Scene4「夜・探偵事務所での情報整理」
探偵事務所の空気は、学校よりも静かだった。
鉄骨と木材でできた古いビルの一室。薄明かりの蛍光灯が、天井から無音で灯っている。
コートを脱ぎ、椅子に沈み込んだ探偵の前に、ホログラムのエコーがふわりと投影される。
その姿は、少し生意気そうな小動物のようなマスコット風。だが、表情には読み取りがたい思考の色が浮かんでいた。
「おかえりー。ってか、遅かったな。何かあった?」
探偵は黙って、今日受け取ったばかりのデータ端末をデスクに置いた。
そのままパスコードを入力し、映像データを表示させる。
浮かび上がったのは、例の“影”の記録。
「……これか。これが噂の“幽霊”ねぇ」
エコーが手を伸ばす仕草で拡大し、映像のぼやけた部分にフィルタをかける。
「確かに人型だ。輪郭が淡いけど……。動きは不自然に滑らか。で、録画時刻は……うん、カメラの記録とはズレてない」
「記録自体は改ざんされていないってことか?」
「そうだな。映像のデータには手は加えられてない。ただし、保存された場所が妙だった。“通常ログ保存場所”じゃなく、空き領域のキャッシュから発掘されたみたいな状態。つまり、“一度削除された痕跡”がある」
探偵は顎に手をあてながら、映像の再生をもう一度繰り返した。
闇の中をふわりと横切る、黒い人影。
その姿には衣服も顔も、はっきりした特徴はない。だが、なぜか“誰か”を連想させる。
「……この影に、“名前”があるとしたら?」
「名前?」
探偵は背中を預けながら、天井を仰いだ。
「今日、聞いた。彼女の名前は“イズミ”。事故で亡くなった、生徒だ」
「イズミ……」
エコーがその名を繰り返し、小さく首をかしげる仕草をする。
「そいつが、あの幽霊の正体ってわけか?」
「断定はしない。けど、彼女の同室だった生徒が“そう思った”ことは、意味がある。記録は感情と結びついて初めて“語られる”ものになる」
探偵の指が机の端を静かに叩いた。
そのテンポに合わせるように、エコーがデータの検索を始める。
「オーケー、じゃあ俺の方で“イズミ”って名前に関連する学籍記録、事故記録、校内のアクセスログ、バックアップサーバー含めて掘ってみる。学校のネットワークには昼間のうちに割と入口作っておいたし」
「頼む」
「けど、お前もちゃんと説明してくれよ? その子、どうやってこの映像を持ってたんだ?」
探偵は軽く息を吐き、夕方の相談室の記憶をたどる。
「最初はただの“幽霊の噂”だと思ってた。けど、彼女はその“影”にイズミを重ねて見ていた。
はっきりとは言わなかったけど——わかるだろ。ああいうときの“顔”ってやつは」
「……あー、なるほど。なまじ面倒見がいいからな、お前」
「他人事にはできないよ。彼女は、これを“誰かに見てほしかった”んだ」
探偵は静かに言った。
「名前のない亡霊が、“誰か”に名を呼ばれることで初めて存在になる。
たとえAIが扱う記録であっても、その事実は変わらない」
エコーは黙っていた。
探偵の言葉を咀嚼するように、ホログラムの体がふわふわと浮遊を続ける。
やがて、少しだけ口調を柔らかくして返す。
「……で、今後どう動く?」
「明日も引き続き、学校内で情報収集する。生徒たちの話を拾いながら、“イズミ”の痕跡を探る」
「俺の方は?」
「公的記録を中心に、彼女の学籍、事故当時の教職員の動き、削除されたデータの断片。
可能な限り、誰が、なぜ彼女を“消そうとしたのか”を追ってくれ」
「了解。あと、旧病棟の記録も掘るよ。“あの影”が映ったカメラの配置とか、他にも撮れてる場所があるかもしれないし」
探偵は軽く頷くと、コーヒーメーカーに向かいマグを満たす。
蒸気の立つ香りが、ほんの少しだけ張りつめた空気を緩ませた。
「……明日は、もっと踏み込む。彼女が、ただの“消された名前”にならないように」
ホログラムのエコーがふっと浮かんで、くるりと一回転する。
「おー、熱血教師モード入ったな、先生」
「……やめてくれ、その呼び方は」
「いやいや、生徒たちの人気すごいからな? 今日も質問責めだったろ。昼飯も囲まれてたし」
「静かに飯が食える日が恋しいよ、まったく」
苦笑を交えながら、探偵は椅子に戻り、端末に新しい調査リストを打ち込んだ。
夜の事務所は、すでに次の一手を準備するための“作戦室”になっていた。
幽霊の正体はまだ掴めていない。
だが、その影には“名前”がある。
それだけで、物語は確実にひとつ先へ進んだのだ。
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時計の針が、静かに深夜の一点を指していた。
窓の外では街の灯りがほとんど消え、時折聞こえる車の通過音さえも遠く響く。
探偵はまだ、机に向かっていた。
ディスプレイにはスライド作成ソフトが立ち上がり、「情報の信頼性と記録の扱い方」と題された資料が並んでいる。
「なあ……先生って、こんな時間まで授業準備するもんかね?」
スマートグラス越しにエコーが呆れた声を投げる。
「教師ってのは、生徒の目の前に立つ時がいちばん緊張するんだよ。
少なくとも、演技としてでもな」
「まー、演技にしちゃ完成度高いけどな。お前の“優秀な先生ムーブ”」
探偵は無言でスライドに手を加える。
“記録の正しさ”についての一節に、「参照元の偏り」「情報の欠損」「再構成による誤解」という三つの項目を追加した。
「……ただデータが残ってるだけじゃ、真実にはならない。
生徒たちにそう教えておく必要がある。たとえ相手が“AI”でもな」
「……伏線張ってんなあ」
エコーのからかいは軽いが、どこか優しい。
探偵は構わず続ける。次のページには、記録に対して“誰がどう見るか”という視点のスライド。
たとえば——一枚の写真に映った誰かの表情が、“何を意味するのか”は、見る者次第だ。
「生徒たちの感性は、思ってるより鋭い。
今日の授業でも、“記録は幽霊みたいなもんですか?”って言ってきた子がいた」
「いたいた。あの子、俺の中じゃMVPだよ」
「だからこそ、記録の取り扱いには注意を払うべきだ。
残したものが、“何かを傷つける”こともある」
指が止まり、ふっとため息が漏れる。
「あんまり肩に力入れるなよ、探偵。明日も朝早いぞ。寝るなら今のうち」
「分かってる」
返事をしながら、探偵は最後のスライドに軽くジョークを忍ばせた。
“記録は記憶の代用品。でも、記憶のほうがずっと曖昧で——ずっと、人間らしい。”
「……生徒が笑ってくれればいいさ。あとは、そこから話を引き出せれば」
「ほんと、よくできた“先生”だな。あんたがほんとに探偵だって、明日あの子たちが知ったら、泣くぞ」
「だから、黙っておいてくれよ。相棒」
「へいへい」
探偵はようやく保存ボタンを押し、ディスプレイを閉じた。
椅子の背に寄りかかり、天井を見上げる。夜は、深く静かだった。
明日は、もう少し踏み込む。
そのために、まず“教師”としての信頼を得る。
そして——その先で、記録と記憶のあいだにある“何か”を探すために。
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