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パティと十四の夏休み  作者: と〜や
第二話 桜橋家の事情
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1.許嫁・・・・・・・・(七月二十一日)

話は二日ほど前に遡ります

「お嬢様、お茶をお持ちいたしました」

「ありがとう、安岡」


 執事の安岡が声をかけると、さらりと絹糸のような黒髪を揺らして、ソファに座った日本人形は顔を上げた。

 自慢だった黒髪がすっかり白くなってしまった安岡はワゴンを止めると時計を確認した。年老いてごつごつした手で白磁のティーポットからカップに中身を注ぐと紅茶の香りがふわりと広がっていった。

 お嬢様の今日の出で立ちは夏らしくアリスブルーのドレスで、大胆に胸元を広く開け、短い袖の先からは白い腕が覗いている。裾もソファに座ると膝が見えるほどで、安岡は銀縁眼鏡の奥で僅かに眉を寄せながらも彼女の前のガラステーブルにティーカップを据える。


「本日のお茶は先日、小野田の大奥様より頂いた茶葉を用いました」

「そう、ありがとう」


 白魚のような指がティーカップを取り上げ、薔薇色の唇に運ぶ。


「それと、桜橋さくらばし楠葉くすは様よりお手紙が届いております」

「それを先にお言いなさい」


 かちゃん、と音を立ててお嬢様はティーカップをテーブルに戻すと、安岡が差し出した銀のトレーに乗せられた手紙を手に取った。

 差し出されたペーパーナイフを使って封を切ると、中から便箋を抜き出す。

 ほとんどの書類や書籍が電子化され、通信もすべてが電子化された今、わざわざ紙による手紙を送ってくるのは、数少ないお嬢様のお友達である楠葉様ぐらいなものだ。

 彼女曰く、電子化された通信は改ざんや傍受の危険がある以上、封蝋で封印した手紙以外は信用できないとのこと。

 尤も、彼女が言うことには一理ある。

 桜橋家は通信産業を中心とした精密機器産業で世界を席巻した企業の起業家一族だ。情報漏えいを恐れてすべての通信を傍受・解析しているという噂すらある。

 二代目の総次郎坊っちゃんが副社長になってからは、様々な異業種に進出して成功を収め、世界のみならず他星への拠点展開も行っている。

 桜橋というと馴染みはないだろうが、普段何気なく使っている通信機器の八割には桜橋グループ傘下の企業が作った部品が使われている。子供向けの通信用バングルはほぼ百パーセントだ。

 その総次郎坊っちゃんがお嬢様の許嫁で、楠葉様はお嬢様とは同い年の、坊っちゃんの妹君である。


「……安岡、車を回してちょうだい」


 お嬢様は手紙から顔を上げるとそう命じた。

 安岡は頭を傾げた。普段からあまり感情を表に出さず、静かに微笑んでいることの多いお嬢様が、声は荒げないものの怒りを滲ませている。

 楠葉様からの手紙に余程のことが書かれていたに違いない。


「どうかなさいましたか?」

「……あの馬鹿が、猫星の成人の儀式の相手に立候補したのだそうよ」


 安岡は銀縁眼鏡の奥で目を見張った。


「猫星の、成人の儀式、でございますか……」

「当然相手は女よ。十八歳になりたての」


 眉を顰めてお嬢様は立ち上がった。


「今まではあの馬鹿の多少の女遊びも看過してきました。でも……今回は許せないわ」

「分かりました。手配してまいります」


 頭を下げ、ワゴンを置いたまま安岡は部屋を出る。

 お嬢様の怒りはごもっともだ。

 猫星の成人の儀式。

 それは、他星の異性と契を結ぶことであり、契を結んだ相手とは終生をともにすると言われている。

 お嬢様という許嫁がありながら、桜橋の坊っちゃんは誰とも知れぬ若い女を結婚相手に選んだことになる。

 これは許しがたい裏切りだ。

 お嬢様の晴れ姿を見るまではと引退を引き伸ばし、お嬢様を奪っていく桜橋の坊っちゃんをようやく認めても良いかと思っていたというのに。


「うたた、おるか」

「はい、お傍に」


 お嬢様の部屋のすぐそばで呼ぶと、ポニーテール姿のメイドが現れた。お仕着せの紺のベロア地に白いエプロン、揃いのヘッドドレスの少女は安岡の前に膝をついた。


「真木坂うたた、これからお嬢様が桜橋家に向かわれる」

「いよいよあの馬鹿を叩きのめしに行くのですか?」


 安岡は目を眇めた。どうもお嬢様の悪い部分に影響されているようだ。それとも、お嬢様のあの言い回しはうたたの影響だろうか。


「……此度はそういうことになるかもしれんのう」


 ため息とともにそうこぼすと、うたたの目が生き生きと輝いた。


「では、討ち入りの準備をお手伝いに参ります!」

「……あまり過激なことをするな。楠葉様の兄君なのだぞ」

「心得ております!」


 うたたの意気込みに圧倒されつつ、安岡はうなずいた。


「それと、茶器を下げておいてくれ」

「かしこまりました!」


 お嬢様の部屋に入っていくうたたの背を見送りながら、安岡は首を振った。

 ボディーガードとしての腕は確かなのだが、すぐ力で物事を解決しようとするのだけが玉に瑕だ。

 車庫に向かいながら、血なまぐさいことにだけはなりませんように、と安岡は両手を合わせた。

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