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入沢茉莉は独りで歩いていた。
そこそこ都会、とはいっても、少し中心地から離れると田畑が広がっている。所詮は田舎、それも当然だ。
彼女の通う高校はその中心にほど近い場所にあり、彼女はそこにある気で通っている。多くの生徒は歩きか自転車だろう。
件の美貴本も最初のうちは自転車であったが、自転車の空気が抜かれることが頻繁にあり、ついに自転車ごとなくなってからは徒歩になった。
入沢は周囲を見渡す。田畑の広がるこんな場所に来たのは、何年振りだろう。
美貴本の家は、ここいらにあるらしい。街の離れにあるのは、物価が安いからだろう。片親でその稼ぎも少ない、というから一軒家を買うことも、本当は憚られるはずだ。
だが、彼女たちはいわば異邦人で、都会のアパートやマンションでは好奇の目かやっかみで見られることは目に見えている。それよりだったら、少し離れた場所に暮らした方がいい、と考えるはずだ。
30分以上歩いてようやく彼女の家が見えてきた。二階建ての古びた木造建築。耐震強度など、目に見えて悪そうなそこは電気や水道がどうにかある、という印象だった。
入沢は唾をごくりと飲んだ。いまさら私が訪ねたところで、どうにかなるとは思っていない。
それでも、私は彼女に謝罪しなければならない。すべての原因は私にあるのだから、と。
彼女は家のインターホンを鳴らした。
そして、しばらくの間、そこで待つが、一向に人は来ない。
美貴本の母は留守なのだろうが、彼女すらいないということはあるまい。
もう一度鳴らすが、人は出てこない。
不審に思った入沢は玄関の扉に手を駆けた。鍵は、かかっていなかった。
罪悪感はあったが、最悪の事態を彼女は考えていた。
美貴本が自殺した。それは、彼女にとって耐えられないことであった。
入沢は中に入ると、片っ端から部屋を見て歩く。だが、どこにも人の姿はなかった。
彼女は二階に上がると、ひどい異臭を感じた。これまで嗅いだことのない、異常なにおい。
それは、前方の開き切った部屋からしてくる。
恐る恐る、彼女はそこを覗いた。
だが、そこには何もなかった。奥に押入れがあるだけ。
だが、不審に思った少女は押入れの取っ手を掴むと、思い切ってそこを開けた。
そして、彼女は絶叫した。
中から出てきたのは、肉が腐り墜ちた、一体の死体であった。
体液が零れ、異臭を放つ。ハエが飛び交い、その死肉を貪る。
あまりの光景に、彼女は胃の中のものを吐き出した。そして吐き出しきると、再びそれを見た。
頭にはわずかに金髪の髪が残っていた。来ている服は女物。服は血の跡がついており、その死の悲惨さを物語っていた。
何があったかはわからないが、この死体がおそらく美貴本の母なのだろうことはなんとなくわかった。
母親譲りの髪の少女はいなかったが、入沢は携帯電話を取り出すと、警察を呼び出す。
これはきっと、何かの事件だ。
少女は電話をすると、すぐさま家の中から出て外で警察の到着を待つ。
家の中は、異様な雰囲気が漂っていた。
警察の事情聴取を終えた入沢は、警察の車で家まで送られていた。
どうやら、死体は美貴本の母で間違いないらしく、死後数週間たっているらしい。だが、おかしなことに数週間前、彼女は職場で働いていたし、姿が見えなくなったのは、昨日から。
どう見ても、死亡時間が一致しない。そして、死因だが、これは死体の状況がひどく、現段階では分からないらしい。
身体の一部は泥のようになってしまい、未だに回収に手間取っているらしい。
美貴本エリカの行方は未だわかっていない。
近所には家などなく、離れたところに数件ある程度。それも農作業の小屋などで、人が来ることさえまばら。
事件なのかどうなのかはよくわからない。服の血の跡から事件の線でも調査しているが、不可解な点が多すぎるらしい。
消えた美貴本。死んだ母親。謎に包まれた異邦人の親子の話題が、街で密かに囁かれるようになった。
ある男がいた。
彼は大工の仕事をしていたが、実際はほとんどチンピラであった。
若い女性を脅し、無理やりに抱く。
彼は美貴本の母とも関係を持っていたため、警察に事情聴取をされた。だが、彼は何も知らなかったため、そのまま警察を出て、酒を飲みに行こうとしていた。
美貴本の母は、いい女だった、と男は笑う。
日本人とは違う、西洋人はそれはそれはいいものだった。彼女は嫌がっていたが、まんざらではなかったはずだ。
彼女は金を得るために、そんなことをしょっちゅうしていたのだから。
彼のほかにも、多くの男たちが彼女を抱いていた。
いずれは彼女の娘も、と彼は思っていた。娘はガリガリだが、見目だけはいいらしい。
そう思い、笑った男は、近道をしようと、狭い路地に入った。
暗い夜道ではあったが、怖がることなく彼はそこに入る。
そこで彼は、頭上から何かが降ってくるのを感じた。
雨か、と思ったが、天気予報ではずっと晴れのはずだった。不審に思い、頭上を見上げた彼は、頭上の壁と壁の間に何かがいるのを感じた。
ライターの火をかざし、それを見た時、彼は絶叫を上げた。
そんな彼の絶叫が、夜を切り裂く前に、何かは男に接近した。
そして、男の口に腕をつきこんだ。その腕は男の頭上を突き破った。美しい、というには白すぎる手は、朱い何かを握っていた。それは、脳みそであった。
男はすでに絶命していた。
それは男の脳みそを口元に運び、かぶりつく。
そしてそれを食べ終わると、大きな男の身体を食らい尽くそうと、舌なめずりをする。
「いただき、ます」
入沢は怯えていた。あの光景は、彼女に悪夢をもたらした。
腐った死体。異様な死。そして、美貴本の失踪。
何かがある。美貴本の失踪と母親の死は関係している。入沢はなぜかそう感じていた。
彼女は窓から夜の街を見た。夜の街が、なぜか恐ろしいものに思えた。
彼女は頭を振ると、無理やりに眠ろうとした。だが、眠りにつくことはなかった。
恐怖が身体を支配する。
長い夜を、彼女は過ごした。




