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エピローグ:事務所の午後



午後の探偵事務所には、静かな陽射しが差し込んでいた。


窓から漏れる光は、埃を淡く照らしながら、室内の時間をゆるやかに流していた。

雑然としたデスクの上には、未整理の資料と電子端末。

その脇には、湯気の立つマグカップがひとつ。


「ふむ……このログの関連フラグがまだ整理されてないな。エコー、13-Bのリンク情報もう一回出してくれ」


《はいはい、センセー様。まったく、そういう細かいとこだけは抜かりないんだから。趣味悪いログでも見落とさない探偵魂、ってやつ?》


スマートグラスのスピーカーから返ってくる軽口に、探偵は肩をすくめた。


「皮肉を言う暇があるなら、処理を頼む。俺は今、コーヒーを淹れてるんだ」


《そうそう、君がこだわってるわりに、最近ちょっと味が落ちてる気がするんだよな~》


「その味を判別できるような味覚機能は、お前にはまだないはずだが」


《うるせー! 感覚的な問題ってやつだよ、感覚的な!》


やれやれ、と探偵は小さく笑い、ポットのお湯をサーバーに注ぎ込んだ。


事務所の奥、応接用のソファにはミサキが座っていた。

制服ではなく、ラフな私服姿。胸元にはシンプルなネックレスが光っていた。


テーブルの上には、開きかけのノートPCと数冊のファイル。

彼女がここに通うようになって、もう数日が経っている。


「……エコー、また探偵さんにからかわれてたでしょ」


「お、バレた?」


ミサキがクスクスと笑う。

その笑い方には、ほんの少しの慣れと、少しの緊張の抜けた空気が含まれていた。


「はい、お待たせ。ミサキさんはミルクだけだったな」


探偵が彼女の前にマグカップを置く。

ミサキは軽く会釈しながら、それを両手で包み込むように受け取った。


「ありがとう、先生」


「だから、その呼び方はやめてもらいたいんだがな。もう、学校の人間ではない」


「うーん、でも一番しっくり来るんだよね、それが。……“探偵さん”ってのはまだちょっと、実感わかなくて」


そう言いながら、ミサキはゆっくりとマグを傾ける。

湯気がほわりと立ち上り、コーヒーの香りが空気に混じった。


エコーがホログラムでふわりと姿を現すと、宙に浮いたままくるりと回ってみせた。


《まあまあ。お嬢さんがそう呼びたいなら、それでいいじゃないの。うちのセンセー、実は結構気に入ってるからさ》


「……気に入ってはいない」


探偵が軽く反論するが、言葉に棘はない。


ソファに腰を沈めた探偵は、改めてミサキに問いかけた。


「調子はどうだ? 学校には行ってるんだろう?」


「うん。普通に授業も受けてるし、寮も、もう慣れたかな」


言葉の後に、ほんの一瞬だけ間が空いた。

だが、ミサキはすぐに続けた。


「イズミさんのこと……クラスの誰にも言ってない。先生が言った通り、記録には残ってないんだから、“証拠”もないしね」


「それでいい。“存在を覚えている”ことは、何も“記録として残す”こととは違う」


探偵は静かに言った。


「それでも、彼女がいたことを知っている人間がいる。……それが、何よりも意味がある」


ミサキはその言葉を聞いて、ふっと視線を落とした。


「……なんか、不思議だよね。“記録にない”のに、こうやって覚えてるって。まるで——」


「——幽霊みたいだな」


探偵の言葉に、ミサキが驚いたように顔を上げた。

だが、それはおどけた表情に変わり、すぐに笑いに変わった。


「うん。幽霊、か。そうかもしれないね」


《でも、それって悪くない“幽霊”じゃね?》


エコーが浮かびながら、ぼそりと呟く。


《誰にも見えなくても、誰かの中に残ってる。記録されなかった声が、ちゃんと“いる”ってことだろ?》


「……ああ、そうだな」


探偵が窓の外に目を向ける。


午後の光が、少しずつ傾き始めていた。

時間はゆるやかに進み、けれど確かに“前”へ向かっていた。



その日、探偵は机の端に置かれた端末を手に取る。

画面には、アルのシステムステータスが表示されていた。

「個別記録:イヅミ・A-077」——“再記録済”という項目が、ひっそりと灯っている。


誰の指示でもない。

アル自身が、自らの意志で記録を再構築した証だった。


記録は、いつか消える。

けれど、“誰かの意志で残された記録”は、決して無意味ではない。


探偵は、静かにマグカップを手に取り、一口飲む。


「……今日は、少し濃いな」


《あー、やっぱり? やっぱ最近、味が落ちてるって俺は思ってたんだよ!》


「だが、悪くない。……そう思う」


ミサキが笑い、エコーがわざとらしく宙で腕を組むようなポーズを取る。


探偵はその光景を、どこか懐かしさを感じるような目で見ていた。


イズミの声は、もう聞こえない。

だが、彼女の残した問いと意思は、確かにここに残っている。


——それは、誰にも記録されなかった“存在の証明”。


今日も、記憶の余韻と共に、午後の時間が過ぎていく。


(了)



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