誤解をときましょう
揺れる馬車の中は大変微妙な空気に包まれていた。
先ほどまで緩衝材として働いてたリアムははしゃぎ疲れたのか夢の中だ。
寄り合い馬車とは比べものならないほど、乗り心地のいい馬車だからね。いい夢みれるでしょ。
寝れるものなら私も寝てしまいたい。
あぁ、正面からの殿下のぶれない視線が痛い。
斜め前からは、潤ませた瞳で何か言いたげにこちらを見つめるベアトリーチェ様。
そして私は膝枕で眠るリアムの顔をひたすらみている。
「シアン殿下。まもなくソリッカです」
そう告げたのは馬車に併走して馬を駆っていた騎士、キースだった。
思わずぎろりとキースを睨んでしまう。キースは一瞬気まずそうな表情を浮かべたが、すぐに元のすました顔に戻った。なんて憎らしい!
殿下は一つ頷かれると、おもむろに私に手を伸ばされた。
丁寧に、でも強い力で手を握られる。
「ソリッカの領主館で一晩休むことになる。王宮に入るのは明日の午後だな」
説明され、安堵の息をつく。いくら快適な馬車とはいえ、これだけの長距離移動がリアムの負担にならないはずがない。しかも先を急いだため道中休憩はほとんどもうけられなかったのだ。
領主館につくと、ソリッカ領主という男性に出迎えられた。
大仰に腰を折って歓待される。
「無事のお戻り、お喜び申し上げます。おぉ、こちらが殿下が探し求められていた!」
領主は殿下の横に立つ私の前でももう一度腰を折った。
「殿下がご執心なされるわけですな。なんとおかわいらしい!」
言われられないお世辞に、居心地が悪くなる。ただでさえ逃げ出したい気分なのに。
「皆疲れている。部屋は用意できてるか?」
「もちろんでございます!どうぞ、ご案内いたします!」
私とリアム、殿下は領主のあとに続く。
ちなみにリアムは私の抱っこで眠ったままだ。この様子では明日まで起きないだろう。
案内された部屋の大きなベッドに、起こさないように注意しながらリアムを寝かせる。
・・・いつまで殿下はここにいるんだろう?
領主もとうに退室しているし。ってやっぱり、なにかしらかお話があるんですよね…。
私には私なりの理由があって殿下の元を逃げ出したわけだけれど、それを殿下に話したことは一度もない。
殿下にしたら、「最終試験」のための一夜限りの相手にせず、せっかく情けをかけてやった女官風情が逃げ出した理由はわからないだろう。
殿下はおもてになったから言い寄られることには慣れていても、逃げられる経験なんてなかっただろうし。そこらへんの物珍しさが、私を追いかけてくる原因かしら?
・・・いや、やっぱり追いかけてる原因なんて一つだよ・・・。
どんな厳罰が下されるんだろう。
王宮から逃げたのは前陛下のお許しが出たけど、どう言い逃れたって、殿下のお子を隠匿してたことに変わりはないもの・・・。しかも嘘ついて。
最悪、死罪だろうなぁ。よくて離島に一生幽閉かな・・・。
あ、でも修道院の前でよくわかんないこと言ってたな。「帰ってきてくれ」とかなんとか。
「ニナ。こちらにおいで」
私が一人考え込んでいる間に、殿下はいつの間にかソファに腰かけられて、手招きしていた。
私は暗澹たる気持ちで、殿下の元へ近寄った。そしてそばまで行くと、勢いよく床にひれ伏した。
「申し訳ございませんでした!!」
リアムが起きないように声を抑えめに、でもはっきりと言う。
そのまま、長い沈黙が部屋を包んだ。
長い長い沈黙の後、殿下は立ち上がると私のすぐ前まで来られた。
体がビクッと震え、固く目をつむった。
「顔を上げよ」
その言葉に恐る恐る頭を持ち上げ、閉じていた眼を開ける。
目の前には、しゃがみこみ私の顔を覗き込む殿下の顔があった。
「黙っていなくなったことは、許す」
「・・・え・・・?」
「リアムのこともだ。父親である俺に告げずにいたことは本来なら許しがたい。しかしニナにそこまでさせてしまったのは俺だ」
頭の中で祝福の鐘がなる。
一気に押し寄せる安堵。緊張の糸が切れたせいか生理的な涙がこぼれた。
「泣くな」
殿下はそういうと私を抱き寄せ、ご自分の肩に私の顔を押し付けた。
いつかの時と同じように、私の涙が殿下の肩を濡らしてしまう。
「・・・申し訳、ありません」
殿下の広いお心、優しいお言葉に、今度は保身ためからでなく心底謝罪の言葉がもれた。
みっともなくしゃくりあげながらだから、ちゃんと届いたかどうか不明だが。
殿下は少し落ち着いた私を抱き上げると、再びソファに腰かけた。
そして私を膝にのせたまま話し始める。
「俺たちに足りないのは、会話だと思わないか?」
「?」
殿下の言葉にきょとんとしてしまう。
「あの時は俺も若かったら・・・君の体に夢中になって、ろくに話もしなかった」
一瞬殿下の瞳の中に、ゆらりと情欲の色がよぎった。
ぎくりとしたが、しかし殿下はそれを抑え込んだのか、話を続ける。
「今思えば愚かなことだ。そのせいで、こんなに長い間、君を失うことになったのだから」
・・・えーっと???
えっ・・・もしかして口説かれてる!?
「俺も悪かったと思ってる。しかし、ニナも次からは不満があれば言ってくれ。甘えてるといわれるかもしれないが、俺は言われなければわからない。俺はニナを幸せにしたい。そのためには、何を望み、何が嫌なのか、俺に教えてほしい」
いや、口説くのとも違うような。
なんか、そうゆう情熱的なものじゃなくて・・・まるで聞き分けのない子供を諭すような口調だ。
「今回のような家出はもう勘弁してくれ。四年間は夫婦喧嘩にしては長すぎる」
「・・・・・・」
・・・・・・ちょーっとまったー!!
私はあっけにとられすぎ、声を出したいが出せなかった。
頭の中で何がおかしいのか、殿下の発言を繰り返してみる。
おかしい点。一つ、「家出」。一つ、「夫婦喧嘩」。
いつ私の家が王宮になって、いつ私と殿下が夫婦になったの!?
そりゃ、王宮に住み込みで働いてたし、殿下との間に子供ももうけたけども!!
「あれ?」
考えてみると、殿下の言ってることって正しいのかな?
確かに王宮の女官棟の一室は、帰る家のない私にとって「家」みたいなものだったし。特殊な事情がある場合を除き、一般的には子供をもうけた男女は夫婦になるよね?
でもなんか変・・・。
「どうした?なにか思うことがあるなら言ってくれ。ニナが謙虚なのは美徳だが、もう夫婦なんだ、遠慮はいらない」
「それです、殿下」
お言葉に甘えて、私はすかさずつっこんだ。
「いつから私と殿下が夫婦になったのでしょうか!?」
私の言葉に、殿下はすごく不思議そうな顔になった。
そんな場合ではないが、ちょっとかわいい。いつも、きれいにととのった油断なんてないお顔が、今は子供のようになっている。この表情、リアムに似てるかも。
「四年前からだろう?」
「えぇ!?いつの間に!?」
いつもなら心の中におさめてる心の声が、あまりの衝撃に口からこぼれ出た。
「いつの間にって・・・」
「だって、夫婦って、結婚するってことですよね?教会で愛を誓いあって、銀の指輪と金の腕輪を交換して、夫婦であることを教会にみとめてもらう。私、何も誓った覚えも、いただいた覚えも差し上げた覚えもありませんけど!?」
私の言葉に殿下は納得したように頷いた。
「言いたいことはわかった。が、少し声をおとさないとリアムが起きてしまうぞ?」
そう言うと、興奮する私の唇にそっと人差し指をたてられる。
私はあわててリアムをうかがった。健やかな寝息が聞こえる。良かった、セーフだ。
「たしかに俺たちは、民衆が行うようなそういった婚礼儀式はしていないな。ニナはそれがしたかったのか?だから結婚してないなどと、意地悪を言うのか?」
「いや、意地悪っていうか・・・」
「しかし、俺は王族だからな。王家は神にも膝を折らない。それは知ってるだろう?」
「はい」
そう。教会からの政治的干渉を嫌った王家は、教会と特別な関係を持たないのだ。つまり、信仰を捧げないのだ。
それはさすがに、宮殿仕えをしていたので知っている。
「だから、婚礼の儀式もニナが望むようなものはできない。我慢してくれ」
申し訳なさそうに殿下は言う。
いや、そうじゃなくて!!
「あの、そうではなくてですね、殿下。・・・では、王家の婚礼とはどうやってあげるのですか?」
「忘れてしまったのか・・・?」
殿下はなぜか、愕然と呟かれる。
いや、さっきから愕然としてるの、私のほうだから。
殿下は私の肩をつかみ揺さぶりながら叫ぶ。
「あの、四年前の俺の誕生日に、正妃宮の宝樹の前で誓ったではないか!」
揺さぶられぐらぐらする脳に、四年前の殿下の誕生日の日の記憶が蘇ってきた。




