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 あまりにショックが大きすぎて、ほんのわずかな時間とはいえ、優一は意識を失ってしまっていたらしかった。側にいる中年男性に何度も大丈夫かと問われ、ようやく現実世界に戻ってこられたほどだ。戸惑いと混乱でフラフラする中、優一は最後にもう一度だけ中年男性にここがどこなのかを尋ねた。

「あん? アンタ、本当に知らないのか。ここは文明国家と名高いエンズレアの王都、リグシュだよ」

 改めて繰り返される台詞に、優一は愕然とする。これが夢でなければ、自分はエンズレアという国のリグシュという都市にいることになる。いまだ状況を把握しきれず、ちんぷんかんぷんなのもあって、苦笑が漏れそうだった。人間は意味不明な事態に陥ると、とりあえず笑ってしまうのだと初めて知った。

「どうかしたか? なんだか具合が悪そうだぞ。お、そうだ。もし体調不良なら、いい薬があるぞ」

 自分を商人だと言っていた男が、右肩に担いでいた布袋からごそごそと左手で何かを取り出した。手に持ったのは折りたたまれた小さな布生地で、わざわざ優一の前で開く。中には粉薬があった。

 相手の言葉から察するに、どうやら体調不良に効果のある薬なのだろう。常備薬などはない健康体の優一だが、状況が状況なので精神を安定させる薬でも飲みたい気分だった。

「ここで出会ったのも何かの縁だ。この薬を特別に、五十ゼニーで売ってやろう」

「五十ゼニー?」

「おいおい。元気が倍増する特別調合の粉薬が五十ゼニーだぞ。まさか、高いなんて言い出さないだろうな」

 男が早口でまくしたてる。

 どうやら、ゼニーというのは通貨らしい。高いか安いかは、ゼニーとやらの価値すらわからない優一に判断できるはずもなかった。

「悪いけど、これしか持ってない」

 そう言って優一はジーンズの後ろポケットから財布を取り出し、幾つかの小銭を手に取って相手に見せた。案の定というべきか、中年男性の反応は想像したとおりのものだった。

「何だ、こりゃ?」

 目を見開き、優一の手のひらに乗っている日本円の硬貨をまじまじと見てくる。このリアクションだけで、従来の円が通貨として流通してないのがわかる。

「んんっ? よく見ると、これには銅が使われてるのか? 不思議な模様もあるな。書かれてる数字の意味はわからないが、とにかく珍しい物じゃないか」

 ここが本当に地球でないのなら、優一が持つ小銭が珍しいのは当然だ。商人らしく目を輝かせ始めた男が、またしても持っている布袋に手を突っ込んだ。

「そいつを俺に売ってくれないか。この薬だけじゃなく、二百ゼニーを支払うぞ」

 そう言って男が優一の目の前に差し出したのは、おはじきをさらに薄っぺらにしたようなコインだった。明らかに安そうな感じがする。中央に百という数字が書かれてるのを見ると、恐らくはそれが二枚で二百ゼニーになるのだろう。色は黄色で、どのような素材が使われてるのかはとても想像できない。

 優一の手持ちは札も含めて二、三万程度だ。当面の生活費のつもりだったが、一万円札がエンズレアという国で使えるとは思えない。それならいっそ、交換するのも手だ。

 色々なことを考えてるうちに、少しずつ脳細胞が正常化してくる。さすがに従来どおりの冷静さを取り戻すには至らないが、思考の幅は着実に広がる。どうせ元の世界へ戻っても、キツい生活が待っているだけだ。両親は他界し、人付き合いも希薄で元の世界への未練はない。こうなると、永代供養をお願いしておいてよかったとも思えてくる。

 まずは人がいいのかどうかは不明だが、せっかく出会ったこの商人から色々と聞くべきだ。ここが本当に異世界なのだとしたら、無知は大変な事態を引き起こすきっかけになりかねない。不安はまだ残っているものの、まるで漫画かアニメみたいな展開に、優一はわずかながらも興奮を覚えた。

 元の世界では職の決まらない三十代独身男性のまま、悲惨な結末で人生を終える確率が高かった。何の間違いかわからないが、これまでの肩書などまったく無意味な世界へやってきた。ネガティブな想像ばかりせず、人生をやり直す機会を得られたと喜ぶべきなのかもしれない。

「取引をする前に教えてくれませんか。この世界のことを、ここでは何て言ってるんです?」

 優一の質問に、商人の男性がきょとんとする。この世界に生きる人間であれば、当たり前に所持すべき知識について聞かれたからだろう。本来なら答えるのもアホらしいと思うのかもしれないが、優一の持つ小銭が欲しい商人は怪訝そうにしつつも教えてくれる。

「この世界ってのは、セルフィリズドのことか? だったら、ここはセルフィリズドにおけるエレクシア大陸になる。幾つか国家が存在し、そのうちのひとつが文明国家と呼ばれるエンズレアだ」

 なるほど、と優一は頷く。地球と比べてどんな形なのかは不明だが、滞在するはめになった惑星名はセルフィリズドというらしい。ヨーロッパ大陸みたいな感じで、エレクシアという大陸が存在するのだろう。にわかには信じられず、まだどこかに撮影中のカメラでもあるのではないかと思ってしまう。ドッキリだとしたら助かるが、本当に異世界へ来てしまった可能性も考慮しておく必要がある。普段から引きこもってゲームなどをしてたせいなのかはわからないが、わりと冷静に対処できそうな自分に内心ビックリする。

「アンタ、本当に何も知らないんだな。一体、何者なんだ?」

 目の前にいる中年男性が、警戒気味に言ってきた。

 相手が不審がるのは当然だ。逆の立場だったら、優一も間違いなく同様の反応を示す。余計な警戒心を相手に抱かせないためには、適当な事情をでっちあげて納得させる必要がある。嘘も方便ということで、この場は乗り切ろう。

「普通の人間ですよ。ただ、東の小さな島国から出てきたせいで、重度の世間知らずみたいになってますけどね」

「東の小さな島国? もしかして、そこがニホンっていうところか?」

「そうです。もっとも、こちらではどのように言われてるかわかりません。ほとんど人の出入りがない国ですからね」

 我ながら、よくもまあ、ここまで嘘を並べられるものだと感心する。ただし、東の島国といった説明は事実になる。未開の秘境である点を強調し、そこで培った知識と、商人が持つ知識にズレがあるのを説明する。

「資源はわりと豊富なので、このように独自の通貨もあります。国内だけで商売が成り立つので、外へ行商に出る必要もないんです。ただ、俺はそうした環境が嫌だったので……」

「なるほどな。国を出たってわけか」

「はい。ただ、途中で嵐に巻き込まれて、目を覚ましたらここにいたんです。わけがわからなくて焦りました。最初に出会ったのが貴方で、同じ言語を使っていたものですから、つい……」

「同じ国の出身者かもしれないと思ったんだな。なんだか嘘みたいな偶然だが、嘘はついてなさそうだ。アンタも大変だったんだな。とりあえず、命が助かっただけでもよかったじゃないか」

 商人と言っていただけに強欲な性格かと思ったが、人のよさそうなおじさんという感じだった。若干、涙ぐんでるあたりが特にそう思わせる。

「それにしても、そんな小さな島国で、独自の通貨とは凄いな。俺も行ってみたいんだが、どうやって行くんだ?」

 ぶつけられた質問に焦る。この世界のどこかにあるかもしれない、マンホールを探して踏んでください。正直に説明するとそうなるのだが、納得してくれるわけがなかった。どうしようか悩んだあと、先ほどの設定を活かそうと決める。

「申し訳ないんですが、わからないんです。自分で作った小舟に乗って、海へ出ただけですから。簡単に他の大陸へ行けると考えてた自分が浅はかでした。本当に命が助かってよかったです」

「おいおい。小舟で海に出るなんて、とんでもない無茶をしたものだな。嵐がくれば、一発で沈んでしまうのも当然だ」

 こちらの身を心配しつつも、商人の中年男性は小さくため息をついた。優一が説明した謎だらけの島国へ、一度でいいから行ってみたかったのだろう。可能なら案内してあげたいが、当の優一だってどのような仕組みでこの世界へ来たのかわからない有様だ。誰かを連れて帰るなんて、現状では夢のまた夢だった。

「しかし、そういう事情なら、アンタも大変だな」

「そのとおりです。なので、色々と教えてほしいんですよ。お礼に、この硬貨を一枚だけ差し上げます」

 優一が親指と人差し指で摘んだのは、男性が特に興味を覚えていた十円玉だった。

 無料で貰えるとあって、男性は身を乗り出し気味に「いいだろう」と応じてくれた。本来なら、情報代についての交渉を始めてもおかしくない。人はいいのだろうが、商人には向いてなさそうだ。きっと売り上げもあまりないだろうなと相手を心配しつつも、頼れる人間がいない優一にとってはありがたい限りだった。

 不可思議な状況から辿り着いた世界の歴史を一から知るには、時間が足りなさすぎる。世界の勢力図に関しても同様だ。現在地の情報さえあれば、残りはあとで地図を見るなりして勉強すればいい。では、何が大切か。生活する上でもっとも重要視すべきは、お金の価値や生活様式だ。その点について、集中的に教えてもらうことにする。

「まずは、ゼニーという通貨について知りたいんですけど、いいですか?」

「ああ、もちろんだ。良くも悪くも、金次第で大体は解決するからな」

 中年男性の商人が、当たり前のように笑った。

 地球でも金次第でどうとでもなるケースは多い。だが商人の口ぶりからすれば、優一が考えてるよりもずっと金の価値が高そうだ。もしかしたら、映画で見た経験があるような汚職まみれの街みたいな状況なのかもしれない。だとしたら、ますますお金は大切だ。それに、強盗などの被害に遭わないかも心配になる。

 優一が冷や汗を流しそうになってる中、中年男性がこの国の通貨であるゼニーについての説明を続ける。

「ゼニーには、一、十、五十、百、五百、千、五千、一万の単位がある。そのうち千から上は紙幣で、下は硬貨だ。さっき見せたようなやつだな」

 先ほど見せてもらった百ゼニーだけでなく、紙幣の千ゼニーも見せてもらう。日本札のような立派なものではなく、薄っぺらい紙に取り決められた文字を印刷してるだけだった。偽札がいくらでも作れそうなものだが、その点についても商人が教えてくれる。

「エンズレア大陸の硬貨や紙幣は、ロイメール商会というところが、それぞれの国の王様に許可を貰って発行している。他の大陸にも進出しているみたいだが、地元の商会とやりあってなかなか独占とまではいかないみたいだな」

「ロイメール商会?」

「ああ。この大陸では絶対的な力を持っている商会だよ。商売をしたければそこへ登録して、許可を貰わなければいけないんだ。ドン・ロイメールが現在の代表だな」

 男の言葉を整理する。優一の持っている知識に当てはめると、ロイメール商会は大規模な組合みたいな感じで、各国の中央銀行みたいな役割も担っていることになる。代表者の氏名がドン・ロイメールなのであれば、親族経営の可能性も高い。だとしたら、想像よりもずっと凄まじい権力を所持しているはずだ。決して逆らってはいけない人物のひとりとして、名前を憶えていても損はなさそうだった。

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