さよなら、殿下(1)
それからの日々はあっという間だった。
今私はベアトリーチェ様のお屋敷で客人としてもてなされている。
ベアトリーチェ様のお屋敷はとても大きくて、庭園も立派で、ここのところの私のお気に入りはこの庭園でぼーっとすることだったりする。
あの日。あのベアトリーチェ様と話し合った日の夜から私はここに滞在している。
ベアトリーチェ様曰く、愛のない行為をこれ以上私に強いることはできないとの理由で。
ベアトリーチェ様はだいぶ強引に私をお屋敷に連れて行った。それこそ周りが慌てふためくほどに。
庭園でぼんやりしていると、今でもその場面を思い出してしまう。
「では、善は急げです。さっそく行きましょう」
ベアトリーチェ様はそう言うと立ち上がった。
私はいきなりのことに目を白黒するばかり・・・。え、とかあっ、とかとまどうばかりで事態が飲み込めない。
「あの、行くとはどこへ・・・?」
やっと繰り出した質問にベアトリーチェ様はにっこり微笑むと、その豊満な胸を張って答えた。
「我が、ストランデル家の屋敷ですわ。そこなら殿下も手出しはできませんもの」
どうやらベアトリーチェ様は私をご自宅で保護してくださるつもりのようだ。
なんだかそこまでお世話になっては申し訳ない。私は首を横に振った。
「ベアトリーチェ様、お心遣いは大変ありがたいのですが、そこまでしていただくわけには・・・。私をおいたことで、ベアトリーチェ様にご迷惑がかかることもあり得ますし・・・」
ベアトリーチェ様はそう言う私の手をきゅっと握ると、感極まったように声を震わせた。
「こんな時まで私をお気遣いくださるとは、なんてお優しい!さすが、あの殿下が想われる方ですのね」
まずい、その誤解まだとけてなかったのか。
「でも、そのお優しさにこれ以上付け込むような真似をしてはいけませんわ。この一件、私にも責任がございますもの。どうかお手伝いさせてくださいな」
ベアトリーチェ様って、うすうす感じてたけど、思いこみが激しいのかも、だいぶ・・・。
「それに最初にお話したお約束、あの三ヶ月は殿方との接触がならないというもの。覚えておいでかしら?殿下のあの御寵愛ぶりでは・・・子のこともございます。私の元で三ヶ月すごしていただいて、身の潔白をたてられませ」
そういえばそんな約束あったっけ。すっかり忘れてた。これはもうご厄介になるしかないか。
私はできうる限り丁寧に頭を下げた。
「ご面倒、おかけします。ベアトリーチェ様、よろしくお願いします」
そして、私はどうしてもおいていけないもの。たとえば幼い頃に亡くしたの母の形見のペンダントだとか、やはりもう既にない父からの贈り物だった短剣だとか、そういった本当に大切な物だけをドレスの下に身につけた。
部屋の扉の向こうには、案の定、厳つい鎧を着た近衛兵が二人。
連れだって立つ私たちを見て、慌てて部屋に押し戻そうと進路を塞ぐ。
「どきなさい、庭園の散策に出ます」
ベアトリーチェ様は何でもない風に近衛兵に告げた。
「申し訳ございません。ニナ様の外出は禁じられております」
それを聞いて、ああやっぱり、とため息をつく。
この三ヶ月、ほぼ軟禁状態。少しでも部屋から出ようとすると部屋付きの女官にさりげなく、しかし確実に押しとどめられた。
「そこをおどきなさい!」
たおやかな見た目からは想像できないような厳しい声でベアトリーチェ様は殿下の兵に命じた。
「はっ。いや、しかし・・・」
「私たちは少し庭園を散策したいと申し上げているだけでしょう?なにか問題があるのかしら?」
「恐れながら申し上げます!我々は殿下より、ニナ様をなにがあっても部屋に留まらせるよう、厳命を受けております!」
兵は気まずそうに一度私を見ると、すっと目をそらした。
そりゃそうだ。今までこの兵とだって、若干の立場の差はあれど、同じ主をいだく者として、対等な仲間として勤めていたのだ。
こういう風な、親しかった人たちからのよそよそしい態度が一番堪える。
「わかりました。ですが、私は陛下にニナ様をお連れするよう命じられているのです」
ベアトリーチェ様はそう言うと、にっこり近衛兵に微笑まれた。
「陛下に!?それは大変失礼をいたしました!どうぞお通りください!」
近衛兵はさっと敬礼すると扉を開けた。
急に変わった態度に、こちらは拍子抜けだ。
というか、ベアトリーチェ様、勝手に陛下の名前なんて出して大丈夫なの?
それに近衛兵も、そんな簡単にベアトリーチェ様の言うこときいちゃって!今は助かるけど、警護上どうなのそれ!
頭の中が疑問符だらけだが、ベアトリーチェ様に促されるまま外にでる。
およそ三ヶ月ぶりの室外。
緊張もしたが、私の隠れたベアトリーチェ様の馬車が無事城門を抜けた時の開放感は忘れられない。
ベアトリーチェ様のお屋敷のお庭で空を見上げると、あの開放感を思い出す。