第6話 泥棒たちの訪問
噂は風より速く、金の匂いは獣より鋭い。
倉庫が二棟建ち、道の目印となる杭が打たれ、仮設の見張り塔が組まれた頃――最初の“泥棒”は、夜ではなく昼に来た。
しかも、堂々と。
「この先は私有地だ。用があるなら名を名乗れ」
見張り塔の上から声が飛ぶ。
道の入り口には、ゼクスが寄越した警備の者たちが立っている。表向きは雇われ護衛。だが、彼らの目つきは甘くない。
馬車の車輪が止まり、乾いた砂礫が舞い上がった。
先頭の馬車には伯爵家の紋章――見慣れた獅子の紋が刻まれている。
その後ろに、豪奢な荷馬車が二台。さらに従者らしき者たちが数人。
荒野には似つかわしくない華美さで、逆に浮いて見えた。
私の胸元のペンダントが、じわりと熱を持つ。
危険の前触れというより、“鬱陶しさ”に似た熱。
(来た)
私は外套を整え、倉庫前の広場へ出た。
グレイと数人の領民、そして警備の者が左右に控える。人数は十分。怯える必要はない。
馬車の扉が開き、真っ先に飛び出してきたのはミラベルだった。
桃色のドレス――いや、今日は宝石のように派手な赤。
荒野の砂埃を見て顔をしかめながらも、私を見るなり、口元を吊り上げる。
「まあ! まだ生きてたのね、アリシア様」
次いで、エドワードが降り立った。
絹の外套に、磨いた革靴。風に揺れる髪を整えながら、周囲を見回す。
そして――彼の目が、倉庫と見張り塔に止まった瞬間、わずかに瞳孔が開いた。
「……なんだ、これは」
口調は強がりでも、声が微妙に裏返っている。
“死の土地”のはずが、整っている。人がいる。警備がいる。
信じたくない現実が目の前にある。
私は穏やかに微笑み、淑女の礼を取った。
「ご機嫌よう、エドワード様。……そして、ミラベル様。遠いところをわざわざ」
「遠いところって、何よ。ここは――」
ミラベルが言いかけるのを、エドワードが手で制した。
彼は私をまっすぐ見て、口元だけを歪める。
「アリシア。お前、ここで何をしている」
「見ての通りですわ。領地の整備を」
「領地だと?」
エドワードが鼻で笑う。
「ここは伯爵家の土地だ。お前が勝手に――」
私は懐から一枚の書類を取り出し、風に煽られないよう指で押さえた。
厚手の羊皮紙。封蝋には、伯爵家の紋章がはっきり刻まれている。
「“伯爵家の土地だった”の間違いです。離縁の際、正式に譲渡されました。あなたの署名と印章付きで」
エドワードの視線が、紙に釘付けになる。
彼の顔色が、ほんの少しだけ悪くなった。
「……そんなもの、形だけだ。慰謝料として“使わせてやる”と言っただけで――」
「書面は“形”ではありませんわ」
私は微笑んだまま、言葉を切る。
「法に則って手続きは完了しています。領地台帳にも記載済み。ここは私の領地です」
「……嘘をつけ!」
ミラベルが甲高い声を上げ、私に詰め寄ろうとした。
しかし、左右に控えていた警備の者が半歩前へ出る。剣の柄に手は置かないが、その気配だけで十分だった。
ミラベルは足を止め、唇を噛む。
「何よ、その連中! あなた、雇ってるの? そんな金、どこから――」
ミラベルの視線が、倉庫へ向いた。
倉庫の扉は閉じているが、運搬の途中で落ちた小さな欠片が、地面にきらりと光っていた。
彼女の目が、欲望で濁る。
「あっ……! それ、宝石!? ちょうだい!」
次の瞬間、ミラベルがしゃがみ込み、欠片に手を伸ばした。
「ミラベル!」
エドワードが叫ぶより早く、私は一歩踏み出した。
「触らないで」
声は低く、冷たく。
ミラベルの手が止まる。
「な、何よ! ケチ! 元はうちの土地なんだから――」
「元、です。今は違います」
私は欠片を拾い上げ、布で包む。
それが“宝石”ではなく、世界を変える資源の芽だと、彼らはまだ確信していない。
だが、欲しがるには十分すぎる光だ。
エドワードの目が、その包みを追った。
喉が上下する。
「……アリシア。お前、まさか……鉱石を掘り当てたのか」
「さあ。どうでしょう」
私は曖昧に笑った。
確定させる言葉は与えない。与えた瞬間、相手は“正当な奪取”の理屈を作り始める。
エドワードは笑おうとしたが、引きつった。
「冗談はやめろ。もし本当に資源があるなら、伯爵家が管理するのが筋だ。お前は女だ。領地経営など――」
「女なら、領地経営ができない?」
私は首を傾げる。
その問いに、エドワードの口が一瞬止まった。
答えれば、差別だと認めることになる。答えなければ、言葉が詰まる。
ミラベルが割り込む。
「そうよ! あなたなんかに扱えるわけないじゃない! それより、その倉庫の中身、見せなさいよ!」
「見せません」
「なんでよ!」
「見せる義務がないからです」
たったそれだけで、ミラベルの顔が真っ赤になる。
「エドワード様! 何とかして!」
エドワードはミラベルの肩に手を置き、深呼吸した。
そして、急に柔らかい声を作る。
「……アリシア。お前も苦労しただろう。ここまで来るのに、どれだけ大変だったか。私も、少し言い過ぎた。戻ってこい」
唐突だった。
戻ってこい?
つい数週間前まで、二度と顔を見せるなと言っていた男が。
私は笑みを崩さず、ただ目だけを冷やす。
「それは、復縁のお願いですの?」
「お願いではない。“許可”だ」
エドワードは胸を張った。
「お前は伯爵夫人としてやり直せる。私も寛大だからな。ここで掘り当てたものも、伯爵家が責任を持って管理すればいい。お前一人では危険だ」
(出た)
彼の中では、私の努力も覚悟も、すべて“偶然拾った幸運”に過ぎない。
そしてその幸運は、“本来は自分のもの”だと思っている。
私は静かに息を吸い、言葉を整える。
「エドワード様。まず、前提が間違っていますわ」
「何がだ」
「ここは、あなたの手が届かない場所です」
私は足元の地面を軽く叩いた。
「あなたはこの土地を“ゴミ溜め”と呼び、笑いながら手放しました。その判断が誤りだったとしても、取り消しはできません。契約は契約です」
エドワードの口元が痙攣する。
その目に、焦りが浮かぶ。
「契約だと? そんなもの、伯爵の権限で――」
「伯爵の権限は、この土地には及びません」
私は、もう一枚の書類を見せた。
封蝋は伯爵家の紋章ではない。別の紋――細い剣と冠を象った印。
「ここは現在、隣国との共同管理区域です。私は採掘と開拓の権利を有し、隣国側は物流と治安を担当する。正式な契約が結ばれています」
グレイが、背後で小さく息を呑む。
見せるつもりのない切り札だったが、ここで出すしかない。
エドワードの顔色が、明確に変わった。
驚き、疑い、恐怖。
そして最後に――嫉妬。
「……隣国が、なぜここに」
「さあ。価値を理解したからでは?」
私は淡々と言った。
「あなたは価値を理解しなかった。だから失った。それだけです」
ミラベルが叫ぶ。
「そんなの、ずるい! 隣国なんかに渡すくらいなら、私たちが――!」
「渡していません。これは私の土地で、私の契約です」
「あなたが! あなたが勝手に!」
ミラベルが泣き叫ぶように言い、突然、私の外套の襟元――胸元のペンダントに目を止めた。
「あっ、それ……綺麗! 何それ、ちょうだい!」
その手が伸びた瞬間、私の中で何かが切れた。
私は半歩下がり、彼女の手首を掴む。
力を入れたわけではない。けれど、骨の位置を正確に押さえると、人は簡単に止まる。
ミラベルが「痛っ!」と声を上げる。
「これは形見です」
低い声で言う。
ミラベルの目が一瞬だけ怯んだ。
その時だった。
見張り塔から短い笛が鳴った。
警戒の合図。誰かが近づいている。
砂礫を踏む規則正しい音。
馬の蹄ではない。歩兵だ。
そして、風に乗って聞こえる金属の擦れる音。鎧。
エドワードが周囲を見回し、顔を強張らせた。
「……何だ、今の」
私はミラベルの手を放し、ゆっくりと笑う。
「ちょうど良いところに。――視察の方が戻られたようです」
エドワードの目が細くなる。
「視察?」
次の瞬間、荒野の向こうから現れたのは、整列した兵士たちだった。
数は十数。だが動きは揃い、隊列は崩れない。
その中心を、旅装ではなく、黒地に金の縁取りの外套をまとった男が歩く。
ゼクス。
昨日までの“通りすがり”の顔ではない。
空気が変わる。兵が周囲を制圧し、誰もが反射的に背筋を伸ばす。
エドワードが思わず一歩下がった。
ミラベルも、声を失う。
ゼクスの視線が、私と、そしてエドワードたちへ向いた。
「……ここで、何が起きている」
低い声。
それだけで、荒野の温度がさらに下がった気がした。
私は静かに答える。
「私の土地に、招いていない客が押し入ってきましたの」
ゼクスの瞳が、鋭く細まる。
そして、エドワードへと向き直った。
「領主に無礼を働くとは、随分と勇気があるな」
エドワードは喉を鳴らし、強がって笑おうとした。
「誰だ、お前は。ここは王国の領地だ。隣国の者が勝手に――」
ゼクスは答えない。
ただ一歩、前へ出た。
その圧に、エドワードの言葉が途切れる。
――嵐の中心が、今、ここに来た。
私は胸元のペンダントをそっと押さえた。
次で、彼らは“自分が何に手を出したか”を知ることになる。




