ」

「でも表情に出ていなかったなあ」

 僕はまた彼女のことをからかった。

「そうよ。出したら負けだもの」

 彼女はきれいな声で言い返した。

 彼女は僕にとってきわめて大切な人になった。しかし彼女の前にいる僕は出来そこないのひねくれ者だった。僕は成績でも性格でも最後まで彼女に及ばなかった。

 彼女の家の門のところで、

「発表終ったらそのうち連絡していい?」と僕は言った。そして自分が急に恥ずかしくなり、

「あっ。…いや」と首を振って打ち消した。

 その時、彼女は真剣に必死に言った。

「住所変ったら教えてネ」

「ウン、おやすみ」

 と言って、僕は背を向け歩き始めた。

 僕は、帰りにもう一度あの場所に佇んで横浜の夜景を目の奥に焼き付けた。

 彼女といるときの心の安らぎ…今まで誰からも一度も感じたことのない本当の優しさというものを彼女は僕に与えてくれた。


3月14日(火曜日)

 明日は文学部の合格発表。合格したらNさんに連絡する。僕の行動のすべてが彼女への憧憬につながっていることに気づき僕はそのことに満足している。

 クリスマスの48時間休戦の後、アメリカの北ベトナム爆撃は激化しているそうだ。人や村をみさかいなく焼き尽くしているのだ。


 3月15日(水曜日)

 補欠合格だった。今日からは合格通知電報をただ待つだけ。

 自分が小さく見える。どう考えてもゆううつになる。だから何をしていても宙ぶらりんの自分に気づいて、無気力に陥ってしまう。

 卒業文集のあるページに、「ブチクロとそのコンビには言うことなし。降参でした。夢でうなされたよ」と書いてあった。彼女とのやり取りは去年の秋頃から激化して、それで「言うことなし」などと言われるようになった。「Nさんがどうして」とクラスの皆は考え、そういう僕のことを図々しいやつと見ていたのかもしれない。


3月17日(金曜日)

 今日も一日、来るか来ないかわからない合格通知の電報を待っていた。

 文学部に入学できても、来年の編入試験に失敗したらどうしよう。将来どんな職につくのだろう。

 テレビで見た平和を訴える人の姿にとめどなく涙があふれた。気づくのが遅すぎた。すべてが遅すぎたのだ。


3月18日(土曜日)

 悲観的なことならたくさんある。Nさんからは連絡がこない。

 エーリッヒ・フロムは言う。

「…今まで他人であったふたりの人が、自分たちの壁を壊し、親しさを感じあい、ひとつであることを感じあうとき、この瞬間は生涯においてもっとも勇気を与えられ、もっとも心躍る経験をする瞬間である。…それは奇蹟のようなことであろう。…しかし、この形の愛は性質の激しさゆえに長くは続かない。ふたりがお互いを良く知ってしまうと、その不思議な姿を失うようになる。遂には、対立、失望、お互いの倦怠が、最初の興奮の名残であるものさえ消してしまうのである。しかし、初めはこのことにまったく気づいていない。夢中になる強さ、互いに『血道をあげる』強さが、その愛の強さの証拠と思い込んでしまう。…それは愛し合う以前の寂しさの程度を示すものに過ぎないのである。…」

 フロムによれば、ふたりが惹かれあうその強さは、エゴの強さに他ならず、the nature of loveにあらずとなる。いつも嫉妬していた僕のNさんへの感情は、愛の名を借りた独占欲だったのかもしれない。


3月19日(日曜日)

 夢の中で…僕が彼女にサイン帳を渡し、彼女が岩田君と話しているところに僕が現れ、彼女が赤いサイン帳を手にしながら、「たくさん書いてくださってありがとう」と僕に言おうとするその顔に、僕がおもいっきり怒りを込めて、「破っちまえ」と声にできずに叫ぶと、突然、彼女が僕のページをまん中から引きちぎった。ポカンとしている僕に向けた彼女の謎めいた笑いのすごさ。それは僕への従属ともとれたし僕への反抗とも受けとれた。僕が彼女の神秘的な笑いに魅せられ彼女に接吻しようとしたとき、ふたりでいることは危険だと彼女はちゃんと知っていた。

 現実の彼女は、あの日も翌日も、サイン帳を持って男子や女子の間を徘徊していた。あの日彼女が赤いサイン帳を僕に預けたので、岩田君のつらつら書いた言葉の羅列や、藤見君が友人の一人と宣告されたことや、江島君の自信が彼女によってこなごなになったことを僕は知っていた。それでもしかし僕は嫉妬していた。翌日、一番後ろの机で白瀬君が彼女のサイン帳に何か書いていた。彼女はその横に座りひざ小僧を出して本を読みながら待っていた。自然で気取らないそんな可愛らしい彼女のことさえも、僕は受け入れることが出来ず頑なに心を閉ざしてしまう人間だった。…彼女は僕の気持ちを受けとめてくれていたのに。いつだって僕を慰めてくれていたのに。


3月21日(火曜日)

 目が覚めると雨戸のすきまから朝の光が差し込み窓ガラスに映っていた。僕は何日も続く自分の弱さが情けなかった。

 朝食を済ませてテレビを見ていたとき、心配事の一つは解消された。彼女から卒業旅行の湯河原からの絵葉書が届いた。渡部さんが落ちたと書いてあった。そのせいかなんとなく暗い文面が気にかかる。

 そして、明日か明後日にもう一つも解決するはずである。その二日間のうちに電報が来なければ、浪人が決まってしまう。


3月22日(水曜日)

 フィッツジェラルドの「夢淡き青春」を読んだ。どうも出版社の過大広告に乗ってしまったような気がしないでもない。解説に書かれていることが僕の読解力では作品の内から読み取れない。もともと僕は明晰な思考力に欠けている。

 ニューヨーク州ロングアイランドの大邸宅を舞台に描かれる富と華やかさは虚飾であり主人公の夢は現実の壁に崩れ去っていく。背景となる時代は両大戦にはさまれた1920年代のアメリカ頽廃期であり、そこにはジャズトランペットの音が聞こえている。

 夜になって、ラディゲの「肉体の悪魔」を読み終えた。「僕」とマルクの恋愛はだらだらと続いていく。肉体のけん引によって、ただ逢って、お互いを慰め、ふざけ合い、夜を過ごす。この小説の唯一の社会性は第一次大戦のさ中であること。夫が兵役に出ているから秘密が生まれ、「僕」の生活が自堕落になって行く。僕はこれを読みながら飽きてしまい、ジイドの「狭き門」を思い出していた。二つに共通するのは恋愛に終末が訪れること。死やその他の形でとにかく終焉がやってくるが、「狭き門」のプラトニックなアリサとジェロームの空しい結末は宗教的精神に救われ癒される。

 僕は、自分に起きたできごとが小説になるだろうかと考えた。終焉が定かでない今なら書き易い。しかし現実の世界では僕と彼女の間に溝ができてしまったようでそれを知るのが恐い。先日の彼女は、しばしば僕の話題の中で、「女の人?」というふうに尋ねていた。彼女は僕をめんどくさく感じ始めていたのかもしれない。愚かな僕は自分のせいでふたりの将来を台無しにしてしまったのだ。


3月23日(木曜日)

 4月に新所沢に引っ越して東大文Ⅲを受験するため予備校中心の生活を始めることになった。

 一カ月余の間、僕の心は休まるときがなかった。今日、慶大の事務局にいる父親の友人から電話があり、僕を励まし続けてくれるのを聞きながら、僕は自分の失敗をあらためて悟らされていた。むしろようやく何かから解放された自分の身を喜んでもいた。

 僕は彼女が好きだしこれからも逢いたい。しかしふたりが一緒にいられる可能性は大学合格の可能性より少なかったのかもしれない。それは前から予感していたことなのかもしれない。

 だが…その日がいつか来ることを承知はしていても…今はNさんに何と伝えたらいいのだろう。

 T君は一浪して来年また理Ⅰを受ける。僕の場合は私立を落ちたのだからきっと他のやつらは冷笑していることだろう。僕はこれからの一年間出来得る限りの努力をするつもりだ。代ゼミの開校は4月21日のはず。それまで一カ月あるけど、数ⅠⅡの教科書をやることが最大の課題。英語はある程度まで出来たと思うから英作文の参考書を中心にやろう。今年の失敗はこれが出来なかったからだ。あと、古文、漢文、日本史をやらなければいけないし、世界史、生物もずいぶんご無沙汰している。

 僕のことは解決している。あと心残りは彼女のことだ。僕たち結婚しちゃえばこの悩みも解消するのだがナ。


3月26日(日曜日)

 親に連れられて新しくできた新所沢の社宅を見てきた。正確には松葉町一丁目の4階建の301だ。駅の反対側には西友やボーリング場、喫茶店がある。駅の東側は広い一本道が米軍基地まで延びている。基地のなかは高いアンテナが並び乾いた沼地が広がっている。屋上に行くと空が広く富士山を囲む山々や東京の町がはっきりと見える。

 名古屋の鳴海で生まれてから7回引越した。いちばん長いのは小四から住んだ下落合だが、目白から落合を抜けて放射7号線が通ることになり、高二になった5月に杉並区大宮町に引っ越した。Wさんも同じ立ち退きで横浜の篠原町に引っ越した。文通していたふたりがそろって描写したのはそれぞれの下校時に見つけたタンポポのわたげ。秋頃の手紙では風にゆれるススキ。新高からの帰り新高円寺駅から長い道を通り抜け、家の裏への近道となる善福寺川の土手を歩くと、大宮八幡の方へ続く川や森や畑や原っぱがあり、いろいろな生き物がいた。小三まで過ごした静岡県上足洗は住宅地の先に田園風景が広がっていて、ここと同じ自然がたくさんあって懐かしい。

 大宮町に引っ越してきた最初は、永福町駅から明大前で京王線に乗りかえて新宿に通った。そのうち新宿西口から八幡入口バス停まで一本で行く京王バスで帰った。円形校舎の文化服装学院や、浄水場の広大な空き地や、バスの窓からの風景を眺めながら30分以上のちょっとした旅だった。台風が来た日、運転手がバックミラーに首をのばして、「お客さん、まだこの先ですか」と早く車庫に帰りたいようなことを言われてから、僕だけ長く乗っているのが恥ずかしくなって、今度は、卒業までずっと新高円寺駅から新宿三丁目駅まで丸の内線で通った。

 さて、午後からは親と別れて、三鷹から多摩川まで下見に行った。日曜で人出が多かった。外人がいかす外車に乗っていた。背の高さからして差がつき、その身のこなし、ハデさかげんに少なからず劣等感を抱いた。僕が高校生でもなければ大学生でもない存在でいる間に、Nさんはそういう環境に行ってしまうのだ。

 彼女は僕にたくさんのものをくれたが、現在の僕には彼女に与えられるものが何もない。これからの一年、僕はどうして暮らしていったらいいのか良く考える必要がある。


3月28日(火曜日)

 Nさんと会うための金が欲しくて、五分の一にも満たない値段で古本屋に本を売ってきた。

 顔を合わせれば愚痴を言う母親。悲しみのどん底にいる僕にはとても耐えられない言葉。有頂天になっているからと言う。卒業文集に書いた作品が貧弱だと言う。だから大学に落ちるんだと言う。静かに僕を見つめそして静かに理をさとすような親だったら今ごろ大学に入っていただろう。こんな生活はもうこりごりだ。

 何もかも絶望的だ。僕には自分の将来の姿がどうしても見えてこない。そこには僕という人間は存在していないかのようだ。自殺か?交通事故か?

 虚しいヒロイズムでいいからあの頃の自分に戻りたい。

 

3月29日(水曜日)

 午後から、代ゼミで申し込みを済ませた後、T君の家に行った。

 3Dからは大井君と近藤君と長田君が東大に入っていた。Nさんは落ちた。I君も落ちた。

 だが…、Wさんが文Ⅲに入っていたという報は僕をどんなに驚かせただろう。僕は恥ずかしい。何てマヌケだったのだろう。とにかくこの一年必死にやろうと思った。

 二人でI君の家に行き彼の個人文集を受け取ってから、T君と一緒に目白の田中屋に行って3時間ほど話した。T君とFさんのこと…Fさんは上智に行く。T君はFさんとの交際をやめたと話した。僕とNさんのこと…僕は今度、NさんとICUのまわりを散歩すると話した。予備校での勉強のこと…T君は来年も理Ⅰを受けるので研数学館にした。僕は代ゼミでLL教室をとることを話した。


4月1日(土曜日)

 今日という日はこれからの僕にとって本当に重要な日になるはずだった。彼女は約束の時間に遅れて新宿駅南口にやってきた。彼女の様子はすっかり変わっていて、僕が書いた漫画のとおりにしていた髪形は、クネクネした大人じみたいかさない髪形になっていた。僕はあらためて自分の敗北に気づかされた。

 僕たちの一日は味気のないものだった。急な坂道を登るとき、

「まだ歩ける?」

 と僕がからかうと、

「歩けなかったらどうするの?帰っちゃうわよ」

 と彼女は笑いもせずに言った。

 僕は昨日まで、彼女の口からそんな言葉が飛び出すことを想像していなかったので、その場にいることが恥ずかしくて消えてしまいたかった。

 もう誰とも逢いたくない。一年間めちゃくちゃに勉強しよう。そして見返してやるのだ。


4月2日(日曜日)

「お元気ですか。私は徐々に元気になりつつあります。笑ったりくしゃみをしたりすると痛むけど。歩くのはちょっとのろのろ。毎日本を読んで、また読んで、たまに新聞も見て、夜はラジオを聞きながら、『頭の体操』という本を一所懸命やっています。まったくのんきな生活。

いったいどうしたって?今日はおかげさまで(別に○クンのお陰じゃないけど…いつかの仕返し)午後は注射がなくて感謝感激。全く手術より痛いんだから。でもおかげさまで(…前と同じ)どうやら明日退院できそうです。(アア!今、病院なのか) Yes!ベッドの上で書いているんだから乱筆は許すこと!ところで手術の方は盲腸。「なんだあ」なんていうナカレ。経験もないくせに(でしょ?)。手術室のまん中のまな板にのせられ、麻酔され、全然気づかぬうちにW氏のお腹(おなかって読む?)に一生消えぬ傷をつけられてしまいました。「痛い?」って聞かれたので、「どのくらいの痛さを痛いって言うんですか」なんてつまらないことを聞いていたら、「もう切ってるのよ」と言われてビックリした次第。本人が知らないうちに切るなんてケシカラン。と思いません? 手術中に誰かが入ってきて自動車を貸してほしいと言う。彼は鍵のありかを教えている。「背広のポケットだ」「ありませんよ」「あれヘンだナ。右だったかな」とかなんとか。いつ終るのかナとそればかり考えている私はプンプン。お医者さんにとって盲腸なんていうのは…つまり盲腸なのよネ。私があまり緊張していたので気分をほぐすためにおしゃべりしてたのでしょう。でも手術中先生になにか聞かれたとき、口をあけても声が出なかったんだ。やんなっちゃった。試(ゴンベン一本多いけど書き直しするの面倒ですから…書き直した方が早かった)みに足の親指を動かしてやろうとがんばったら、親指どころか足全体なんとも不思議な感じ。口もきけないし足も動かないとなるとなんだかしゃくにさわちゃった。その夜は長かった。本当に本当に。時計を見ると、前に見た時から5分と進んでいない。もうイライラ。朝の4時までゼロ睡眠。注射をうってもらったらスヤスヤ。はからずも寝てしまいました。ヘンなものでその時はこんな注射でだまされないぞなんて思ったんだから。その注射、麻薬だって聞いてギョッ。翌日からは不思議なくらい気分良好。ヨカッタヨカッタ。3/2に盲腸が痛んだ時はもうビクビクドキドキ。しあわせにも薬で無事受験…。そして卒業式も終り、「サア切ろう」というわけで3/24に入院した次第でゴザイマス。

どうも長々と失礼致しました。明日、家に帰ってからとも思ったんだけど(手紙のことです)、どうも気がとがめるので…。本当にごめんなさい。こんなに長い間、何のことわりもなく文通休んじゃって(?)。書く暇がないことはなかったんだけれど心に余裕がなかったので…なんて弁解はやめます。ともかく悪かったと思っています。

さて我々も高校を卒業しちゃったわけですけど(ウーム感慨無量)これをこれからどうします?私は何にも考えてないけど。なにか御意見ありますか。

今考えたらこの手紙どうやら大変な日につきそうね。オトトシの4/1、○クンから手紙がつきました。私はまんまとだまされちゃったんだから。全くその手紙を差出人の○クンに見せてあげたいくらいです。ところでこの手紙は3/29に書いたものですからウソじゃありません。疲れるといけないから1枚でやめようと思ったのに御覧のとおり。「ツマンネエ手紙だ」なんて文句をつける? オイ、ツケルノカヨ、ツケナイノカヨ、ハッキリシテクレヨナ(My Fair Ladyでこんなこと言ったでしょ、ヘップバーンが)

今日はぐっすり眠れるでしょう。それにしても残念なのはこのお休みに遊べないこと! 

ネスギのため、又もや背がのびてしまって困っているWサンより

一体どうなっちゃったのか全然しらない○クンへ(主語私、目的語○クンです)」

 Wさんが東大に合格したという事実。T君からそれを聞かされ驚いたときでも、僕はNさんと逢う日の計画で頭がいっぱいだった。そのときWさんからの手紙。ああ…Wさんは今の僕を何も知らない。


4月3日(月曜日)

 昼から雨が止んだので、雨にぬれた善福寺川の土手を郵便ポストまで歩いた。ボサボサの髪をかき上げ両手をポケットにつっこみ、右腕にはさんだ冊子の中にWさん宛の手紙をはさみ雨に濡れるのを防いだ。浪人すること、長い間の文通のお礼を書いた。

 あと2カ月で19歳になる。浪人とはな。来年もし文Ⅲに入ることが出来れば、I君と一緒だしWさんにも会えるだろう。

 牡丹という地下の喫茶店で一時間あまり過ごしたときが、その日初めてNさんとまともに向かい合うことのできた時間だった。

 彼女は、およそ僕には関係のない中学の頃の男友達のことを平気な顔でしゃべったりしていた。それでも、彼女の髪形のことも、おもしろくない話を聞いていても、僕の中から彼女への気持ちが消えてしまうようなことはなかった。僕は彼女の瞳の中に映る自分の姿を見ながら、彼女のことをいますぐ抱きしめてしまいたいという欲望に駆られた。彼女は赤くなってうつむいた。彼女はすぐにまた顔を上げ僕の目を見返し何かをしゃべり続けた。

 Nさんのそういう様子は以前のままだった。しかし心は遠くに離れてしまっていた。僕は何も伝えることもできないまま家まで送っていった。彼女は後ろも振り返らず門の中へ駆け込んで行った。


4月4日(火曜日)

 朝から風が強い。昨夜は夢にうなされていたようだ。夢の中の彼女も僕を置いてきぼりにして消えていった。

 もうひとつ他の夢。ベトナム戦争で死んだアメリカ人たちが並べられて横たわっていて、ジョンソン大統領に似た男が現れると、誰かが埋葬しますと言った。彼はそれを止めて、オリーブの枝を捜してきて彼らの胸に敷いた。大統領がざんげする姿に僕は夢の中で泣いていた。

 Nさんのことは考えずにおこう。過ぎ去ったことにはもうクヨクヨせずこれから始まる道をただひたすら進むしかないのだ。

 今日の朝日新聞の『ひととき欄』には何か心を打たれた。

「やがてその坊やが目をさましたので、私はバッグからみかんを一つ取り出して坊やにあげると、ニコリともしないで受け取りさっそく皮をむき始めました。『○○ちゃん、家に帰ったらボクはおん出されてきたからお願いしますって言うんだヨ』と叱るともなくおばあさんは言いました。二時間あまり後、もう夜のとばりに包まれたさびしい駅で降りて行きました。」


4月7日(金曜日)

 晴、風がちょっと冷たい。

 フランソワ・モーリャック『愛の砂漠』を読み終わった。人間は孤独な生き物か?それをいやすのは肉交?それだけなのか?マリア・クロースという女を間にしてレイモンやその父で医学者のポール・クーレージュなどの心理が描かれる。僕が共鳴し自問するのはごく最近の僕が演じた恋愛劇のことだろう。レイモンのマリアに対する態度と僕のNさんに対する態度が似ている。肉体の誘惑だ。

 僕はNさんに近づいてはいけなかった。唾棄すべき僕の人格のせいで彼女をいつの間にか傷つけてしまった。人は他者を傷つけてしまう宿命から逃れることができない。

 父親は来年も私大しか受けられないと言った。母親はネチネチとただわけのわからないことを言うばかり。こういう貧しい家庭に育てられた子はまったく悲惨だ。親が死んだところで僕は悲しまないだろう。僕のいる場所は地獄の底だ。

 下の道を女が通る。上から見る女の尻はやたら官能を刺激する。ふくらはぎを見る。うなじを見る。もう僕には女性が性の対象でしかない。これからの一年間、巷間にあふれる肉を食うこともせず悪魔の誘惑に耐えていかなければならない。


4月15日(土曜日)

 舵を握る若者の肩に手をかけ、もう片方の手ははるか前方を指し示すイエス・キリストの絵。嵐の中で若者に進路を導くキリスト。何と言っているのだろう。「見るがよい。さあ灯台が近づいた」。こういう絵を70円也で売っていた。恥ずかしくて買わなかった。

 僕という人間は常に自分の中に権威を置く。お茶高のWさんにあこがれ、教附高のI君を尊敬する。

 楽天的な現代人は人間本来の宗教性を忘れて生きていけるが、愚かで弱い僕は宗教的ナルシシズムから脱け出すことができない。

「神と不死を信じなくなったら悪行のかぎりをつくすより他はない」

 カラマゾフ1冊目。半分ぐらいまで読んだ。どうもドストエフスキー的精神というのは難解だ。僕にはツルゲーネフのほうが理解できた。『父と子』は良かった。ニヒリストがヒューマニストに読めた僕はまだまだ未熟。

 数学をやらなければいけない。英語もだ。忙しくなくてどうする。

 鉛筆を削っているところへ、父親が僕の部屋の整理を見に現れた。僕のエクスパンダーを胸の前で引っ張るが力がない。僕は「年だね」などとからかった。母親とはケンカばかりしているが、父親には金の世話を続けてもらいたいから争わないということ。

 これから1年。受けるのは東大文Ⅲ。あのキリストが僕の肩に手をかけて「ほら東大だよ」と言ってくれるのだろうか。だったら神を信じる。


4月16日(日曜日)

 いよいよ代ゼミ開始。いや混んでいること。代々木体育館であった開校式の最後に竹腰美代子が出てきて体操したり合唱させられたとき、こんな場所にいる自分が情けなくなってしまった。これから予備校生活の毎日が始まると思うと本当に暗い気持ちになる。

 人間は真の自由を得ることができるのだろうか。否である。例えば本能的なものからはどんなにあらがっても逃れることはできない。それどころか束縛されているからこそ安心して生きていられるのだ。

 ついに東京都に革新知事が誕生した。これからが楽しみになってきた。


4月21日(金曜日)

 東京の街にはどうしてこんなにたくさんの人がいるのだろう。電車に乗っていても道路を歩いていても空気が汚い。

 昼、明治神宮の原っぱで弁当を食べようと思ってウロウロ探したが、どこにもいい場所がなく、ぐるりと回って戻って来た。代々木駅前の交差点で、代ゼミから帰ってくる群れの中に、新高の生徒会役員だった中野さんがいた。クラスは別だったがもともとNさんが僕のことを教えたのだ。ここで出会ったことに意外な気持ちでお互いニコニコ挨拶した。

 Nさんがまた夢に出てきた。最初のうちお互い警戒しながら最後は一緒に街中に出かけて行った。


4月22日(土曜日)

 今日から新しい日記ノート。借りていた本をI君の家に返しに行った帰り、下落合駅前の文房具屋で買った。40円也。中学のときから書き始めたノートは15冊目になった。高校入学のとき買ってもらったシェーファーはペン先が柔らかいので指に合う。

 日中はずい分良い天気だったのに急に嵐となった。嫌な日が当分続く。

 新所沢に引っ越して2週間が経った。三階の窓に面して机を置いているので、駅に電車が入ってきたり出て行ったりするのを眺めることができる。単線の電車がまた入ってきた。アナウンスの声がここまで届く。駅前の広場から延びる広い道はめったに人が通らない。

「3Dクラス会」の案内が来ていた。5月7日だそうだ。行かない。とにかくNさんにはもう二度と会わない。高校生活の思い出として大切に残しておこう。

 なんだか知らないけれどやたらと悲しくなる。傷だらけになってしまった。孤高の存在でいたい。


4月24日(月曜日)

 『エレクトラ』も『春のめざめ』もつまらなかった。近頃はこんな映画ばかり見せられている。どれもこれも暗い白黒映像。あさって午後は体があくから久しぶりに笑える映画を見たい。

 部屋の窓から遠くの景色を眺めることができる。あるいは夕焼けに染まった空の下に黒ずんで連なる多摩の山なみ。晴れた日の朝の電車からは雪を冠った富士山がくっきりと見える。

 どんなにゆううつな毎日でもやるべきことはやろう。来年ぜったい文Ⅲに受かりたい。それには数学をやろう。もう10カ月しかない。


4月25日(火曜日)

 ベランダに出て夜空を見上げた。厚い雲がかかってそれが白く光っていた。そのすきまから青い星がひとつふたつまたたいているのが見える。その夜空のかなたにソ連の宇宙飛行士が消えた。

 一人の勇敢なロシア人は必死にボタンを操作していた

 地上からの通信も途絶えほんとうの独りぼっち

 他の国の飛行士と再び宇宙に来る名誉など彼にはもうない

 彼は果てしない宇宙をさ迷いながら40年間の出来事を思い浮かべていた

 故郷の美しい山、湖、生命

 彼は死んだ、ファビアンの陶酔を抱いて


「…003(ゼロゼロスリー)、009(ゼロゼロナイン)が好きだったのかい?」

「も、もちろんよ!あなたたちだってすきだったでしょ。」

「そうか…やっぱりな」

「…生まれてこのかた…愛するものが殺されるのを見つづけてきた…みんな死んでしまった…みんな みんなといっしょにぼく自身も死んでしまった ぼくはもう何十回も死んだのだ もうからっぽになってしまった…もうなにも残っていないのだ!…毎日毎日くりかえしくりかえし、生きるために戦う…」

……

「ごらんよ009!宇宙の花火だ!黒い幽霊ブラックゴーストのさいごだぜ! しかしどうやらぼくらも…さいごらしいよ」

「え!」

「ロケットのエネルギーがもうあまりないのさ 重力からの脱出にえらくくっちまってね! すまんな009せっかく助けにきたのにさ…」

「002!この手をはなせ!きみひとりなら助かるかもしれないじゃないか!」

「そうはいかないよ009 ぼくらはやくそくしたじゃないか…死ぬときはいっしょに…と」

「だめだ!ジェット(002)!むだ死にしては…!」

「おっともうおそい…大気圏突入! ジョー(009)!きみはどこにおちたい?」

……

「あつ、ほら…あれ!」

「流れ星!」

「…きれい!」

「うん」

「カズちゃん何を祈ったの?」

「えへへ おもちゃのライフル銃がほしいってさ」

「まあ あきれた」

「じゃ、おねえちゃんは…?」 

「あたし?あたしはね 世界に戦争がなくなりますように…世界じゅうの人が なかよく平和に暮らせますようにって…祈ったわ」

 ――石森章太郎『サイボーグ009』


4月26日(水曜日)

 代ゼミは校内模試が始まった。今日は素養テスト。久しぶりの試験で凡ミスが多かった。古文はすっかり忘れちゃっているのではないか?

 午後からは『審判』を見に新宿に出た。何の「審判」だろうと思っていたら、カフカだった。この小説は半分読みかけなのだ。映画はオーソン・ウエルズの制作、監督そして弁護士役。

「掟」の話しが幻燈画で最初とクライマックス近くに出て来る。

「掟」の門の前に一人の門番がいる。あるとき田舎から男がこの門番のところに来て、中に入れてほしいと頼む。

「あらゆる人々が掟を求めています。それなのに、長年の間、私以外に誰一人来なかったのはなぜですか?」

 門番は言った。

「これは君だけの入り口なのだから、ほかの者が入れないのも道理さ。さあ、わしも門を閉めて引き上げよう」

 虚偽(不条理)が支配原理にまつり上げられている。僕はもっともっと勉強して明晰な頭脳を持ちたいと思う。


4月28日(金曜日)

 武宮師の世界史を代ゼミで聞いた。新高と違うのは声のでっかいこと。あれじゃあ疲れるだろう。教壇まで歩いて行く先生が、僕の方を見て笑いかけてきたので驚いて挨拶した。久しぶりに先生の授業を聞き、当然のこと思い出したのは新高での授業。そして入試が近づいた頃の講堂での世界史補講。あの時の僕の行動…先生の目の前を走って飛び出した事件。今は予備校講師と予備校生。

 夕方から『大人は判ってくれない』を大手町の日経ビルで見た。帰りは夜9時半になってしまった。予習を始めても頭がまわらない。座席の前に石井君がいた。やつはやっぱり映画キチガイだ。帰りの電車で新宿まで一緒に話してきた。彼は外語大一年生だ。うらやましかった。シネクラブの会員証6回分の残り3回分を500円也で売りつけられてしまった。また行かなくてはならない。今は何の喜びも見つけらない暗い毎日のはずなのに、それを忘れたように僕は案外笑顔でいる。

 

4月29日(土曜日)天皇誕生日

 夜はラジオの野球中継が離せなくて、勉強に身が入らない。もうスランプか?映画に立て続けに行ったのも良くなかった。

 階下の内田さんという、三年前、新高入学のお祝いにアルバムをくれた人が、僕の顔を見ながら、「運がなかったのよねえ」とやたらしんみりして言っていた。

 明日で4月ともお別れだ。僕にとってこの1カ月は長かったが、すぐ夏が過ぎ、秋が来て、冬となり、受験シーズンに突入してしまうことだろう。

 生物。教科書さえだいぶ忘れている。理社科は夏休み中に完璧にしておかなければいけない。東大を落ちるほとんどがこの180点に失敗している。

 それにしても勉強しているほうだ。高校のときは授業や行事に追われて入試の勉強はろくにできなかったけれど、今は出かけるところが大学予備校だから時間のすべてを受験準備にあてることができる。


5月1日(月曜日)

 日本史のテストは30点ぐらいしかとれなかった。昨夜『日本史の焦点』をちょっと見ておいたのだけれど、平安時代までしか見なかったし、問題もなかなか難問だった。弁当を食べそこない4時過ぎになってから空いている教室で食べた。

 電車に乗ってから強い風が吹き雨も降ってきた。それでも後楽園球場はやっている。

『数学の解き方』を見ていてその文字の形から、なぜか不意にNさんのことを思い浮かべ憂鬱になってしまった。僕にはもうヒロイズムの片りんさえない。心の中はかさかさだ。人の心が読めたらいいのに。今夜はやたらと眠い。


5月2日(火曜日)

 70年安保の年、EXPO’70、東大社会学部3年生、僕の将来。

 今週の土曜、べ平連の集まりがあるという。行ってみようか、だけどベトナム戦争について何か考えたことがあるのか?早く終ればいいと思う。でも何のためにデモをするのだ? 僕たちに何ができる?やっぱりゴダールを見に行く。

 午前の代ゼミ教室で、ちょっといかす感じの女の子が隣に座った。横顔しか見られずはっきりわからなかったけれど、服装のセンスが良くて長い髪を古代風に束ねていた。清潔で真面目な雰囲気だった。とそこまで書いて、僕はなんて気の多いお調子モンなのだと思ってしまった。


5月3日(水曜日)

 祭日の今日は一日中良い天気だった。電車は子供連れでいっぱい。帰りの電車に途中から乗り込んで来た女の子を連れた若い夫婦。僕は驚き、かまわずその奥さんを凝視してしまった。あの目、あのひたい、心もちあごをあげた権高な様子。Nさんそっくりではないか。

 その人は視線を合わさないようにしていたがたしかに僕を意識していた。だから車内が空いてきて、夫と女の子が三人分空いた座席に移って行き、並んで座ろうと呼んだのに、その人は僕の前の座席から動こうとしなかった。脚を組みそうにしてスカートに手を触れる。しかしやらない。あの心の動かし方。あのコケットな表情。すべて新高時代のNさんと同じだった。

 今日、Nさんは結婚して僕の目の前にいた。夫から離れてばかげた浪人生の相手をしていた。


5月4日(木曜日)

『CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE D’AVRAY(シベールの日曜日)』を見た。

 明日は新宿文化へ『勝手にしやがれ』。あさってはシネマ新宿へ名作短編の集いに行く予定。いずれも夜の9時から。来週の水曜はトリュフォーの『柔らかい肌』と見るものがいっぱい。

 さて『シベールの日曜日』――インドシナで戦争中に農民を殺して以来、記憶喪失になった若い男には美しいフィアンセがいる。

 看護婦をして彼にすべてを捧げる彼女はおもいやりにあふれている。

 だがピエールはいつも何かにおびやかされていた。

 ある夜フィアンセを駅で待つ間に、父親に捨てられ寄宿舎に入れられる少女を見て、彼はその少女が自分を助けてくれることを知る。

 ピエールと少女は日曜日ごとに美しく静かな池のある自然公園で時間を過ごす。二人は愛し合い、あるいはかわいらしく嫉妬し合ったりする。

 だがこの美しい二人にとって、大人たちは冷酷な目を向ける。ピエールを「色魔」と噂する。

 知り合いの医師の誘いで、フィアンセはある日曜日むりやりピエールを連れてパーティーに出かける。ピエールはしかし自分を待っている少女のことが気がかりで、時間ばかり尋ねたり、妄想のふちから突然「フランソワーズ…」と公衆の面前で叫んだりしてしまう。

 フィアンセは彼と少女のことを知って悩むが、彼らの楽しげで美しく清らかな姿を見て、理解する気持ちになる。

 そしてXマスがやってきて、二人は森の中で二人だけのXマスをする。少女はXマス・ツリーに自分の名を書いた紙をぶら下げる。そこにはシベールと書いてあった。ピエールは約束どおり教会のてっぺんのニワトリを盗んできて、シベールにプレゼントしようとする。

 その頃、学校や医師の報告で警察は誘拐事件としてピエールを探し始めていた。

 駆けつけたフィアンセや彫刻家の目の前には、警官に殺されたピエールの死体があった。「2秒の差でした。今しもナイフをかかげておそうところでした」とか言う警官。

 動揺してシベールはつぶやく。「もう名前はなくなってしまったわ」

 こんな筋書きだった。

 中心的なせりふはフィアンセが医師に言う言葉。ピエールを気ちがい扱いする医師に、「あなたは常識はあるけど何にもわかっていないわ」。それは現代社会の大人達への怒りの言葉だ。

 ピエールの純粋な心を理解しているのはフィアンセだけなのだ。「幸福な人を気ちがいと呼べるの?」とフィアンセは言う。

 僕の心を揺り動かしたこの映画の監督の名はセルジュ・ブールギニヨン。


5月5日(金曜日)子供の日

 僕のとって本当の連休が始まる。今夜と明夜とその次の昼間と楽しみな予定がたくさんある。

 昨日の英作文。黒板に答えを書いていたとき、あの純日本風美人の女の子と一緒になり、文字が重なりそうになったので、僕が上に書くことにして、彼女の書く場所をずっと下の方へ指差してやったら笑っていた。彼女、give a meetingなどという使い方をしてほめられていた。今日はまたちがう服装だった。休み時間、束ねていた髪を一回ひろげたりしていた。

 さて、僕は心が変わり、あさって日曜の3Dクラス会に行くつもりになっている。それというのも昨日の夕刊にICUの記事が載っていて、半年間の休校を知ってなぜかホッとしたのだ。そしたら急に会いたくなった。しかしあの日のように冷たい態度をされたらどうするつもりだ?Nさんはもうせいせいしているに違いない。それなのに僕はあの優しさが忘れられないでいる。


5月6日(土曜日)

 今日は3日の代休。昨夜T君に会った。やたら張りきっている様子。今夜も出かけるつもりだからせいぜい昼間のうちに勉強しておこう。 

 昨夜の『勝手にしやがれ』は、前に見た『軽蔑』とちがい見ごたえがあった。さすがゴダール。やっぱり天才だ。やはりトリュフォーの原案も良かったのか。

「とにかく俺はバカだ。バカはバカらしくしなくちゃ」とか言う。「俺は最低だ」とか言って死んでいく。「最低」の哲学なんだな。そして「俺は疲れた。休みたい」と言う。女のために盗み、女のために殺す。女のために死んでいく。女のためにミッシェルは疲れている。

 明日のクラス会は、T君と中井駅で10:30に会って一緒に出かける。


5月8日(月曜日)

 今は朝の5時半。目を覚ますのが怖かったが頭のなかは案外しっかりしている。

 昨夜は、帰りの長い電車のなかででウトウトしながら考えたことがいつまでもグルグルとかけめぐり、夜遅く布団に入ってもなかなか眠れなかった。

「でも今は勉強するときじゃないの?」

「大学入るんでしょ?」

「それだったら、その目的に集中するべきよ」

「中途半端はいけないと思うの」

 Nさんは一日中僕を避けていた。

「特定の人というのはまだ作りたくないの。いろいろな人と付き合いたいの。わかるでしょ?」

 愚かな僕はふてくされてボソボソつぶやいていた。

 そしてNさんは家の中へ、「頑張ってね。さようなら」と言って走って行ってしまった。

 僕は屈辱をかみしめながら、絶対東大に入ってみせると心のなかで空しく叫んでいた。

同月同日

 いつもより早く家を出たとたん嗚咽が込み上げてきた。駅前の広場を歩きながら懸命に涙をこらえた。代ゼミの教室でも幾度も涙をおさえた。

 誰のせいだ。なぜこんな仕打ちを受けなくちゃあいけないんだ。浪人に決まったとたん心変わりするなんて。Nの卑きょう者。教室でいつも僕を振り返り何かを伝えようとしてくれたじゃないか。願書を出したあの日楽しい時間を過ごしたじゃないか。アップルパイを作ってあげるわねって言ってくれたじゃないか。

 今日も、明日も、これからの僕は何のため生きていけばいいんだ。何のためまた目覚めるのだ。薬?とび降り?勇気は?死ぬのならアジサイの花が咲いてからにしよう。死ぬ前にちゃんと家族の人にやさしい言葉をかけておくんだぞ。


5月10日(水曜日)

 トリュフォーの『柔らかい肌』。主人公の男はきっと今の僕みたいにみさかいがつかなくなっていたのだ。フランソワ・トリュフォーという人はきっと人間味あふれる人にちがいない。

 校内模試は、英・国が平均点くらい。数学は零点。

 どうして僕ばかりがこんなふうに毎日泣いて暮らすのだろう。悲痛な気持ちからいつになったら解放されるのだろう。苦しみから救ってほしいとボロボロ涙をこぼして神に祈った。人はこんなにも簡単に他者を始末してしまう。僕には信じられない。僕にはとてもそんなことはできない。僕はこんなにまで苦しんで死ぬほどの思いに一日中おびやかされている。

 ひょろひょろのへちまさん…強くなれ!大きくなれ!英語の鬼になれ!

 

5月11日(木曜日)

 僕が彼女のことを少しずつ忘れていき、苦しみから解放され、そして無感動になっていけば、同じころ彼女の方でも僕のことをすっかり忘れてしまう。

「まだ特定の友達を作りたくないの」という言葉は決定的だった。僕は見事にふられた。僕の存在などすっかり消えてしまっていたのだ。

 僕はこれから10カ月も予備校に通わなければいけない。毎日毎日同じことを繰り返さなければならない。そして、いつの日か、今の僕とは比べものにならないくらい強くなっていなければならない。そして東大文ⅢとICUにどうしても受からなければいけない。

 重すぎる過去は日記のなかだけで十分だ。物語のなかの僕は、挫折とは縁のない正統派の主人公として登場する。そして…家に帰るとそこには妻であるNさんがいてあの笑顔で僕を迎えてくれる。


5月13日(土曜日)

 悲しみも時が経てば消え去るものなのだろうか。たった6日前に死ぬほどの屈辱を味わったこの僕も、今日は半分忘れたように明るい顔をしてみせる。

 しかし僕はNが言った言葉を忘れたくない。いたずらに悲劇的になることこそ咎められるべきだ。今の僕にはそういう瀬戸際こそ必要なのだ。

 模試第1回目の返却。相対的に良い出来だ。だが僕は東大を受けるんだぞ。たとえば英語は71点で7,210人中545番だった。自分の前に代ゼミだけで500人以上いるなんて。85点くらい取っておかなければお話しにならない。2回目の英語は良くなかったし、数学は全然駄目じゃないか。こんなんで文Ⅲに入れるわけがない。


5月15日(月曜日)

 武宮師の講義はエクソダスにさしかかった。

「この中の皆さんが無神論者の方であれば、その方はたいへんめぐまれた生き方をしておられるわけで、それはそれで結構ですが、人は苦難に巡り合った時、どうして自分ばかりがこんな目に合うのだろうかと、神に…」

 また涙で目が潤んできた。やたらと悲しくなるのだ。自分が悲劇の主人公に思えてしまう。僕は苦しみを乗り越えてどうしても来年東大に合格しなければいけない。血が出るほどの暗記だ。


5月16日(火曜日)

 連日Nさんの夢を見る。朝、目が覚めると悲しくなる。どうしようもない喪失感でいっぱいになる。僕は布団のなかで背中を丸め、顔を布団に押し付け、その時間が過ぎるのを待つ。

 しかしそんなNさんの夢が昼間の僕には励ましになる。思い出のなかの二人は自由に駆け巡りそこにはむごい現実がない。

今日は4時半から小田実の読解力講座にもぐりこんだ。英文和訳がうまくなるには日本語の語い力、文章力が大事だと言った。

 明日の模試、数学がまったく遅れている。やらなければいけない範囲が広すぎてどこから手をつけていいのかわからなくなっている。


5月17日(水曜日)

 毎回、模試は惜しいところで逃げられる。今日も国語は現代文の回答率は100%だったのに古文や漢文で60%ぐらいにしかならない。英語の回答率も80%で案外良くできたが、とれるところで落としたのが痛い。今日帰りに見た東大の入試問題はいずれも難度の高いものが出されている。おまけに問題量が多い。数学の出題傾向などは整然としているほうで解ける問題だ。数学で70%取れば合格も夢ではない。勉強方法の正しさかな。漢文や古文を問題集でみっちりやりたいが、今は英数の予習復習で手一杯だ。


5月19日(木曜日)

 地方出身らしき浪人生が、「まったく最低だア」と呟いた。予備校のなかでは人間であることの保証を求めるなど愚かな幻想だ。試験の結果に一喜一憂することはあっても人間らしい感情は捨ててしまっている。僕もまた人で膨れ上がったコンクリートの建物のなかで、その日その日の連続のなかで、ひたすら我慢して生きている。

 僕はこんな世界にNさんを引き入れようとしていたのだ。なんてばかなことを考えたのだろう。Nさんだけでなく、まわりのたくさんの人を平気で傷つけてきたのだ。ほんとに愚かな人間だ。しかし僕はこんな場所にいても不適な笑みを浮かべ、いつか復活することを信じて、この現実と闘ってみせる。

  

  たっぷり暗闇になれば

  ただちに永遠の星は再び輝き出る (引用元不明)


 

~エピローグ~

昭和44(1969)年5月13日(火曜日)

「お返事が遅くなってすいません。

大学のほうがいろいろとごたごたして

まだ新学期が始まっていないような

状態ですのでなかなか前もって

あく日がわからないのです。

五月十六日金曜ならあいていると

思いますので、その日でよろしかったら

新宿紀伊国屋ビル二階奥の喫茶店

ブルックボンドでお待ちしています。

時間は二時ごろはいかかでしょうか。

もし御都合が悪いようでしたら

お知らせください。

      ○里 」

 風など香らないただ熱いだけの5月。僕はNさんに会ってほしいと手紙を書いて出した。

 大学側のロックアウトから学生側のバリケード封鎖になって休講が続いていても、影絵研の創作練習はひどく忙しくて、Nさんから返事が来るのか来ないのかゆっくり考えるヒマがなかった。今夜あたり家に帰り着いても手紙のことは忘れていた。

 二年前の今ごろ僕は何をしていたのだろう。愚かにも幻影を追いかけ東大・ICUを目指したり、崩壊した自我をもてあましてさまよったり、今となってはとりかえしのつかない悲惨な日々だった。僕はそんな自分の過去に償いをしてやりたかった。

 押さえつけられていた狂気が突然またうごめき出し、今は新たな狂気に姿を変えて、色とりどりの照明に照らし出されながら、うれしそうに飛び回り始めた。

 その日、僕はNさんの前で「他人の顔」を演じ、代弁者になりきってみせる。


5月16日(金曜日)

 Nさんは約束の時間に遅れて来た。僕が顔をあげたとき、彼女が別のシートに座ろうとした。すぐ気づいて僕とテーブルをはさんで座った。良家育ちのおしとやかな女性が、おそらくは僕が恋したNさんとは全然似ていない年上の人が僕の前にいた。

 気まずさや恥ずかしさ、そんなものが一緒くたになりながら、僕たちは会話した。ときどき沈黙が訪れると彼女が先に口を開き、何も意に介さぬふうに彼女の今いる世界を披露した。二年も遅れた僕を置き去りにしたまま彼女ははるか遠くにいた。

 新宿駅の中央通路まで一緒に帰り、ホームに上る階段で別れた後、きれいな薄地のワンピースにスカーフを巻いたNさんの姿を見つけた。反対側のプラットホームの人ごみの中を一人で歩いて行く彼女の姿はすぐに見えなくなってしまったけれど、僕は自分だけの懐かしい青春の断章を、サンテックスの星の王子が自分の育てたバラだけを愛したように、感傷的すぎる自分に戸惑いながら、走り出した電車の窓越しに見送った。

 結論を書く。おそらく僕はもう一度、Nさんと合うつもりだ。今日、彼女の意向を聞くことはできなかったけれども、僕としては断られる理由なんか何もないはずと思える。今がどうであろうと、僕にとってのNさんはあのときのままの存在なのだ。あるいは僕だけが彼女の本当の素晴らしさを知っている。

 ともかく、これでたいへんな仕事をやり終えた。去年やおととしの今ごろの自分に、心をこめて今日という日を贈ってやりたい。


5月18日(日曜日)

 Nさんと逢ったその夜の夢に、他の女性が出て来てひどく当惑した気持ちだったが、昨夜はNさんの夢を見た。クラス会か何か学校の校舎の中で、誰とも話さず、とりつくしまのない冷たいNさんが夢のなかにいた。ふたりは見たことのない道をあたりまえのように肩を並べて歩いていた。

 今の僕には、あの頃のことが、伝説の主人公やヒロインの物語のようにはるか遠い昔のことのように思えてしまう。

 二年ぶりにNさんと再会し、現実のNさんの声を久しぶりに聞き、Nさんと話したことが、僕には何か不思議なことに思える。Nさんが紀伊国屋のカウンターで本を渡されるのを待ちながら、愛嬌のある目を僕に向けたとき、あの頃のままのNさんが僕の目の前にいた。

「今度は、本とは関係なく誘っていい?」

「……」

「いろいろちがう大学の人と話してみたいんだ」

「そういうのならいいけど」

「今日はすっかり高校時代が懐かしくなっちゃったわ」

「じゃあ、早稲田に入れば貴重な存在になったかもしれないわね。ICUじゃ平凡ですけど。」

 8番線(今の14番線)のホームをひとりで歩いて行ったNさんは、落ち着いた雰囲気でしかし有能な魅力あふれる女性だった。自分勝手なヒロイズムやセンチメンタリズムにおぼれていた僕なんかにはとうてい及ばぬ遥か高いところにいた。新高で一緒だったあのNさんはもうどこにもいなかったけれど、新しい今のNさんのすべてを僕は心から祝福していた。


6月11日(水曜日)

 上井草に引っ越して来てから、一人暮らしの自分の部屋はゴチャゴチャのままで、日記さえも書けなかった。今週中には落ち着くか?

 先週の土曜日、確かに僕は期待もせずに、渋谷の文化会館にある「ジャーマンベーカリー」でNさんを待っていた。

 そもそも何故にNさんがフォークソングを聞きに出て来なければいけないのだろう。あの頃の大きな悲しみが光の魔法となり不撓不屈の生き方を与えたのか?不幸の淵から這い出す力を僕に与えてくれたのか?

 僕がNさんを選び、おかげで相手のNさんはいつも無理な応えを強いられた。

「10分ぐらい遅れていけばもういないだろうと思って」

「9時までには、絶対、帰らなければいけないの」

「それまでに終るかしら」

「今日は行くのやめようと思ったのよ」

「返事が出せないんですもの」

 不安な時間が始まっていたが、それでも僕はまさに代弁者の勤めを果たそうとして、図々しく、Nさんを日比谷に連れて行った。

 地下鉄の電車の中で、なぜか彼女は楽しそうにキョロキョロしていた。窓ガラスの向こうに時空を超えて飛んで来たあの頃と同じ楽しげなNさんがいた。

 銀座は全然知らないと言う彼女を連れて、土曜の人出のなかを日比谷公園の方へ歩いた。

 昨日、早稲田通りで見た女の人の歩き方がNさんに似ていて気付いたが、一般の女性はしゃなりしゃなりと歩くのだが、Nさんはカバンを下げた肩を左右にゆすりながら早足で歩く。

 行き交う人波を抜けながら、彼女は自宅から遠いICUの不便さを話した。中央線が混んでいていやなことが多いと話した。

 有楽町駅で高校生が反戦カンパをやっていた。100円出したらNさんはずいぶん驚いていた。

 日生劇場の辺りから同じ場所へ向かう若者たちと一緒になった。

「じゃあ、今日は大学生が多いのね」

 その言葉を聞いたとき今日の彼女の戸惑いにあらためて気づかされた。

 日比谷公会堂の石の階段のところに待ち合わせの女の子たちがたくさんいて、僕たちはその間をぬって上って行った。半券を受け取るのを忘れて、「これをどうぞ」の声に振り返ると、彼女が代わりに二枚とも受け取ってくれて、そっぽを向いて差し出したので、僕は一枚だけ受け取った。しかし今は、その渡すときや受け取るときの彼女のしぐさは、彼女の家の愛犬とそっくりなのだろうと考え始めている。そのことの真実がどうであれ、公会堂での僕は、惨めな自分がよみがえってきて、思わず口元を引き締めていた。

 一階はもういっぱいで、むしろ彼女はうれしそうに二人分の空席を探していた。僕たちは二階へ行った。彼女は通路側に座ることを嫌がり二つ目の席に座った。

 公演が始まるまでの楽しい時間。コーラを黙って差し出す僕。「何か買ってくるわね」 と紙コップを持ったまま出て行くNさん。二人の断続的なおしゃべり。

 彼女は、買ってきたものをひざに置いて、開けると音が立つので指先でいじっていたが、最初のグループが終って休憩になると、

「食べてよ」

 と差し出した。僕は彼女の気遣いを取り除こうと素直に受け取って食べた。

「はい、もうひとつ」

 と彼女は言った。

「お金を細かくしたいときは、いつもこれを買うのよ。いつもキャラメルよ」

 フォー・セインツの番になって観客も一緒に参加して『小さな日記』を歌った。彼女もためらわずに歌っていた。彼女のやさしいきれいな声。彼女の思いがけなく無邪気な様子に僕は驚いていた。抱えきれないほどたくさんの思い出と大きな感動に包まれて僕は懸命に歌った。

 その歌こそ、去年の秋初めて聞き、その歌詞にNさんを想い浮かべ、二人で井の頭公園のベンチに座って鳥たちを眺めていたあの日の記憶をよみがえらせてくれた曲だった。


6月17日(火曜日)

 Aさんとの出来事の長い記述で、Nさんと最後に逢った土曜の夜の後半を書いていなかった。忘れてしまう前に書き残しておきたい。

 Nさんは送ってくれなくていいとはっきり言ったけれど、「どうせ帰っても一人でつまらないから」とおかしな理屈を言って、二年前のあの夜を意識しながら彼女と一緒に日比谷線に乗った。

 中目黒までの地下鉄の中で、僕は最近読んだ庄司薫や吉行淳之介の小説のことを話し、彼女は三鷹の三億円事件のことをさかんに話した。

 電車の中の彼女の声にまわりの男たちが不機嫌そうにしていた?生意気?いやな女?だとしたら素敵だ。僕には彼女の語り口や身のこなし方がとてつもなく素晴らしく思える。今でも彼女を心から崇拝し理解し愛せるのは僕だけだと考えている。

 中目黒から東横線に乗り換えてからは大学のことを話した。彼女は東女大に行った渡部さんのことを心配していた。「渡部さんがもし捕まったら、東女大の救対を訪ねて世話してあげたら」というようなことを僕は言った。

 日吉駅で改札に上りながら、

「その切符じゃあ出られないわよ」

 と彼女が小さな声で言った。

 日吉の道で横浜の話しをした。彼女も『三人家族』を見ていて、山下公園のことを教えてくれた。

 そしてあの崖にさしかかり、僕は言った。

「それではお別れのごあいさつをします。今日はどうもありがとうございました」

「ああいうコンサート初めてでおもしろかったわ」

 僕は再びその場所から横浜の夜景を見ることができた。

「わー、あいかわらずきれいだ」

「きれいだと思うの?前から?」

「ここ、前は草地になっていたんだよね。寮の学生みたいな人が寝転がって口笛吹いていたんだ」

「そう?」

「この前来たとき」

「そう?」

 彼女は、あの最後の夜と同じように一度も振り返らず、暗闇に灯る明かりの向こうに消えていった。


(団塊タイムカプセル第一部 終わり)


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