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「い、いや、それは……」
「……素晴らしい」
慌てて誤魔化そうとした優一の耳に届いてきたのは、何故か賞賛の言葉だった。
「魔族を人間に変身させ、店員として働かせるとは珍しすぎるではないか。さすがはユーイチ。わらわが見込んだ男だ」
「はあ……」
そう答えるしかなかった。なんだかよくわからないが、珍しいからという理由だけで、魔族のリディナは王妃に存在を認められたらしい。
呆気にとられていると、またしても店のドアが開いた。これ以上の混乱はごめんだったのだが、最悪のタイミングでやってきたのは魔王ファーシルだった。
「魔王様っ!」嬉しそうにリディナが飛び跳ねる。
女魔族が魔王と呼んだファーシルを凝視しながら、ミュリス王妃が優一に話しかけてきた。
「もしや……あの男は魔王だというのか?」
「……実は……そう、なんです。でも、決して悪さをしたわけではないです。盗賊団を壊滅させたのも、彼のおかげで――」
「そんなことは聞いておらぬ。何故に魔王がこの店へ来る? まさか会員とやらになっておるのか?」
「ええ……実は、そのまさかでして。どうやら人間の女性を恋人にしたいみたいなのです」
事情を理解した瞬間、ミュリス王妃の両目がギラリと輝いた。欲望に満ちた瞳が捉えたのは、人間に変身中の魔王ファーシルだ。
優一から離れると、王妃は億層ともせずに魔王と知ったはずのファーシルへ話しかける。「おい、そこの」
「ム? 人間ごときが、ずいぶんと偉そうにしておるな。ワシに何か用か」
ファーシルが凄む。周囲がピリッとして、見てるだけで優一も緊張する。唯一の例外はミュリス王妃だった。
やはりまったく恐れたりはせず、笑みすら浮かべながら「こちらへ来るがよい」と言ってのける。
「ふざけた口をききおるわ。用があるなら、貴様から来い」
わずかな睨み合いのあと、ミュリスはまたしてもフっと笑った。優一を見て、楽しそうに告げる。
「わらわも、会員とやらになってやろう。どうすればよいのだ」
「え? お、王妃様がですか? そ、それじゃあ、こちらに記入をお願いします」
貴族なんかも、愛人を求めてお忍びで登録に来たりする。王妃だから、会員になれませんとは言えない。受付を済ませると、とりあえず優一は聞いてみる。
「紹介してもらいたい異性の希望はありますか?」
「もちろんだ。フフ。わらわが求めるのは、そこにいる大男だ」
もしかしたらとは思っていたが、ミュリス王妃が指名したのは魔王ファーシルだった。
指を差されたファーシルは、面白そうに鼻を鳴らした。
「よもや人間の方から、ワシを指名するとはな。ククク。なかなかに愉快だ」
ファーシルが、正面に立つ王妃ミュリスをじっくりと見定める。
ミュリスの年齢は三十代前半程度と思われる。サリーやマーガレットのような瑞々しさは失われてしまったが、代わりに彼女らにはない妖艶な色気を大量に身に纏う。側にいるだけで欲情してしまいそうなほどだ。あれほど妖しげな魅力に溢れていたアイシャですら、子供みたいに思える。
若い女性がいいという要望を出さなかっただけに、ファーシルは相手が何歳だろうと見た目がよければ、あまり気にしないみたいだった。とりあえずミュリスを気に入ったようで、口端を歪めてよかろうと頷いた。
「名前はファーシルとか言ったな。わらわはミュリスだ。この国の王妃をしておる」
「ほう。王妃であったか。それはまた面白きことよ。我が名を告げる必要はないみたいだな。魔王だということも」
「もちろんだ。これ以上の会話は不要。わらわについてまいれ。ユーイチ、二階を借りるぞ」
「は、はあ……」
勝手にずんずん進んでいく展開についていけず、半ばボーっとしたまま優一は返事をした。
許可を得たミュリス王妃は、魔王とともに二階へ向かう。そこは優一の自宅になっている。
「一体何をするつもりなんだ……?」
王妃と魔王だけに、出会いを求めたのは単なる見せかけで、秘密の会話をしたかったのだろうか。予想してみてすぐに、違うなと優一はひとりで首を左右に振った。人間の社会に何らかの干渉をしたいのであれば、ファーシルならもっと単刀直入な手法をとるはずだ。精神的に子供っぽい面があるので、なおさらそう思った。
「さすがは王妃というべきかしら。魔王様の魅力をひと目で見抜いたのね」
何故かドヤ顔のリディナが、カウンターに立ち尽くす優一に話しかけてきた。
応じたのは優一でなく、先ほどまで激しくやりあっていたアイシャだ。
「ひと目惚れしたのかはともかく、これっていいのかい? 単なる既婚者じゃなく、王妃様だよ」
言われてようやく、あっと気づく。既婚者でも出会いを求める人間はいるし、その逆もまた然りだ。結婚していようと会員登録は可能だが、ミュリスの場合は事情が異なる。このことが国王の耳に入り、激怒されたら大変だ。離縁なんて事態に発展する可能性もある。それだけなら王妃の自業自得だが、出会いを仲介したとして、優一の店にも何らかの罰を与えられるかもしれない。
何を話してるのかは知らないが、すぐにでも二階へ乱入して、考え直させるべきなのか。優一がそう思っていると、建物全体が揺れるような衝撃に襲われた。
「な、何だっ!?」
優一だけでなく、他の二人――リディナとアイシャも動揺を見せる。
「これは、魔王様の波動よ!」リディナが叫んだ。
「ま、魔王の波動って、じゃあ、二階で元の姿に戻ったってことかい!?」
慌てるアイシャに、緊張した面持ちのリディナが頷く。言い争いに発展しないのは、そんな場合じゃないと二人ともがわかっているからだ。
先ほどリディナとアイシャが暴れた影響で、他の客が店にいなくなったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。こんな事態に遭遇し、どうなってるのかと問われたところで優一にも答えようがないからだ。
「王妃は、魔王様に何をしたのよっ!」
「お、俺が聞きたいよ!」
大きな声で、優一はリディナに応じた。二階で何が起きてるのかは、誰より自分が知りたかった。
「き、きっと、ただごとじゃないね。ユーイチ、アンタの力でなんとかならないのかい!?」
魔王を召還できると誤解中のアイシャが、とんでもない無理難題を振ってくる。
「なんとかって言われても――」
優一がそう言った時、またしても建物全体が揺れた。
元盗賊の女首領だったアイシャまでもが「うわっ」と体勢を崩す中、今度は二度、三度と左右に動く感覚がした。
家全体がギシギシと軋む。家が破壊されるのではないか。恐怖を抱きながら、二階へ続く階段を見上げる。
店が揺れる感覚はなくならず、やがて二階方面から獣じみた声が聞こえてくる。
「ウォウ! オウ! ウォウ! オウ! ウォウ、ウォウ、ウォウ!!!」
王妃があげたと思われる声に、優一はビックリする。面会をした際に聞いたのとは、まったく種類が違っていたからだ。悲鳴などではなく、これはむしろ――。そこで深く考えるのをやめた。
優一はもちろん、リディナやアイシャも無言だった。延々と続く「ウォウ、オウ!」の叫びだけが、店中というか建物中に響き渡る。
ようやく声がやむ。同時に、建物の軋みも収まった。しばらくして、二階から王妃と魔王が一緒に降りてきた。非常に満足した感じで、双方の肌の色艶がよくなってるようにも見える。
「世話になったユーイチ。そなたのおかげで、よい出会いを得られたぞ。フフフ。わらわがいる限り、この店の未来は保証してやろう」
そう言ってもらえたのは嬉しいが、気になる点は残ったままだ。解消するためにも、あえて尋ねてみる。
「いや、あの……それはいいんですが……国王陛下は大丈夫……なんでしょうか?」
「そのようなことは、気にしなくとも大丈夫だ。何より、魔王が愛人というのは珍しいであろう」
そう言って高らかに笑うミュリスを見て、本気で魔王と交際するつもりなのだと理解する。魔王の魔王にも平気だったみたいなので、相手として不足はない。横目で見たファーシルの満足そうな顔がそれを物語る。
「ワシもおおいに感謝してやろう。貴様のおかげで、人間の女をものにできたぞ」
はあと曖昧に笑う優一の側で、ミュリスがファーシルに挑戦的な視線を向ける。
「フフ。あの程度で、わらわを手に入れたと勘違いしてもらっては困る。本気で欲しいのなら、もっと頑張ってもらわねばならぬ」
「ククク。任せておけ。魔王たるワシの力を、存分に見せてくれるわ」
何やら怖い笑い声を木霊させたあと、ミュリスとファーシルは連れ立って城へ戻っていた。人間の王妃が、魔王を城へ連れ込んでいいのだろうか。そんなふうに思ったところで今さら二人の交際に反対できるはずもなかった。
「……とにかく任務は終了だな。疲れたから、今日はもう休もう……」
クタクタになって二階へ行くと、優一とリディナのベッドがものの見事に大破していた。人間の姿で一階に戻ってきてはいたが、二階にいる間に本来の姿へ戻っていたのはほぼ間違いない。目にした惨状を見れば明らかだ。
「な、何よ……これ……」
ため息をつき続ける優一の背後から、部屋を覗き見たリディナが愕然とした。やはり居座るつもりなのか、アイシャも一緒にいる。
「これは手伝いが必要そうだね。アタイの出番ってわけだ」
「アンタの出番なんて、ないわ。アタシひとりで十分よ」
「それを決めるのはユーイチだろ。ねえ、アタイにも……この部屋でウォウ、オウと叫ばせてみないかい?」
「えっ!? いや、それは……」
アイシャに抱きつかれ、ドギマギする優一の側で、リディナがぷーっと頬を膨らませる。
「だから……デレデレしてんじゃないわよっ!」
翌日になり、結局ベッドを三つほど注文した。店員として無償で働く代わりに、アイシャの住み込みを認めたのだ。最終的にリディナも納得した。自分の目の届くところで、監視をするというのが理由だ。
ウエイトレス用の衣装も注文し、自宅に戻って朝食を食べる。洗い物などを済ませたあとで、三人揃って一階へ移動する。時間になったところで店を開けば、常連客が今日も朝からやってくる。その中には、当然のようにバラドーも含まれる。
「リディナちゃん、おはよう。それと……そこにいるのはアイシャさんだったか。ここで働くことにしたのか?」
「ああ。過去とは決別して、新しいアタイをスタートさせるつもりさ。よろしく頼むよ」
アイシャが常連客へ挨拶してる隣を、頭からフードをすっぽりかぶった何者かが歩いてくる。怪しさ全開だが、もしかしたら明かせない身分の人かもしれない。そう考えて、優一は小声で挨拶をする。
「いらっしゃいませ。出会いをお求めですか? それなら、こちらに記入をお願いします」
会員になる条件を伝えながら、申込用紙にしてる羊皮紙をカウンターの上で差し出す。フードをかぶった謎の人物は何も言わずに頷く。ペンを優一から受け取り、すらすらと名前などを記入する。そこまでは当たり前の光景だったが、いつかと同じく職業欄のところで優一の視線が緊急停止する。
国王――。謎の人物が職業欄に書いたのは、衝撃的すぎる二文字だった。
「え……あ、あの、これは……」
「……静かにしてくれ。余だと露見しては、色々と面倒な事態になる」
「じゃ、じゃあ、本物の……」優一はゴクリと息をのんだ。
「うむ。先日、王妃に愛人ができたことで、余の夜の負担が軽減してな。噂に聞いたこの店へ、新たな出会いを求めて登録しに来たのだ」
「は、はあ……頼りにしてもらえて嬉しいです」
記入を終えた羊皮紙を受け取り、ひととおりの希望を聞く。会員登録を終えた国王は、フードから覗く口元を歪め、満足した様子で帰っていった。魔王への紹介がなんとかなったと思ったら、今度は国王が客としてやってきてしまった。
「この国って……大丈夫なの? 魔族ながら、心配になるわ……」
優一と国王のやりとりを間近で見ていたリディナが、呆れたように呟いた。
「国王だろうと王妃だろうと、人間である限り、欲望は必ずあるさ。それよりさ、国王とくっついたらどうだい? 金持ちになれるよ」
今日から店で働くことになったアイシャが、早速リディナをからかう。
「はあ? それだったら、アンタでしょ。盗賊をやってたくらい、お金が好きなんだから」
「わかってないね」
リディナのツッコミに、それは違うとばかりにアイシャは顔の前で立てた人差し指を左右に振った。
「お偉いさんってのは、ロリっ娘が好きだったりするのさ。アタイみたいなのは、周りにたくさんいるだろうからね。どうだい、ユーイチ。国王にリディナを紹介して、褒美をたんまりもらわないかい? その金で、アタイと欲望にまみれた生活を送るんだ」
堕落の誘いに乗りたい気持ちもあるが、そんな真似ができないのは突き刺さるリディナの視線を見れば明らかだった。
「この……優柔不断男っ!」
「ええっ!? どうしてそうなるんだよ!」
「うるさーいっ!」
リディナに背中を蹴られる優一を見て、店内にいる大勢の客が笑う。
だいぶ馴染んできた日々の中で、優一は他界した両親へ心の中で報告する。
知らないうちに異世界へ来てしまったけれど、なんとかやっていけそうです。
終




