第7話 白いご飯の理由
昼の仕込みが終わり、ミルティユの厨房には静かな時間が流れていた。
そんな中、隼斗はいつになく落ち着かない表情で、米袋の前に突っ立っていた。
「隼斗? どうしたの?」
玲花が声をかける。
「いや……ちょっと、な。
今日、親父が来るらしい」
「親父さん?」
アレックスが驚いたように眉を上げる。
「うち実家、老舗の和食屋なんだよ。
俺、継ぐの嫌で飛び出して……それっきりだ」
厨房が一瞬静かになる。
蒼井だけは落ち着いた声で言った。
「偶然ですか?」
「いや……今日、店に電話があった。
“息子の料理を食わせてくれ”って」
隼斗の声は、どこか震えていた。
「親父さん、なんか言いたいことがあるんじゃない?」
黒江が優しく言う。
「……さあな」
隼斗は米を研ぎ始めた。
その手つきは丁寧で、そしてどこか必死だった。
⸻
夜。
店の扉が静かに開いた。
「……こんばんは」
年配の男性が一歩入ってきた。
背筋が伸び、表情は硬い。
まぎれもなく“和食の職人”の顔だった。
「いらっしゃいませ」
蒼井が迎える。
「蒼井さん……でしょうか。
息子がお世話になっております」
隼斗の父は会釈し、席に座った。
「今日は……隼斗の料理を食べに来た。
あいつが、どんな仕事をしているのか知りたくてな」
隼斗は厨房の影で、こっそり聞き耳を立てていた。
「……やべえ、緊張する……」
声が震える。
「隼斗、落ち着いて」
玲花が背中を軽くたたく。
「親父さんに、今のお前を見せればいいだけだ」
アレックスも言う。
蒼井は静かに問うた。
「隼斗、何を作りますか?」
「……白いご飯を中心にした、一汁三菜。
シンプルだけど……今の俺の“全部”を出せるやつを」
蒼井は頷いた。
⸻
隼斗は炊き上がったご飯の蓋を開けた。
湯気が立ち、ふっくらと輝く白米。
彼は湯気を見つめながら、小さく呟く。
「親父の米の研ぎ方……いつの間にか、俺も同じになっちまったな……」
味噌汁には焼きあごの出汁。
焼き魚は丁寧に骨を抜き、皮目をパリッと焼く。
小鉢には旬の菜の花のおひたし。
どれも派手さはない。
ただ、誠実で、今の隼斗そのものだった。
⸻
隼斗自らが父のもとに料理を運んだ。
「……お待たせ」
父は無言で箸を取り、まずご飯を一口。
噛んだ瞬間、その表情がわずかに揺れた。
そして、味噌汁。
焼き魚。
おひたし。
しばし食べ続けた後、父は箸を置いた。
「……隼斗」
「なんだよ」
「うまい」
隼斗の目が大きく開く。
「お前が……他所で“こんな料理”を作ってるなんてな。
俺はてっきり、もっと奇抜な店で働いてると思っていた」
「ここのスタイルでは、客に合わせて作るんだ。
俺の和食も……ちゃんと届く」
父は静かにうなずいた。
「……いい顔で料理しているんだな、お前。
昔のように怒鳴られていた頃とは、全然違う」
「……あれは親父が怖かっただけだよ」
父は少しだけ笑った。
「隼斗。
継がなくていい。
自分の道を見つけたなら、それで十分だ」
隼斗は思わず顔をそむけた。
でも、その目は赤かった。
「……やっと言ってくれたな、それ」
「遅くなってすまん。
だが、お前の料理は……胸を張れる。
それだけは、伝えたかった」
隼斗は少しだけ鼻をすすった。
「……親父。今度、そっちの店にも顔出すよ」
「うん。
お前と一緒に厨房に立てる日が来るなら……それも悪くない」
蒼井がそっと距離を置きながら、優しく見守っていた。
そして父が帰ったあと、隼斗は深く息を吐いた。
「……なんか、肩の力抜けたわ」
「よかったじゃん」
玲花が微笑む。
「お前の飯で泣きそうになったの初めてだ」
アレックスがわざとらしく目をこする。
「やかましい!」
隼斗が頭を小突く。
蒼井は柔らかく微笑んだ。
「隼斗。今日のひと皿、素晴らしかったですよ」
「……ありがとう、ボス」
その夜の厨房には、白いご飯の湯気のような、
やわらかくて温かい空気が満ちていた。




