序
一寸先も見えない。恐怖すら感じさせる、そんな桜吹雪の中だった。
舞い散る花びらのわずかな隙間に、黒髪がちらりと見える。
「誰……?」
自分の口から出たその声はひどくかすれていた。
喉がとても痛くて、大きな声が出せない。
「そこにいるのは、誰……?」
さっきまですぐ隣を歩いていたはずだった。
いつの間に離れてしまったのだろう。何故、誰なのか思い出せないのだろう。
会話だって、したはずなのに。
問いに答える声はない。
このままでは見失ってしまう。
そんな恐怖に襲われて、一歩を踏み出した。
その瞬間、薄紅色の花吹雪が一変した。
青い花びら、黄色い花びら、橙に紅に紫、黒……もう、それが花びらなのかどうかもわからない。
極彩色の欠片が、舞い狂う。
すぐそこにあった黒髪を完全に隠してしまう。もう、見えない。見つけられない。
「待っ……」
待って!
そう言いたいのに、容赦なく襲ってくる無数の色の欠片が口の中に詰まってゆく。
声が出ない。息もできない。
助けて。
助けて……誰か!!
苦しくて、哀しくて、うずくまる。
助けて。ごめんなさい。許して。戻ってきて。
お願い、誰か……。
『命尽きる時、それは花が散る時。散った花は死者の魂、それ故に……』
薄れゆく意識の中で、誰かの声が甦る。
あれは誰だったんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えて、そして気づく。
ああ、そうか。ここに満ちているものは、死者の魂だったのだ。
死者の魂に埋もれてゆく自分も、きっともう死んでいるのだ。だから助けを求めることに、なんの意味もないのだと。
なんだ、そうだったのか。
助かるはずなんかないのに助けを求めるなんて、馬鹿みたいだ。
可笑しくて笑いたくなった。実際に笑っていたのかもしれない。
そしてふいに思い出す。
自分には救いを求める資格なんてなかったのだということを。だから、このまま花に埋もれてしまうのが一番いいんだ。
これでいい。
自分に言い聞かせながら目を閉じる。とても静かだった。
苦しさはいつの間にか消えていた。
瞼の裏に焼きついた花の色は、いつまでも色あせることがなかった。




