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入沢茉莉は街の中心にあるそれなりの大きさの図書館に来ていた。庁舎近くにある大きなビルの三回ほどを占めているそこで、入沢はいた。
家には家族は寄り付かないし、あまりにも心細かった。だからと言って頼れるものもいないし、美貴本に起こった摩訶不思議なことを調べようにも調べられない。
図書館にそれがあるとは思えなかったが、ダメもとで彼女はそこに行った。
結果としては、非常に残念なことに、参考となる物はなかった。
溜息をつき、長机に寝そべる入沢。
今も、彼女は誰かを殺しているのだろう。そう思うと、自身のことが無性に許せなかった。自分の我儘が招いた結果に。
そんな入沢は、ふと影が差したことに気づき、顔を上げた。
彼女が見たのは、同じ高校に通う男子生徒であった。
制服の名札の色から、同学年であることがわかる。
二日前、小山内が死亡し、学校は休校にもかかわらず、なぜか彼は制服を着ていた。
いや、その理由はすぐに分かった。きっと、小山内の葬式か通夜なのだろう。
郷田が見つけた小山内の死体は原形を留めていなかった、と聞いた。
「おい、入沢。お前、葬式にはいかないつもりか?」
「ええ」
入沢は男子の質問にそう返す。彼は少しムッとする。
「同じクラスの、しかもお前の家来だろう?」
「あんなやつ、知ったことではないわ」
入沢の、あまりにも薄情な答えに、男子生徒は怒ったようだ。彼は入沢の机をたたく。
「何よ」
その時、入沢は初めて男子の顔を見た。さえない黒縁メガネ。髪はぼさぼさしていて、オタクっぽい、というのが入沢の感想であった。
よく見ると、どこかで見たことがある。
不審な目で自分を見る入沢を見ると、彼は嘲笑うように言った。
「どうせ、僕のことなんか知らないんだろうね、お嬢様は」
そう言い、彼は踵を返す。そのいいようにムッとした入沢が、その背中に向かって吠える。
「何よ!あたしだって、余裕ないのよ!」
今村が死に、美貴本の母の死体を見て、精神的にもまいっている。そのことを、この男子は知らないのだ。入沢はヒステリックに叫んだ。
「どうしろっていうのよ!あたしに、どうしろって・・・・・・・・・・」
「そんなの、俺が知るかよ」
入沢の声にそう返すと、彼は彼女を見た。眼鏡の奥にのぞく瞳は、強い意志を持っていた。
「お前、そうやっていっつも怯えて、人を傷つけて。だから美貴本だって学校に・・・・・・・・・・・」
どうやら彼は、美貴本の死を知らないようだ。まあ、当然か、と彼女は思った。それを知っているものは、大木たち実行犯だけだ。
「彼女なのよ」
「は?」
入沢の言葉に、彼は首をかしげた。
「小山内もみんな、彼女が殺しまわっているのよ!」
悲痛に叫んだ少女の言葉に、少年は呆然と立ち尽くす。数秒後、凍結から解除されたように動き出すと、美貴本の肩を掴む。強い力であった。
「どういうことだ、それは!」
強い剣幕で言い寄るその姿に、ハッとした入沢だったが、もう遅かった。
観念して入沢は事の次第を話し始めた。
「なんて、ことを」
彼はそう言い、顔を覆う。入沢だって、そう思っている。彼以上に。
「全部、私のせいよ」
「・・・・・・・・・・いや、皆の責任だよ」
彼はそう言うと、眼鏡をかけなおして入沢を見る。
「それで、彼女は確かに死んだ。なのに、怪物のように動いている、と」
「ええ、たぶん、小山内も、彼女が」
彼は考えるように顎に手をやる。
「小山内は、馬鹿だけど体格はそれなりにある。美貴本ではふつうは殺せないし、現場の状況は伝え聞く限りだと、動物か何かのようだ、と言っているみたいだしな」
そう言うと、彼は入沢についてくるように促す。
二人は図書館内のパソコンルームに入る。彼はパソコンを起動させると、検索をかける。検索ワードは、ゾンビや死霊など、オカルトじみたものであった。
前までなら笑い飛ばせたが、今ではそう言えない。入沢は真剣に彼の説明を聞く。
「彼女がゾンビやそれに類するものなら、厄介だよ」
彼はそう言い、いろいろなページを見る。それは伝承や伝説で、信憑性があるとは思えない。
「リビングデッドや死霊、吸血鬼、鬼。言い方はいくらでもあるけど、これらはほとんどが死んだ人間やそう言った異常な人間だ。突然変異、ともいえるかもしれないけど」
なにやら十字架やキリストの画像のあるページが画面に出てくる。
「キリスト教やヨーロッパでの退治法で、倒せる物かしら?」
入沢はそれを見て言う。
「さあね。聖水なんて、ただの水だし、十字架で昇天するとも思えない」
宗教的には、日本は仏教であろう。十字架、はいまいち合うとは思えない。美貴本がハーフとはいえ、だ。
「今までの話だと、彼女は朝でも普通に行動できる。ここに書いてある怪物とは、違うようだしね」
所詮、言い伝えか、と肩を竦めた彼はページを閉じる。
「昔から言われているけど、人間の肉を食せば、食人鬼っていうだろ?あれはそのまんまの意味で人間の肉を食べれば、鬼になる、ということなんだ」
「鬼になる?」
「詳しくはわからないけど、人間のうちに宿る霊魂や業、マナといったものが取り込まれ、人ならざる者になってしまう、ということらしい」
彼はそう言い、肩を竦めた。眉唾かもしれない、と溜息をつく。
「それに彼女が人食をしたのは死後。話は合わないよね」
彼はそう言い、再びパソコンの画面を見る。だが、入沢はその言葉にハッとした。
違う。彼女が人肉を口にしたのは、死後ではない。
「違うわ。彼女は人肉を食べているわ。死の直前に」
「え?・・・・・・・・・ああ」
唇を食べた、ということだとわかると、彼は考えだす。
「でも、彼は死んでいないだろう?死んで初めて霊魂は内に吸収される、というし・・・・・・・・」
「なら、彼以前に誰かを食べた・・・・・・・・・・・?」
ぞっとする答え。入沢は信じられなかった。だが、噛り付き、肉を食べたという彼女。戸惑いも躊躇もない行動は、かつてそれを行ったためかもしれない。
「前に、彼女の近くでだれか死んでいないか、調べないとな」
彼はそう言うと、入沢を見る。
「お前、ゆる気はあるか」
「ええ」
入沢はしおらしく頷く。彼女の精神は、これほどにないほど疲れていたし、威張り散らす自分が心底嫌でもあった。
そんな少女に、少年は手を差し出した。
「霧伏巽」
そう言った少年は、憮然とした表情で入沢を見る。
「俺はお前のことは嫌いだが、そうも言ってられないからな」
入沢は少年の手を握り返す。
その手は、彼女に安らぎをもたらしてくれた。
彼女は静かに暗闇にいた。彼女の足元には鼠や蟲が蠢いている。彼女が手を振ると、虫達がどき、何かが出てくる。
彼女は手でそれを持ち上げる。微かについた肉片と、眼孔から目玉が落ちているくらいで、あとは綺麗に掃除されている。
彼女はそれを愛おしむように撫でまわすと、突然、それに力を込める。指の爪が伸び、鉤爪となって骨に食い込み、ヒビを作る。そして、ついには砕けて足元に墜ちる。蟲が群がり、骨を砕き自身の腹に収めていく。
彼女は自身を犯した男の一人の目玉を取ると、それを飲み込む。小山内が死に、怯えて家にこもっていた桐谷という男子のもので、今砕かれた頭蓋の持ち主だった。
桐谷は泣いて謝った。だが、そんなものを赦す者がいるだろうか。
否だ。
美貴本エリカは妖艶に笑い、喉元の目玉をころころと転がす。
「ああ、お腹すいた」
満たされぬ空腹の音と、虚ろな復讐の念が、彼女の中でこだまする。