「初夜はいたしません」――白い結婚かと思ったら、夫が私を好きすぎて盛大に拗らせていました
「王女殿下。あなた様を妻に迎えましたが、初夜はいたしません」
私は目の前の男を見た。
「……何?」
聞き間違いだろうか。
今日、私はこの男と結婚した。
王族として盛大な婚礼を挙げ、つい先ほど夫婦になったばかりである。
その夫が、真剣な表情でもう一度言った。
「今後も、寝台を共にするつもりはありません」
「……」
なるほど。
これは、あれか。
最近、貴族社会でたまに聞く――。
白い結婚というやつか。
「そう」
私は笑った。
夫も安心したように息を吐く。
「ご理解いただき、ありがとうございます」
「理解などするかあああああ!!」
私は卓上の杯を投げつけた。
夫が紙一重で避けた。
「姫様!?」
「首を出せ!たたっ斬ってやる!」
「お、お待ちください!」
「待てるか!」
結婚初夜。
私たち夫婦は、寝台ではなく部屋の中を全力で走り回ることになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私は、この国の王女だ。
ただし、王妃の娘ではない。
側妃から生まれた王女である。
王位継承順位は低く、王宮での立場も強いとは言えなかった。
幸い、私には軍略の才能があった。
そこで早くから王位争いなど捨て、軍人として生きる道を選んだ。
その選択は間違っていなかったと思う。
隣国の大軍が国境を越えたとき、私は軍を率いて迎え撃った。
数ではこちらが圧倒的に不利。
それでも敵軍を分断し、補給を断ち、最後には国境の外まで叩き出した。
その結果。
いつの間にやら、
『救国の姫将軍』
などという大げさな名で呼ばれるようになっていた。
問題は、その後である。
人気というものは、王族にとって必ずしも良いものではない。
王位を狙っていなくても、
「あの王女を次の女王に」
などと言い出す者が出てくる。
そうなれば、こちらにその気がなくても政争へ巻き込まれる。
面倒だった。
そんなとき。
戦勝の褒美を求められた一人の軍人が、国王である父へこう願い出た。
『姫様との結婚をお許しいただきたい』
それが、今の夫――レイリオンだった。
平民出身。
軍人。
私の元部下。
美しい顔をしているが、戦場では敵陣へ真っ先に突っ込んでいくような男である。
私は考えた。
悪くない。
下手な大貴族へ嫁げば、新たな政治勢力を作ってしまう。
だが平民出身の軍人なら、その心配も少ない。
それに、レイリオンのことは嫌いではなかった。
むしろ。
私を妻に欲しいと言われて、少し嬉しかった。
だから結婚した。
なのに。
「初夜はいたしません」
である。
飼い犬に手を噛まれるとは、このことか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝。
「旦那様はいらっしゃいません」
執事が申し訳なさそうに頭を下げた。
「どこへ行った?」
「それが……」
「言え」
「身体をゆっくり休めてください、との伝言だけを残されまして」
私は笑った。
執事の額から汗が流れた。
「そう」
「姫様?」
「逃げたな、あいつ」
「……」
「探せ」
「はい?」
「探し出せ!!」
「は、はい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そして三日後。
夫の居場所が判明した。
私は報告書を握りしめていた。
手が震えている。
怒りで。
「娼館?」
「……はい」
部下が青い顔で答えた。
「レイリオン様は婚礼翌日の夜から、王都の娼館を何軒か回っていたようで……」
「何人だ」
「はい?」
「女は何人だ!」
部下は目を逸らした。
「……二十人ほど」
「ふざけんなああああ!!」
報告書が宙を舞った。
私とは寝ない。
だが娼婦とは寝る。
しかも二十人。
「首だ!今度こそ首を刎ねる!」
私は剣をつかんだ。
「いや、待ってください姫様!」
「何を待つ!」
「どうも事情が変なんです!」
「二十人抱いておいて、どう変なら許されるんだ!」
「本人から聞いた方が早いです!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
レイリオンは連行されてきた。
私の前で正座している。
「申し開きは?」
「ございません」
「よし。首を出せ」
「お待ちください!」
「どっちだ!」
レイリオンは床へ額をつけた。
「姫様を裏切ったつもりはないのです!」
「では、なぜ娼館で二十人も抱いた!」
「それは……」
「それは?」
レイリオンの顔が赤くなった。
「姫様への劣情を消すためです」
沈黙。
「……何?」
「姫様を妻にいただいてから、私は自分が情けなくなりまして」
「なぜ」
「尊敬する姫様を見ただけで、その……不埒なことばかり考えてしまう自分が」
私は瞬きをした。
「夫婦だぞ?」
「はい」
「私はお前の妻だぞ?」
「はい」
「私に欲情して何が悪い?」
レイリオンは目を見開いた。
「悪いに決まっています!」
「なぜだ!!」
「姫様は救国の英雄です!」
「妻でもある!」
「私は姫様を敬愛しております!」
「ありがたいが妻でもある!」
「その姫様のお身体を見て、その……抱きたいなどと考える自分が、あまりにも卑しく……」
「だから娼館へ行ったのか?」
「はい」
「意味が分からん!」
私は頭を抱えた。
レイリオンは真剣だった。
真剣だからこそ始末が悪い。
「それで?」
私は嫌な予感を覚えながら尋ねた。
「なぜ二十人なんだ」
「最初の女性を抱いている最中も、姫様のことばかり浮かびまして」
「……」
「次の女性でも」
「もういい」
「その次も」
「もういいと言っている!」
「何人抱けば姫様を思い浮かべなくなるのかと試していたところ――」
「二十人になった?」
「はい」
「あほかああああ!!」
私は思い切り机を叩いた。
「何も感じなくなるまでって、お前どれだけやるつもりだったんだ!」
「申し訳ございません!」
「しかも何だ!二十人って!」
「そこは私も予想外で――」
「知らん!」
私は頭を抱えた。
こいつ。
絶倫なのか。
私は一瞬だけ、自分の身の危険を感じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで」
私はしばらくしてから尋ねた。
「本当のところを言え」
「はい」
「私と寝たくないのか?」
レイリオンは勢いよく顔を上げた。
「滅相もございません!」
「では寝たいのか?」
「……」
「答えろ」
「……」
「レイリオン」
「……死ぬほど」
私は天井を見上げた。
「最初からそう言え!!」
「しかし!」
「まだ何かあるのか!」
「姫様をそのような目で見るなど!」
「だから私は妻だ!」
「ですが――」
「お前は私を何だと思っている!」
レイリオンは迷わず答えた。
「尊敬すべき主君です!」
「元だ!」
「救国の英雄!」
「それも事実だ!」
「私が生涯をかけてお守りすべき方!」
「それも悪くない!」
私はレイリオンを指さした。
「だが今は、お前の妻でもある!」
レイリオンが黙った。
「私は崇拝されるためにお前へ嫁いだのではない」
「……」
「お前の妻になるために嫁いだ」
レイリオンの顔が真っ赤になる。
私は少しだけ恥ずかしくなった。
だが、ここまで言わなければ、この馬鹿には通じない。
「それとも何か?」
私は睨んだ。
「私は、お前に女として見られるのが嫌だと一度でも言ったか?」
「……いいえ」
「触るなと言ったか?」
「いいえ」
「抱くなと言ったか?」
「……いいえ」
「なら、私の気持ちまで勝手に決めるな」
レイリオンはしばらく黙っていた。
そして。
深く頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「分かればいい」
「では」
レイリオンが顔を上げた。
「今夜からでも」
「待て」
「はい?」
私は二十人という数字を思い出した。
「三日休め」
「なぜです?」
「お前もだが、私にも心の準備というものがある」
「姫様なら大丈夫です!」
「何を根拠に言っている!」
「二十人でも――」
「それ以上言ったら本当に斬るぞ!」
「はい!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数年後。
庭を六人の子どもたちが走り回っていた。
「母上!」
「こっち!」
「待ちなさい!転ぶわよ!」
私は声を上げる。
一番小さな子どもが私の膝へ飛びついてきた。
抱き上げる。
少し離れたところで、レイリオンが幸せそうにこちらを見ていた。
あの結婚初夜から、ずいぶん年月が経った。
白い結婚になるはずだった私たちは。
白いどころか。
六人の子持ちである。
人生とは分からないものだ。
「姫様」
レイリオンが近づいてくる。
「何?」
「今夜ですが」
「断る」
「まだ何も言っておりません」
「顔で分かる」
「夫婦の時間を――」
「昨日も取った!」
「昨日は昨日です」
「近寄るな!」
私は子どもを抱いたまま逃げる。
レイリオンが追いかけてくる。
子どもたちは笑っていた。
「父上が母上を追いかけてる!」
「まただ!」
「母上、逃げて!」
「お前たちも笑ってないで助けなさい!」
庭中に笑い声が響いた。
私は思う。
あの日。
『初夜はいたしません』
などと言われたときは、本気で首を刎ねてやろうと思った。
だが。
まあ。
こんな結婚も悪くない。
たぶん。
「姫様、今夜こそ!」
「しつこい!!」
……少しだけ、夫選びを間違えたかもしれないけれど。




