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入沢は授業を半ば聞き流ししながら思案にふけっていた。
あの時、誰も当の本人でさえ、脚を失ったことを気付かなかった。
美貴本エリカは、完全に人間ではない。あれは彼女の仕業としか思えない。
悪魔のように伸びた指。笑う顔が、入沢の脳裏に浮かんだ。彼女は笑っている。そして、入沢に見せつけるためだけに、あれをやったのだろう。
彼女はじわじわと入沢の精神を侵食し、そして殺す気なのだ。
入沢は、気が狂いそうだったが、落ち着かなければならない、と自信を落ち着かせる。
まだ、彼女は自分を殺す気はない。本当に精神が耐えきれなくなったその時、彼女は入沢を殺すだろう。
それまでは落ち着いていなければならない。
だが、もし彼女の気が変わったら?それは十分にあり得た。彼女は今でも無差別に人を殺している。日に日に、行方不明者も死者も増えている。
入沢はもう手段を選べる状況にない。
彼女が人間でないとしたら、どうするべきか。
彼女だけでは、答えは見つからない。
入沢は、大木に声をかける。大木はどこか怯えているように見えた。
最後に美貴本にあったのは大木たちだ。何か、聞き出せるかもしれないと思い、入沢は彼に声をかけた。
「・・・・・・・・・入沢、か」
彼はそう言い、ホッとしたように息をついた。入沢は彼を見て言った。
「少し、いいかしら」
「・・・・・・・・・・・・ああ」
大木はそう言い、歩き出す。ここではない場所でしよう、ということだろう。入沢は黙って後に続く。
彼も、入沢も、見えない影に怯えているようだった。
「それで、美貴本さんに、なにがあったの?」
余計なことを言わずに、単刀直入に入沢は聞いた。
場所はとあるネットカフェの個室。人が三、四人は入れる程度の場所だった。大木に襲われる、という心配を普段の彼女ならしただろうが、大木の様子を見てもそれはないと考えた。
彼は恐れていた。美貴本エリカを。
「・・・・・・・・・・・・俺たち、橋本や小山内、それに行方不明の保樹たちは、あの日、美貴本を」
そのあとに続く言葉を、入沢ははっきりと感じていた。彼らは集団で彼女を暴行したのだろう。
なぜそうしたのかは、大体わかる。大木の視線を、いつも感じていた。彼らからすれば、美貴本は入沢の目に映る目障りなゴミ。そんな彼女を再起不能にする、とナイト気分で彼女を犯したのだろう。
大木は、その顔を汗で濡らしていた。特別熱いわけではない。だが、彼の精悍な顔は、大きな水の粒をこぼしていた。
「それで、俺たちはこれくらいでいいだろう、と思って帰ろうとしたんだ。だが、その間もやっていた保樹のやつが、あの女に唇を噛みちぎられた」
その言葉を聞いて、だが入沢は驚きはしなかった。今村の腕を噛み千切り、食べている美貴本の姿が、脳裏に浮かんだ。
「それで、俺たちは怖くなって、それで、それで・・・・・・・・・・・・・・」
そう言い、少し迷った後、彼は言葉を続けた。
「あいつを殺した」
「・・・・・・・・・・・!!」
入沢はその答えを予測していたが、流石に驚いた。美貴本は人間ではない。それは彼女が死んでいるからだと思っていたが、自殺をして、それでそう言う化け物になったのでは、と入沢は考えていた。
だが、事実はもっと酷いものだった。
「それで俺たちは焦って、で、誰かが言った。人が来ない場所に埋めよう、って」
誰が言ったかはわからない。自分だったかもしれない、と大木は言った。
「それで、街の北側の、高台の神社、知っているだろう?」
大木の問いに入沢は頷いた。摩架原神社という寂れた神社。今では、神主もいない、無人の神社で、そこに行くものはいない。古くから、悪霊が出る、と言われ、誰も近づかないのだ。
入沢も見たことがある。あれは小学校のころ。何も知らない子供たちは、あそこに探検しに行った。そして、異様な雰囲気に当てられ、すぐに引き返した。子供心に、あの土地の恐ろしさを感じていた。
確かにあそこなら人は来ない。
「それで、そこに埋めたんだ。だけど・・・・・・・・・・・」
大木は、恐怖に目を開いていった。
「昨日、見に行ったときには、死体はなかったんだ」
大木はそう言い、大きな体を震わせた。
「確かに死んでいたはずだった。なのに、土は盛り上がっていて、おまけに、何かが這い出たような跡があって」
「・・・・・・・・・・・・彼女は、蘇ったのね」
入沢が呟くと、大木は頷く。そうとしか考えられなかった。
事件が発生しだした時期とも、合致する。それ以降、死亡または行方不明が増えだしたのだ。
彼女は、死の淵から蘇り、生者を襲い、復讐をするつもりだ。
「俺たちを、殺すつもりなんだ」
「そうね、たぶん、この街の人みんなを」
入沢の言葉に、大木は目を見開いた。
「たぶん、彼女はそのつもりなのよ。そして、最後には私を殺すのよ」
入沢は美貴本にあったことを大木に言う。そして、彼女の人間離れした能力のことを伝えた。
「化け物・・・・・・・・・・・・・」
「そう、私たちは、化け物を生み出してしまったのよ」
入沢は暗い声でそう言った。
「どうすればいい?警察に出頭すれば、命は助かるのか?」
「無理、でしょうね」
彼女の力を考えれば、どこにいても安全ではないだろう。もしかしたら、今この会話すら、彼女に筒抜けかもしれない。
「あなたたちが彼女を殺したという証拠もない。証拠である死体自体がいないのだから」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「大木、これは私たちが招いた結果。これ以上、被害が出ないようにしなければならないわ」
「どうすればいい」
大木の問いに、入沢は答えられなかった。
夜が来る。夜は、彼女の時間だ。昼間以上に彼女は活発になる。
入沢は大木と別れた。別れ際、大木は何かを言おうとしたが、結局何も言わずに去っていった。
人殺しと話はしたくなかった。だが、間接的に殺したのは、入沢だ。彼らを責める資格は、ありはしない。
業が業を呼び込んだ。その業が、当事者だけに降りかかるならまだしも、無関係な人々にさえ降りかかるという不合理。それは、止めなければならない。
たとえ、自分が死んだとしても。
入沢茉莉は、誰もいない広い自宅へと帰っていく。
郷田と小山内は、街のとある公園にいた。
彼らの両親はともに共働きで、滅多に帰ってこない。家には彼らしかいない。だから不安になった二人は、共に過ごしていた。
「くそ、なんでこんなことに・・・・・・・・・・」
「全部、大木が悪いんだ。あと、保樹の馬鹿が・・・・・・・・・・・」
口々に不平を言う二人。公園の頼りない明りの下にいた二人は、一人ではない安心から、ぶつぶつと喋り続けていた。
「だいたい、なんだよ。殺すならまず、入沢から殺せよな。あいつが一番、美貴本を」
「まったくだ」
自身のやったことを棚に上げて、二人はそれまで信奉していた入沢茉莉を責め始めた。
二人はその話に夢中になって、気づいてはいなかった。
公園にある電燈が次々と消えて、公園の明かりが少なくなっていくのを。
そのうち、郷田が尿意を覚えて、トイレに向かうと、愚痴もひとまず中断となった。
小山内は、一人、公園の椅子に寝転ぶ。
「くそ、悪霊かなんか知らんが、殺せるもんなら殺してみろって・・・・・・・・・・」
その瞬間、胸に違和感を感じた。何かが消失したような、そんな感覚が。
寝転びながら、自身の胸を見た小山内はそれを見て驚き、血を吐き出した。
彼の胸はぽっかりと穴が開き、あるべきはずのものがなかった。
彼は血を吐き、痙攣しながら、天を見つめた。
上にある木々から、何かがこちらを覗いていた。それは、本来彼の胸にあるべきはずの心臓を握りしめ、舌でなめていた。
そして、そこで小山内の意識は途切れた。
上から降ってきた何かが、彼の生命を完全に立ってしまったからだ。
頭が潰れ、脳漿が飛び散り、眼球が椅子の下に墜ちた。
血を滴らせたそれを、郷田が見つけたのはそれから数分後のことだった。
木の上に、それはもういなかった。