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レストラン ミルティユ〜あなたのための一皿を〜  作者:


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6/9

第6話 ソースの向こうにあるもの

その日のミルティユは、早い時間からバタバタと忙しい空気が漂っていた。

 理由はただひとつ――


「翔、今日は“例の日”だよね?」

 玲花がフライパンを磨きながら尋ねる。


「……ああ。年に一度の、あれな」


 篠宮翔は珍しく黙り込み、眉間に皺を寄せていた。

 普段は豪快で自信満々の彼がこんな表情をするのは、決まってこの日だ。


 蒼井透が穏やかに声をかける。


「無理はしなくていいんですよ、翔」


「ボス……。

 俺が作らなきゃ意味がないんですよ。今日だけは」


 店の空気が、すこしだけ慎重になる。


 その時――

 扉が小さく揺れた。


「こんばんは……あの、予約はしていないのですが」


 入ってきたのは、三十代くらいの女性。

 柔らかい表情だが、目の奥に疲れが隠れている。


 蒼井は席へと案内し、例の言葉を告げる。


「いらっしゃいませ。今日は、どんな日でしたか?」


 女性はうつむき、小さく呟いた。


「……今日は、兄の命日なんです。

 一緒に行くはずだったレストランも断っちゃって……

 でも……どうしても、誰かと温かいものを食べたくなって」


 玲花と黒江が同時に蒼井を見る。

 蒼井は静かに息を吸い――翔へと視線を向けた。


「翔、頼めますか?」


 翔は一瞬だけ目を丸くし、そしてゆっくり頷いた。


「……任せてください」


 厨房に戻った翔は、手を洗いながら深く息を吐く。


「……十年前、俺にも兄貴がいたんです。

 料理の道に進んだのは、全部兄貴の影響で」


 アレックスが静かに耳を傾ける。


「兄貴……海で事故に遭って死んだんですよ。

 最後に食べてもらった俺の料理……

 ソース、失敗してたんだよなあ……」


 玲花が少し眉を下げた。


「翔……」


「まあ、だから毎年この時期は、どうしてもソースに気合い入んのよ」


 彼は銅鍋を火にかけ、深い赤のソースをゆっくりと煮詰め始めた。

 手元の動きは丁寧で、まるで祈りのよう。


 隼斗がぽつりと言う。


「……お前の兄ちゃんは、お前の料理が好きだったんだろ」


「当たり前ですよ。兄貴、俺の最大のファンでしたから」


 蒼井も静かに加える。


「翔。今日は“彼女のため”であり、“あなた自身のため”でもある。

 無理に背負わず、作りたい料理を作ればいい」


 翔は目を閉じて、一度だけ深呼吸した。


「……はい」


 そして皿が完成した。

 「仔羊のロティ 深紅の赤ワインソース」。

 艶やかで、香り高く、そしてどこか優しい。


 翔が自ら皿を運び、女性の前に置いた。


「よかったら……召し上がってください」


 女性はそっと一口味わい、涙を落とした。


「……優しい…..

 こんなに温かい味、久しぶりです」


「兄貴さん……きっと、見てますよ」

 翔が言うと、女性は小さく微笑んだ。


「ええ……そうですね。

 ちゃんと、今日を“思い出の日”にします」


 食べ終えた女性は深く礼をして店を後にし、店内には静寂が訪れた。


 そして――玲花がぽつり。


「翔、すごかったね」


「まあな。俺、本気出すとこんなもんですよ」


 アレックスが肩を抱いて笑う。


「お前な、本気出しすぎて涙腺崩壊するかと思ったぞ!」


「うっせえ!」


 蒼井が微笑む。


「翔。いい仕事でした」


 翔は照れくさそうに鼻をこすった。


「 ……兄貴が生きてたら、きっとこう言いますよ。

 『お前、やっと一人前になったな』って」


「ええ。きっと言います」

 蒼井が即答した。


 厨房に、静かで温かい誇らしさが広がった。


「――よし。次のひと皿、作りますか」


 篠宮翔は、その日ひとつの痛みを“料理”で越えたのだった。

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