第13話 捨てられなかったソース
―玲花―
玲花が最後に勤めていたイタリアンは、
“映える”ことを何より大切にする店だった。
「味はいい。
でも写真に弱い」
オーナーは、皿を見ながらそう言った。
「ソース、多すぎ。
この一滴があると、SNSで跳ねない」
玲花は、黙ってその皿を下げた。
ソースは、彼女が三日かけて仕込んだものだった。
祖母から教わった、
時間をかけないと出ない味。
「……捨てるんですか?」
「当然。
客は“感動”より“見た目”を食べるんだから」
その夜、玲花は厨房の隅で、
捨てられるはずだったソースを
小さな鍋に移し替えた。
誰にも見られないように、
こっそり火を入れ直す。
「……やっぱり、これじゃなきゃ」
自分のために作った一皿。
だが、心は少しも満たされなかった。
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その帰り道、
玲花はふらっと立ち寄った店の前で足を止めた。
看板は小さく、
店名も目立たない。
ミルティユ。
「……なんか、静かすぎない?」
中に入ると、
カウンターに一人の男がいた。
「いらっしゃいませ」
蒼井透だった。
「メニューは?」
「ありません」
「……喧嘩売ってる?」
蒼井は少しだけ笑った。
「今日は、どんな味が食べたいですか」
「……正直で、
嘘つかない味」
蒼井は頷き、
厨房に立った。
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出てきたのは、
シンプルなパスタだった。
華やかさも、
写真映えもない。
だが、ひと口食べた瞬間、
玲花の目が見開いた。
「……これ、
“隠してない”味だ」
「ええ」
「誤魔化してない。
流行りにも寄せてない」
蒼井は言った。
「流行は、
誰かの“今”を切り取ったものです。
でも、あなたが作っているのは
“積み重ねた時間”だ」
玲花は、思わず笑った。
「……あんた、
初対面でそこまで言う?」
「料理が、そう言っていました」
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翌日。
玲花は店を辞めた。
理由は聞かれなかった。
聞かれる前に、答えが出ていたから。
数日後、ミルティユを再び訪れる。
「働きたいです」
蒼井は驚かなかった。
「条件は?」
「変な写真撮らせないこと。
あと……ソース、捨てないこと」
蒼井は少し考えてから答えた。
「では――
あなたのソースを、
必要とする人のために使いましょう」
玲花は、初めて深く頭を下げた。
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その夜、
玲花がミルティユで作った最初の一皿。
ソースは、
たっぷりとかかっていた。
だが、誰も文句は言わなかった。
その皿は、
誰かの心を、
静かに温めていた。




