第8話 うそつきパスタ
ディナーのピークが過ぎ、ミルティユには少しだけ落ち着いた時間が流れていた。
黒江慎司は、まるで踊るような手つきでフライパンを操りながら、軽口を叩いていた。
「玲花さーん、そっち焦がしてない? イタリアの神様泣くよ?」
「黙らっしゃい。あんたのその軽口が一番焦げくさいわ」
厨房にいつもの掛け合いが響く。
だが、その時――
「……すみません」
控えめな声で扉が開いた。
入ってきたのは中学生くらいの男の子だった。
制服の襟はくたっとして、肩を落としている。
「ここ……予約とかいらないんですか」
蒼井が微笑んで迎えた。
「どんな方でも大丈夫ですよ。
今日は、どんな日でしたか?」
少年は少し迷ってから答えた。
「……今日、母さんの誕生日なんです。
でも……母さん、仕事で帰れなくて……
ひとりでも、ちゃんと祝いたいなって思って……」
その声に、黒江の動きがピタリと止まった。
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「黒江、頼めますか?」
蒼井の言葉に、黒江は少し驚いたように眉を上げた。
「俺が? 子どものリクエスト聞くの得意じゃないっすよ」
「……シェフの中で、あなたが一番“家族の味”を作れるからですよ」
黒江は一瞬だけ目をそらした。
「……ったく、ボスは人の心読みすぎなんだよ」
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黒江は少年を厨房の近くへ招いた。
「なあ、お前さ。
母ちゃん、どんな人なんだ?」
「働き者で……優しくて……怒るとちょっと怖いです」
「へぇ、いい母ちゃんじゃん」
黒江はにやりと笑ったが、その目は真剣だった。
「母ちゃん、何が好きなんだ? 料理」
「パスタ。
……でも、僕、家では全然作れなくて」
黒江は少年の頭をぽん、と軽く叩いた。
「よし。じゃあ母ちゃんの誕生日にぴったりのパスタ、一緒に作るか」
「ぼ、僕も作っていいんですか」
「当たり前だろ。料理ってのは“気持ち”がメイン食材なんだからよ」
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黒江は材料を並べた。
「今日は……
『嘘つきカルボナーラ』 を作る」
「嘘つき……?」
「そう。
本来はパンチェッタとか使うけど、家にない時はベーコンで代用したり、
卵がない日はミルクで誤魔化す母ちゃんもいる」
黒江は少し遠くを見る。
「“本当じゃなくても、人を笑顔にできる”料理だ。
俺の母ちゃんがよく作ってくれてさ」
玲花がふっと目を細めた。
「黒江……あんた、そんな優しい話持ってたの」
「ば、ばか言え、別に普通だろ!」
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二人は並んでパスタを茹で、ソースを合わせた。
少年は不器用ながらも一生懸命。
黒江は珍しく、声を荒げずに丁寧に教えた。
「そうそう、優しく混ぜろ。
“母ちゃんありがとう”って気持ちを込めて」
少年は、照れくさそうに笑った。
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料理が完成し、席に運ばれた。
誕生日用の小さなキャンドルが添えられている。
「わ……すごい……きれい」
「味は……どうかな」
少年がひと口食べる。
そして、ぽろっと涙が落ちた。
「……母さんの味がする……!」
黒江は照れ隠しするように鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ。
お前が母ちゃんのために作ったパスタだからな」
「ありがとう……ございます……!」
食べ終えた少年は、深く頭を下げて帰っていった。
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扉が閉まった後、玲花が黒江を肘でつついた。
「“母ちゃんのパスタ”なんて話、初めて聞いたよ」
「別に大した話じゃねえよ。
昔、母ちゃん忙しくて、
“あるもので作る嘘つきパスタ”がうちの定番だったんだ。
……あれが一番うまかった」
アレックスがにんまり笑う。
「お前、もっとそういう話しろよ。
絶対人気出るぞ?」
「ばーか。料理で勝負してんだよ、俺は」
蒼井が微笑む。
「黒江。
今日の“嘘つきパスタ”は、本物以上の味でしたよ」
「……そ、そうっすかね」
黒江慎司は耳まで真っ赤になりながら、鍋を洗い始めた。
それは、彼の“優しさ”がいちばんよく出た夜だった。




