表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/37

 偶然に知り合った少女マーガレットの父親の店カーニバルで会話と買い物を済ませ、両手いっぱいに荷物を抱えて優一は帰路についた。すでに外は真っ暗だったが、街中のあちこちに設置されてる街灯のおかげで意外に明るかった。マーガレット曰く、それでも街灯の本数が少ないところは危険で、年頃の女性は迂闊に夜歩きできないらしい。男性も少なからず危険に襲われるみたいなので、比較的安全なルートを教えてもらった。

 小麦粉なども販売されていたが、簡単な料理しかできないので遠慮した。代わりにパスタを購入した。こちらは基本的に茹でればいいだけなので、料理が下手な優一でもなんとかなりそうだった。実際に自分で茹でた経験もある。日本時代の話なので不安も少なくないが、ひとりで暮らしていく以上、いつかは通る道だ。覚悟を決めて、あとで挑戦してみるつもりだった。

 フランスパンやクロワッサンみたいなパンにストロベリージャムとバターを購入。トマトやレタスなども一緒に買った。嬉しかったのは、せっかく出会えた縁に感謝してという理由で、マーガレットの父親に果実酒をプレゼントしてもらえたことだった。煙草は吸わないが、ほどほどにお酒を楽しむ優一にとっては何よりの贈り物だった。楽しみにしながら夜道を歩き、なんとか無事に新しい我が家へ到着する。

 ポケットに入れていた鍵を取り出し、ドアを開けて中に入る。荷物を床に置いて、すぐに再び鍵をかけた。つっかえ棒みたいなのも側にあったので、それも使って厳重に戸締りをした。一階は店にして、二階は自分の家にするつもりだったので、荷物を持って二階に上る。冷蔵庫などはないので、すべて常温保存となる。一抹の不安はあるが、ないものねだりをしても仕方ない。まずは空いている腹をどうにかしよう。

 マーガレットから貰った布袋を床に置き、優一自身もどっかり座る。そこでようやく気付く。眠るためのベッドもなかったと。

「……ないものは仕方ない。幸いにして気候はさほど寒くないみたいだし、今夜は貰った服を毛布代わりにして寝るか……」

 どれくらい暖かくなるのかは不明だが、何もかけないよりはマシだ。ミュリス王妃から貰った服やズボンが、よもや着用する前に毛布代わりとなるとは夢にも思わなかった。自身の迂闊さに悔いつつ、明日になったら色々と新たに買い物をしようと決める。

 床に置いたばかりの布袋からフランスパンに似たパンを取り出し、何もつけずにかぶりつく。フランスパンよりは硬くないが、なかなかの歯応えだ。案の定、素材の味しかしないので、まずはバターをつけてみる。日本で市販されてたのと少し味は違うが、まさしくバターではあった。習った歴史の中世ヨーロッパでは確か、食用よりも薬用として普及したはずだ。しかしこの世界では、当たり前のように食用となっている。やはり中世ヨーロッパに似た雰囲気があるだけで、別世界なのだ。改めて実感した。

「似てるとか考えたりしないで、普通に別世界……パラレルワールドみたいなものと考えた方がよさそうだな」

 パンを頬張りながら、誰にともなく呟く。テレビもラジオもなく、外から賑やかな音も聞こえてこないので、独り言でも喋ってないと寂しくてたまらない。これも文明に慣れすぎたせいなのだろう。実際に今も、インターネットがしたくてたまらない状態だった。暇潰しすらままならず、食事を終えたあとはひたすらボーっとする。

 魔法道具が発達してるらしく、二階にもランプに似たものがあるので明かりには困らない。魔力を電気みたいにして使えるのであれば、テレビやラジオも簡単に作れそうなのにと思うのは、優一が未来にも似た世界からやってきたせいだろう。普通にこのセルフィリズドで生活してる住民は、電話でのやりとりも想像できない可能性が高い。

「郷に入っては郷に従えとかいうしな。とにかく、この世界に慣れるのが先決だ。それにしても、これからどうなるのやら……」

 あまり素敵な未来は想像できないが、結果を出せるとは思えない職業安定所通いをした挙句に、どうしようもなくなって人生を終えるよりはずっと幸せになれそうだ。実際に今日も、マーガレットという美少女と知り合えた。

「バラドーに頼んで家具屋へ行って、そのあとはマーガレットの店へ仕入れに行くか。お得意さんになっておけば、色々と便利かもしれないしな」

 そんなことを考えてるうちに、自然と瞼が閉じられる。異世界での初日は、優一が思ってるよりもずっと精神を疲弊させていたらしい。眠気に抗わず、近くにあった服をかき集めて枕と掛布団代わりにする。そして気づけば、優一は眠りの世界へ旅立っていた。


 翌朝、窓から差し込んでくる日の光に気づいて目を覚ます。直後に、優一の背中に激痛が走った。原因はすぐに判明した。誰かに蹴られて起こされたとかではなく、単純に床が石で硬かったせいだ。三十歳を過ぎて腰痛持ちになったので、こうなる気はしていた。痛い背中や腰を右手で摩りながら、優一は上半身をゆっくりと起こした。背中がバキバキと鳴る。腰にも鈍痛があり、決して爽やかな目覚めではなかった。

「……そういえば、異世界に来てしまったんだったな。やっぱり、夢じゃなかったわけか」

 呟いて、苦笑する。先日の出来事が夢なら夢で、また職業安定所通いをする必要が出てくる。それはそれで気が滅入るので、せっかくだから別世界に来られたのを感謝しようと、強引に前向きな思考へ持っていく。

 その場に立ち上がり、まずはラジオ体操をする。慣れない場所で寝て、硬くなった体をほぐすのには丁度いい。引きこもり生活の中でも、なるべく健康に過ごせるようにと普段から日課にしていた。無事に体操を終えると、一階の洗面所へ向かって顔を洗う。電子レンジやコンロはないが、とりあえず火は使える。実はオーブンもあるのだが、優一にはいまいち使い方がわからない。おかげで猫に小判状態だ。仕方なしに、先日のパンにジャムをつけて、むしゃむしゃと頬張る。箸などもないので、食べる際は基本的に素手だ。バターナイフと食卓用のナイフも、野菜を食べる際には使ってみたりもする。

 なんとか食事を終えたあとは、使ったナイフなどを台所で洗う。保管場所を勝手に決め、そこへ濡らしたままのナイフなどを置いておく。ゴミは専用のゴミ箱へ入れれば、即座に王都の郊外にあるごみ処理場へ運ばれる。色々と足りないものがありながら、こうした部分だけは魔力を用いてるおかげで、この間まで住んでいた日本よりも便利だった。もしかしたら、これからどんどんと文明が発達していくのかもしれない。魔力を電力代わりにして、テレビやラジオも普及。最終的には地球で主流だった文明と変わらないレベルにまで到達する。そうなったらますます、あのまま日本にいるよりよかったと思えるようになる。もっとも、優一がやろうと考えている商売が、上手く軌道に乗ってくれればの話だが。

 優一に残された珍しいものは、レーザーポインターがひとつ。さすがにこれだけでは、珍しもの好きな王妃も多額のお金を支払ってはくれないだろう。この世界には存在しえない所持品を失った優一に、特別な融資をしてくれるとも思えない。要するに、手持ちの資金が尽きたら終わりなのである。

「まあ、一文無しに近かった状態に比べれば、ずっとマシだよな」

 誰にも頼れないのは、別世界に飛ばされてなくとも一緒。それならば、二十万ゼニーを持っている今の方が恵まれてる。チャンスを活かせるかどうかは優一次第。プレッシャーもあるが、それなりにやりがいも感じる。ずっと生きてきた世界であれば、色々と陰口を叩かれるのを嫌がり、こんな気持ちにはならなかっただろう。優一にとっては、見知った人間のいない環境というのが幸いした。

 身支度も終えたので、出かけてみようと考える。冷蔵庫がなく、食材の保存ができないので、比較的頻繁に食料を調達する必要がある。引きこもろうにも、ゲームどころかこの世界にはパソコンすらない。何より飢えて人生を終わらせたくなければ、気力を振り絞ってでも外へ出るしかなかった。

 ――ドンドンドン。いきなりドアが叩かれる。ビクっとする優一の耳に、外から威勢のいい男の声が届いてきた。

「ユーイチ殿、起きてますか。バラドーです」

 早朝の来訪者は、一般的な体育教師のイメージが似合う男ことバラドーだった。国有地の管理をしており、昨日に優一をこの家へ案内してくれたのも彼だ。応じないといつまでもドアを叩いてそうなので、急いでドアを開ける。優一にしてもバラドーに頼みたいことがあったので、国有地の管理者たちの待機所とやらに行く手間が省けた。

「おはようございます」

 ドアを開けて、優一が挨拶をする。視界には、たった一日で見慣れた大男の姿が映っていた。

「朝は結構ゆっくりなのですな。街灯のおかげで夜の闇の怖さが減ったとはいえ、起床はしっかりした方が気持ちいいですぞ」ガハハとバラドーが笑った。

「はあ、そうですね。ところで、どうかしたんですか?」

「他の国有地を視察するついでに寄ったんだよ。まだ起きてなかったから、問題があったのかと思ってね」

 バラドーの台詞から、この世界の住民は朝が早いのだと理解する。つい最近まで街灯すらなかったのであれば、朝日が昇ると同時に活動するという生活になるのも理解できた。

「大丈夫ですよ。それより、お願いしたいことがあるんですが……」

 せっかくバラドーが訪ねてきてくれたので、昨日に発見した家具屋へ同行してもらう。そこで下見をお願いし、店に合う感じのカウンターやテーブル、イスなどを注文する。二階の自室部分にも食卓やイスを注文した。ベッドだけは、とにかく早く欲しかったので、店頭に展示されていたものを購入した。部屋も広いので、ダブルサイズの大きなベッドだ。寝相があまりよくないので、以前からこのくらいのが欲しかったのもあって選んだ。

 家具などの注文を終えたあとに、バラドーと別れてマーガレットの店へ出かける。彼女の父親が経営しており、そこでは紅茶やコーヒー豆が売られていた。さすがに緑茶はなかったが、ハーブティーなどは存在した。チョコレートもあったが、食べるよりも飲むのが主流みたいだった。いわゆるホットチョコレートだ。それにわずかなアルコールを垂らして飲めば、とても幸せな気分になれる。そういったのも購入したのは、これから開くであろう店を利用する客に提供するためだった。もちろん、有料だ。商品を購入するついでに、マーガレットにも店の形態を説明した。決して、いかがわしい店にするつもりがないのも付け加えて。

 家具が届くまでの間は宣伝に努め、受付カウンターや客のためのテーブルやイスなどを設置してから、本格的に営業を開始するつもりだった。上手くいくかどうかはわからない。それでも、優一の新しい日常はスタートした。知らないことだらけの異世界で生きていかなければならないのに、優一はまるで新しいゲームを始める前みたいにウキウキしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白かったら一言感想頂けると嬉しいです。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ