5 死という選択肢
高校の裏門から出て、用水路沿いの道を歩いていると、たまに犬の散歩をしている人とすれ違う。
学校が町はずれに建っているからか、学校周辺には長閑な風景が広がっていて、田んぼや畑も近隣には多い。
用水路沿いの桜の木は既に緑の葉を生い茂らせているけれど、春にはそれは見事な花を咲かせる。
裏門からの道だけでなく、正門前の桜並木はなかなかの迫力で、入学式の時はつい見惚れてしまったくらいだ。
普段はただ大庭高校と呼んでいるけれど、実は桜学園大学付属大庭高等学校というのが正式名称で、大学が隣接していたりもする。
その名前を意識しているからか、校内にも桜の木が多い。
散った花びらの掃除が大変だったことは、まだ記憶に新しい。
「須賀くん」
背後から呼びかけられて、無視をするわけにもいかずオレは足を止めた。
振り返ると、悟郎さんがこちらへ走ってくるところだった。
「悟郎さん、なんで……」
「まだ、全部を説明できたわけじゃないからね。君がどんな選択をするにせよ、僕から君に教えられることは全部教えておきたいと思って。……君は、別に聞きたくないかもしれないけれど」
オレの正面に立った悟郎さんが、ためらいがちに言う。
「それは……」
オレには関係のないことだから。
そう言えたらどれだけいいだろう。
「君の家まで、送らせてもらってもいいかな?」
「いや、そこまでしてもらわなくても……」
「君のためじゃない。昨日の彼女たちが、君を狙ってくる可能性がある。僕はその可能性を利用したい」
断ろうとしたオレの言葉を遮って、悟郎さんが偽悪的に言う。
まだ知り合って数日だけれど、悟郎さんがいい人だということはオレにだってわかっている。
けれど、オレと一緒にいることで、悟郎さんが蘭と出会える可能性が増すというのなら、協力したいと思う。
この程度で、恩を返したとは思わないけれど。
それなら、とうなずくオレを見て、悟郎さんが小さく笑った。
「ありがとう」
ふたり並んで、用水路横の道を歩く。
「昨日、君を襲った彼女たち――優れた能力を持つ果者が三人いるって言ったけれど、彼女たちのことを、僕たちは帽子団と呼んでいるんだ」
帽子団?
もう、ネーミングセンスについては、なにも言わない。
なにより、そんな気力もなかった。
オレは黙って、歩き続ける。
「果実が体を乗っ取った時髪に残って見える、あの残滓。あれはいくら髪が伸びようが、剃ろうが、見えなくはならないんだよ。だからすぐに見分けがつく。彼女たちもそれを知っているから、各々帽子を被っている。だから帽子団」
あ、とオレは思わず声を上げていた。
「シルクハットの、あいつ……」
蘭と呼ばれるあの白いつば広帽の彼女と出会う前に見かけた、シルクハットの男のことを思い出していた。
「昨日、見かけていたんだね」
問われてうなずく。
「そう、シルクハットの男もそのひとりだよ。彼らは、君を狙っている」
「なんで……」
ぼそりとこぼれたオレの問いに、悟郎さんがこちらを見る。
「花守人は狙われやすい。うまく体を乗っ取れば、敵を一人減らすことができるし、花守人の能力を自分たちのために使うことができるかもしれないからね。ただし、奴等にとってみれば、危険度が高い賭けでもある。見つかれば即座に果ノ底に還されるからね」
昨日の悟郎さんと蘭のように、ということだろう。
「でも、今の須賀くんみたいに能力を使えない花守人なら、乗っ取るのは簡単だ。花守人は、次代にその任を引き継ぐまで、その役目から逃れられない。次代に引き継ぐ以外で花守人でなくなる場合というのは、ただひとつ、花守人が命を落とした場合のみ。花守人が果実に乗っ取られてしまえば、役目の引き継ぎができないことになる。その肉体が生きている限りはね」
生きている限りは。
それはつまり、殺してしまえばいいと、そういうことか?
悟郎さんの目をまじまじと見返すと、その瞳はオレの問いを肯定していた。
「正確には、殺すか、果実を追い出して、体を取り戻すか、だけれどね。ただ、今でも手ごわい帽子団が更に花守人の能力も手に入れたとき、僕たちに体の持ち主のことまで配慮できるだけの余裕はないだろうと思う」
つまり選択肢はひとつだけということか。
「須賀くんが戦うことを択ばないのであれば、遅かれ早かれ、僕たちは君に手を下さなければならなくなる。できれば、僕はそんな未来に訪れてほしくはない」
かああっ、と、体の奥が熱くなる。
「勝手なことを! 有無も言わさずオレを花守人にしておいて、役に立たないなら殺す? よくそんなこと平然と言えますね」
「君には悪いと思っている。けれど、だからこそ、できるだけのことはしたいと思っているんだ。せめて、自衛の手段だけでも、身に着けてほしい」
「そうやって、また脅迫するんですか」
「そうとられても仕方がないかもしれない。けれど――」
「どうせ殺すのなら、いずれと言わず、今ここでオレを殺せばいい。そうすれば、後顧の憂いを絶てる」
オレは悟郎さんの手首を力いっぱいつかんで、自分の顔の前に掲げた。
「須賀くんっ」
「この手で、オレを、殺せばいい。例の、黒い拳銃で!」
「須賀くん!」
「ほら、早く!」
「――あれは、果実用の武器だ。普通の人間に傷を負わせることはできないよ」
悟郎さんが、オレから視線を逸らして、小さく告げる。
なんだよ、クソッ!
オレはつかんだ悟郎さんの手を乱暴に放すと、踵を返した。
「ごめん、須賀くん……」
「もう、オレには関わらないでください」
悟郎さんを拒絶して、オレは歩き出す。
自分で、自分がどうしたいのかわからなかった。
死ぬのは怖い。体を乗っ取られるのは恐ろしい。
けれど、生き延びるための努力をする権利なんてオレにはない。
オレには、そんな価値はない。
他人を犠牲にしてのうのうと生きながらえているだけの、オレには――。
いっそ、楽に殺してもらえるのなら、それでもいいかもしれない。
そんな風にすら考える。
自分にもなにかできることがあるのなら、やりたいと思う。
けれど自分みたいな人間が人助けをしようだなんておこがましい限りだとも思う。
オレが余計なことをしようとすれば、また別の犠牲者が出るだけかもしれない。
オレにはなにもできない。
――なにもできないんだ。
口の中に血の味が広がる。
気づかないうちに強くかみしめていた唇が切れていた。




