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美貴本が思い出すのは、柔らかな肉の味だった。久しぶりに食べたそれは美味であった。
豚とも、牛とも、ましてや鳥とも違う肉の味。
脈動する心臓。とてつもなく長い腸。そして脳みそ。
本当ならば肉という肉、全てを食らい尽くしたかったが、時間も腹も限界だった。
人間を食べる機会はまだある。急ぐ必要はない。彼女はそう思うと、その人間だったものをトイレの用具入れに放り込んだ。トイレに流すのは、もったいない。ここに入れていたら、誰かほかの人が食べるかもしれない。そんなことを半ば本気で美貴本は考えていた。
そして少女はトイレを出ると、二人の少年に気づかれることなく、闇に溶け込み、自身の家へと帰っていった。
翌日、彼女は高校に行った。いつもと同じように。
彼女を犯した男たちは意味ありげに笑い、彼女を指さす。そして、すれ違いざまに行った。
「今日もたっぷり可愛がってやるよ」
美貴本は表情を変えずに過ぎ去る。彼女の顔には何も現れてはいなかったが、その心の中では激情がうねりを上げていた。
殺してやる。
少女はただそう思っていた。
自身を犯した男も、全ての原因となった入沢も、それを見て来ただけの生徒も教師も、みんなみんな殺してやる。この学校にいる奴は、全員殺して、殺して、殺して、食べてやろう。
美貴本はそう思い、静かに笑った。通りすがりの生徒が思わず立ち止まる。
少女のその表情は、とても美しかったからだ。
だが、どこか不気味でもあった。その少年は背筋が寒くなり、慌てて教室へと戻っていった。
入沢は一部の男子の美貴本を見る目が変わっていることに気づいた。
それが好奇の視線ならば、我慢できなかったが、どうやら違うらしい、と彼女は感じていた。
いつか、男子たちのこういう眼を見たことがある。そうだ、父親と同じなのだ。
父親は母ではない、遊び相手の女たちにこういう目を向けていた。幼い入沢は、その頃には男と女のすることは知っていた。入沢の中で、大人は醜いもの、男はけがらわしいもの、という認識が生まれていた。
外見だけはいい美貴本に、彼らは何か性的なことをしたのかもしれない、と入沢は感じていた。
なんてことを、と入沢は思った。
今まで彼女たちのしていたことはいじめだ。少なくとも、彼女たちの中ではそうなっている。だが、仮に男子たちが美貴本を暴行したとしたら。いじめの範疇を超える行為に及んでいたとしたら。
そうなったら、彼女たちは法で裁かれることになる。美貴本が訴えるようなことがあれば、言い逃れはできない。
厄介なことをしてくれたな、と入沢は爪を噛む。
これだから男は、そう思うと入沢はその男子たちを無視しようと決め込む。
彼女の意に従わないものは、皆無視。それが入沢ひとみの生き方だ。彼女はそうやってずっと生きてきた。
入沢はふと、美貴本の背中を見る。憎々しいほど背筋はいい。これほどのことをされても、彼女の顔は無表情なのだろうか、と入沢は思った。
彼らの行動が、何か波紋を呼ばないか、それが入沢には不安であった。
放課後、いつものように掃除をし終えた美貴本を待っていたのは、筆舌できぬほどの暴力と欲望であった。
細い少女を、男たちは囲んで犯す。少女は弱弱しく息をつく。それでも抵抗はやめない。
男たちは少女を殴り、蹴った。その身体を貪った。
この学校では少女は人間以下の家畜のようなもの。人権などない。だからどれだけ暴力をしても罪にはならない。
そんな身勝手が通ってしまうのが、この学校、この社会なのだ。
倒れ込んだ少女の唇を、一人の男が貪っていた時、突然男が呻いた。
近くでくつろぎ、その様子を見ていた仲間たちが驚く。
呻いた男は口を抑えていた。一方少女は口を動かし、何かを食べているようだった。
男が振り返り、仲間たちが悲鳴を上げる。
男の唇はなくなり、歯がむき出しになっている。血があふれ出てくる。
少女は男の唇の皮を咀嚼し終わると、その口をあけて笑った。
「く、くるってる・・・・・・・・・」
一人がそう言い、後ずさる。何人かが近くにあった椅子や箒を手にし、少女を囲い込んだ。
少女は、静かに笑う。狂気に染まったその瞳を男たちに向けて。
恐怖に突き動かされた男たちは、手に持ったそれを力いっぱいふるう。それは、細く華奢な少女の肉体を傷つける。
少女が動かなくなってきてもなお、男たちは攻撃を辞めなかった。
そしてやがて、少女の瞳から光が失われていき、そして・・・・・・・・・・・・。
夕焼けに染まる教室で、男たちは立ち尽くしていた。彼らの足元には、乱れた征服を着た少女が力なく倒れていた。彼女の心臓は鼓動を止め、その瞳は虚ろに天井を見ていた。
「ど、どうすんだよ!」
誰かが言うが、皆沈黙する。
「そもそもお前が、入沢さんが望んでいるっていうから・・・・・・・・・!」
「な、てめえ!」
言い争う二人を、仲間たちがなだめる。
「落ち着けよ、今はこれをどうにかしないと!」
「このままじゃまずいよな」
「ああ」
男たちは青ざめる。彼女の身体には、彼らの体液が付着している。DNA検査などで、犯行はばれる。
流石に死亡事件ともなれば、警察が動く。もう、言い逃れができない。
「どうする、隠すか?」
「隠すだけじゃだめだ、埋めよう。人の来ない場所に」
「どこに埋めるんだよ」
仲間たちは焦りながら言う。
「あそこに埋めよう、あの神社に」
「あの、不気味な?」
「ああ」
そう言い、男たちはその神社のことを思い浮かべた。人気がなく、めったに人が来ないうえに、近くの森には気味悪がって人は近づかない。隠すには絶好の場所だ。
「よ、よし」
そう言い、男たちは少女の死体を運ぶために道具を集めにかかる。死体を背負って歩くのに、怪しまれぬように、と苦心する。
唇を噛みちぎられた男子は、ただただ泣いているだけだった。彼は黙って仲間たちの動きを見て、おろおろするだけだった。
夜になり、人気もなくなったころに、彼らは少し町の中心から外れたところにある高台にある神社へと向かう。
不気味な森が彼らを迎える。近くにうっすら見える神社もまた、錆びれており幽霊や妖怪が出る、ということで有名だ。
森の中に入っていった彼らは、各々持ってきたスコップで穴を掘る。
どれほどの時間が経ったかは不明だったが、彼らは深い穴を掘り上げ、その中に少女の死体を投げ入れた。
「これでいい」
そう言い、男たちは掘った穴を埋め始める。
「これで、証拠は何もない」
そして、穴は完全に埋まり、少女の死体は地下深くに埋まってしまった。
「帰るぞ」
男たちは無言で高台を下りていく。唇を亡くした少年は降りる前に振り返った。
神社の社のところに、誰かが立っていたように見えた。
そんなはずが、と思い目をこすると影は消えていた。
錯覚か、と思い、少年は男たちの後に続いた。
そんな少年たちの後ろの土が隆起した。
口元をマスクで隠し、彼は寝ていた。
唇は見るも無残で、マスクをしておかないと化け物のようで恐ろしかった。痛みは消えないし、あの少女のあの目が忘れられなかった。
およそ人のするような眼ではなかった。冷たい、温度を感じぬ、恐ろしい目。その目は語っていた、「殺してやる」と。
自身を犯した男、そしてそれを赦す世界への復讐。それを少女は望んでいたのではないか、と彼は思って笑った。
「だとしても、あいつは死んだ」
そう言い、寝台に大の字で寝転んだ。
まさか、復讐のために生き返る、そんな映画みたいなこと、あるわけはない。
そう思い、彼は目を閉じた。ほうら、目を開けた時、あいつはいない。そんなことあるわけが。
彼は目を開き、天井を見た。
やっぱり、いない。
そう思った彼は、ふと、何かを感じた。冷たい空気が、彼の近くから感じた。それは、近くにいる。
彼は冷気を感じ、顔を動かさずに眼だけで右を見る。そこには窓があった。
そこは鍵をかけたはずなのに、鍵が外れて、わずかに隙間が空いていた。
恐怖から冷や汗が零れる。
そして、突然手が現れる。それはベッドの下から伸びてきていた。
人間ではない、と驚愕した彼の目前に、それは現れた。
彼女は、美貴本エリカは、生前は浮かべたことのない、さわやかな笑顔を彼に向ける。
それに見惚れた彼の口に、彼女の異様に長い腕が入り込む。
喉元を、少女の腕が入り込む。歯を砕き、喉を無理やりに広げて、それは入っていく。
口から血が毀れ、嘔吐するようにむせこむ。少女は笑いながら腕を進める。
腹の中で、少女の手を感じる。
目から血が零れる。視界は赤に染まる。
そしてついに少女の両腕が少年の中に入ると、下半身から腕が飛び出て、肉片を飛び散らせる。そして。
執念は声にならない悲鳴を上げてはじけ飛んだ。鉄の匂いと、肉片と、血しぶきを上げながら。
少女は飛び散った肉片を掴むと、うれしそうに微笑み、それを食べ始めた。
朝になり、少年の母親が見たのは、おびただしい血に染まった無人の部屋であった。