〜第一章〜
激しい蝉時雨の中、雑草の生えた50mほどの参道の奥、森に包まれるようにして本殿があった。
遠くから見る限り、おそらくもうこの神社を守る宮司もどこかへ行ってしまったのだろう、ボロいという言葉のよく似合う古ぼけた建物だった。
激しい蝉時雨の中、雑草の生えた50mほどの参道の奥、森に包まれるようにして本殿があった。
遠くから見る限り、おそらくもうこの神社を守る宮司もどこかへ行ってしまったのだろう、ボロいという言葉のよく似合う古ぼけた建物だった。
「この神社は何神社?」
「名前はないんですよ」
「名前がない?」
世の中に名前の無い神社などあるのだろうか。
それでは何が祭っているのかわからないではないか。
「正確には付けていないんです」
「どういうこと?」
少し胸騒ぎがした。
たとえるなら昔縫った傷跡が疼くような、そんな感じだ。
「この場所でこの世に未練を残した人が死んだらしく、それを鎮めるためにこの神社ができた、というわけです。だから一般的な名前はついいないんですよ」
「なるほど」
それならば納得が言った。湯島天神や大宰府天満宮、この世に未練を持って死んだ人間を祭る神社は数多くあった。
そしてその中には名前の無い神社と言う物が数こそ少ないがあったりする。
しかしそんな理由を知っても、俺の胸騒ぎは収まらなかった。
いやむしろ酷くなっている気さえする。
「この神社、宮司のいたことは?」
「ないですね。何しろ本殿の中には入っては行けないことになってますから」
「そんなに酷いのか」
「とは言っても一年に一回はこの本殿に入ることが許されるんですよ」
「その一年に一回のイベントってのはお祭りのことかな?」
「よくわかりましたねぇ」
目を見開いて驚きジャージは俺の顔をまじまじと見た。
別に驚かれるようなことじゃあない。神社の大きな行事といったら、余程大きな神社ではない限り初詣と祭りくらいしかない。
そこから何ともなしに予想しただけだ。
驚かれてしまうと逆に恥ずかしい。
「それで、その祭りってのは?」
「屋台がわんさか出ますよぉ」
言いながら祭りのことを考えているのだろう、ジャージの顔は幸せそうだった。
「じゃなくて日時は?」
「日時はですね、今週の土日になりますね」
今週の土日と言うと今日は月曜日なので21、22日ということになる。夏休みがようやく始まる頃合いだった。
「あ、そういえば」
とそこでジャージは思い出したように言った。
「今日はどうするんですか?」
「どうするって?」
「泊まるところですよ」
まだ日は高い、今から探す必要はないだろう。
まあその気になれば、今は21世紀だ。どうにでもなる。
「携帯で探す」
「え?携帯持ってるんですか!」
まさかそんな事で驚かれるとは思ってもみなかった。
どうせ時間はあるのだ。この田舎者に文明の利器と言う物を見せてやってもいいだろう。
俺は石段に座り、ジャージを手招いた。
石段の上からは、この村が見渡せた。
とは言ってもただ田んぼがずっと遠くまで続いているだけだったが。
それでも田の水面に反射した太陽光が宝石のように瞬く景色は美しかった。
別に神社がそれほど高台にあるわけではない。だが、周りに遮る物がないのでこのように見渡せるのだ。
「じゃ〇んってサイトなんだけどさ」
ジャージの顔がすぐ横に並んだ。髪が僅かに俺の頬に触れる、女の子独特の柔らかな匂いがした。
だが、肝心のジャージは携帯に興味津々と言った様子で、顔の距離になど気付いていないようだった。
とウェブに繋ぐ寸前に、俺は気づいてしまった。
「圏外か…」
俺は聞こえるか聞こえないかの声で呟き、携帯を閉じた。
先進国日本、意外にも不便なものだ。
「どうしたんですか?」
「この近くに宿無い?」
このまま見つけることができなければ、最悪ここで野宿と言うことになる。
それだけは避けたかった。
「うち民宿やってますけど」
「是非ともお願いします」
思考時間0.1秒。俺は立ち上がり、アイフルのお辞儀の角度でお辞儀をした。
渡りに船とはまさにこのことだ。しかも民宿、値段も手頃なことだろう。
「値段は?」
「一泊二食付3000円です」
予想以上に恐ろしいほど法外な価格だった。もちろんいい意味で。
「安いな」
「安さだけが取り柄ですから」
俺はとりあえず雨風防げれば他はどうでもいいと思う人間だ。安さ、それだけが俺に取っての宿の判断材料だった。
俺は大きく伸びをし、本殿の方へと歩いて行った。
「どうしたんですか?」
後ろからジャージの声。俺は振り返らずに答えた。
「せっかくだから賽銭入れてくる」
本殿を近づくに連れて、胸騒ぎは一層酷くなった。
それは苔むした狛犬に対してでもなく、すっかり色が落ちてしまった屋根に対してでもない。
紛れもなく南京錠の掛かった本殿の戸の奥にあるものに対して反応していた。
「あの中には何がある?」
「その人が死んだ場所があります」
少し後ろの方でジャージの声がした。
その人とはたぶんさっき言ってた未練を持って死んだ人のことだ。
「なるほど」
とは言っても、なぜ俺はこんなにまで強い胸騒ぎを感じるのだろう。
それほどまでに強い念がここに宿っているのか、それは俺だけに感じる胸騒ぎなのだろうか。
「なあ」
思い切って聞いてみることにした。
変に思われようが、この疑問は解消して起きたかった。
「ここに来ると違和感とか胸騒ぎみたいな物を感じない?」
俺は振り返り聞いた。少しの表情の変化も見逃さないために。
ジャージの顔に一瞬だけ何とも言えない表情が浮かんだ。
それは驚きの中に僅かな悲しみを織り交ぜたような、本当に何とも言えない表情だった。
「特には感じませんね」
明らかにとは言わないが、おそらく嘘だ。
俺はそれには答えず、本殿の裏手へと向かった。
そこにも何かを感じた。行っておかなければ行けない、体がそう言っていた。
そこには腰の高さほどの石の柱が二本、地面に刺さっていた。
完全な日陰にあるため、その柱の足下には片栗やドクダミがひしめき合って生えている。
胸騒ぎはますます激しくなった。まるで心臓を直接撫でられたような不快感が俺を包んだ。
それでも俺はさらにその石の柱に近づいていった。
そして遂にそれに触れた。
その瞬間、激しい頭痛、吐き気に襲われ俺はその場に倒れた。
これは墓だ。そして俺はこの二人を…殺した。
「大丈夫ですか?」
ジャージが駆け寄って来る。それはまるで地上から水中へ声をかけたように、遠くの方からの声だった。
「やっぱーーー」
もう聞き取ることさえ出来ない。意識が薄らいでいく。
ああ、運命は動きだしたのだ。
ゆっくりとその眠りから覚めて