12
大木貴久は一人、街を歩いていた。
家族は彼以外、皆死んだ。およそ人のする死に方ではない。まるで、自然界に生きる動物の死。
かみ砕かれ、引きちぎられた肉片や骨。
大木は唇を噛み、夜空を睨む。
苦しみながら、助けを求めながら、生きながら喰われ続ける二人の妹の姿が浮かぶ。
あいつらは何も悪くなかった。
大木は一人泣いた。
悪いのは、全て俺だけのはずだ、殺されるべきだったのは、俺だけでよかったはずだ。そんな思いを、大木は叫びたかった。
おそらく、彼女はこんな自分をあざ笑っているのだろう。それはそうだ。彼女の尊厳を、命を奪ったのは、ほかならぬ大木なのだから。
大木は、ほかに行くところもなく、知り合いの一人の家に行く。鍵は持っていたし、今までも好きに使っていた。
大木は扉を開けると、居間に寝転ぶ。ふとその時気づいた。今この部屋には、この部屋の主以外もいたことに。
黒い髪の西洋系の青年は、静かに眠っていた。布団が敷かれているのに、なぜか座って眠っている。
手当てをしたのだろう。失った左腕のところは厳重に包帯でくるまれている。
何故、けがをしたのかを、まだ聞いていないことに大木は気づくが、そんなことどうでもいいことだった。
まだ、中学と小学校だった。大木なんかよりも、よほど希望のある未来があったはずだった。
大木は嗚咽を吐くように泣いた。男は眠りの底にいるし、周りにほかの仲間はいない。
弱い自分を、隠す必要はなかった。
「ああ、なんてバカなんだろうな」
一人大木は呟く。自分に向けて。
「全部、俺が悪いのにな、どうしてお前らが死ななけりゃならなかったんだよ、花帆、美穂」
死んだ妹への懺悔を呟く大木。その時、眠っていたはずの青年ががさりと動く。
「あぁ、また、人が死んだのか」
青年はそう呟くと、静かに起き上がる。
「あんた、怪我は」
大木は男を見る。男は、右手でジーンズから煙草を取り出し、口にくわえると、今度はライターを取り出す。
「くそ、辛いな、片手は」
男は一服すると、煙を吐き出し、大木を見た。
「さて、と。お前、この街で起きている事件に詳しいと見た。いろいろと、聞かせてもらうぞ?」
青年は気怠そうに、だが、力強く大木を見た。
大木は語った。美貴本エリカと彼女を取り巻く状況、そして彼と彼らの仲間が彼女に何をしたのか、を。
罪の意識に苦しむ大木とは対照的に、男は顔色一つ変えずにそれを黙って聞く。
やがて、全てを聞き終えた青年は、大木を見て言った。
「自業自得だな」
「・・・・・・・・・・・ああ」
「救いがたい街だな、ここは。滅びるべきだな」
「・・・・・・・・・・・」
「だが、このまま放っておくわけにもいかん」
青年はそう言うと煙草の灰を近くにあった灰皿に押し付ける。そして、息をつく。出会った当初よりは顔色は良くなっていた。
青年は静かに何かを呟くと、十字架を切る。大木は胸元に見えた十字架から、彼がキリスト教徒なのだと思った。
「あんた、キリスト教の信者か?」
西欧人のようだから当然か、と思った大木に青年は答える。
「いいや、神なんて信じちゃいないさ、もう、な」
どことなく、影を感じさせる物言いで青年は言った。そして、大木を見た。
「俺は、お前たち風に言えば、退魔師だ」
「退魔・・・・・・・・?エクソシスト、か?」
「キリスト教徒じゃねえから厳密には違うが、そう思ってもらって構わん」
青年は詳しい説明を省き、頷く。
「この街に潜む悪鬼を狩りに来た」
「・・・・・・・・・・美貴本エリカ、か」
「ああ。お前たちが作り出した『悪魔』さ」
青年はそう言うと、片膝立ちから胡坐をかく。失った左腕を静かに撫でる。
「この怪我も、奴を退治しようとして犠牲にした」
「だけど、殺せなかった・・・・・・・・・?」
「そうだ。あれは、普通じゃない」
青年はそう言い切ると、近くにあった黒い鞄をあさる。それは公園にあった彼の鞄で、大木が運んだものであった。
「今の美貴本エリカはグールだ」
「グール?ゲームに出る、ゾンビか?」
「そう思ってくれて構わない。厳密には色々と違うが、それはこの際関係ない。グール。またの名を食屍鬼、死食鬼など。元来はイスラーム固有の死霊の名称だが、近代以降、死霊・悪鬼の一種として分類されるようになった」
鞄から出てくるのは、グロテスクな写真。いずれも、明らかに死んでいる、と思われるもので、白目をむいて撮影者に吠えている。写真には、日時が書かれており、1998年5月、と書かれていた。
「人の肉を喰い、霊力を得た人間、もしくは死の間際に何らかの霊的なもの、たとえば人の憎悪、負の感情などを得たものがグールとなる。その行動パターンは単純だ。人の肉を喰らう。それだけだ」
そう言い、男は頭を指す。
「本来ならば、知性やその他の感情を持たない、動物的な怪物でしかなく、比較的始末しやすい」
「・・・・・・・・・・」
あまりの現実離れした話に、大木はただ黙っていた。大木はまだグールを実際には見ていないため、何とも言えなかった。
「しかし、あれは違う。食人本能こそあるが、理性も持ち合わせている。それに・・・・・・・・」
大木に話すのではなく、自分の頭を整理するために青年は話していた。
「伸縮自在の身体、他の霊力あるものを食べる。あまりに通常のグールからはかけ離れている」
「ど、どういうことだよ、それ。それじゃあ、あいつは倒せないってことか?」
大木はわけがわからないものの、そう言った。青年は難しい顔でうなずく。
「通常とりうる手段はほとんど効かないだろうな」
「・・・・・・・・・・・・・!!」
それじゃあ、と大木は静かに呟いた。
「死ぬしかないじゃないか?!」
「・・・・・・・・・・・・」
大木の絶叫に、青年は沈黙を返す。青年には本来関係ないことだ。自分たち、この街の者の責任なのだから。
「そうだよな、これが俺の業、罪だもんな」
「それで済めば、俺は必要なかったんだがな」
青年はそう言うと、窓の外から暗闇を見た。
「それってどういう・・・・・・・・・・?」
「あれはな、理性こそまだ持って、お前らに復讐の意思を持っている。だがな、いずれ人を喰いすぎたあれは確実に悪魔になる。そう、美貴本エリカ、という人間の名残はなくなり、それこそ正真正銘、本物の悪魔にな」
大木は絶句した。
「そうなったら、被害はここだけでは済まない。言っていることはわかるな」
声にならない大木は、壊れた人形のように首を振る。青年は、闇の世界を睨むように見たままであった。
「それに、この街の闇は日に日に濃くなる。そうなれば、ここが地獄とつながる、なんてこともある」
「地獄?」
「ああ。宗教で語られる地獄。悪魔どもが蔓延り、死者が支配し、悪鬼が歩く世界。俺たちの過ごす世界と紙一重に存在しながら、強い結界で阻まれた世界。それが、異物の力で壊され、繋がるんだよ」
「そうなったら、ここは、どうなるんだ?」
大木の問いに振り返った青年。だが、青年は口を閉ざし、静かに頭を振る。大木はそれで答えを知った。
「そう言うことで、不本意ながら俺は奴を退治しなければならない」
そう言い、男は資料を鞄にしまい込み、ため息をつく。
「しかし、ごらんのとおり片腕だし、あれは厄介だ。協力者がいる」
そう言い、青年は大木を見る。
「お、おれか?」
「ああ」
大木は戸惑いながら、青年を見た。
「お前の犯した罪は、決して消えはしない。だが、軽くすることはできる。それに、妹たちの理不尽な死。赦せはしまい?」
男は意地悪く笑うと、再び煙草を取り出す。
「どうせ死ぬのなら、来世のために少しでも負債を減らしていくんだな」
そして、不便そうにライターをつけると、煙を吸い、吐き出す。
煙は闇夜に消えていった。
「俺は・・・・・・・・・・・」
大木は、唇をかみしめて、目を閉じた。
唇から、地が零れ落ち、床に染みを作り出した。




