9 十の庭と桜
オレはその笑顔を、ただぽかんとして見ていた。
どう反応すればよいのかわからなかった。
オレは恨まれて、憎まれているはずだった。
それなのに、なんでこんな会話をしているんだ?
感情が追いつかない。
「三人で暮らせる場所を探してもらってたんだ。ようやく見つかったらしいから、この家ともさよなら。須賀くんとも、さよならね」
「どこかへ行くのか?」
「だって、ここにはいられないでしょ? 遠くに行くんだよ。大庭の桜の監視を逃れられる場所まで」
「大庭の桜って……孝太のことか?」
「そう。桜は十人いて、十の地区(庭)を分担して監視しているんだって。ここは神谷くんの地区」
初めて聞いた。
「桜って一人じゃないのか?」
桃が髪を揺らして頷く。
「うん。一人で監視するには、二つの世界は広すぎるから。藤が開けた果ノ底の穴は、この近く……大庭の桜のお膝元につながっているの。だからこの近辺には果実が多いのよ。その穴を塞がれると他の果実たちが困るから、あたしたちはずっとここに留まってたんだ。でも、もうしばらくはその心配がなくなったから、どこにでも行けるの」
オレには桃の言っていることがよくわからなかった。
心配がなくなった? それはどういうことだ?
そう問いかけようとした時、背後に人の気配を感じた。
桃の目が見開かれる。
振り向いたオレの目に映ったのは、大きな鎌。
咄嗟に片手で桃を突き飛ばし、もう片方の腕で大鎌の柄を受け止める。
手の中のものを気にする余裕はなかった。
パリン、と小さな音がした。
はっとして足下に目を向ける。
ついさっきまでオレの手の中にあった、ガラスのキリンが落ちていた。
長い首がポキリと折れて、四肢も砕け散っている。
桃を突き飛ばした時に落下したんだ。
ああ……。
オレはほんの少しだけ目を伏せ、それから赤眼鏡を睨みつけた。
「どういうことだよ!」
「ちゃんと伝えただろ? いよいよだって、なっ!」
赤眼鏡が鎌を強引に振る。
オレはその柄から手を放し、赤眼鏡から距離を取る。
ちらりと桃を見ると、その目は先ほど砕けたキリンに釘付けになっていた。
「桃っ。逃げろ。家の中に入るんだっ!」
オレの声にはっとしたように、桃が顔を上げる。
すぐに地を蹴り、家の塀を飛び越えて家の敷地内に入ろうとする。
その時、白いものが視界に映った。
敷地ぎりぎりにある電信柱の上に立ち、そこから弓で桃を狙ってる。
「桃、後ろっ!」
桃が壁に片手をついて方向を変える。
その背をかすめるように矢が通過した。
桃は敷地内に逃げ込めず、オレのすぐ後ろに着地した。
「何してんだよっ!」
オレは咲先輩に向かって怒鳴った。
「何度も話したと思うけれど、これがわたしたちのお仕事なの」
咲先輩が電信柱の上からにっこりと笑って告げる。
わかってる。それはわかってるけど……。
「もう少し待ってくれよ」
「待てないわね。うちのお庭衆もすぐ傍に控えているわ。今、ここで勝敗をつけるしかないの。さあマコちゃん、そこをお退きなさい。豪の鎌と悟郎ちゃんの銃弾は対果実用の武器だけれど、わたしのこの矢は普通の矢よ。受ければもちろん傷つくわ。急所に当たれば、死ぬわよ。残念ながら、わたしには果実を還すためだけの武器がないの、ごめんなさいね」
それは意外な事実だった。
あれだけ偉そうなんだから、対果実用の武器もさぞかし立派なんだろうと、そう思っていたのに。
でもそんなのはどうでもいいことだ。
「オレは退かない」
桃を背後に庇いながら、咲先輩と赤眼鏡の二人を睨みつける。
「大丈夫。あたしも戦うよ」
後ろから桃の小さな声が届いた。
見ると桃のまわりを、ピンク色の花びらが舞っている。
花びらは、桃が手に持ったバッグの中から噴き出している。
「退かねえっつーんなら、強引にでも退かせるしかねえよな」
赤眼鏡がオレめがけて鎌を薙ぐ。
鎌の刃は怖くない。
果実以外にとって、あの刃は飾りのようなものだ。
それよりも厄介なのは柄のほうだ。
物質化した柄は、棒と同じ程度の威力はある。
いや、まさに棒を相手に戦っていると思ったほうがいい。
一方、オレの武器は一瞬しか物質化できず、人体に有効なのは短い柄の部分だけ。
不利すぎる。
というか、柄対柄の戦いってどうなんだ?
オレは柄の部分だけを意識して避けながら、どう戦うべきか考えていた。




