第10話 戻ってきた男
その男は、予約もなく、閉店間際に現れた。
背の高い影が扉の外で止まり、少し迷ったあと、ゆっくりと中に入ってくる。
蒼井透は、その顔を見た瞬間に気づいた。
「……久しぶりですね」
男は短く息を吐いた。
「覚えててくれたか。
まあ、忘れられるような別れ方じゃなかったけどな」
厨房の空気が、わずかに変わる。
「誰?」
玲花が小声で聞く。
蒼井は視線を外さずに答えた。
「……昔、同じ店をやっていた人です」
男の名は 神崎修一。
蒼井がオーナーシェフになる前、共同経営者だった男。
「今日は、客として来た。
……文句を言いに来たわけじゃない」
「ええ。
ここでは、皆さん同じ“客”です」
神崎は苦笑した。
「相変わらずだな。
その“理想論”」
⸻
席についた神崎は、料理の説明を遮った。
「要らない。
ただ……今の俺に合うものを出してくれ」
その言葉に、蒼井の目がほんの一瞬だけ揺れた。
「承知しました」
厨房に戻った蒼井は、静かに言う。
「……今日は、私がメインをやります」
「ボスが?」
隼斗が驚く。
「ええ。
彼は……この店が生まれる前から、
私の料理を知っている人です」
篠宮が腕を組んだ。
「面倒な相手だな」
「はい。
だからこそ……逃げません」
⸻
出された一皿目は、驚くほど質素だった。
派手さも、技巧もない。
神崎は一口食べ、動きを止める。
「……変わったな、透」
「そうでしょうか」
「昔のお前は、
“正しさ”を料理に押しつけてた」
神崎は皿を見つめながら続けた。
「今のは……
“相手の弱さ”を前提にしてる味だ」
蒼井は答えない。
神崎はふっと笑った。
「なあ透。
この店……
いつまで続くと思ってる?」
その言葉が、静かに胸に落ちた…。




