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レストラン ミルティユ〜あなたのための一皿を〜  作者:


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第9話 名前のないコース

その夜のミルティユは、珍しく満席だった。

 しかも客層がいつもと少し違う。


 スーツ姿の男女、揃いすぎた動き、無駄のない視線。

 ――一目でわかる、「仕事」で来ている人間たち。


「……なんか、空気固くない?」

 玲花が小声で言う。


「固いっつーか、冷たい」

 アレックスが肩をすくめた。


 蒼井透は、いつもと変わらぬ表情でカウンターに立っている。

 だが、その目は鋭く、客の一挙一動を逃していなかった。


「いらっしゃいませ。

 本日は……皆さま、ご一緒で?」


 中央に座る初老の男性が答えた。


「ええ。

 我々は“店を見る側”の人間です」


 その言葉に、厨房の空気が一瞬張りつめる。


「視察、ってやつだな」

 篠宮がぼそっと言った。


 男性は続ける。


「あなたの店は噂になっています。

 メニューがなく、料理を選ばせない。

 ……正直、評価が難しい」


 玲花が思わず口を挟みそうになり、黒江が肘で止めた。


 蒼井は穏やかに頷いた。


「それでも構いません。

 ただ……ひとつだけ、お約束ください」


「何を?」


「肩書きや立場を、今夜だけ置いていくこと。

 ここでは、皆さまも“ただの客”です」


 男性は少し驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。


「……面白い。

 では、それでいきましょう」



 厨房に戻ると、全員が蒼井を見た。


「ボス……全員分、どう振る?」

 隼斗が問う。


 蒼井は静かに言った。


「一人一皿ずつ。

 でも、ひとつの“流れ”になるように」


「コースか」

 篠宮が腕を組む。


「名前のないコースです」

 蒼井は微笑んだ。

「この店らしいでしょう?」



 最初の皿は、隼斗の椀物。

 澄んだ出汁に、ほんの少しの柚子。


 次に、玲花の前菜。

 酸味と甘みのバランスが絶妙な冷製野菜。


 客たちの表情が、少しずつ和らいでいく。


 続いて、アレックスの一皿。

 大胆な盛り付け、だが味は驚くほど優しい。


「……派手だが、押しつけがましくない」

 誰かが呟いた。


 美弦の中華は、火力を抑えた滋味深い一品。

 派手さを封じた分、心に残る。


 そして――

 篠宮のメインディッシュ。


 ナイフを入れた瞬間、香りが広がる。

 初老の男性が目を細めた。


「……これは」


 最後に、蒼井がそっと出したのは、

 小さなデザートと、温かい飲み物。


「これは……?」

「“締め”です。

 評価のためではなく、

 今日一日を終えるための」



 しばらく、誰も口を開かなかった。

 やがて、初老の男性が静かに言った。


「……不思議な店だ。

 どの料理も、主張は強くない。

 だが、食べ終わると……胸が軽い」


 彼は蒼井を見た。


「あなたは、

 “記憶に残る料理”を作っている」


 蒼井は一礼した。


「それが、私たちの仕事ですから」



 客が帰ったあと、厨房は一気に脱力した。


「はあ〜……緊張した……」

 玲花が椅子に座り込む。


「でも、楽しかったな」

 アレックスが笑う。


「全員で一つ、ってのも悪くねえ」

 美弦が腕を組む。


 隼斗がぽつりと言った。


「……この店、やっぱり普通じゃないな」


 蒼井は皆を見回し、穏やかに微笑んだ。


「ええ。

 でも――」


 少しだけ、声を柔らかくする。


「皆がいるから、成り立っている店です」


 一瞬の沈黙。

 そして、篠宮が照れ隠しのように言った。


「……次の客、来ますよ」


 ミルティユの夜は、まだ終わらない。

 名前のないコースは、今日も誰かの心に、静かに続いていく。


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