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女魔族のリディナが、強盗に入った連中を追いかけていった。その事実に気づいた優一が最初に思ったのは、まあ、いいかのひと言だった。
外見は華奢な少女にしか見えなくとも、リディナは三百年を生きる女魔族だ。いかに肉体を鍛えていそうな男たちとはいえ、人間を相手に後れを取るとは思えなかった。ひとりで全然大丈夫だろうし、二階の自宅で待っていればそのうち帰ってくるはずだ。軽い気持ちで考えて、優一は店の鍵を閉めて二階の自宅へ戻った。
「鍵はしっかりかけてたのに、あっさり強盗に入られたな。やっぱり用心棒ってのは必要なのか」
ひとりぼっちになった優一は、しみじみと言った。こちらへ来る前にいた地球の日本でも、強盗事件はあった。魔法などはなくとも、文明はよっぽど発展していた。それこそセルフィリズドで文明国家と呼称されるここ、エンズレアよりもだ。その点を考慮すると、心から安心できるセキュリティなんてものは存在しないのかもしれない。
二階へ続く階段をのぼりながら、そんなことを考えていると、ドアが何者かに強く叩かれる音がした。街灯があるとはいえ、エンズレアの夜の闇は意外に深い。まだ深夜になってないとはいえ、気軽にひとり歩きできるような時間でもなかった。先ほどの強盗の件もある。知らず知らずのうちに、優一はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「ユーイチ殿! 俺だ、バラドーだ。まだ起きてるよな」
ドンドンとドアを叩き続けているのは、どうやら国有地などの管理を任されている男のひとりだった。最初にこの家へ案内してくれたのもバラドーだ。優一の所有物となった現在でも、なにかと世話を焼いてくれるありがたい人物でもあった。
「起きてるけど、一体何かあったのか?」
ドア越しに会話へ応じると、バラドーはどことなくホっとしたみたいだった。何かただならぬ事態が発生したのだろうか。見知ってる人間というのもあって、優一はドアを開けた。
「おお。ユーイチ殿。すまんな、いきなり。だが、どうにも気になる情報が入ってな」
「気になる情報?」優一は首を傾げた。
「実は最近、盗賊団が出没するらしいんだ。城の兵士たちが見回りを強化しているが、それでも被害は後を絶たないんだそうだ。売上のありそうな店が狙われるとも言ってたから、ユーイチ殿のことが気になってな」
言いながらバラドーは、何かを探すように店の中をきょろきょろ見渡す。
そういえば忘れていた。この男はロリっ娘な外見のリディナを可愛いと絶賛し、自分に紹介してほしいというニュアンスの要望を優一に行った経験がある。心配かそれ以外の目的かは判別がつかないものの、彼女を見たがっているのだけは間違いない。
「リディナなら、外出してるぞ」
優一が教えると、これ以上ないほどバラドーは愕然とした。これだけでも、この男は盗賊団より危険なのではないかと思えてしまう。だが、変な感情からでないのは、次の台詞ではっきりした。
「あんな少女を、夜にひとりで外出させるなんて、何を考えてるんだ! 出没する盗賊団は、女子供を平気で売り飛ばすような悪逆非道な連中の集まりなんだぞ!」
バラドーが本気でリディナの身を案じてるのがわかり、申し訳ない気持ちになる。だからといって事実を教えても、さらに相手を混乱させるだけだ。ここは嘘をついてもいい場面だと判断する。
「悪かった。実はリディナなら、二階にいる。迂闊に滞在してるのを教えて、悪漢に狙われても困ると思って、ついな」
「な、何? そ、そうか。なんだか釈然としないが、リディナちゃんが無事ならいいんだ。だが、ひとつだけ教えてくれ。悪漢になりそうだと想定してるのは……俺じゃないよな?」
「……もちろんだ。俺はバラドーを信じているからな」
「一瞬、変な間があったのは気になるが、そう言ってもらえて安心したぞ。ま、まあ、ともかくだ。この店はすでに一度狙われてるんだから、ユーイチ殿も十分に気を付けてくれ。それと、郊外に見える山へは近づかないようにな。あそこに盗賊団のアジトがある可能性が高いみたいなんだ。そのうちに討伐隊が結成される。退治されるまでは気を緩めないようにな」
重ねて警戒を促してきたバラドーに「わかった」と応じ、別れの挨拶をしてからドアを閉める。
悪逆非道な盗賊団か……。心の中で呟く。確かに見た印象はそんな感じだったが、リディナがいてくれたおかげでそこまでの恐怖心を抱かなかった。何せ相手の恐ろしさを知る前に、マスクをつけてなかった男以外の全員を撃退してしまったのだ。
思い返してみても、さすがは女魔族だと賞賛したくなるほどの実力だった。そんなリディナが盗賊団に捕まってどうこうとは、やはり考えにくい。優一が心配しなくとも大丈夫だろう。心からそう思ってはいるが、飛び出していったまま、帰ってこない時間が着実に増えていく。
「まさか……いや、でもな」
人間の少女に変身中とはいえ、リディナは魔族に変わりない。本来の姿でなくとも、実力をある程度発揮できる事実も判明した。もし彼女が敗北するような相手なら、優一が行ったところでどうにもならない。助けるどころか、足手まといになるだけだ。
「けど……な」
一階の店にある椅子へ座り、天井を見上げる。決して仲が良いとはいえず、たった数日しか同居していない。それでも、いなくなれば妙な寂しさを感じる。元いた世界で家族を失い、ひとりぼっちで異世界へやってきた。そんな優一だからこそ、知らず知らずのうちに、リディナを家族みたいに思うようになっていたのかもしれない。
「だとしても、口煩くて生意気な妹だけどな」
誰にともなく呟いて、ひとりで苦笑する。声を聞いてくれる者は誰もいない。ひとりだけの時間が経過していくにつれ、胸の奥に芽生えたもやもやも大きくなる。
楽だからと、日本でニートの道を突き進んでいた優一にとって、少女の救出は無理難題もいいところだ。セルフィリズドへやってきて、活気溢れる住民たちと接してるうちに、いつの間にか感化されていたのだろうか。それとも自分で店を経営し、働くうちに面倒臭がりの性格が改善されたのか。どちらにせよ、現在の優一が必要以上にリディナの安否を心配してるのは確かだった。
「ああ、ちくしょう! どうしてこんなに気になるんだよ!」
椅子から立ち上がり、鍵をかけたばかりのドアを見る。リディナはまだ帰ってこない。
「別に不安で助けに行くわけじゃない。盗賊団の様子を、少しだけ見に行くだけだ。そ、そうだ! マーガレットの店が襲われないかも心配だしな」
自分自身への言い訳を必要以上に並べ、優一は物音を立てないようにドアを開いた。外は真っ暗で、街灯がある場所以外は濃い闇に飲み込まれている。
誰かが隠れていても、まったくわからない。文明国家で治安は良い方のエンズレアであっても、女性のひとり歩きが好まれないのもこうした環境のせいだ。異世界だからじゃない。実際に優一が生まれ育った日本でも、夜の闇にまぎれて悪さをする事件が多かれ少なかれ発生していた。
武器を扱えない優一にとって、唯一の効果的なアイテムになってくれそうなレーザーポインターをズボンのポケットへ忍ばせて行動を開始する。
夜だけあって、通行人の数は極端に少ない。顔見知りと偶然に出会って、どこかへ出かけるのと尋ねられる事態も発生しなかった。
「確か……郊外の山とか言ってたな」
バラドーの言葉を思い出し、周囲を警戒しながら慎重に歩を進める。地球とは違ってこの世界――セルフィリズドには魔物も存在する。まだ遭遇はしていないが、安心できる相手でなさそうなのは容易に想像がつく。魔王や魔族と違って、こちらとの会話が成立するかどうかも不透明なのだ。
……早まったかな。若干の後悔を抱え、優一はひとり山道を歩く。異世界へ来て以降、街からろくに出ていない人間が、夜の山を探索するのは無理がある。不安と緊張から、余計に風が肌寒く感じられる。こんな状況で、盗賊のアジトを見つけられるはずがない。引き返すべきか悩み始めた優一の視界に、信じられないものが映る。山道を少し進んだばかりだというのに、石造りの砦みたいなのが存在感たっぷりに建っていたのだ。
盗賊の拠点だと、声高に宣言してそうな造りに唖然とする。兵士たちに見つからないよう上手く隠れてるかと思っていたら、むしろどうだと言わんばかりに堂々と存在している。よほど自分たちに自信があるのか、もしくは単なるアホのどちらかだろう。顔をマスクで隠す用心深さは、一体何だったのかと疑問に思える。
「……まだ、ここが盗賊のアジトだと決まったわけじゃない。慎重にいかないとな」
建物へこっそりと近づく。出入口らしき場所に、マスクをかぶった男性が槍を片手に立っている。もしかしなくとも、見張り兼門番だろう。正面から挑むのは無理がありすぎるし、そもそも優一は盗賊団と戦いにきたわけじゃない。あくまでも同居中の女魔族リディナの安否を確かめたいだけだ。
優一の店へ盗みに入った連中と同じマスクをかぶって立つ男がいるのだから、ここが盗賊団のアジトと考えて間違いはない。奴らを追いかけて店を飛び出したリディナも十中八九、建物内にいるはずだ。
女魔族のリディナが中で暴れているのなら、もっと騒ぎになっていてもおかしくない。見張り役の男が、わりと平和そうに自分の仕事をしていられるわけがないのだ。その点を考慮すると、まだ戦闘になっていないか、もしくは敵に捕らえられてしまったのか。後者はまさかと思うが、可能性を排除しきれない。
「中に忍び込むしかないのか……見つかったら終わりだってのに……」
恐怖で両足がガクガクする。優一は魔族などでなく、戦闘行為のない国でのほほんとニートをしていた人間にすぎない。異世界へやってきて自立の道を歩きだせてはいるが、それと勇気を持てるかどうかは別の話だ。命の危険を冒してまで、内部へ潜入する必要性があるのか。強く悩むが、コロコロとよく表情を変える少女の姿を思い出すたび、胸に鈍い痛みが発生する。事なかれ主義を貫いてこの場から逃げ出すのは、見捨てたということと同じ意味になるのではないか。そう考えると、簡単に帰宅もできない。
いっそ盗賊団の拠点を爆破でもして、豪快に出てきてもらった方がありがたかった。魔族のリディナなら可能そうだが、実行されるような気配は一切ない。ますます不安が募り、情けなくも泣きたい気分になる。
「くそっ……やっぱり、中へ様子を見に行くしかないか……」
呟きながら、ズボンのポケットに手を入れる。持ってきたはずのレーザーポインターと、魔王召喚に必要な笛が今もそこにあるのかを確認した。両方の手触りが、指先に伝わる。万が一、敵に見つかって戦闘行為に発展したら、後々はどうなるにせよ魔王ファーシルを呼ぶしかない。到着するまでは、セルフィリズドに存在しないアイテムのレーザーポインターで時間を稼ぐ。上手くいくかは不透明だが、現在の優一がひとりで実行可能な作戦はそのくらいだ。
覚悟を決めて、建物の裏側へ回る。襲撃の可能性を考慮してないのか、そちらには見張りがいない。裏口の存在が、はっきり確認できるのにだ。罠かとも思ったが、誰かに攻め込まれる予定を把握してない限り、そのような策を実行するとは考えにくい。
「とにかく、行くしかないか……」
十分に警戒をしつつ、足音を立てないようにゆっくりと盗賊団のアジトへ近づく。大量の汗が頬を伝わる。勝手に荒くなる呼吸が、喉を乾燥させる。ニート時代ではありえない種類の緊張に襲われながら、優一は気力を振り絞って、頼りなく震える両足を動かし続ける。




