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二話・温かい手

 私は生まれてこのかた、といっても二週間ほどだが、外界を見たことがない。

 生まれたあの岩陰の巣穴も外といえばそうだが、今の新たな住処を得た私だからそう思うだけで厳密にはあそこは巣の『中』であったし、衰弱した私に巣の外のようすなど見えてはいなかった。

 であるから私は今、生まれて初めて空を見たのである。

 空は青かった。運良く天候に恵まれた天弓は美しく、どこまでも高く遠く広がっていて、室内に慣れきっていた私の目に容赦なく沁みた。


「こっちだ」


 呆然と空を見上げていた私は、そうに呼ぶ《母》の声に我に返ってその足元に急いだ。駆け出した私がついてくるのを確認すると、《母》は気持ち緩やかな足取りで再び歩き出した。


 大人用なのだろう。《母》には丈の長すぎるマントの裾がずるずると地面を擦っていた。それが鬱陶しいらしく《母》は時々マントを引っ張りながら進むのだがのだが、目の前でひょこひょこ揺れる布はどうしようもなく私の狩猟本能をくすぐる。飛びかかって爪を立て、じゃれつきたい衝動に駆られるのだ。

 しかし私がそれを実行することは()()ない。《母》のマントの左端に残る痛々しい傷跡を見れば、私の興奮も一瞬で冷めやった。以前、爪の生え始めたばかりだった私が引き裂いてしまったその跡を見れば……、あああ、忌まわしい記憶。《母》に初めて叱られたその記憶は、私のしっぽを縮こまらせるのに十分だった。本当に反省している。


 《母》の後を追いながら私は気を取り直すつもりで周囲を観察した。どうやらここは人間の集落であるらしい。木でできた三角屋根の家がいくつも見られた。それらの家の周りには大小こそあれ畑があり、青く萎びた植物が作られていた。しかしそこに他の人間の姿は不自然なほど見えない。

 《母》を見失わないよう小走りに進みつつ、私は浮かんでくる疑問に答えを出せずにいた。それというのは、なぜ私はこんなにも人間のくらしに詳しいのか、というものだ。三角屋根を見て、私はこの土地には雪が降るのだろうと思った。柵で区切られた四角い敷地を畑だと知り、そこに生えた植物の状態からあまり農作には適さない土地らしいと推察していた。その畑に農作業をする人間がまったくないのも気にかかる。

 前々から感じていたことだが、私の頭の中に湧いてくる知識はまったく獣の子供にふさわしくない。ふさわしくないと疑問に思うことすらそもそも異常であるのだ。

 《母》の言葉であるが、本当に私は何者なのだろうか。

 考えに没頭するあまりいつの間にか《母》との距離が開いてしまっていた。いけない、《母》の不思議がりが移ってしまったらしい。

 考え事はひとまず取り置き、立ち止まって私を待つ《母》の下へ再び駆け出した。




「さて、これから山に入る。わかるか、あれだ」


 ようやく追いついた私に、《母》は手前に見える木の塊を指して言った。あれが山……? 恐る恐る見上げるも密集した木々に阻まれてその標高は計り知れない。山というか、樹海に見える。

 知らずに怯えた雰囲気を出していたのか、苦笑した《母》がしゃがんで私の背を撫でてくれた。


「心配するな、そんなに奥までは行かない。お前は離れずについてくればいい……わかるな」

「みぃーお」

「いい子だ」


 素直に返事をする私を《母》は褒める。言葉が通じているのがわかってきたらしい。いい子いい子と言いながら、くるくるとあごの下をくすぐられ、私はしばらく身悶えることになった。


 山の入り口は特に高い木が密集し、昼間にも関わらず薄暗い。地面にあまり大きな草木がないのは歩くには幸いしたが、私は何ともいえない不気味な雰囲気を感じていた。けして《母》の足元から離れないようにしてしながら、注意深く進むことにした。

 《母》はこの山に植物の採集をしに来ているらしい。私にはいまいち見分けのつかない雑草の群から一株ずつ選んでは、土を落として腰に吊るした袋へ入れていく。時々嫌な感じの赤い花があると、《母》は特に丁寧にそれを掘り返して別の袋にしまっていた。

 私はその赤い花がたまらなく嫌で、見つけるたびに《母》の懐に飛び込むのだった。


「お前にはわかるんだな、不思議なものだ。この花はけして口にするなよ」

「みぃ」


 もちろん、頼まれたって近づきたくもない。《母》はしっぽを縮こませる私を可笑しそうに一撫でして地面に下ろし、私が見つけた花に向かった。

 とても食べられるものではなさそうだが、《母》はあんなものを集めてどうしようというのだろうか。《母》の体の影からその手元を覗くと、やはり丁寧に花を根から掘り返している。土を落とした根っこは枝分かれが少なくすらっとしていて、花びらよりも真っ赤に染まっていた。だが不思議と花のような嫌な感じはしない。


「この花が赤い時、根は血止めの薬になる。ここをすり潰すんだ」


 突然向けられた根に驚いて飛び退る。《母》はまた苦笑して、ここだ、と切り取られた根の先端を指差した。そんなもの私に教えてどうしようというのか。

 指差された部位に鼻を近づけてとりあえず匂いを嗅いでみる。すると、今まで体に寄り添わせていた二本の長いひげが無意識に前へ出てきて、確かめるように丹念に根を撫でた。驚くべきことにその根茎のつるつるとした感触、匂い、それに表面を舐めたように味覚に訴え掛ける苦い味が、ひげを伝わって感じられた。

 なんとこのひげは優秀な感覚器であるらしい。しかも触った感じからするとこのくらいの小さな欠片ならば持ち運べそうだ。もしかすると《母》にただついていくだけでなく採集の手伝いができるかもしれない。そうなればどれだけ素晴らしいか!

 早速自分の力を試してみたくて、ねだるようにくいくいと根を引っぱった。


「なんだ」

「みぃーお!」

「これがほしいのか」


 《母》が手を緩めると、その重さがすべてひげにかかってきた。しかしこのくらいの大きさならば十分に運べそうだ。

 意気揚々と《母》の手から根っこを引き抜き、地面に置かれた袋に入れようとする。袋の口を開けるのに思いの外苦労したが、一度根っこを置いて片方のひげで入口を持ち上げ、もう一方で袋の中へ押し入れると見頃に成功した。時間をかけてやり遂げた、得も言われぬ達成感が私のしっぽをゆらゆらさせる。

 どうだと見上げて胸を張ると、無言で見守っていた《母》は感極まったようすであった。


「手伝ってくれた、のか?」

「みゅいーん」

「そうか、ありがとう。お前は本当に賢いな」


 《母》の手がお礼になでなでするのを堪能しながら、私は得意になってしっぽを立てた。《母》も私がどれだけ役に立つのかわかったことだろう。これで二度と私を置いて出掛けようなどと考えなくなれば冗長である。

 ふと、私ばかり撫でてもらうのはフェアでないように思った。《母》が礼を言ったように、私もなにか報いなくてはならない。

 しばらく考えた後、ひげを伸ばして私から離れようとしていた《母》の手をくすぐった。本当なら顔を撫でたかったのだが、如何せん立ち上がりかけていた《母》とは距離がありすぎた。手を撫でられた《母》は不思議そうに私を見下ろしていた。


「うん?」

「……みゅー」


 自分で言うのもなんだが聡い私としては《母》にまったく意図が伝わっていないことがわかってしまった。ため息を禁じえない。

 うぬぬ、今に見ていろ。そのうち私のひげも長くなって、そのあごの下を存分にこちょこちょしてやるのだ!

 密やかに決意を固めた。まずは大きくなること、最初にして絶対の課題である。




 それからというもの、雨の降らない日は毎日のように《母》は採集に出かけ、私はそれについていった。

 今までのペースは幼い私を一人にするのが躊躇われたせいらしく、朝早く出かけて昼過ぎに戻り、夕方までは家の中で作業をして過ごすのが本来の生活スタイルであるようだ。これに同行した当初、生後二週間程度の私にはなかなか過酷なように思われたが、元来が野生の獣――《母》曰く、魔獣――の私である。すぐに順応し、さらに一週間が経つ頃にはまるで己の庭であるが如く山の中を駆け回っていた。《母》の足もとをだが。


 もちろんだたついていくわけではない。そんな仔猫の所業は一週間で卒業したのだ。最近では《母》の手に取る植物を観察し、同じと思われるものを採って《母》に見せる、という任務についていた。

 この自発的任務も、初めはなかなか上手くいかず、《母》が認めるのは私が採って来た内の三割程度だった。

 却下されたものは、似ているようで別物だったり、採集するには未熟であったりしたらしい。《母》は私の採ってきた植物を見て時折懐かしそうにしながら、なぜダメなのかを一つずつ教えてくれた。


 私は私自身のこと以外にさらなる疑問を持った。《母》は何故、私が教えられたことを吸収できると信じているのだろうか。自ら手伝い出したのは私だが、それはとても獣に対する対応ではないように思えた。

 現実として私は少しずつ学び、不採用になるものも少なくなっているのだから《母》の教えは無駄ではないが。


「これはいいな、ありがとう。この茎の汁は蜂の毒に効くんだ」


「いい子だ。この葉は口に入れるなよ、虫除けになるが毒もある」


「惜しいな、この実がもう少し赤くなれば魔獣除けのまじないに使えるんだが……ああ、それじゃあお前も近寄れないな」


 このように《母》は少しずつ薬学の知識を私に与えた。《母》と私が集めるさまざまな植物は薬草であるらしく、《母》はこれらを持ち帰って作業を加える。煎じてみたり炒ってみたりとその処方もまたさまざまで、《母》の手腕は私から見ても慣れがわかるほど冴えていた。

 そしてこれがさらに謎であるのだが、《母》はこの時に複雑な工程までも作業の片手間に私に語ることがあった。確かに私は人間の言葉を理解しているし、思考は獣らしからず理路整然としているつもりだ。しかしとても調薬まではできそうにない。すり鉢の操作くらいならひげを使ってできないこともなさそうだが、今の力では柔らかい葉の汁を絞るので精一杯。乾燥させた木の実を粉にする作業等は、試したわけではないが難しそうだった。


 自分の中の不自然な知識と《母》の態度。

 二つの疑問は、少しづつ成長する私の体の中で同じく大きくなりつつあった。


 今日とて私は《母》と共に山へ赴いた。《母》は毎日違うルートで採集を行うが、入口はいつも同じだ。とある木の下の背の高い草を分けると隠れた獣道があり、そこを少し入り込めば光が差さないためか暗さ以外は歩くのに不便なものはなかった。

 採集の手伝いを始めてから十日も経っただろうか。初めて《母》が以前と同じ道を行こうとしていることに気がつき、私は少し先行してみせた。

 私が初めに見つけたのは、初日に見たあの赤い花であった。この花は、この山の西側へ抜かうルートにしか咲いていないらしい。


「みゅーん!」


 《母》に一声かけると、私は走って花のもとに向かった。私の体は普通に立っても《母》のひざに頭が届くほど大きくなり、斜面を走れば《母》よりもすでに速かった。

 これの採り方は心得ている。根を掘り返してその先端を折り取ればいい。この時、花の花弁と中核には触れないようにする。

 私は前足で慎重に地面を掻いていった。犬のように上手くは掘れないが、爪で引っ掻くようにすれば土は削れていった。因みに犬など私は見たことも聞いたこともないが、それが穴掘りが得意な獣であることは何故か知っているのだ。不可解なことだと思っているうちに赤い根が見えてきたので、なるべく傷つけないように爪を引っ込めてその全容をあばいていった。

 綺麗に根が抜けると先端を折り取り、私はそれをひげで拾って勢いよく《母》を振り返った。どうだ、素晴らしい手際だっただろう!


「ああ、よくやった」


 私の成果を確認した《母》は嬉しそうに少しはにかんで、こちらに広げた袋をさし出した。

 さもあらん。褒める《母》の言葉に気を良くし、私はそっと袋に根の欠片を入れようとした。そして気がついてしまった。《母》の持つ袋にはすでにいくつかの赤い根が入っていることに。

 一、二、三つもあった。

 確かにこの花の群を最初に見つけたのは私だった。ならば、私が苦労して一つを掘り返す間に《母》はこれらを採ってしまったというのか。なんて理不尽なことだ。私は憮然として袋の中を睨みつけた。


「どうした」

「みゅー……」


 まあ、三週間と少しも《母》を見てきたのだ。いい加減この人にこのような繊細な心の機微がわかるとは、私が獣であることを鑑みても思わないが。しかし私はいたく矜持を傷つけられていた。

 これが経験の差か。一つ掘り返して得意になっていた私はまだまだ未熟だったのだ。

 じっと師である《母》を見つめ、その手の袋を見る。

 なるほど、ならば宜しい。追い付いてくれようじゃないか。

 そもそも、薬師になりたいわけではない私がこの任務についたのは、大恩ある《母》を手伝い助けたかったからだ。最近気がついたことだが、愛玩動物のように役立たずの身の上で糧を貪るばかりになるのが私には許せなかった。

 むきになっているつもりはないが、恥じ入り萎縮するつもりもなかった。


 私は三つの傷も少ない根っこを、眼に焼き付けるようにしながら自分の採ってきたものを袋に納めた。

 黙ってそれを待っていた《母》は流石に何か感じるものがあったのか、袋の口を閉じると、わしわしと何時もより手荒く私の頭を撫でた。


 それから私は夢中になって薬草を集めた。

 《母》はこの薬草から作った薬を食べ物や他の必要品と交換して生活している。

 私に薬は作れない。さらに今回、自分の採集能力も《母》には到底敵わないことを思い知ったわけだが、せめて収穫量に貢献することで己の糊口くらい稼がなくてはならないだろう。そう張り切っていたわけだ。


 《母》の示す道はやはり初日のそれと同じだった。前回はこの辺りで引き返したのだと思いながら、尚進む《母》についていく。

 初日は私に考慮して早めに引き上げていたのだろうか。そう思うほど《母》は迷いなく山を上へ昇っていく。途中で見かけた薬草は採っていくが、今までと明らかに足ぶりが違っている。どこかの目的地へまっすぐ向かっているらしかった。


 もう日が傾きはじめていた。今までならば下山している時分だな、と思っていると、木々の陰から大きな岩が姿を現し、《母》はようやく足を止めた。


「……こっちへおいで」


 岩の側にしゃがみこんだ《母》が私を呼ぶ。

 岩を眼にしたときから、というより、この周辺の匂いに気が付いた時からか。私の中に一つの予感が芽吹き、灰色の足から根が生えたように私は立ち尽くしていた。


 そこは間違いなく、私が生まれ、そして死にかけた巣穴であった。


 こんな、こんな場所に私を連れてきてどうしようというのか!

 この場所のどこか懐かしい匂いは恐らく私を産んだ母獣のものであり、親に捨てられた己の死の臭いであった。

 私の母は言うまでもなく《母》であり、今では私を捨てた親に未練も憎悪もない。しかし私の中にはあの死の体験が強烈なトラウマとして居座っていて、足をすくませるのだ。

 そして同時に、捨てられた己の絶望の場所でもある。

 正直に言おう。私は《母》に捨てられることを怖れていた。あり得ないと《母》への信頼が叫ぶが、幼い赤子の私は怯えて泣くのだ。捨てないで、冷たいのはもう嫌だ、と。


「こっちへおいで、お前の母の話をしよう」


 立ちすくむ私を、《母》は静かな声でもう一度呼んだ。宥めるような声音は、わかりにくいが《母》の精一杯の優しげな声なのだろう。私はぴくりと耳を動かしてせめてもの答えとした。

 しかし母の話を? 怯える赤子がいっそう煩く鳴き始める。私も知らない産みの親を《母》は知っているのだろうか。


 呼んでも来ないと覚ったのか、《母》は困ったように私を見る。近くの空で鳥の声がした。この山には今まで聞かなかったような鋭い鳴き声だ。

 その鳥が鳴き止むのを待っていたかのように、静けさの戻った空間で《母》は語り始めた。


「お前を生んだ親は、既に死んでいる」


 私はいつしかその場に腰を下げ、ただ《母》の口から紡がれる話を聞いていた。


 曰く、あの山の麓の村に冒険者たちがやってきたのだという。冒険者とは一般に暮らす人には危険な仕事を生業とする傭兵のような者たちで、村に来たのは魔獣専門の狩人だった。

 冒険者は山の主と呼ばれる魔獣を狩りに来たのだと言って、銀貨を見せびらかしながら村人に山の案内を頼んだ。最も山に詳しい者としてまず《母》へ話が持ちかけられたが、《母》はその話を断り、結局冒険者たちは村の若い衆を連れて狩りに出た。

 《母》は山の主が冒険者程度に狩られるとは思っていなかった。しかし、二週間ほどして冒険者たちは見事な獲物を持って凱旋した。その獲物は黒い毛並みの大豹であった。その恐ろしげな大きさと美しい毛皮に誰もがそれを山の主だと確信したという。

 冒険者の獲物を見た隣人に話を聞いて《母》は驚き、疑念を抱いて山へ入ったという。《母》は己の父親から山の主の棲みかを聞かされていたが、父の教えに従い今まで一度もそこに近づいたことはなかった。

 しかしその日はまっすぐにその場所を目指した。山の気配が普段とまったく違い、《母》はむやみに不安感を覚えたという。

 そして、羊水に塗れ衰弱した私を拾ったのだ。


「お前の親は、身重の身体で二週間も追い立てられながら腹の中のお前を守り、お前を産み落としてから力尽きたのだろう。聞いた話では、棲みかとは随分離れた麓の近くで罠にかかっていたらしい」


 《母》の考えでは、私を産んだ後、母豹は産後の死力を尽くして棲みかを離れ、自らが囮となったのだ。既に棲みかの方向は狩人たちに暴かれ、この岩影の巣穴に奴らが気付くのも時間の問題だったのだろう、と。


「お前は愛されていた。お前の親はここでお前が生きることを望んだはずだ」


 《母》はそこで一度口を閉ざし、何か言いたげに私を見た。

 私はと言えば聞かされる話はどこか他人事で、むしろいつこの場に置き去りにされるのかとひやひやしていた。そんな事にはならないと信じたかったが、話の流れはまるで私に巣立ちを求めているように聞こえたのだ。


 私を産んだ母には、感謝をしよう。貴女のおかげで私は生まれ、《母》と出逢えたのだから。

 しかし山の主の座を継ぐのは別の話だ。母の親は《母》だ。私を産んだのは母だろうが、私を生かしたのは《母》なのだ。


「み、みゅーん!」

「!」


 私は縮こまったしっぽを気丈に立たせ、《母》のひざ元に走り寄った。

 心なしか強ばった目付きの《母》をじっと見続け、岩の側にしゃがみこんだそのひざに飛び乗る。それから両方のひげを、《母》の手のひらへ強く強く巻き付けた。


「なっ」


 驚く《母》の声を無視して私はさらに強くその手を握った。

 私を生かしたのが《母》ならばこそ、私は《母》と共に生きたい。それが――ああ何だろうか、良い言葉が思いつかない。まあいい、どうせ言葉として伝えることは出来ないのだから。

 とにかく私は、《母》と共に在るのだ。


「みぃーんみぃーん!」


 それは母を呼ぶ声。届けよと振り絞った《母》を呼ぶ声だった。


「それで、お前はいいのかっ」

「みぃーん!」


 恐ろしげに顔を歪めながら、しかし震える手で《母》はそっと私の頭に触れた。手のひらの影になって《母》の顔は見えなくなったが、私は間も開けずに応と答える。

 それから《母》は多くを語りはしなかった。


「そうか」

 

 とだけ小さく呟くと、何度も何度も私の頭を撫でた。

 その手は優しく、私に安堵を与える母の温もりであった。

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